その17 洋上飛行
『あの時は驚きましたわ』
『ハヤテさんがあんな大声を出すなんて思いませんでしたね』
ティトゥとマリエッタ第八王女が僕の操縦席で和気あいあいとおしゃべりをしている。
今はまだミロスラフ王国の国内。つまりは陸の上を飛んでいる所だ。
最初は興奮して空の上から地上を眺めていたマリエッタ王女だが、代わり映えのしない光景にすぐに飽きてしまったらしい。
しっかりとした大人びた印象のマリエッタ王女だが、実際は10歳ほどの幼女、日本で言えば小学校に通っている女子児童だ。
小学生が飽きっぽいのは仕方ないよね。
今、二人は出発時のことをあれこれ話している最中だ。
自然と僕の失態の話になるのだが、まあ確かにあれは我ながらどうかと思う。
正に紅顔の至りだ。
みんなにも色々と迷惑をかけたことだし、反省してこの屈辱は甘んじて受けよう。
少女達に言葉責めをされて喜ぶような特殊な性癖でないことだけは言っておく。念のため。
僕は二人の会話を聞き流しながら、おおざっぱに西北西を目指している。
風で南に流されていることも考慮して若干、北西気味に進路を取る。
今回の目的地のクリオーネ島はこの方向にあるという話だ。
マチェイ家長男ミロシュ君(7歳)の授業で教わった。
マリエッタ王女はクリオーネ島から船で4日かけて来たと言っていた。
この世界の船が一日どのくらいの距離を進むか分からないけど、以前見た隣国ゾルタの船はわりとショボかった。
ランピーニ聖国の船がどんな船だか見てはいないが、あれと同じくらいなら航行はかなり天候に左右されるんじゃないだろうか。
確か江戸時代、江戸ー大阪間は船で二週間くらいかかると時代劇か何かで見た覚えがある。
・・・いや、我ながらかなり怪しい知識だとは思うけどさ。
もちろん江戸時代の千石船とこの世界の外洋船とでは作りが違う。
だから倍以上の速度は出せると見ても良いだろう。
でもそう考えても4日では東京から大阪まで到達できるかどうかといったところだ。
そう考えれば僕が問題なく飛べる距離なんじゃないかな。
『ティトゥさんはいつもこうしてハヤテさんと空を飛んでいるんですね。羨ましいです』
『ええ、当然ですわ』
あ、またティトゥがマリエッタ王女相手に見栄を張ってる。
ティトゥが僕に乗って空を飛んだのなんて、先月の戦争に出た時だけなのに。
実は二人の会話を聞いているとこういうことが割とちょくちょくある。どうもティトゥは王女の前ではいい格好がしたいみたいだ。
お姉さんぶっている、というよりは、高校の部活動で入って来たばかりの新入生に先輩風をふかす二年生を見ているようで微笑ましい。
素直で可愛いマリエッタ王女には竜 騎 士部の先輩もメロメロだな。
『あ! あれって海じゃないですか?!』
そんな感じでしばらく飛んでいると、遠くに青い線が見えてきた。
どうやら海岸線に到着したようだ。
『こんなに早く海まで来れるなんて・・・ハヤテさんの力をミロスラフ王国が利用すれば国境までの距離という概念が変わってしまうわ』
マリエッタ王女がまたブツブツと呟きだした。
というかこの子ちょっと怖いんだけど。
ティトゥはよほど海を見たのが嬉しかったのか、そんな王女の変化に気が付く余裕がないようだ。
なんなんだろうね、コレ。どっちが年上なのか分からないんだけど。
ちなみに四式戦闘機――僕の巡航速度は380㎞/hだ。これは大体一時間で東京から京都まで到達できる速さになる。
なんで東京ー京都間の大体の距離なんて知っているかって? 毎度で申し訳ないがネットの記事のうろ覚え情報だ。
新幹線がいずれ時速400kmになるって記事のついでに読んだ覚えがある。
そんなわけで僕にとっては、それほど大きな国ではないミロスラフ王国の海岸線までなんてひとっ飛びなのだ。
とかなんとか言っている間に僕の身体は海岸線を越えて海の上に。
まだ波間にポツリポツリと小さな岩礁が見えるが、じきにそれも消え、辺り一面大海原になる。
前方見渡す限りの水平線にティトゥは興奮した目を向けた。
マリエッタ王女は落ち着いているようだ。海なんて船の旅で飽きるほど見た景色なんだからそれも当然か。
しかし、この時の僕は致命的な見落としに気が付かなかった。
空から海を見たことで浮かれてしまっていたのかもしれない。
それに出発時にあまりにもドタバタしすぎたのも悪かった。
僕は忘れてはならないことをうっかり忘れてしまったのだ。
それはうっかりでは済まない飛行機として最も大切なこと。
しばらく後にそのことに気が付き、僕は本気で後悔することになるのだ。
進行方向のそれに気が付いたのは海に出てしばらくしてからだ。
マリエッタ王女はティトゥに抱きかかえられたままうつらうつらと船をこいでいる。
エンジンのたてる振動に揺られている事と、太陽に照らされて適度にポカポカと温かくなった事が合わさっためだろう。
今日開かれる招宴会の準備で昨日は遅くまで頑張っていたのかもしれない。
ティトゥは飽きもせずぼんやりと水平線を眺めている。
ひょっとして見張りをしてくれているのだろうか?
彼女は僕と飛ぶ時は自分も一緒に飛んでいるつもりなのだ。
僕に任せて自分は寝ているなんてことは出来ないんだろうな。
先ほどから風が強いな、とは思っていた。
だから予想はしていたのだ。
遠くにぶ厚い雲が見える。
おそらく嵐だろう。
マズイな、完全に進行方向だ。
雨雲は広範囲に広がっている。
ここまで気流が乱れている。
かなりの暴風雨だ。
不規則な細かい揺れにマリエッタ王女が目を覚ました。
ティトゥも雨雲に気が付いたようだ。何か問いたげに僕の方へと視線を向けた。
あの中を飛ぶのはマズイかもしれない。
雨はともかく風は厄介だ。不規則に流されては機位を失ってしまうかもしれない。
地面という動かない場所の上を走る自動車と違って、空を飛ぶ飛行機は大気の流れに左右されてしまう。
船を想像してもらえば良いかもしれない。
例えば船が真っすぐ前に進んでも、海流が左に流れていれば、到着する場所は当然左にずれてしまうだろう。
同じように飛行機も気流によって機体が流されて到達位置がずれてしまうのだ。
もちろん雲の中を飛ぶのは論外だ。
視界も失うし、乱気流も激しいことが予想される。
落雷を受ける可能性も高い。
四式戦のような古いレシプロ機では落雷でガソリン燃料に引火、燃料タンクが爆発する事故があったと聞く。
仮に無事だったとしても落雷によって機体が磁気を帯び、磁気コンパスが狂ってしまう危険もある。
これからもしばらく洋上飛行が続くのだ。いたずらに危険を冒す必要はないだろう。
雲は大きく左右に広がっていて端は見えない。
どちらかにヤマをかけて飛ぶというのも手だが、僕が航法に自信が無い。
これも機位を失ってしまう危険性が高い。
消去法でいくと雲の上に出るしかない。
ティトゥ達の負担を考えると、正直あまり取りたくない方法だ。
しかし、他の選択肢は不安が大きい。
『ウエ』
『雲の上を飛ぶのですわね?』
『スゴイですね。空の雲の上を飛ぶなんて』
少女二人はのん気なものだ。
だが迷っている時間はない。嵐はすぐそこに迫っている。
僕は機首を上げると雲の上に出るべく高度を上げた。
雨雲は予想していたよりかなりの高度まで伸びていた。
といっても僕は普通の雨雲が上空何mまであるのか知らないんだけどね。
今、僕は高度約3000mを飛んでいる。
それでも雲の上ギリギリを掠めるように飛んでいる状態だ。
ティトゥ達は騎士団のマントにくるまり身を寄せ合って寒さに耐えている。
気温減率によると高度が100m上がるごとに気温は0.6℃下がる。
高度約3000mの今、気温は地上より約18℃も低いことになる。
また小さなエアポケットにはまったようだ。不意にガクンと高度が下がった。
ティトゥ達が悲鳴を上げる。
エアポケットは局地的な下降気流によって起こる。
激しい乱気流によってランダムに発生するエアポケットを避けることは不可能だ。
正直に言えばもう少し高度を取りたい。
そうすれば今よりも安定して飛べるだろう。
けど、さっきからマリエッタ王女の様子がおかしいのが気になる。
何かの苦痛に耐えているみたいだ。呼吸は荒く、ぐったりとティトゥに体を預けている。
不味いな、高山病かもしれない。
確か先日の某元第四王子を使った実験では、被験者は高度約2500mで高山病になったようだった。
今の高度は3000mだ。
高山病は個人差があると聞いたことがある。
確か僕が見たTV番組でも、富士山の五合目で高山病になってリタイアしたタレントがいた。他の人は平気だったにもかかわらずだ。
2500mで高山病になる人もいれば平気な人もいる。
実際にティトゥは寒さに震えてはいるものの大丈夫そうだ。
それとも子供は高山病になりやすいんだろうか?
雲を突っ切り、雨の中を飛ぶという選択肢もある。
正直、燃料のことを考えるとその方法は取りたくないんだけど・・・・
その瞬間、僕は恐ろしい事に気が付き、一瞬頭の中が真っ白になった。
なんてことだ! 僕は今、落下増槽を付けずに飛んでいるじゃないか!
増槽とは予備の燃料を入れる追加の燃料タンクだ。
四式戦はこれを最大二つ翼の下につけることにより航続距離を7割ほど延ばすことができる。
出発の時、落下増槽を付け忘れたんだ・・・。
あの時はそれどころではなかった。でもその後に気が付く機会はいくらでもあった。
海岸を目指してのんびり飛んでいる間にでも気が付くべきだったんだ。
僕の激しい焦りと後悔にエンジンが不規則な回転をした。
ティトゥが訝し気に僕を見るが、そのことを気にする余裕もない。
今、翼内燃料タンクの中にある航空燃料を使い切ったら大海原に墜落するしかない。
少女達の命は僕の判断にかかっているのだ。
次回「ティトゥの信頼」