その11 本部長ジャネタ
翌日。
テントの外に出た僕の操縦席の上で、ティトゥは見送りに来ていたカルーラに声を掛けた。
『それじゃ行って来ますわ!』
『・・・早く帰って来てね』
カルーラは寂しそうな表情で僕達を見上げた。
「ギャウー(やっとゆっくり出来る)」
そしてリトルドラゴン、ハヤブサは、操縦席の床でぐったりとしている。
そんなハヤブサをメイド少女カーチャは気の毒そうに見つめた。
ファル子達二人の事を良く知る彼女は、ハヤブサがカルーラに構われ過ぎてストレスを溜めている事に気付いているが、使用人の立場で他国の貴族の令嬢に注意をする事も出来ずに困っているようである。
そこまで分かっているなら、カーチャの代わりにお前がカルーラに注意をすればいいんじゃないかって?
まあそうなんだけど、彼女がハヤブサをいじめているのならともかく、可愛がっているのに、それを止めてくれとは親の口からは言い辛くて。
それに乗り物に弱いカルーラが長旅を続ける事が出来たのも、ハヤブサの存在あっての事だと考えると、ね。
それでもハヤブサが本気で嫌がっているなら流石に止めるのだが、彼も別にカルーラの事を嫌っている訳ではないらしい。
決して僕が可愛い女の子に甘いからではない。その点だけはくれぐれも勘違いしないように。
ちなみにカルーラが留守番する事になったのは、さっきも言ったように彼女が乗り物に弱いから――だけが理由ではない。
実は僕も昨日初めて知った事だが、なんとカルーラは王城から無断で抜け出していたそうなのである。
そんな彼女をあまり大ぴらにあちこち連れ回すのは流石に問題がありすぎる。
といった訳で、今回カルーラは自宅謹慎、じゃなくて、実家でのんびりと旅の疲れを取って貰う事になったのであった。
『前離れー! ですわ!』
「ギャウー!(離れー!)」
リトルドラゴン、ファル子がティトゥの掛け声に合わせてバサバサと翼を振った。
ハヤブサはテンション高めの姉に面倒くさそうな顔をすると、胴体後部の空いた隙間に潜り込んだ。
『あっ、ハヤブサ! 今から飛び立ちますわよ! こっちにいらっしゃい!』
「今はそっとしといてあげようよ。あそこになら、多少機体が揺れてもケガをするような事はないだろうしさ」
ハヤブサは今は放っておいて欲しい気分のようだ。
狭い隙間に体を押し付けるようにして小さく丸くなっている。
『・・・それもそうですわね』
『ナカジマ様! ナカジマ様、お待ち下さい!』
その時、野次馬達の声に混じって、ティトゥを呼び止める声が聞こえた。振り返ると、野次馬達をかき分けて、商人風の男が姿を現した。
水運商ギルドの商人、マイラスだ。
『間に合って良かった! バンディータのギルド本部に向かわれるのでしたら、コレを! コレをジャネタにお渡し下さい!』
マイラスはまるで役人に直訴する農民のように、頭を下げながら封をされた手紙を掲げた。
ティトゥは、出発直前に水を差された事で少しだけ不満顔を見せた。
「そんな顔をしてないで快く引き受けてあげようよ。それに、これから水運商ギルドに話を聞いて貰いに行くんだよ。お使いくらいしてあげた方が心証も良くなるんじゃない?」
『誰も引き受けないとは言ってませんわ』
だったらいいけど。
ティトゥはヒラリと翼の上に乗ると、手を伸ばしてマイラスから手紙を受け取った。
『お預かりしましたわ。返事は貰って来た方がいいんですの?』
『ジャネタが必要と考えれば書くと思いますので、その時はよろしくお願いします』
ティトゥは頷くと、手紙を手に再び操縦席へと戻った。
バババババ・・・
ハ四五誉エンジンが軽快な唸りを上げると、広場に集まっていた野次馬達から『おお~っ!』と大きな歓声が上がった。
『それじゃ出発ですわ!』
僕はエンジンをブースト。広場を疾走すると、フワリ。砂漠の空へと舞い上がったのであった。
てな訳で無事到着。
ここは水運商ギルドの本部のある町バンディータ。六大部族、帆装派筆頭サルート家のお膝元となる歴史ある大きな町だ。
そんな大都市のほぼ中心にある大きな区画に僕は着陸した。
無残にも薙ぎ倒された庭木の残骸が、尾輪に踏みつけられて乾いた音を立てる。
『・・・いつも思う事ですが、庭師の人達が気の毒です』
カーチャがボソリと漏らした小さな呟きを、僕はあえて聞こえないフリをした。
いや、悪いとは思っているよ。思っているんだけど、今はちょっとそれどころじゃない状況というか。
決して誤魔化そうとしている訳じゃないから。
『な、なんだアレは!』
『おい、誰か衛兵を呼んで来い! サルート家の騎士団にも連絡するんだ! 急げ!』
ギルド本部は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
ティトゥは慌てふためく職員達に不思議そうな顔になった。
『なんでみんなハヤテの姿にこんなに驚いているのかしら? ここって前にも来てますわよね?』
「う~ん、前に来たと言っても、もう一年も前の話だからね。みんな僕の事を覚えてないんじゃないかな?」
『それはないですわ』
『ハヤテ様の事を忘れる人なんていないと思います』
僕の意見はティトゥとカーチャにバッサリ切り捨てられた。
まあ、自分で言っといてなんだけど、自分の職場に戦闘機が着陸するなんて面白事件、もしも僕なら絶対に忘れないとは思うけど。
『どきなどきな! ええい、ジャマするんじゃないよ!』
その時、大きな声と共に、僕を遠巻きに見ていた職員が乱暴に突き飛ばされた。
彼等の背後から現れたのは、気の強そうな元気なお婆ちゃん。
水運商ギルドのやり手の商人、ジャネタお婆ちゃん(今は本部長なんだっけ?)であった。
『やっぱり! ひと目見てハヤテ様だと思ったんだよ! ハヤテ様! ナカジマ様も一緒にいらっしゃるのですか?!』
『ほ、本部長! 近付いては危険です! 下がって下さい!』
『ええい放しな! コラ! どこを触っているんだい!』
ジャネタお婆ちゃんはこちらに来ようとした所を、若い職員に止められている。
ティトゥは風防を開くと立ち上がった。
集まっていた職員達がギョッと驚きの顔で彼女を見上げた。
『人だ! 本部長、若い女が乗っていますよ!』
『さっきから人の耳元でギャンギャンうるさいね! 目の前にいるんだ、叫ばなくたって聞こえるよ!』
ちなみにジャネタお婆ちゃんの声は、さっきから若い職員達の声の倍以上に大きかった。
ティトゥはやや呆れ顔でジャネタお婆ちゃんに声を掛けた。
『お久しぶりですわ、ジャネタさん。今日はご相談したい事があって来たんですの』
『お見苦しい所をお見せしてお恥ずかしい限りです。昨年来、本部の人間を一新したので、ハヤテ様の事を知らない者がほとんどなもので。ほら、お放し。こちらはミロスラフ王国の小上士位当主のナカジマ様だよ。そしてナカジマ様が乗っていらっしゃるのが、ドラゴンのハヤテ様だ』
『ど、ドラゴン? この大きな体の生き物? が?』
『ゴキゲンヨウ』
『『『しゃ、喋った?!』』』
僕の挨拶に、一斉に周囲から驚きの声が上がったのであった。
『ごきげんよう、ハヤテ様。お久しぶりでございます。それでお二人はいつこの国に戻って来られたのですか?』
ジャネタお婆ちゃんは職員達に下がるように命じると、僕の前に立った。
『昨日ですわ』
『さようでございますか。それで本日は一体どのようなご用向きでここにいらしたのでしょうか?』
ジャネタお婆ちゃんは一見、腰の低い温厚そうな老婆に見えるが、僕を見上げる瞳の奥は欲望にギラギラと輝いている。
もしも漫画なら、目玉がお金マークに描かれている所だ。
どうやら彼女は、塩切手で六大部族のバルム家を経済破綻させただけでは飽き足らず、また儲けの種を僕から引き出そうと狙っているようだ。
『先にマイラスからお預かりした物を渡しておきますわ。何だか随分と急ぎのようでしたわよ』
『おお、そうですか。ナカジマ様、少しお時間を頂いてよろしいでしょうか? ――おい、あんた達誰かナカジマ様を応接室にご案内して差し上げな』
遠巻きにこちらの様子を窺っていた職員達の中から、若手の職員が前に出ると、慌ててこちらに駆け寄って来た。
『分かりました。あの、それで本部長。ナカジマ様の案内はいいですが、あのドラゴンはどうすればいいんでしょうか?』
『余計な事は何もするんじゃないよ。ハヤテ様なら話が終わるまでこのまま庭で待って貰えば大丈夫さ。それでよろしいですよね? ハヤテ様』
「ああ、うん。僕の方はそれでいいけど、ファル子達の世話を任せていいかな?」
『――と言ってますわ』
『ファルコですか? それは一体どなたの事で?』
「ギャウ?(呼んだ?)」
『なっ?!』
ファル子が操縦席から顔を出すと、ジャネタお婆ちゃんはギョッと目を見開いた。
『な・・・ナカジマ様、その生き物は一体?!』
『ハヤテの子供ですわ』
『『『ドラゴンの?!』』』
これにはジャネタお婆ちゃん以外の人達も驚きの声を上げた。
『似てな――あ、いえ、ドラゴンの子供ですか。はあはあ、ほおほお』
ジャネタお婆ちゃんの視線は何度も僕とファル子を行ったり来たりした。
あ、これ絶対にロクでもない事を考えている顔だ。
『何だか表情に邪な物を感じますわね』
『いえ、決してそのような事は。あの、それでドラゴンの子供は他に何匹いらっしゃるのでしょう? そちらが良ければ我々にも譲って頂けないでしょうか? 責任を持って大事に育てますので』
『ホラ! やっぱり邪でしたわ! ハヤテの子供を狙っているなら許しませんわよ!』
『あ、いえ。狙っているなんてそんなことは。ただ、沢山生まれているなら、さぞ子育てにも苦労されているのではないかと心配しただけで』
ティトゥどころか自分の部下達からも白い目で見られて、ジャネタお婆ちゃんは慌てて言い逃れを始めた。
「ギャウー(パパ、あの人なんか怖い)」
「そうだね。ティトゥ、やっぱ今の頼みはナシで。ファル子の面倒はカーチャに見てもらう事にするから」
『――と言ってますわ。私もその方が安心出来ますわね。じゃあ応接室に案内して頂戴』
『いや、ですから今のはそういう意味で言った訳ではなくてですね。私は双方にとって良い話なのではないかと考え、提案させて頂いただけで――』
もう遅いよ。全く。いくらなんでも欲望に忠実過ぎだろ。
スタスタと歩き始めたティトゥを、ジャネタお婆ちゃんは慌てて追いかけて行ったのであった。
次回「護衛依頼」