その33 黒竜艦隊陸戦隊
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アレークシ川の河口、カルリアの地を巡る戦いは、現在、佳境を迎えていた。
戦いが始まってからおよそ一ヶ月。
その前半部分は、戦力を小出しにしていた攻撃側を、防衛側が陣地を利用した戦いで撤退に追い込む形で――つまりはミロスラフ王国側の優位で――進んでいた。
これには以前にも説明したように、艦隊を消耗させたくないという、黒竜艦隊指揮官、ハイネス艦長の消極的な姿勢が原因である。
この流れが変わったのは、”飛魚”作戦が失敗した後。
ハイネス艦長は、味方側のヘルザーム伯爵軍から敵に情報が漏洩しているのではないかと疑いを抱いた。
これは完全に誤解。ハイネス艦長の思い違いだったのだが、この推測が彼の心に火をつけた。
「小賢しいマネをしおって」
ハイネス艦長は苛立ちと共に、自分が今までミロスラフ王国軍を侮っていた事を自覚した。
敵がそうくるのならば、もう小手先の作戦はいらない。
内通者がいてもいなくても無意味なように――相手が対策を弄せぬように――圧倒的な力をもってねじ伏せる。
それは何か? 数による正攻法である。
こうして遂にミュッリュニエミ帝国海軍精鋭、黒竜艦隊が、ミロスラフ王国軍に対してその鋭い牙を剥いて襲い掛かったのである。
翌日からの戦いでは、黒竜艦隊はミロスラフ王国軍を圧倒した。
ミロスラフ王国軍は、敵が今まで本気でなかった事を思い知らされた。
黒竜艦隊とミロスラフ王国軍では、数の上ではほぼ互角。
しかし、相手の兵士の装備と練度はミロスラフ側のそれを大きく上回っている。
なぜならミロスラフ王国軍は、王都騎士団を中心とした貴族軍連合で、その内実はいわば寄せ集めに近いものである。
統一された指揮系統を持つ、訓練された軍には最初から敵う訳が無かったのである。
それでもミロスラフ王国軍は良く健闘した。
スポーツの世界では、選手の心・技・体、メンタル・テクニカル・フィジカルの三要素が上げられるが、ミロスラフ王国兵は、技と体、テクニカルとフィジカルでは黒竜艦隊に引けを取っていたが、心の部分、メンタルでは決して負けてはいなかった。
軍隊におけるメンタルは、すなわち兵の士気である。
ミロスラフ王国は、昨年の内乱、その前の帝国戦、更にその前の小ゾルタ戦と、この二年間で何度も危機的状況に陥いっている。
しかし、その度にカミルバルトが勝利をもたらし、この国難を退けている。
そう。兵士達は自分達の指揮官、常勝の英雄、カミルバルト国王の勝利を信じていたのである。
「カミルバルト陛下万歳!」
「帝国軍め! 俺達にはカミルバルト陛下が付いているんだ! この半島を好きに出来ると思うなよ!」
彼らは格上の相手に対しても決して諦めず、良く戦った。
多くの犠牲者が出たが、敵にも無視できない被害を与えた。
概ね、ミロスラフ王国は善戦したと言っても良いだろう。
しかし、残念な事に善戦は必ずしも勝利を約束するというものではない。
黒竜艦隊は遂にカルリアの一部を占拠。そこに橋頭堡を築いたのである。
先程も説明したが、ミロスラフ王国軍は上士位貴族家の軍が集まった貴族連合でもある。
そのため、参加した軍の強さにはかなりのバラツキがあった。
中でも劣っていたのはヴラーベル家とヨナターン家。
王都に近く、農業地帯となるヴラーベル家(※ちなみにヴラーベル家はティトゥの実家、マチェイ家の寄り親である)は、安全な土地で経済的にも恵まれているためか兵士のなり手が少なく、その分、兵の質も低い。
またヨナターン家は、僻地の貧乏領地なだけでなく、今は南の都市国家連合からの侵攻に備えている関係で、十分な戦力が出せない状況にあった。
国王カミルバルトも、この二家が自軍の弱点になる事は十分に分かっていたのだが、敵の猛攻を防ぐので手一杯で対応が後手に回ってしまった。
彼が気付いた時には両家の軍は壊走寸前となっており、慌てて援軍を向かわせたが、既にそこは敵の一軍が占拠していた。
「我ら黒竜艦隊陸戦隊! ミロスラフ王国軍よ、命を捨てる覚悟があるのならかかって来い!」
黒竜艦隊陸戦隊。
今回のような上陸作戦の際、敵前線に味方の橋頭堡を確保し、その地を守備する目的のために作られた部隊である。
当然、そんな事をすれば、敵は死に物狂いで攻撃をしてくるし、彼らはそんな敵を相手にして、文字通り背水の陣で挑まなければならない。
黒竜艦隊陸戦隊とは、そんな過酷な任務を担った命知らずの猛者達なのである。
「カミルバルト陛下のために!」
「黒竜艦隊陸戦隊! 敵を殲滅せよ!」
「ワアアアアアアッ!」
この距離では飛び道具は意味を成さない。むしろ味方への誤射の危険があるだけである。
兵士達は剣を構えて突き進み、鋼と鋼、肉体と肉体がぶつかり合う大混戦となった。
そしてこの混戦を制したのは、精鋭・黒竜艦隊陸戦隊の方だった。
「隊長! こ、これ以上は持ちません!」
「くそっ! 帝国兵は化け物か! やむを得ん! 後退しろ!」
戦いが始まって二週間。こうしてミロスラフ王国軍は、遂に陣地の一角に敵の上陸を許す事となった。
国王カミルバルトは急ぎこの敵の橋頭堡を取り囲む形で兵を配置。敵を海に追い落とそうと攻撃を加えた。
しかし、黒竜艦隊のエリート部隊の力は、カミルバルトの予想を超えていた。
「何をしている! 敵の一軍ごときにいつまで手間取っているつもりだ!」
「陛下! ボハーチェク軍から救援要請が来ております! このままだと敵に上陸されてしまうとの事!」
「くっ――騎士団の兵、千五百を大至急そちらに向かわせろ! 指揮官は誰でもいい! 急げ!」
黒竜艦隊本隊との激しい戦いは今も続いている。
敵の橋頭堡を潰すのは勿論、重要だが、指揮官としてはそちらにばかり注力している訳にはいかない。
こうして黒竜艦隊は陸戦隊の活躍もあって追加の兵士と物資を上陸。支配地域を更に広げると、その防御を固めた。
こうなるとそう簡単には取り返せない。カミルバルトは初動で失敗したのである。
「敵の一軍が上陸した直後、まだ敵に防衛の態勢が整っていない時こそが、こちらにとって最大のチャンスだったという訳か・・・初手でしくじったな」
カミルバルトは後悔したが後の祭り。
この日、今までずっと真ん中で揺らいだままでいた勝利の天秤は、確実にハイネス艦長の方へと傾いたのであった。
それから一週間。
黒竜艦隊側の上陸地点は、現在、川を挟んで二ヶ所ずつ、南北で四ヶ所となっていた。
ここまでになっても、ミロスラフ王国軍は良く耐えていた。
だが、その粘りもそろそろ限界を迎えようとしている。
カミルバルトは防衛線の描かれた地図を睨みながら、小さく唸り声を上げた。
(・・・厳しいな)
こうなれば、この地で消耗戦を続けるよりも、一度王都バチークジンカまで退却するべきかもしれない。
このカルリアは敵に取られる事になるが、逆に言えば敵がここに陣地を構えるまでは追撃の心配がないとも言える。
(しかし、そうなれば小ゾルタから撤退する事になってしまう)
カミルバルトが悩んでいたのは正にその点についてだった。
敵がカルリアを支配するということは、敵はいつでもこの地に好きなだけ軍を送り込めるという事になる。
アレークシ川を遡り、バチークジンカに攻め寄せるのも、この地を拠点に再びカメニツキー伯爵領に軍を進めるのも思いのままという訳だ。
そうなれば今のミロスラフ王国軍では到底数が足りなかった。
「・・・ここまで来て、俺は何も成す事が出来ずに引き下がるのか」
カミルバルトは悔しさに歯を噛みしめた。
彼は選択を迫られていた。
選択肢は二つ。このまま何かのきっかけで流れが変わるのを信じて戦いを続けるか、小ゾルタを――大陸への道を諦めてこの国から撤退するか。
もし撤退を選ぶのなら、一日でも早く行動に移した方がいい。
いつまでも決断を迷っていると、その分だけ兵も物資もそこねてしまう。
いわゆる損切りは、早ければ早い程損失が少なくて済むのだ。
カミルバルトは寂しそうに小さくかぶりを振った。
「迷う事はない。生きていれば再起の目もある」
今回は過去の戦いの時とは違う。あの時は敵に攻め込まれて逃げる道はなかったが、この戦いは小ゾルタでの戦い。諦めるという道が、撤退という道が残されている。
ならばこの場で無駄に命を張る必要はないだろう。それは愚かな選択というものだ。
「これも俺の武運か。どうやら俺は自分で思っていたよりも、天に愛されてはいなかったらしい」
カミルバルトはそう呟くと――バンッ! 大きくテーブルを叩いて立ち上がった。
その音に驚いたのだろう。立哨の騎士が慌てて天幕の中に駆け込んで来た。
「陛下! 今の音は?!」
「アダムと将軍達を集めろ! 大至急だ!」
「えっ? あ、はっ!」
「陛下!」
噂をすれば影が差す。アダム特務官が天幕に転がり込んで来た。
「おお、アダム。丁度良かった。今、呼びに行かせようとしていた所だ。将軍達が集まったら話がある」
「陛下! ハヤテ殿です! ハヤテ殿がこの上を飛んでおります!」
「何?!」
カミルバルトが天幕を飛び出すと、確かに。
猛禽のように大きく翼を広げ、青い空を悠々と飛ぶ飛行物があった。
「なぜだ? ハヤテがなぜ戦場に?」
あるいはこの瞬間、天はカミルバルトに微笑んだのかもしれなかった。
次回「理不尽な怒り」