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その18 ティトゥの信頼

 ランピーニ聖国のあるクリオーネ島へと向かう途中。

 僕は海上に広がった嵐を避け、雲の上を飛んだ。

 だがその最中、僕はとんでもないことに気が付いてしまった。


 予備の燃料の入った落下増槽を付け忘れたのだ。



 落下増槽を付けるには一度エンジンを切る必要がある。

 なぜだか分からないが僕の身体はそういう仕様なのだ。仕方がない。

 もちろん飛行中にエンジンが停止してもすぐに墜落するわけではない。

 当時の搭乗員が書いた本の中で、飛行中にエンジンが停止した話を読んだことがある。

 その人は手順を踏んで再びエンジンをかけた、と書いてあった。

 だがその人でもこんな乱気流の中、エンジンが止まったわけではないだろう。


 エンジンを切る。精神集中して落下増槽を付ける。エンジンを再起動させる。

 今の状況でこれを成功させる自信はない。

 もちろん最後の最後には一か八かやるしかないのだろうけど・・・

 でもそれはあくまでも最後の手段だ。

 もしその状態で失速してスピンした場合、エンジンの止まった機体を立て直せるとはとても思えないからだ。



 一番良い選択は今から陸地まで引き返すことだ。

 幸い燃料は半分以上残っている。今ならまだ引き返すことができる。

 そうして陸に付いたら適当な場所に着陸して増槽を付けるのだ。


 この場合問題になるのは残り時間だ。

 今でも結構時間がたっている。このままでは日が落ちる前に王都に帰りつくことができなくなるかもしれない。

 文明の未発達なこの世界では日が落ちればみんな寝てしまう。

 24時間明かりの消えない現代の日本と違い、この世界の夜は基本的に真っ暗闇なのだ。

 昼間なら街道に沿って飛ぶこともできるが、暗闇の中、街道を辿って王都まで帰り着くことは不可能だ。

 王都に行くまでに知ったことだが街道は割と途中で途切れている。

 そんな場所では前の馬車の付けた轍を辿って行くのがセオリーだが、どんなに低空飛行をしてもそんな僅かなヘコミを暗闇の中で辿ることはできない。


 しかも現在すでに大分風に流されている。

 おそらく真っすぐに戻っても同じ場所には帰り付けないだろう。

 最悪、隣の国に上陸してしまったりしないだろうか?

 こんな時、自分に航法の技術がないのが悔やまれる。


 航法に関しては単なる知識としては知っている。

 だからこそ、それがどんなに困難であるのかも分かっているつもりだ。




 ちなみに僕の身体の元になっている四式戦闘機は陸軍の飛行機だ。

 陸軍は海の上を飛ぶ海軍とは異なり基本的に陸の上を飛ぶため、搭乗員の航法の教育には力を入れていなかった。

 「地紋航法」と呼ばれる、地図を頼りに道や川を目印に飛ぶ方法で充分だったのだ。


 だが、海軍の飛行機は目印の無い海の上を何百キロと飛ばなければならない。

 そのため「天測航法」「推測航法」といった航法が用いられた。


 「天測航法」は文字通り天体を観測して、太陽や星の位置から自分の位置を割り出す方法だ。

 どっちかというと船で使われる航法で、あまり飛行機向きの方法ではないだろう。


 「推測航法」は飛行速度と経過時間を計算することによって、現在位置を推測する方法だ。

 例えば、北に時速300kmで真っすぐ一時間飛んでいるが、強風で東に90度、同じく時速300kmで流されているとする(こんな風はあり得ないけど分かりやすくするためにね)。

 この場合、現在の自分の位置はスタート地点から北東。距離は一辺300kmの正四角形の対角線√2×300、という計算で出すことが出来る。


 「推測航法」とはこういう風に現在の自分の場所を計算で出していく方法だ。

 先ほどの説明でも出たが、その間に受ける風によって機体が流されればそれも計算しなければならない。

 そのため海軍の搭乗員は、海の波の大きさから風向と風力を推測する、などといった信じられないような技術を磨いていた。


 ちなみにこの時基準となるのは機内の磁気コンパスだが、地図上のある位置を目指す場合、これに偏差を足して計算しなければならない。

 それでは偏差とは何か?

 ここで質問だが地図上の東西南北は何を基準にしているか知っているだろうか?


 正解は地球の自転軸を基準にしている、だ。


 この地図の北(北極を指す)を真 北(しんぼく)という。


 磁石を使ったコンパスが南北を示すことは、現代人なら誰でも知っていることだろう。

 だがこの磁気コンパスが厳密には地図の南北とずれていることは知っているだろうか?


 磁気コンパスが示す地磁気の北を磁 北(じほく)と呼ぶ。

 偏差とはこの真 北(しんぼく)に対して磁 北(じほく)がどれだけズレているか、偏りと方向を数値化したものなのだ。


 だったら航空機用に最初から磁 北(じほく)で地図を作れば良いじゃないか、と考えるところだが、偏差というものは場所によっても異なる上、経年でも変化していく(それを数値化したものを年差という)厄介なモノなのだ。

 当時の搭乗員の書いた本の中でも、新しい基地に着任した時などにコンパスの自差修正のため飛び回った、という記述を見ることが出来る。

 ちなみにコンパスの自差修正はそれぞれの飛行機で各自で行っていたそうだ。

 これは別に自己責任といった問題ではなく、そもそも飛行機は金属の塊である上、いくら電気機器を防磁していても磁気コンパスに与える影響が無視できなかったかららしい。

 要するに飛行機が違えば数値も微妙に違ったから、それぞれの飛行機で個別に修正する必要があったということだ。


 「推測航法」で飛ぶ場合、こういった細かな修正が施される。

 飛行距離が長ければ長いだけこの僅かな差が到着地点の大きなズレになることを考えれば、それも納得出来るだろう。

 ちなみに今の僕はクリオーネ島があると思われる大雑把な方向に飛んでいるだけだ。

 なにせ地図も無ければコンパスの自差修正などしたこともないのだ。

 当時の海軍搭乗員の方が見れば噴飯ものの行為だろう。


 これはフライトじゃない。ギャンブルだ。


 僕がマリエッタ王女から話を聞いた時に思ったことだ。

 今、目の前には寒さに震える少女達。一人は明らかに苦痛に堪えている様子だ。

 雲は厚く立ち込め海上の様子も窺えない。気流は乱れ、真っすぐに飛べているのかどうかも怪しい。


 僕はこのギャンブルに負けたのかもしれない。


 いや、まだ完全に負けたわけじゃない。

 このままがむしゃらに飛んで、クリオーネ島も見つからずに海面に墜落した時こそが完全な負けだ。

 今ならまだ「この場は引く」という選択肢がある。

 もちろんその場合、時間は大きくロスすることになる。だがこの場合は仕方がないだろう。

 当然その後の状況も色々と厳しくなってくるわけだが、今は、負け=少女達の死、である以上、何より優先されなければならないのは負けないことだ。

 そもそもマリエッタ王女を危険な屋敷から連れ出せている以上、最低限マリエッタ王女の命を救うという目的は果たせているのだ。

 それなのに、今ここで僕が王女の命を危険にさらしていては本末転倒だ。

 ここは不利を飲み込んで一時後退するのが一番リスクの少ない正しい選択だろう。


 僕がその考えに至った丁度その時、ひときわ大きなエアポケットに機体がはまった。


 ガクン!


 およそ100m以上も機体が下降した。

 今までで一番の下降距離だ。


『キャアアアア!』


 少女達が悲鳴を上げる。

 やがて機体は安定を取り戻すが、すっぽりと雲の中に入ってしまった。辺り一面真っ白で上も下もない。

 乱気流にもみくちゃにされ、機体のあちこちが軋みを上げた。

 雨粒がバリバリと轟音を上げて風防に叩きつけられる。

 僕は慌ててエンジンを吹かして元の高度に戻ろうとするが・・・


『もうイヤ! 私を降ろして!! うわあああああん!』


 もう限界だったのだろう。

 マリエッタ王女が一声叫び声を上げると大声で泣きだしてしまった。


『お母様、姉上! もうランピーニ聖国に帰りたい! 私を国に帰して!』


 しっかりしているがマリエッタ王女はまだ10歳の幼女だ。

 国の使節団の代表という重責。異国で命を狙われる不安。それらをずっと頑張って受け止めていたのだ。

 苦痛と恐怖によって、彼女の張りつめた心の糸がついに切れてしまったのだろう。


 マリエッタ王女はティトゥの膝の上で暴れながら泣き叫ぶ。

 ティトゥが何とか王女をなだめようとしているようだが、暴風雨や唸りを上げる僕のエンジン音や気流に揉まれた機体の軋む音、それにマリエッタ王女の鳴き声で何を言っているのか聞こえない。

 王女にも聞こえていないかもしれない。


 ――ここが引き時か。


 僕はそう決断するとミロスラフ王国へと引き返すべく機体を傾け・・・


 ゴスン!!


 しかし、ティトゥがマリエッタ王女にかました頭突きの音に驚いて動きを止めてしまった。




 脳天に頭突きを喰らって声も無く悶えるマリエッタ王女。

 幼女相手にティトゥ容赦ねえ・・・。

 この騒音の中、僕にもハッキリと頭突きの音が聞こえたからね。

 王女の頭にでっかいタンコブが出来るのは間違いないだろう。

 ティトゥは背を丸めてもだえ苦しむマリエッタ王女に対して一喝した。


『マリエッタ王女! 何を弱気なことをおっしゃるのです! アナタそれでもハヤテのパートナーですか!!』


 マリエッタ王女は涙目でティトゥを睨みつける・・・かと思いきや、何だか委縮しているようだ。

 怯えた目でティトゥを見上げている。

 極限状態の中、さらに理不尽な暴力にさらされたことで混乱しているのだろうか?

 さっき感情を爆発させた反動もあるのかもしれない。


『ハヤテはまだ諦めていませんわ! ハヤテが諦めるまで私達は彼を信じて共に立ち向かうのです!』


 ・・・ゴメン。めちゃくちゃ諦めてたよ。


 ティトゥはマリエッタ王女の頭に手を置いた。

 さっきの頭突きを思い出したのか、頭突きで出来たコブに当たって痛かったのか、マリエッタ王女がビクリと身をすくめた。


『ハヤテは私達を決して裏切りません! ハヤテが地上では私達を信頼して身を任せてくれるように、私達は空の上ではハヤテを信頼して身を任せるのですわ!』


 その言葉に、一度は驚いて止まった涙がマリエッタ王女の目から再びあふれ出した。

 ティトゥはそっとマリエッタ王女を抱きしめた。


『私は先日、ある一件の時ハヤテを信じきることができませんでした。後でそのことを思い出してとても悔しく、惨めな思いをしましたわ。マリエッタ様に私のような思いはして欲しくはありませんの』


 ティトゥはマリエッタ王女に優しく囁いた。


『あの日のことは全て私の弱い心が原因でした。だからあの夜私は月に誓ったのです。二度とハヤテを疑うようなことだけはしないと』


 マリエッタ王女はティトゥの胸の中で激しく嗚咽を漏らした。


 ・・・ティトゥがそんなに僕のコトを信じていたなんて。


 どうやら僕はティトゥの気持ちをまだまだ甘く見ていたようだ。


 ところでティトゥの言っていた一件っていつの一件のことを言っているんだろう?

 最近の話みたいだけど、僕にはちょっと心当たりが無いんだけど。


 抱き合う少女二人に声もかけられず、僕は黙って飛び続けた。

 だからだろうか、いつの間にかさっきまであんなに悩まされていた風が弱くなっていることにも僕は気が付かなかった。

 そして気が付いた時には僅かに覗く雲の隙間から海面が見えるようにまでなっていた。


 嵐の中心を抜けたのだ。


 最後まで諦めなかったティトゥの心がもたらした成果だった。

次回「虹の中のドラゴン」

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