その26 一抱え程の壺
翌日。
僕はティトゥと共に、再びベネセ領の領都、城塞都市アンバーディブへと向かっていた。
昨日の帰り際、ベネセ家当主マムス・ベネセから、『例の件だが、ちゃんとけじめを付けとくから、明日、また来てくれねえか』と頼まれていたからである。
ティトゥは昨日は久しぶりに僕達の活躍を心ゆくまで語る事が出来たせいか、あれからずっと上機嫌だった。
『子供達のためにも、今日は早く用事を済ませて戻らないといけませんわね』
「全くだよ。ファル子も少しは弟の聞き分けの良さを見習ってくれればいいのに」
当主マムスが降伏勧告を受け入れたとはいえ、指揮官や兵士の中にはまだ気持ちの整理が追いついていない者も多いだろう。
そんな彼らの所に、ファル子達を連れて家族でワイワイ訪れるのは、空気が読める日本人の僕としては流石に出来ない相談だ。
という訳で、僕は一緒に行きたいと言って聞かないファル子を、あれこれ手を尽くして宥めなければならなくなったのである。
その結局、『帰ったら、二人を連れて一緒にどこかへ出かける』という約束をさせられたのであった。
「まあ、今回の僕の役目はただのメッセンジャーだし、順調に行けば、多分、午前中には終わるんじゃないかな? それなら午後からはファル子達を連れてどこかに出かけられるし。港町デンプション――にはこの間行ったから・・・そうだ。リリエラなんてどうかな? 丁度、岩塩の採掘所がどうなっているのか、一度見てみたいと思っていたんだよ」
『いいですわね、リリエラ。カーチャも連れてみんなで行きましょうか』
そうと決まれば善は急げ。僕は気持ちも新たに城塞都市アンバーディブを目指したのであった。
といった訳で、アンバーディブに到着。
しかし、昨日とは違う光景に、僕とティトゥは戸惑う事となった。
『兵士の数が随分と少ないですわ』
「そうだね。昨日はあんなに大勢いたっていうのに」
そう。昨日、僕が着陸した町の門のすぐ前の広場。戦闘中の今は兵士達の待機所になっているらしく、あの時は多くの兵士が訓練をしたり、座り込んで武具の手入れをしたりしていたのだが・・・今は人の姿も少なく、どこか閑散としていた。
『それにベネセ様もいませんわ』
まあ、そっちは仕方がないかな。僕達も到着の時間を言っていなかったし。今頃は屋敷で仕事をしているか、別の場所で部隊の指揮でも執っているのだろう。
「ここであれこれ考えていても仕方がない。取り敢えず降りるから安全バンドを締めてくれない?」
『りょーかい、ですわ』
僕は翼を翻すと、町の広場に着陸したのだった。
マムスの代わりに、彼の副官らしき騎士が僕達を出迎えてくれた。
年齢は四十前後。柔道の有段者を思わせるようなガッシリとした骨太の体格。口元に残った刀キズが、いかにも”歴戦の勇士”といった雰囲気を漂わせている騎士である。
「・・・ティトゥ」
『ええ。分かっていますわ。・・・みんなベネセ様からあの話を聞かされたんですわね』
昨日と違い、広場は重苦しい空気に包まれていた。
兵士達の表情は暗く、心ここにあらずといった様子である。
さもありなん。自分達の降伏が決定したのだ。みんな先の不安で押しつぶされそうになっているに違いない。
ティトゥはこの場の空気に少しだけ気圧された様子だったが、覚悟を決めるとヒラリと地面に飛び降りた。
『ごきげんよう』
『ナカジマ様。ようこそおいで下さりました。おいお前達、あれをここへ』
マムスの副官が指示を出すと、部下の騎士が薄い木の箱を持ってやって来た。
副官が箱を開けると、中にはキレイな白い布が、金糸で刺繍された紋章が上になるように折りたたまれて入っていた。
『これはチェルヌィフ王家の紋章ですわね?』
『はい。こちらをハレトニェート家の当主(レフド叔父さんの事ね)にお渡し下さい。ご当主様からは、この旗を掲げた軍が見えたら、門を開いて彼らを迎え入れ、その後の事は全てあちらの指示に従うように申し付かっております』
なる程。これがチェルヌィフでの降伏のならわしなのだろう。あるいは『俺達が頭を下げるのは、お前ら四部族にじゃない。王家の旗に降参するんだ』という、マムスなりのアピールなのかもしれない。
どちらにしろ、この辺は僕達がどうこう言うべき点ではない。大人しくメッセンジャーとして、この旗と今の言葉をレフド叔父さんの所に届ける事にしよう。
僕は翼下のハードポイントに樽増槽を出した。
『こ、これは?! ドラゴンは今、一体どこからこの樽を取り出したのだ?!』
「ティトゥ。大事な届け物だし、間違いがないように、念のために樽増槽にしまっておこう」
『そうですわね』
樽増槽に入れた上で謎空間に収納しておけば、よっぽどの事がない限り安全である。
ティトゥは騎士から旗の入った箱を受け取ると、樽増槽にしまい込んだ。
『それでは間違いなくお預かり致しましたわ』
『お待ち下さい。もう一つ、こちらもお持ち下さい』
ティトゥが振り返ると、沈鬱な表情をした騎士が、一抱え程の壺を大事そうに抱えて立っていた。
模様も飾りもない良くあるデザインの素朴な壺である。
副官は真っ白な布を用意させると、その布で壺を包んだ。
『どうぞ』
『ええ、分かりまし――あっ!』
壺の重さはティトゥの予想以上だったのだろう。彼女はバランスを崩して危うく壺を落とす所だった。
ティトゥがハッとする間もなく、副官が素早く手を伸ばし、しっかりと彼女の手の上から壺を押さえた。
『本当に、本当にお気を付け下さい。まかり間違えても、絶対に落としたりなどなされませんように』
副官の鬼の形相にティトゥの顔色が変わった。
彼女も気が付いたのである。
広場の兵士達の暗い表情。今日は一向に姿を見せないベネセ家当主マムス。壺を持って来た時の騎士の悲痛な表情。今の副官の鬼気迫る態度に、一抱え程の素朴な壺。
そう。この壺は、人の頭を入れるのに丁度いい大きさなのではないだろうか?
その途端、ティトゥの顔が青ざめ、膝がガクガクと震えた。
副官は彼女の手に力が入らないのに気付いたのか、そっと彼女の手を離すと、自分で壺を持った。
『ドラゴン殿。ここに入れれば良いのですな?』
『ヨ、ヨロシクッテヨ』
副官は壺を樽増槽にしまうと、その場で目をつぶって目礼した。
これって・・・この中に入っているのって、やっぱりマムスの・・・
僕が慌てて樽増槽を謎空間に収納すると、副官はようやく目を開いた。
『それではナカジマ様。よろしくお願い致します』
『・・・・・・』
ティトゥは返事するのも忘れたのか、逃げ込むように僕の操縦席に乗り込んだ。
そして人の死体でも触ってしまったかのように、さっき壺を持った手をブルブルと震わせた。
『ハヤテ・・・ハヤテ・・・あの壺って――』
「分かってる。分かってるから」
マムスはきっと、サルート家の恨みを自分の所で断ち切るために、彼に出来る最後の選択をしたのだろう。
思えば昨日の宴会の時、彼は妙にテンションが高かった気がする。
僕はそれを、降伏を決めた事で肩の荷が下りたためかと思っていたが、どうやら違っていたようだ。
人が死を前にした時、どんな気持ちになるのかは分からない。
しかし、マムスの場合は、全てをやり終えて満足していたのではないだろうか。
昨日、彼にティトゥが語ったローヴ老人の物語。怪物から故郷の町を守り、死んだと思っていた孫に再び出会い、心置きなくこの世を去った一人の老人騎士。
あるいはマムスはローヴ老人の最後に、自分の姿を重ねたのかもしれない。
だから彼は最後にティトゥに感謝し、『実に心地良い、痛快な気分だ』と言ったのかもしれない。
全ては僕の勝手な想像。ただの妄想なのかもしれないけど。
そんな事を考えていたからだろうか?
僕は何だかこの場を去りがたい気分になって、いつまでも漫然と町の上空を旋回していた。
だからその騒ぎに気付いてしまった。
「ねえティトゥ。あそこに随分、兵士が集まっているみたいだけど、あれって多分、ここの当主の館だよね? 城門の広場がやけにガラガラだったと思ったら、みんなあんな所にいたんだね」
ベネセ家の屋敷は、城としても使えるように設計されているのだろうか。高い塔と二階建ての居館がくっついた形で建てられていた。
その塔のてっぺんに三人の若い女性が、まだ幼い男の子を連れて現れた。
着飾った感じから、彼女達はこの屋敷の夫人達――マムスの奥さん達だろう。だとすれば、子供は彼の息子なのか。母親の一人は胸に赤ん坊を抱いていた。
夫人達は顔を上げるとこちらを見上げた。一人が子供に何か言っているようだ。あるいは「あそこにあなたのパパが乗っている」とかそんな事を言ったのかもしれない。
そして次の瞬間。
彼女達は塔の上から次々と身を投げ出したのであった。
「なっ?! えっ?!」
『キャアアアアアッ!』
それはあっという間の出来事だった。
気が付くと塔の上にはもう誰一人残っていない。
子供も、赤ん坊も、全員、地面に倒れたままピクリとも動かなくなっていた。
「・・・”おいばら”か。なんて事を」
おいばらとは、漢字では追腹。ついふくとも読むらしい。同じ意味の言葉に供腹というものもある。いわゆる殉死の事で、主君が死んだ後、家族や家臣が後に続いて自殺する事を言う。
日本では江戸幕府が正式に禁止するまで続いていたそうだ。
この世界に殉死の習慣があるとは聞いた事がないので、おそらく彼女達は未来に絶望して夫の後を追ったのではないだろうか? それにしたってまだ幼い子供達まで道連れにするなんて・・・
僕は衝撃的な光景に言葉を失くしてしまった。
『ハヤテ・・・私はもう見たくないですわ』
「そうだね。ゴメン。早く届け物をしてみんなの所に帰ろう」
僕はすっかりふさぎ込んでしまったティトゥを慰めながら、バンディータの町の水運商ギルド本部へと向かったのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ギャウッ!(パパだ!)」
ハヤテのテントの前で遊んでいたリトルドラゴン達は、遠くから聞こえて来る小さな飛行音に耳を澄ませた。
やがて北の空に黒い点が現れると、それはみるみるうちに大きくなり、四式戦闘機・疾風の姿となった。
「ファルコ様! 急に飛び出したら危ないですよ!」
ハヤテのエンジンが止まるのも待ちきれずに走り出したファル子を、メイド少女カーチャが慌てて捕まえた。
「ギャウ! ギャウ!(ママ! ママ!)」
「? ティトゥ様、どうかされたのですか?」
カーチャはいつまでもティトゥが姿を現さない事に、戸惑いの表情を浮かべた。
『なんでもないよカーチャ。ほら、ティトゥ。みんなが心配してるよ』
「・・・分かってますわ」
ハヤテが風防を開いたが、それでもティトゥは立ち上がろうとしない。
「ギャウ!(ママ!)」
ファル子は翼をはためかせて操縦席に飛び込むと、嬉しそうにティトゥに頭を擦りつけた。
遅れてハヤブサが操縦席を覗き込むと、元気のない母親の姿を不思議そうに見つめた。
「ギャウギャウ?(ママどうしたの?)」
「何でもありませんわ。ええ。あなた達が心配するような事は何もないんですわ」
ティトゥはそう言うと手を伸ばし、ファル子をギュッと抱きしめた。
「ギャウ!(イヤーッ!)」
ファル子は嫌がってジタバタと暴れたが、それでもティトゥは離さない。ティトゥはファル子を強く抱きしめながら、心の痛みにジッと耐え続けるのであった。
次回「鳶に油揚げ」