その35 目を疑うような光景
アレークシ川の下流の地、カルリアに到着した僕達は、上空から戦場となっている河口を見下ろした。
『沖に浮かんでいる黒い船が、トマスの言っていた帝国軍の艦隊ですわね』
海には二十隻程の外洋船が浮かんでいる。
こうして上から見ても、隊列が乱れなく綺麗に整っている事から、敵艦隊の練度の高さがうかがわれた。
僕は何度か上空を旋回して、相手の戦力を観察した。
敵には特に大きな船が四隻。それよりも一回り小さな船が十数隻。そしてその周囲を兵員を満載した小型船が無数に行き来している。
「きっと、あの四隻の大型艦が敵の主力なんじゃないかな」
『なら、あれをやっつければいいんですわね。どれから狙うつもりなんですの?』
「そうだね。やるとすれば中央の二隻かな」
端の船を狙うよりも中央の船を狙った方が、周囲からもよく目立つだろう。
僕の目的は敵の殲滅ではない。敵に被害を与えて敵指揮官に撤退の判断を促す事にある。
そもそも、殲滅しようにも、250キロ爆弾は二発しかないのだ。物理的に全ての大型船を沈める事は不可能である。
よし、やろう。
『ティトゥ カーチャ アンゼンバンド』
『りょーかい、ですわ』
『わ、分かりました』
僕の声にティトゥは力強く、メイド少女カーチャはあたふたと答えた。
「ギャウギャウ!(※興奮している)」
『こら、ファルコ! 暴れたら危ないですわ!』
『ハヤブサ様もこっちで大人しくしていて下さいね』
「ギャーウ(うん。カーチャ姉)」
二人は手分けしてリトルドラゴンズ、ファル子とハヤブサを抱き寄せた。
僕はみんなの安全を確認すると、爆撃進路に入った。
フラリ。
動力を絞って降下を開始すると、みるみるうちに機体速度が上昇する。
風の音はビュウビュウと荒れ狂い、振動で機体がギシギシと軋む。
急降下爆撃の際の降下角度は50度から60度。それを超えると墜落の危険もある。
とはいえ、体感的には垂直に落下しているのとほぼ同じだ。カーチャが鋭く『ひっ』と息を呑む声が聞こえた。
小さく見えていた船が、あっという間に大きくなる。
流石のティトゥも緊張で体をこわばらせた。
『ハヤテ』
「まだだ。まだ早い」
計器上ではまだ千メートルを切っただけ。敵の船がバカみたいに大きすぎるために、いつもと感覚が狂っているのだ。
船を見ていてはダメだ。波の大きさで判断しないと。
そうして遂に高度は五百メートルを切った。
今だ!
ゴクン。
軽い振動と共に、重量物を失った機体がフワリと浮き上がる。
僕は機首を引き上げると、敵艦隊の上空を通過した。
その直後――
ドーンという音と共に、標的となった敵艦が大きく揺らいだのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それは目を疑うような光景だった。
帝国海軍の誇る新鋭艦。この世界でも類を見ない巨大船。その堂々たる姿から、”海の砦””不沈艦”とも呼ばれる巨大な船が、ゆっくりとその船体を傾けているのである。
「そ、そんなバカな・・・。俺達の船が。海の砦が」
「ウソだろ・・・一体何が起こっているんだ?」
周りの船の帝国兵は、信じ難い光景に言葉を失っている。
つい先ほど、戦場の上空に現れた謎の飛行物体。それは悠々と彼ら黒竜艦隊の上を飛び回った。
最初は一部の兵がその存在に気付いただけだったが、その声が広がると共に、次第に多くの兵士が空を見上げて騒ぐようになっていった。
「なんだろうな? アレは」
「鳥にしては変わった姿をしているんじゃないか?」
「バカを言え、あんな鳥がいる訳がないだろうが」
本来、兵士達を叱らなければならない立場の指揮官達も、不思議そうな顔で謎の飛行物体を見上げている。
それ程、その飛行物体は不思議な姿をしていたのだ。
「まさか・・・あれはドラゴン?」
中には一昨年、ウルバン将軍率いる五万の南征軍を撤退に追いやった、ミロスラフ王国のドラゴンを思い浮かべた者もいたようだが、その数は少なかったし、彼らも本気でそう思った訳では無かった。
誰もが伝聞でしかドラゴンの存在を知らなかった上に、その姿形は話が広がるにつれてどんどん誇張されて行き、今やハヤテ本人の姿とは似ても似つかない物となっていたからである。
こうして殺伐とした戦場に、空白の瞬間が訪れた。多くの兵が一瞬、戦いの事を忘れたポッカリと空いた奇妙な時間。
謎の飛行物体は、そんな彼らの心の隙を突くようにフラリと頭を下げると、海面に向けて降下した。
「あっ! 落ちるぞ!」
「このまま行くと隣の船にぶつかるんじゃないか?」
「おいおい、待てよ。アイツ意外とデカくないか? あんなのが落ちて大丈夫なのか?」
兵士達から騒ぎ声が上がる中、飛行物体は大型輸送船のマストの先端をかすめるように、唸り声を上げながら彼ら黒竜艦隊の上を飛び越えて行った。
その直後――
ドーン!
今まで聞いた事もない大きな音と共に、輸送船からパッと黒い煙が上がった。
すわっ?! 何事?! と、兵士達が目を見張る中、輸送船のマストがバキバキと音を立てながら傾いていった。
「マストが! 船のマストが倒れるぞ! 煙の出ている辺りだ!」
「うわっ! 何だコレ! 空から木の破片が降って来やがった!」
近くにいた小船の兵は、爆風で飛ばされて来た船の破片に慌てている。
ハヤテの250キロ爆弾は、大型輸送船の後部甲板に命中。構造物を吹き飛ばし、近くのマストをへし折っていた。
「見ろ! 帆に火が付いているぞ! あれってヤバイんじゃないか?!」
「船員達は何をやっているんだ! 早く帆を下ろして火を消さないか!」
帆を舐める赤い炎を指差し、騒ぐ兵士達。
彼らは知らなかった。船の上は爆発の被害と発生した火災による煙で、指揮系統は完全に崩壊。
船員達は大混乱に陥っていて、帆を気にするどころではなかったのである。
「ふ、船が傾いて行く・・・」
やがて船は大きく傾き、甲板から船員達がポロポロと海に落下する。
彼らは混乱の中で足を滑らせてしまったのか、それともいち早く船を見捨てて逃げ出した者達だったのか。
しかし、周りの者達が大型輸送船を――他人の事を――気にしていられたのはここまでだった。
例の飛行物体がいつの間にか舞い戻り、再び上空から急降下して来たのである。
ドーン!
次に攻撃を受けたのは、中央に位置していたもう一隻の大型輸送船だった。
攻撃。そう。ここまでくれば兵士達も完全に理解していた。
自分達は今、あの飛行物体から攻撃を受けている。あれは自分達を殺そうとしている敵だ。
最初に攻撃を受けた輸送船は、今や甲板からもうもうと黒い煙を上げている。
相当に激しく炎が燃え広がっているようだ。
船の兵士達が慌ててボートを降ろそうとしているのが見える。
待ちきれない兵士が次々と海に飛び込み、あちこちで水しぶきを上げている。
船の傾きは明らかに異常で、このまま沈むのは間違いないだろう。
今、攻撃を受けた輸送船もじきに同じ運命を辿るに違いない。
混乱の広がる帝国海軍・黒竜艦隊に、敵は三度襲い掛かった。
ヴーン
飛行物体の上げる唸り声に、兵士達の恐怖は限界を超えた。
「「「わああああああああっ!」」」
彼らは悲鳴を上げながら我先にと逃げ出した。
急激な挙動にあちこちで小船同士がぶつかり、乗っていた兵士達が海に転落した。
流石に大型船はそこまで無様な姿は見せていなかったが、それでも慌てて錨を上げ、この場から離れようと回頭を始めている。
小船の兵士達は置いて行かれまいと、必死に艦隊に縋り付いた。
そんな彼らを嘲笑うかのように、敵は低空で彼らの頭上を飛び回ると、時折、気まぐれのように赤い火箭で外洋船に攻撃を加えた。
ドドドドドド・・・!
赤い光弾が命中した帆はズタズタに引き裂かれ、飛び散った火花で引火。チロチロと赤い炎が燃え上がった。
船員は慌てて火のついた帆を下ろすと、消火に励むが、この作業によって船足が遅れ、艦隊に乱れが生じた。
ヴーン
飛行物体の上げる唸り声は、大きく小さく。混乱の最中にある黒竜艦隊の頭上を行き来する。
この後、今回の戦いに参加した多くの兵士が、夜、悪夢にうなされる事になる飛行音である。
「わあああああっ!」
「ひいいいいいっ!」
一体誰がこの光景を予想出来ただろうか?
少し前まで黒竜艦隊はまごう事無き強者だった。ミロスラフ王国軍という獲物を前にした捕食者。どうやって獲物の喉笛を噛みちぎろうかと舌なめずりをしていた獅子だった。
しかし、彼らの立場は、この理不尽極まりない存在を前に脆くも崩れ去ってしまった。
その怪物は、突如空に現れると、瞬く間に黒竜艦隊の力の象徴とも言える海の砦、大型輸送船を葬り去ってしまった。
この圧倒的な暴力の化身の前では、ちっぽけな人間など、まるで暴風雨に晒される木の葉のようなものでしかなかった。
吹きすさぶ嵐は、木の葉を枝から引きちぎり、吹き飛ばし、大樹を根元からへし折った。
今や帝国海軍の精鋭、黒竜艦隊は、たった一匹の怪物によって、なすすべなく壊走しようとしていた。
次回「艦隊壊走」