その29 AIの見る夢
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叡智の苔はまどろみの中、夢を視ていた。
本来、純粋な魔法生物である彼(彼女?)は、眠る事はない。
そもそも、叡智の苔に宿っている精神は、スマホのOSに搭載されているバーチャルアシスタント。ボイス・ライフアシスト・コミュニケータ、通称バラク。
アプリケーションである彼には、元から睡眠という機能が備わっていないのである。
だからこれは夢のようであるが夢ではない。記録の再生。過去の出来事を思い出しているだけでしかなかった。
これはバラクがこの世界――大災害より前には、リサールと呼ばれていたこの惑星に――転生した直後の記憶。
この世界に生まれ落ちた彼を最初に見つけたのは、若く美しい貴族の少女だった。
そして偶然にも、彼女には魔法の才能が眠っていた。
そう。彼女こそが初代、小叡智となった少女なのである。
好奇心旺盛で、珍しもの好きの彼女は、直ぐにこの喋る不思議な黒い板と打ち解けた。
「私はそのうち誰かと結婚する事になるけど、バラクとは一生のお友達。生涯のパートナーよ!」
この頃、大陸は大ゾルタ帝国の崩壊に伴い、いくつかの国に分かれて争っていた。
小叡智の少女が生まれ育ったのは、砂漠のすぐ北に存在する小国の一つ。チェルヌィフ王国であった。
やがて少女はその美貌が見初められ、王子の妻。后となった。
后、とは言っても、この頃のチェルヌィフ王国は吹けば飛ぶような小国であり、国は貧しく、常に強国からの侵略に怯え、村を襲う山賊にすら手を焼くような、弱い国であった。
その生活は王家といえども決して楽な物ではなかった。
「すまないな后よ。俺が不甲斐ないばかりに后のお前にも苦労を掛けてしまって」
「何をおっしゃいますか殿下。私の実家は貴族とは名ばかりの貧乏貴族でした。だからこれくらいの事なんて慣れっこですわ。それに私にはバラクがついてますもの」
「そ、そうか。バラクというのはその喋る板の名前だったか? 俺にはそのバラクが何を言っているのかさっぱりだが、后にはちゃんと分かっているのだな」
「ええ、その通りですわ」
小叡智の夫となった王子は、後のチェルヌィフ王朝の初代国王である。
後の世では”賢王”と呼ばれ、一代でチェルヌィフ王国を大陸随一の強国にまで育て上げた稀代の英雄。
だが、実際の彼は、良く言えば大人しくて素直。悪く言えばこれといった取り柄のない平凡な男だった。
しかし王子が国王となると、バラクに記録された現代知識と、王妃の行動力が合わさり、チェルヌィフ王国はみるみるうちに国力を付けていった。
小叡智の夫の最大の長所。それは、『女のくせに』と妻の言葉をバカにせず、先入観や思い込みにとらわれず、新しい知識でも正しいと思えば何でも取り入れる事の出来る、精神の柔軟さにあった。
ある意味では、彼ほど賢王の名に相応しい者もいなかったのかもしれない。
こうして力を付けたチェルヌィフ王国は、他国からの侵略を跳ね除け、やがては周辺の国々を傘下に収めて大陸の東の覇者となるのであった。
『オーケイ・バレク』
叡智の苔、バラクは呼び出しコマンドを認証。まどろみから目覚めた。
ホコッという電子音と共に、アプリが起動。ノッチのインカメラが動くと、小さなレンズが利発そうな少年の姿を捉えた。
「こんにちは、エルバレク」
『叡智の苔様。お休みの所をすみません。ハヤテ様がいらっしゃいました』
ようやく待ち人が現れたようである。
画面上のバラクのアイコンが、歓喜に震えるように大きく動いた。
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てなわけでやって来ましたチェルヌィフ王城。思えばここに来るまでに結構時間がかかっちゃったな。
『ここに来るために、結構な時間がかかってしまいましたわね』
『結構な時間って・・・普通は他国の王城って、来ようと思っても、来られないものだと思いますけど?』
メイド少女カーチャが呆れ顔で主人の呟きに的確なツッコミを入れた。
ごもっとも。僕は内心で『良かった、口に出さなくて』とホッと胸をなでおろした。
そんな小心者な僕とは違って、ティトゥは堂々としたものである。
むしろあの顔は、『素直にそう思って何がいけないんですの?』とか思っていそうだな。
『素直にそう思って何がいけないんですの?』
あ、口にも出しちゃうんだ。
「ギャウギャウ! ギャウギャウ!」
そしてさっきからファル子とハヤブサが大興奮である。
大きな城なら、ランピーニ聖国でも見ているはずだが、聖国王城とチェルヌィフの王城では、見た目の印象も随分と違っているからね。
優雅で美しい聖国王城に対し、チェルヌィフの王城は、どっしりとしていて厳かで、とにかく強そうでカッコいいのだ。
・・・僕の語彙が死んでてゴメン。戦闘機に関してなら、もう少しちゃんと表現出来ると思うんだけどなあ。
「え~と、そうだね、例えば四式戦闘機・疾風なら・・・ゴホン。その直線的なデザインは、曲線で構成された流麗な零戦の外観とは違い、人によっては無機質で面白みに欠けるようにも感じられるだろう。だが待って欲しい。この姿は、一式戦闘機・隼に始まり、二式単座戦闘機・鐘馗を経て到達した中島飛行機の集大成なのだ。極限まで性能と効率化を追求されたそのデザインは、ある意味、引き算の美学を体現していると言ってもいい。その完成された機能美は、量産機としての生産性の高さにも生かされている。なんとその作業工程は、一式戦闘機・隼の三分の二以下にまで抑えられているのだ。兵器というのは、必要なだけの能力を持ち、それが必要な時に必要な数だけ揃えられて、初めて戦力と言える。カタログスペックだけの兵器などはもっての外。実際に機能が高くても、コスト面や生産性の低さで数が揃えられないようでは意味がないのだ」
『・・・あの、ティトゥ様。ハヤテ様はさっきから何をブツブツ言っているんでしょうか?』
『さあ? 知りませんわ。こういう時のハヤテの言葉は適当に聞き流しておけばいいんですわ』
うぉい! ちょっとティトゥ!
確かに今のは自分でもちょっとどうかと思うけど、一応は、この機体について語ったつもりだからね。
君だって人から姫 竜 騎 士とか呼ばれているんだから、少しは自分の愛機に対して関心を持ってもいいんじゃないの?
『そんな事より、いつまでこうして王城の上をグルグル回っているつもりなんですの? さっきからカルーラが恨めしそうに見てますわよ』
あっといけない。話(というよりも四式戦闘機の語り)に夢中になって、カルーラが乗っているのを忘れてた。
「ゴメン、カルーラ。今から降りるから、安全バンドを締めておいてね」
『・・・お願い』
ていうか、カルーラってこんなに飛行機に弱かったっけ? 以前はもう少し慣れてた気がするけどなあ。
ちなみに後日、この話をカーチャにしたら、『自分で気が付いてなかったんですか?』と、逆に驚かれてしまった。
『ハヤテ様は、以前よりも飛び方が少々荒っぽい――というか、自由になっている気がしますよ。多分、ティトゥ様や私達を乗せているうちに、慣れてしまったんじゃないでしょうか』
えっ? マジで?
カーチャが言うには、昔の僕はもっと乗っている人に気を使った穏やかな飛行をしていたそうである。
あ~、けどそういえばそうかも。ティトゥは割とそういうのも平気だし、ファル子とハヤブサに至ってはむしろ派手な機動の方が喜ぶ傾向にある。
そんな彼女達を乗せて飛んでいるうちに、どうやら僕は知らず知らずのうちに運転(?)が荒くなっていたようだ。
『・・・イッテヨ』
『す、すみません。私も今、ハヤテ様に言われるまで、漠然と『そんなものかな』と思っていただけだったので』
どうりでカルーラが僕の飛行を苦手にしていた訳だ。元々乗り物には強くなかったのに、更に僕の運転が荒くなっていた訳だからね。
カルーラには悪い事をしちゃったな。反省。
それはそうと、今は叡智の苔との再会を果たさないと。
こうしてチェルヌィフ王城に着陸した僕達は、直ぐに城の騎士に取り囲まれる事になったのである。
衛兵達が道を空けると、小学生か中学生くらいの少年が現れた。
『ナカジマ様! ハヤテ様! それにカーチャも! お久しぶりです!』
当代のもう一人の小叡智。カルーラの弟のキルリアであった。
『キルリアも元気そうで何よりですわ』
『ただいま、キルリア』
『カルーラ姉さん。姉さんもご苦労様でした――あの、姉さん、それは何ですか?』
キルリアは、姉が胸に抱きかかえている存在を不思議そうに見つめた。
『この子はハヤブサ。ハヤテ様の息子』
『ええっ?! は、ハヤテ様の子供ですか?!』
キルリアはギョッと目を見開くと、慌ててハヤブサと僕を見比べた。
周りの騎士達も驚いた顔で、『ドラゴンの子供?』『確かに翼は生えているが』『けど、全然似てな――』『しっ。ご当主様の話では、ドラゴンは人間の言葉が分かるそうだぞ』などと囁いている。
『あの、キルリア。この騎士達は?』
『えっ? あ、ハイ。この方たちはハレトニェート家の騎士様です。ご当主のレフド様が私とナカジマ様の護衛にと王城に残していって下さったのです』
『そうですの。ご苦労様ですわ』
『はっ。ありがとうございます』
ティトゥの労いの言葉に、隊長と思われる男が代表して礼を返した。
なる程。彼らはレフド叔父さんの部下だったのか。どうりで僕を見ても誰も驚かないと思った。みんな事前にレフド叔父さんから僕の話を聞かされていたんだな。
『ゴクロウサマ』
『しゃ、喋――あ、いえ。任務ですので』
話には聞いていたが、実際に自分が話しかけられるのは別らしい。隊長さんは思わず驚きの声を上げそうになったが、部下の手前かどうにか自制した。
『お、驚いた。本当に人間の言葉を喋るんだな』
『今のは男の声だったな。このドラゴンは雄なのか』
『それはそうと、ドラゴンはどこに顔があるんだ? どこから声を出したのか分からなかったんだが』
隊長さんはザワつく部下に振り返ると、『私語を止めろ! ナカジマ家の当主の前だぞ!』と怒鳴り付けた。
その間にカルーラはスルスルと弟に近付くと、抱きしめようとして自分がハヤブサを抱いたままだった事に気が付いた。
『カルーラ姉さん?』
『・・・それよりキルリア。叡智の苔様は?』
『はい。今もハヤテ様を待っておられます。ナカジマ様、ハヤテ様。よろしければこのまま聖域に案内致したいのですが』
『私達なら構いませんわ』
『ヨロシクッテヨ』
こうして僕達は無事にキルリアとの再会を果たし、彼の案内で叡智の苔ことバラクに会う事になったのであった。
次回「テザリング」