その27 鳶《とんび》に油揚げ
◇◇◇◇◇◇◇◇
旧小ゾルタ、ヘルザーム伯爵が唯一所有する港町、ミコラツカ。
現在、町の港には、巨大な黒い外洋船がひしめいている。
帝国海軍の誇る新鋭艦隊、黒竜艦隊である。
町の古びた小さな艀では、ニ十隻以上もの黒竜艦隊を係留させられないのだろう。艦隊の半数以上は湾内の海に投錨している。
特に輸送に特化した超巨大船に至っては、あまり陸地に近づけ過ぎると、干潮時に船底が海底に接触する危険があるのだろう。
四隻の超巨大船は湾の中に入れる事も出来ずに、港の沖合に停泊している状態だった。
この状況は、黒竜艦隊指揮官、ハイネス艦長にとって大変に不本意なものであったが、作戦中のやむを得ない措置と考える事で、不満を飲み込んでいた。
当初、短期間で決着が付くと想定されていた作戦は、既に一週間以上が経過していた。
黒竜艦隊はミロスラフ王国軍の予想外の抵抗にあい、カルリア河口の攻略の糸口すら掴めずにいた。
「よもや”飛魚”作戦までもが失敗するとはな」
ハイネス艦長の呟きに、副長が申し訳なさそうに表情を歪めた。
「・・・飛魚部隊は今回が初めての実戦投入でした。実戦経験が足りなかったものと考えられます」
「それもあるかもしれんが、それより私は敵の的確な対応の方が気にかかる」
「と、言いますと?」
飛魚部隊は今回が初の実戦投入である。そして体力自慢の兵士のみで構成された、平均年齢の若い部隊でもある。
そのため、副長の言ったように、実戦経験が不足していたというのも事実だろう。
しかし、ハイネス艦長はそれだけが作戦失敗の原因とは考えていなかった。
「――事前にミロスラフ王国に情報が漏れていた可能性も考慮すべきではないか?」
「そんなまさか! 我が軍に間諜が潜り込むなど――はっ。いや、そうか。ヘルザーム伯爵側にならあるいは・・・」
副長の言葉にハイネス艦長は重々しく頷いた。
先程も説明した通り、飛魚部隊は今回が初の実戦投入となる。こちらが初めてという事は、敵にとっても初見。ならばこちらの作戦を――満潮の川の逆流を利用して敵陣を突破、そのまま敵の王都を目指す、という作戦を――分かるはずはない。
しかし、敵は事前に川の上流に一軍を配置し、大量の廃材を流す事で飛魚部隊の船足を止めてみせた。
これはこちらの情報が漏れていたと考えなければ説明がつかない事であった。
ちなみにご存じの通り、ミロスラフ王国軍は、飛魚作戦どころか、敵にそんな部隊が存在している事すら知らなかった。
飛魚部隊の作戦が失敗したのは、たまたま偶然。運よくその場に居合わせた竜軍師トマスの咄嗟のアドリブによるものであった。
しかし、それがあまりにも飛魚作戦の泣き所を突いた対応だったため、ハイネス艦長は、『ひょっとしてミロスラフ王国軍は、事前にヘルザーム伯爵軍からこちらの作戦情報を入手して、準備していたのではないだろうか』と、味方の情報漏洩を疑ってしまったのである。
副長は表情を引き締めると、「分かりました」と答えた。
「今後、ヘルザーム伯爵軍には今まで以上に目を光らせておくことにします。可能な限り軍議にも参加させない方針で行こうと思います」
「うむ。それで良い」
ハイネス艦長を始めとして、帝国軍人は基本的には小ゾルタを見下している。
そもそも、二年前に彼らが滅ぼした国なので仕方がない事ではあるのだが、これは二つの軍が共同作戦を行う上で良い傾向とは言えなかった。
これ以降、黒竜艦隊はヘルザーム伯爵軍をいない物と扱い、独自に動くようになる。
しかし、人間万事塞翁が馬。
世の中は何が幸いするのか分からないもので、これが逆に兵士の自尊心を満足させる結果となったのだろう。黒竜艦隊は今までの消極性がウソのような猛攻を始め、ミロスラフ王国軍を次第に窮地に追いやる事になっていくのだった。
一方その頃。
ここはミコラツカの港町の場末の酒場。
酒のカップを片手に、昼間からくだを巻いている男がいた。
「ゲフッ! あの忌々しい帝国船め。ヤツらが出しゃばって来たせいで、こちとら商売上がったりだぜ」
男は大きなゲップと共に不満を吐き出した。
まるで山賊の親分ような風体である。使い込んだ皮鎧に、頬に走った大きな傷。凄みのある顔に伸び放題の髭。
いや、ある意味では山賊と似たようなものかもしれない。
彼は傭兵。しかも三百人を超える大規模傭兵団、”戦斧団”を束ねる団長、ディエゴであった。
「ここならひと稼ぎ出来ると思っていたのによ。全く、あの化け物に関わってからこっち、完全にツキに見放されちまってるぜ」
ディエゴ率いる戦斧団は、少し前までは半島の南、都市国家連合で仕事をしていた。
その頃の都市国家連合は正に傭兵天国。ディエゴ達戦斧団も引く手あまた。あちこちの争いに加わっては、その都度、法外な契約金をせしめていた。
しかし、昨年の夏にその状況も変わる。
評議会議長エム・ハヴリーンが直々に計画した軍事行動、都市国家連合の大半の傭兵団が参加したという大掛かりなその作戦は、たった一匹の化け物――ドラゴン・ハヤテによって阻まれる事になったのである。
「あのドラゴンめ、どこまでも祟りやがる。ホントにとんだ疫病神だぜ」
ハヤテの遅滞戦闘にはまり、遅々として進まない進軍にディエゴは焦れた。
その結果、彼は同僚の傭兵団団長ザイラーグの誘いに乗って連合軍を脱走。動乱のミロスラフ王国へと仕事の場を移す事にしたのであった。(第十五章 四軍包囲網編 その26 傭兵団 より)
しかし、ディエゴ達にとって予想外だった事に、新国王カミルバルトは驚異のスピードで瞬く間に全ての混乱を鎮圧してしまった。
正に英雄王。彼らが乗った船が港に到着する前に、ミロスラフ王国は平和を取り戻していたのである。
こうなってしまえば傭兵団の出番はない。当てが外れたディエゴは途方に暮れる事になった。
とは言っても、いつまでもボンヤリしている訳にはいかない。何せ戦斧団は大所帯。団長のディエゴには部下達を食わせていく義務があるのだ。
ディエゴは北に向かう事にした。国境を越えると、そこは内乱の小ゾルタである。
特にアテがあった訳ではない。ここなら何かしら仕事があるだろう、そう期待しての行動だった。
その後、まるで彼らの後を追うように、ミロスラフ王国軍が小ゾルタへ入ったのは幸運だった。
ミロスラフ王国の進軍に対抗するため、ヘルザーム伯爵は急いで戦力をかき集めた。
ディエゴはしめたとばかりに、戦斧団を率い、ヘルザーム伯爵軍に参加したのであった。
「これでどうにか冬の間の寝床も確保出来たし、春になったら戦争でひと稼ぎ。そう思っていた矢先に、なんだって帝国軍なんぞが出しゃばって来やがるんだろうな」
ディエゴは恨めしそうに、窓の外、港に浮かぶ黒竜艦隊を睨み付けた。
ミロスラフ王国軍は王都バチークジンカに入って冬を越し、これから暖かくなって街道の雪がとけたらいよいよ開戦。
今でも寝床と食事は与えられているが、傭兵が稼ごうと思ったら、やはり戦場に出てこそである。
そう意気込んで腕を撫していた所に、ハイネス艦長率いる帝国黒竜艦隊が到着したのだ。
ディエゴ達、ヘルザーム伯爵軍の傭兵にとってみれば正に寝耳に水だった。
その後、戦いの主力は黒竜艦隊が担う事になり、ヘルザーム伯爵軍は待機となり、戦場も当初想定されていた領境の砦ではなく、アレークシ川の河口の地、カルリアとなった。
ディエゴ達傭兵達は、鳶に油揚げをさらわれたような形となったのである。
それでも、本格的な戦いが始まればあるいは・・・
そんな僅かな希望も、この翌日には消え去る事になる。
黒竜艦隊が、本格的な戦いに入るための準備として、命令系統の異なるヘルザーム伯爵海軍を締めだしたのである。(勿論、本当の理由は冒頭で話した通りである)
港町には待機中の兵士に加え、暇を持て余した船乗り達も加わる事になった。
「団長・・・こんなんで俺達の出番があるんでしょうかね?」
不安そうな団員の言葉にディエゴはブチ切れた。
「うるせえ! ンな事、俺が知るか! てか、毎日毎日、酒場のイスに座ってばかりで、しまいにはコレかよ! こんなんじゃいずれケツに根が生えちまうぜ!」
結局、この件がきっかけとなり、ディエゴはヘルザーム伯爵軍から出て行く事を決意する事となった。
ディエゴはその足で部隊の上官の下へと向かった。
ヘルザーム伯爵軍側も、現状では彼ら傭兵団の存在を持て余していた事もあり、特に引き留められる事もなかった。
「出て行くなら構わないが、くれぐれもミロスラフ王国軍に寝返る事のないように」
上官の事務的な対応がディエゴのプライドを大きく傷付けた。
「テメエの知った事か! 後で後悔したって、もう二度と手を貸してやらねえからな!」
「団長団長、負け惜しみもいいけど、これからどうする気で?」
「そうそう。この小ゾルタでヘルザーム伯爵軍以上に羽振りの良い軍なんてなかなかないと思いますぜ?」
「ふん。小ゾルタでこれ以上仕事を探すのはもう止めだ。どうにもこの国は金回りが悪くてかなわねえ。それより北に進んで帝国に入るつもりだ。なんでも噂じゃ帝国皇帝が若い皇后にのぼせ上がってるせいで、ここの所、国のあちこちがきな臭くなってるって話だ。デカイ国だからな。その分、大きな戦も期待出来るってもんだ」
こうしてディエゴ達戦斧団は、ヘルザーム伯爵領を離れる事になった。
その後、彼らはディエゴの言葉通り北に向かい、ミュッリュニエミ帝国へと入ったのであった。
次回「聖域再び」