その20 輜重部隊の竜軍師
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「竜軍師殿、斥候に出していた騎馬隊が戻って来たようです」
「そうか、分かった」
護衛の隊長の言葉に、オルサークの竜軍師こと、オルサーク家の三男、トマス・オルサークは馬車の中から答えた。
ここは小ゾルタを東西に貫くアレークシ川に沿って走る街道。昨年の秋、ハヤテがティトゥとリーリアを乗せて、上空を飛んだ街道と言えば伝わるだろうか?(第十七章 ナカジマ領収穫祭編 その27 ブシダハ橋 より)
トマスは輜重部隊(※兵站業務を専門とする部隊)の責任者として、必要とされる物資を各地から集め、カルリアに布陣したミロスラフ王国本隊に送り届ける任務を任されていた。
「それにしても、まさかこの戦いに帝国が介入してくるとは。ミロスラフ王国軍は果たして帝国軍を相手に勝利する事が出来るのだろうか?」
トマスの見たミロスラフ王国国王カミルバルトは、正に英雄と呼ぶにふさわしい人物だった。
その立ち姿は、揺るぎない自信と確固たる存在感に満ち溢れ、強烈なカリスマ性は人を惹き付けて止まない。
生まれながらに人の上に立つべく運命付けられた男。
それがトマスがカミルバルトに抱いた感想だった。
「しかし、ミロスラフ王国軍はとても強兵とは言えない」
これは小ゾルタに生まれ育ったトマスの偏見――ではなく、実際にミロスラフ王国軍は精強とは言い難かった。
その理由は、ミロスラフ王国内では武闘派で鳴らす、精鋭メルトルナ騎士団が参加していない点にある。
メルトルナ家は、ミロスラフ王国の中でも、西のネライ、東のメルトルナと呼ばれる程の有力貴族だが、昨年の夏、国王カミルバルトの即位に反対し、クーデターを起こした件で今は大きく力を削がれている。(第十五章 四軍包囲網編 より)
クーデターは失敗。当主ブローリーは斬首。部下の多くが連座に問われ、騎士団は解散させられたという。今の所、騎士団再建のめども立たない状態、との話である。
「メルトルナ家の騎士団は、この国でもその名が知られている程の勇猛な者達だった。果たして帝国海軍の力がどれ程のものかは不明だが、ランピーニ聖国に対抗すべく作られている以上、かなり精強な部隊であるのは間違いない。そんな敵を相手に、メルトルナ騎士団を欠くミロスラフ王国軍が勝利する事は出来るのだろうか? いかにカミルバルト国王が英雄とはいえ、戦は一人の力でどうにか出来るものではないのだ」
トマスはここまで呟いた所で、ふとナカジマ家に住み着いた規格外の超生物、ハヤテの姿を思い浮かべた。
「ハヤテ様なら案外、一人でどうとでもしてしまいそうだから困ってしまうな。とはいえハヤテ様はドラゴン。そもそも”何でもあり”な存在だし。例え話としても考慮するべきではないかな」
トマスはそう呟くと小さく苦笑した。
その時だった。彼は馬車の外が妙にざわついている事に気が付いた。
「トマス様! トマス様はどこにおられる!」
彼の名を呼んでいるのは、先程話題に出ていた斥候の騎士だった。余程慌てて馬を飛ばして来たのか、まだ肌寒い春先だというのに、馬の体からは大量の白い汗が滴っていた。
「私はここだ! 一体何があった?!」
「トマス様! 帝国軍です! 帝国軍が無数のボートでアレークシ川を遡って来ています!」
それは帝国黒竜艦隊の”飛魚”部隊、そのボートが発見されたという知らせであった。
飛魚部隊の隊長は、三十になったばかりの若い指揮官である。
そんな彼でも、この部隊の中では最年長に分類される。
体力自慢の若者達を集めた特殊な部隊。それがこの飛魚部隊なのである。
「もう少し被害が出るのを覚悟していたが、少しばかりミロスラフ王国軍の力を買い被っていたようだ」
若い指揮官は周りのボートの様子を確認すると、内心でホッと安堵した。
彼らは満潮時の川の逆流を利用して、ミロスラフ王国軍の前線を一気に突破、アレークシ川に突入する事に成功していた。
情報によると、アレークシ川は比較的直線的に流れているらしい。早ければ王都まで二日もあればたどり着けると考えられていた。
そう。彼らに与えられた命令は、アレークシ川を遡り、小ゾルタ王都バチークジンカを攻める事にあった。
飛魚部隊はその目的のために作られた部隊なのである。
この世界では、大抵の大きな町や都市は、川に沿って作られる事が多い。
それは帝国海軍の仮想敵国、ランピーニ聖国であっても変わらない。
聖王都はその中央を貫くようにボルパトーネ川という大河が流れている。
飛魚部隊は、聖国海軍が黒竜艦隊の相手をしている隙を突き、ボートで編成された強襲部隊によってボルパトーネ川を遡行。直接、敵の首都を脅かすという目的のために編成されたのである。
帝国海軍の首脳陣が対聖国戦に備えて、いくつか考案した作戦の一つ――オプションの一つだが、ハイネス艦長は今回、この半島での戦いでそれを試みてみたのであった。
ここまでの所は順調だ。しかし、隊長には一つだけ懸念点があった。
「予定よりも進んでいない。思ったよりも川の流れが速いのか・・・」
隊長が不安に感じる点。それはボートの速度が思っていたよりも出ていない所にあった。
先程も説明したが、このアレークシ川は直線的に流れている。どうやらその分だけ水の流れも速いようだ。
彼らが作戦現場として想定していた聖王都の川は、こことは逆に緩やかに蛇行していて、水も穏やかに流れているのである。
「やはりボルパトーネ川用に考えられた作戦を、他の川で使うのはムリがあったか。そうでなくても飛魚部隊が実戦で投入されるのは今回が初めてだ。いくら訓練を重ねていても、本番は演習とは違うという事か」
隊長は気付いていなかったが、更に彼らにとって運のない事に、ここ数日、この辺りは暖かい日が続いていた。
上昇した気温は山に降り積もった雪を溶かし、アレークシ川の水量を増加させていたのである。
この時点で隊長には、このまま王都を目指すか、作戦を諦めて戻るかの二つの選択肢があった。
「――考えるまでもない。今はまだ、多少予定に遅れが出ているという程度だ。ならば引き返すという手はない」
隊長は作戦続行を選んだ。
今まで過酷な訓練を積んで来た彼らは、自分達のスタミナには自信があったし、実際、体力にはまだ余裕があったからである。
その時、最前列を行くボートから、大きな騒ぎ声が聞こえた。
一体何事だ?! と、声を上げようとしたその直後。彼は騒ぎ声の原因を直接目にする事になった。
「いかん! 流木だ! 避けろ!」
そう。一抱え程の丸太が、川の上流から流れて来たのである。
運悪く一艘のボートがその流木に激突。ボートは大きくバランスを崩し、兵士数名が川に転落した。
ボートの兵士が慌てて落ちた仲間を助けようと手を伸ばす。
「よせ! これだけ味方が密集している中でボートを漕ぐ手を止めるな! 川に落ちた者の救助は他のボートに任せて、お前達はボートの操作に専念しろ! 近くのボートは救助に手を貸してやれ!」
たった一本の流木でこの騒ぎである。隊長は訓練と実戦との違いに愕然とする思いがした。
「たまたま流木が流れて来たのか。しかし、よりにもよってあんな大きな木が流れて来るとは・・・」
「た、隊長! あ、あれを見て下さい!」
「なっ・・・?!」
自らの考えに沈んでいた隊長は、部下の叫び声にハッと我に返った。
そしてあり得ない光景に目を見開いた。
彼の視線の先。彼らの進行方向となる川の上流から、先程の丸太と似たようなサイズの流木、それに樽や木箱等、ありとあらゆる残骸が多数。川を埋め尽くす勢いで流れて来ていたのだった。
「お前はそっちの柱を頼む! どうせ川に流すんだ、多少折れ曲がっても構わん!」
「ワンワン! ワンワン!」
「こ、こら、およし! す、すみません騎士様!」
ここはアレークシ川沿いの小さな村。現在、村の建物は、トマス率いる輜重部隊の手によって解体されつつあった。
トマスは村の村長に頭を下げた。
「申し訳ありません。壊した建物は後日、オルサーク家で責任を持って建て直しますので」
「は、はあ。よ、よろしくお願いします」
輜重部隊とは言っても、護衛として完全武装した百人を超える騎士達が付いている。
そして彼らを従える少年は、どう見ても貴族としか思えない。
村長は降りかかった不幸を嘆きながら力なく頷くしか出来なかった。
その時、大きな音を立てて目の前の家が倒壊した。
「ああ・・・僕の家が」
村の少年の思わずこぼれた小さな呟きに、トマスの良心が激しく痛んだ。
彼は心の底から申し訳ない気持ちになったが、今は時間との戦いである。
トマスは心を鬼にして部下の作業を見守った。
「急げ! 解体された木材を川まで運ぶんだ!」
「早くしろ! もう帝国軍はすぐそこまで来ているぞ!」
解体され、廃材となった建物は、荷車に乗せられ、川へと運ばれた。
トマスが指揮を任されていたのが輜重部隊で幸いだった。馬と荷車、そして作業用の人工は十分にそろっていた。
「出来るだけ川の中央に流れるようにするんだ!」
「て言ったって、そんなのどうすりゃいいんだ?」
「構わないからとにかくジャンジャン放り込め! いいから急ぐんだ!」
川の水が増水していたのが彼らに味方した。廃材は川に落とされる端から勢い良く流れに乗った。
「これで敵のボートの足が止まってくれればいいんだが・・・」
トマスは川を埋め尽くす建物の残骸を見つめながら呟くのだった。
斥候の部下から「帝国軍現る」の報を受けた時、トマスの部下達は一斉に浮足立った。
カルリア河口で何が起きたのかは知る由もない。しかし帝国軍のボートが大挙して川を遡って来ている以上、明らかに何かが起きたのだろ。
まさかミロスラフ王国軍が破れたのでは? 彼らがそう考えたのも無理はなかった。
「トマス様、急いでこの場を離れませんと! すぐに帝国軍がここまでやって来ます!」
トマスは熱くなった頭で考えた。
確かに自分の手元にはロクな戦力がない。正面から帝国軍と戦うのはナンセンスだ。
だが、ここで自分達が逃げ出せば、帝国軍はこのまま川を遡り、王都バチークジンカまで到達してしまうかもしれない。
そうなればミロスラフ王国軍の敗北がほぼ確実に決定してしまう。それだけはどうしても避けなければならない。だがどうすればいいと言うのだろうか?
(こんな時、俺にハヤテ様のような力があれば・・・いや、待て。ハヤテ様と同じ事は出来なくても、似たような事なら俺達の力でも出来るんじゃないか?)
トマスが咄嗟に思い出したのが、かつてハヤテが帝国軍に対して行った”遅滞戦闘”だった。
敵を倒すのではなく、抵抗しつつ敵の前進を阻むという作戦。少数で大軍に対抗するあの方法であれば、今の状況を打開出来るのではないだろうか?
トマスは家畜小屋に手を伸ばした兵士を止めた。
「もういい。そんな小さな小屋を壊しても、得られる廃材はたかが知れている。それよりも急いで上流の別の村に向かうぞ。敵が諦めるか追いつかれるまで、ここでやったのと同じ事を繰り返すんだ」
こうしてトマス率いる輜重部隊は、急いで次の村へと向かった。
彼らはそこでも村の建物を解体しては、廃材となった木材を川へと運んで放り込んだ。
目ぼしい建物を粗方解体し終え、更に次の村へと向かおうとしたその時だった。
トマスは偵察に出していた騎士から、帝国の部隊は諦めて撤退を始めた、との報告を受けるのであった。
次回「連合軍指揮官レフド」