その22 四面楚歌
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チェルヌィフの西部、ベネセ地方。
肥沃な平野の広がるこの土地は、過去、幾度となくミュッリュニエミ帝国からの侵略の被害に遭って来た。
中でもブラフタ平原は両軍のぶつかる激戦区として特に有名である。
昨年も帝国軍はチェルヌィフの内乱の隙を突かんと、四万の軍勢を持ってこの地に押し寄せて来た。
六大部族はこの報せを受けると、一時停戦を結び、ブラフタ平原に軍を展開した。
そのまま数万の兵がにらみ合う事約半月。準備不足だった両軍は、結局、一度も戦火を交える事なく、互いに軍を引いたのであった。(第十二章 ティトゥの怪物退治編 その29 ブラフタ平原に吹く風)
その後、チェルヌィフは再び内乱の状態に戻った。
とは言っても、バルム家は経済破綻によって早々に降伏。クーデターの主犯であるベネセ家のみが、単独で残りの四部族を相手に抵抗を続ける形となった。
戦力の差は圧倒的。戦いは直ぐにでも決着が付くと思われた。
しかし、ベネセ家は四部族連合軍相手に思わぬ粘りを見せた。
こうして戦いは大方の予想を超えて長期化し、約一年が過ぎた。
ベネセ家のお膝元となる都市、アンバーディブ。ベネセ領の中心地であるこの町は、難攻不落の城塞都市として知られている。
約四十年前に一度、帝国軍が大挙してこの地に押し寄せた事があったが、その時も長大な堀と強固な城壁を前に攻略の糸口すらも掴めず、諦めて撤退せざるを得なくなったという話が残っている程である。
四部族連合相手に健闘を続けていたベネセ軍であったが、やはり多勢に無勢。
どうしても数の力には勝てず、次第に戦線を領内まで押し込まれて行く事となった。
こうなると連合軍側に付く貴族達も後を絶たず、現在、ベネセ家に残されたのはこの地、城塞都市アンバーディブだけとなったのであった。
「・・・ベネセ家一つに随分と御大層な事だぜ」
城壁の上に立つのは、威風堂々たる武人。
ベネセ家当主、マムス・ベネセである。
彼の視線の先には、無数の兵士達と彼らが寝泊まりするテントの群れが見えた。
その中には、彼にとってなじみの深い貴族家の紋章も――かつての寄り子達の紋章も――見られた。
【四面楚歌】という言葉がある。
これは楚王の項羽が漢王の劉邦軍に包囲された時の話で、項羽が夜、漢軍の中から楚の歌が聞こえて来るのを聞き、「漢、皆すでに楚を得たるか。これ何ぞ楚人の多きや」と嘆き、自らの敗北を悟ったという逸話から来た言葉である。
マムスにとって今の状況は正に四面楚歌。楚王項羽と同じ境遇にあると言えた。
マムスは誰に聞かせるでもなく小さく呟いた。
「裏切り者が出るのは仕方がねえ。アイツらだって生きなきゃならねえんだからな。俺がヤツらを守れない弱い領主だった。ヤツらにとって、俺は頭に抱ける領主じゃなかった。ただそれだけの事だ」
前当主となる兄エマヌエルの死から一年。
毎日が戦いに次ぐ戦いの日々だった。
最初は自分の立場を守るため。次に家族と部下を守るため。彼はずっと厳しい戦いを耐え続けて来た。
しかし、その結果が目の前の光景である。
「ここまでやれるだけの事はやって来た。だが、ここらが限界。俺の天命も尽き果てたって所か・・・」
かつては望んで止まなかった六大部族の当主という立場。
しかし、その座には既に自分よりもふさわしい兄が就いていた。
欲しい物がどうやっても手に入らないもどかしさ。心の飢えは酒を飲んでも、女を抱いても、戦場に出ても満たされる事はなかった。
「――いや違うな。俺は当主の座を望んでいた訳じゃなかった。レフドのヤツに負けたくなかったんだ」
レフド・サルート。サルートの庶子である彼は、マムスと同年代という事もあって、昔から周囲にマムスのライバルと目されていた。
二人は帝国軍の”二虎”――ウルバン将軍とカルヴァーレ将軍――になぞらえ、王朝の”双獅子”と呼ばれ、本人達も互いに相手を強く意識していた。
この二人のライバル関係が大きく変わったのは数年前。レフドが帆装派の大部族、ハレトニェート家の入り婿になった時である。
将軍から一足飛びで六大部族の当主へ。
マムスはライバルに決定的な差を付けられてしまったように感じた。
越えられない壁を前に、マムスは歯噛みした。ライバルに勝ち逃げをされたように感じた。
そう。マムスは当主の座を望んでいたのではなかった。彼はレフドと同じ立場になりたかった――ライバルに対して負けを認めたくなかった――だけだったのである。
マムスは小さく乾いた笑みを浮かべた。
「我ながら小せえ男だぜ。しかも今更テメエの本心に気付くとか。自分のバカさ加減にホント嫌にならぁ」
こんな風に自分の本心に向き合えるのも、全てが終わろうとしている時だからだろう。
今更、取り繕おうが誤魔化そうが何の意味もない。死ねば全ては終わり。無となるのみ。
マムスは天を仰ぐと、大きく息を吸い込んだ。
空は青く澄み渡り、初春のまだ冷たさの残る空気が彼の肺を満たした。
「兄貴。俺もそろそろそっちに行きそうだぜ。――ただ最後の心残りは、俺達の始めた事に巻き込んじまった者達だ。これ以上ヤツらを苦しめる訳にはいかねえ。一体どうすりゃいいんだろうな」
ベネセ家がここまで必死の抵抗を続ける理由。それはサルート家の存在があった。
エマヌエルとマムスが起こしたクーデターによって、サルート家は当主を含めて多くの犠牲者を出している。
降伏しても待っているのはサルート家による報復だ。
復讐者に生殺与奪を握られるという恐怖。その恐怖心が、彼らに絶望的な戦いを続けさせていたのである。
その時、マムスの目が空に小さな異物を捕えた。
その点は次第に姿を大きくしながらこちらに近付いて来た。
ここまで大きくなると、見張りの兵士の中にもそれに気付く者達が出始めたらしい。あちこちで兵士のざわめく声が聞こえた。
「あれは――まさか」
ヴーン、という独特の羽音のような音が響くと共に、猛禽類に似た姿が城壁の上空を通過した。
兵士達が騒ぎ声を上げる中、マムスはその飛行物体を目で追いながら思わず叫んでいた。
「ミロスラフ王国のドラゴン?! 何でヤツらがこんな所にやって来たんだ?!」
そう。それはミロスラフ王国のドラゴン、ハヤテの姿であった。
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ここは水運商ギルドの本部。
王城からやって来た責任者とは、なんと六大部族のサルート家当主、レフド叔父さんだった。
叔父さんとの話し合いを終えたティトゥは、戻って来るなり僕に言った。
『ハヤテ。これからベネセ領まで飛んでくれないかしら?』
ちょっと待って、どういう事? ベネセ家って今、四部族連合軍と戦っている最中なんじゃない?
しかも今では結構押されて、戦場は領内に移っているとか。
「ええと、ティトゥ。つまり君は、僕に戦場に行って欲しいと言っているのかな?」
『――そういう事になってしまうのかしら? 結果としてはそうなるかもしれないけど、誰もハヤテに戦って欲しいとは言っていないのですわ』
戦場には行くけど、戦う事が目的ではない? そう考えていい訳?
『そう! そうなのですわ! むしろ私達はこれ以上の戦いを止めるために行くんですわ!』
どういう事? 僕はティトゥの後ろで申し訳なさそうな顔をしているレフド叔父さんを見つめた。
「どうやら事情があるみたいだね。勿論、理由は聞かせてくれるんだよね?」
『勿論ですわ!』
ティトゥは大きな胸を誇らしげに反らしたのだった。
レフド叔父さんの護衛の騎士が手分けしてギルド職員達を遠ざけると(その中には本部長のジャネタお婆ちゃんも含まれていた)、ティトゥは僕に説明を始めた。
チェルヌィフの内乱は早々にバルム家がリタイアした事によって、四部族連合がベネセ軍を圧倒する形で進んでいる。
それでも一年にも渡り戦いが続いている理由は、ベネセ軍が精強であった事、そして戦場がベネセ領であり、彼らに地の利があった事、それに四部族連合内に方針の行き違いがあった事などが上げられる。
具体的には、あくまでもベネセ家に対して報復を望むサルート家と、帝国と共に戦う同士としてベネセ家を残しておきたいレフド叔父さんとで、意見が割れていたらしい。
とまあ、ここまでは小叡智カルーラが、王城にいた時に噂に聞いた話だったが、どうやら彼女が僕達を呼びに国を出ていた間に、両者の関係性はより悪化していたようだ。
サルート軍は占領地に対して――ベネセ領とその領民に対して――かなり過酷な対応を敷いていたそうである。
それを問題視した総指揮官のレフド叔父さんは、再三、彼らに対して注意を行って来たが、サルート軍は一向に自分達の行動を改める事は無かった。
見かねたレフド叔父さんは、遂にサルート軍を全軍後方へと下げる事を決意した。
するとサルート軍はこの命令に激怒した。
『サルート軍の者達にとっては、自分達こそが連合軍の中心という考えだったのだ。俺はサルート家の人間とはいえ、今はハレトニェート家の当主だからな。余所者に命令されるのが気に食わない者もいるという訳だ』
レフド叔父さんはそう言うと、疲れた顔に自嘲気味の笑みを浮かべた。
なる程。連合軍ならではの問題点が露呈してしまった訳だな。
四部族連合は、クーデターによって王城を牛耳ったベネセ家・バルム家同盟に対し、六大部族の残りの四部族、サルート家、ベルキレト家、アクセム家、それにレフド叔父さんのハレトニェート家が集まって作られた連合軍である。
四部族連合、とは言っても、その中心となるのは発起人であるサルート家。実質的には、サルート家の呼びかけで集まった組織だったのである。
だったら連合軍の中心もサルート軍で――となりそうなものだが、仮にも連合軍というていを取っている以上、流石にそれは都合が悪かったのかもしれない。指揮官の座にはレフド叔父さんが据えられる事となった。
あるいはベネセ軍の指揮官が、王朝の”双獅子”と呼ばれるマムス・ベネセである以上、同じ双獅子のレフド叔父さん以外に、相応しい人材がいなかっただけなのかもしれない。
そんな訳で、中心となるのはサルート軍でありながらも、総指揮官はハレトニェート家のレフド叔父さんという変則的な組織が出来上がったのであった。
それでも最初は上手く回っていたものの、そのいびつな構成は時間が経つと共に、次第に組織内に亀裂を広げて行く原因となったのである。
サルート軍に対し、後方に下がるように命じた指揮官に対し、サルート軍は罷免を叫んだ。
自分達を遠のけ、手柄の独り占めを狙っている。周囲に対してそう訴えたのである。
ぶっちゃけ言いがかりも甚だしいが、これに困ったのはベルキレト軍とアクセム軍の将軍達である。
確かにサルート軍のやりようは目に余るものの、心情的には彼らの気持ちも理解出来なくはない。そもそも、今回の戦いで一番、資金と戦力を出しているのはサルート家である。いわばオーナーでもあるサルート家の機嫌を損ねたくはない。
そこで彼らが出した提案は、一番角が立たない物――総指揮官の命令通り、サルート軍は下がるが、総指揮官もサルート軍の要求を汲んで後方へと下がってはどうだろうか? というものだった。
サルート軍的には、総指揮官が自分達と一緒に後方へと下がる事になれば、当然、手柄の独り占めなど出来るはずがない。つまりは自分達の言葉の根拠が無くなるという事である。
彼らは渋々従わざるを得なくなった。
そしてレフド叔父さんとしてもそれらの事情が分かっている以上、理不尽だと感じつつもこの提案を受け入れざるを得なかったのである。
なる程ね。なぜ連合軍の総指揮官であるレフド叔父さんが、戦場から遠く離れたこんな場所にいたのか。ようやくその理由が理解出来たよ。
次回「降伏勧告」