その7 ドラゴンの姉弟
◇◇◇◇◇◇◇◇
緑色のリトルドラゴン、ハヤブサは、ゴソゴソという音でまどろみから目覚めた。
不規則な音はまだ続いている。どうやら彼の姉、桜色のリトルドラゴン、ファル子が、寝床の中でむずがっているようだ。
彼は落ち着きのない姉に少しイラっとしながら、ふと、自分が知らない部屋の中にいる事に気付いた。
(あれ? ここってどこだっけ?)
見慣れない部屋だ。最近まで泊まっていた、聖国のレブロン伯爵の屋敷ではない。
彼の母親、ティトゥの小さな寝息に、ハヤブサは少しだけ安心した。
(あ、思い出した。そういえば、みんなと旅行に来ていたんだったっけ)
ボンヤリとしていた頭が覚醒すると共に、彼はこの部屋は小さな町の商人の家の一室である事を思い出した。
チェルヌィフ王朝の小叡智、カルーラが知らせに来た世界の危機。
ハヤテは、叡智の苔からの呼び出しに応じるべく、チェルヌィフへと向かう事を決めた。
こうして約一年ぶりとなるチェルヌィフ王朝への旅が始まった。
旅の初日。カルーラが乗り物に弱いせいで、何度も途中で休憩を挟む事にはなったが、それ以外は概ね順調だった。
ハヤテ達は無事に少ゾルタを通過。この日はミュッリュニエミ帝国の国境近くの小さな町に宿泊する事になったのであった。(※ちなみにハヤテは町の外の目立たない場所に隠れている)
「ウウッ・・・フウウウッ・・・」
「・・・ギャウギャウ(ちょっとファルコ、静かにしてくれない? 夜中にうるさいんだけど)」
いつまでも寝床でむずがっているファル子に、ハヤブサは文句を言った。
するとファル子はピタリと動きを止めた。
「ギャウギャウ(だってムズムズして仕方がないんだもの。アンタは違うの?)」
ハヤブサは、うかつに声を掛けてしまった事を少しだけ後悔したが、ここで返事をしなければ姉の苛立ちは彼の方へと向いてしまうだろう。
ハヤブサは渋々首を伸ばすとファル子に振り返った。
「ギャウ(それって、僕も脱皮が近いんじゃないかって事? まあそうだね)」
「ギャウギャウ!(やっぱり! じゃあなんでアンタはそんなに平気そうにしてるのよ)」
「ギャーウ(別に平気じゃないけど)」
昨年の夏、ファル子達はハヤテ達両親に連れられて、この国の王都へ行った。
これはティトゥが、国王カミルバルトの即位式に参加するためだったのだが、その旅から帰った直後、二人のリトルドラゴンは初めての脱皮を行った。
これにより二人は今の姿になり、体も以前より一回り大きくなり、背中の翼も大きく強靭になって、空も飛べるようになった。
つまりは成長した訳だが、どうやらその兆しが再び訪れたようだ。
「ギャウギャウ(僕は我慢しているだけ。しばらくは脱皮する気はないから)」
「ギャウ?(どういう事よ?)」
ハヤブサは少し首をかしげた。
「ギャーウ(う~ん。僕達って脱皮をすると体が大きくなるよね。僕達の体が大きくなったせいで、パパのそうじゅうせき?が狭くなったって、パパとママが言ってただろ。旅行中に僕らがこれ以上大きくなったら、みんなに迷惑だろ)」
「ギャウ!(そんなの仕方がないじゃない! 体が勝手に大きくなるんだから!)」
ファル子は声を荒げてバサバサと翼をはためかせた。
ハヤブサは騒ぎでママが目を覚まさないか、思わず振り返った。
「スー。スー」
しかし、ティトゥは連日の仕事疲れが出たのか、今の騒ぎに気付く事なく熟睡していた。
ハヤブサは一先ずその事にホッと息を吐いた。
「ギャウ(ファルコ。あまり騒ぐとママが起きるよ)」
「ギャウ(今のはアンタが悪いのよ)」
ハヤブサはファル子の身勝手な言いぐさに少しイラッとしたが、いつもの事なので仕方なく諦めた。
ファル子は「ていうか」と言葉を続けた。
「ギャウギャウ(ていうかさ、脱皮って我慢ってしようと思って出来るものなの?)」
ファル子の疑問も最もだ。
生物にとって体の成長というのは、自然に生じるものであり、本人が意識してコントロール出来るようなものではない。
しかし、ファル子達はドラゴン。ただの生物ではない。
ハヤテという魔法生物から、その性質の一部を受け継いだ、半魔法生物と言うべき存在なのだ。
ハヤブサはファル子の目を覗き込んだ。
「――ギャウ(ねえファルコ。ファルコは感じてないの?)」
「ギャウ?(感じるって何をよ?)」
「ギャウギャウ(う~ん、成長? ここまで成長した、ってそういう感じ。これ以上成長するには今のままだと窮屈って感じる感覚って言えば分かるかな? 多分、それに耐えられなくなった時、僕らって脱皮するんじゃないのかな)」
「・・・」
正直、ファル子には、ハヤブサの言った事があまり理解出来なかった。
いつも感覚で生活しているファル子は、日頃からあまり物事を深く考えない。
そんな彼女にとって、「成長とはどういったものか」という話題は、あまりに抽象的過ぎた。
とはいえ、分からないと素直に認めるのは、姉として何だか弟に負けた気がしてイヤだった。
ハヤブサはファル子の心の中の葛藤に気付かない様子で、バサリと翼を左右に大きく広げた。
「ギャウギャウ(ねえファルコ。僕達って一度目の脱皮で翼が大きくなって、少しだけ空が飛べるようになったよね。最初の頃は今よりもっと小さな翼で、少し動かすくらいしか出来なかったのに)」
「ギャウ(そうだけど、それが何?)」
翼が何だと言うのだろう? ファル子はハヤブサが何を言いたいのか分からなかった。
「ギャウギャウ?(僕達がこのまま脱皮したらどうなるんだろう? やっぱり今より一回り体が大きくなって、翼もそれに合わせて大きくなるのかな? けど、それってどうなんだろう)」
「ギャウ(どうなんだろうって、何がよ)」
ハヤブサは「う~ん」と首を傾げながら言葉を探した。
「ギャウギャウ(前に何度かファルコにも話したよね。パパから教えて貰ったドラゴンの進化の話)」
「? ギャウ(? それなら聞いたけど)」
流石のファル子もそれくらいは覚えている。しかしなぜ、ここで急に進化の話が出て来るのかが分からなかった。
ファル子は益々混乱してしまった。
ハヤテの説明によると、実は彼も昔はハヤブサやファル子と同じ姿をしていたらしい。
そんな彼が今の姿になったのは、厳しい訓練によって上位竜へと進化したためなのだそうだ。
この話にハヤブサは非常に興味を覚えたが、ハヤテは「お前達にはまだ早い」「進化はドラゴンの秘密だから」と、詳しくは教えてくれなかった。
ハヤブサはガッカリしたが、いずれ自分が成長した時には、絶対に教えて貰おうと心に決めたのだった。
――という話だが、ご存じの通り、ハヤテの姿は四式戦闘機・疾風のものであって、進化云々は全く関係ない。
なぜ、彼がそんなウソをつかなければならない羽目におちいったのかは、『第十三章 新国王即位編 その28 ドワーフとの再会』を参照して頂きたい。
「ギャウギャウ(あの後、僕なりに考えていたんだけど、ひょっとして進化って脱皮と同じような物なんじゃないかな?)」
ハヤブサは考えた。
パパは訓練をして進化し、今の姿になったという。
それって、自分達が成長して脱皮し、幼かった頃の姿から今の姿になったのと同じようなものではないだろうか?
「ギャウギャウ(でも、パパがアンタに言ったのは進化なんでしょ? 脱皮なら脱皮って言うんじゃない?)」
「ギャーウ(う~ん。でもパパって自分の事っていうか、ドラゴンの事って良く知らないみたいだし。多分、同じと思っていないか、何か勘違いしているんじゃないのかな?)」
ハヤテは聞けば大抵の事は教えてくれる。
太陽はなぜ、東から上って西に沈むのか。雨はなぜ空から降るのか。草や葉っぱはなぜ緑色をしているのか。道路の事や建物の事。虫の繭から糸を生み出す方法まで、その知識は多岐に渡って幅広い。
これにはナカジマ家の人達(代官のオットーや元宰相のユリウス老人等)も、「ドラゴンの叡智」と感心している程である。
しかし、そんなハヤテだが、ドラゴンの事に関してだけは途端に口が重くなる。どういう訳か本人もあまり知識がない様子なのだ。
ハヤブサとしては、何でも知っているパパが、なぜ、自分達の種族の事だけを知らないのか、不思議で仕方がなかった。
「ギャウギャウ(だから進化の事も、僕に教えなかったんじゃなくて、パパもどうやって進化したのか、自分で覚えていないんじゃないかと思ったんだよ)」
「ギャーウ(ふーん)」
ファル子は明らかに気のない返事を返した。
ハヤブサはちょっとムッとしたが、もう少しで終わるので最後まで話す事にした。
「ギャウギャウ(進化と脱皮が同じなら、多分、パパは凄く訓練した後で脱皮したんだと思う。そうして今の姿になったんじゃないかな)」
「ギャウギャウ(でも、パパがどんな訓練をしたのか、アンタは教えて貰ってないんでしょ?)」
「ギャウギャウ(そうだけど、パパって翼が大きいし、飛ぶのも凄く上手いだろ。だからきっと、沢山空を飛ぶ練習をしたんじゃないかな)」
ハヤブサが予想するに、若き日のハヤテはどうしても空を高く、早く、遠くまで飛ばなければいけない理由があったのだろう。
そして必要に駆られて頑張って飛んでいるうちに、やがて進化して――つまりは脱皮して、空を飛ぶのに適した今の体を手に入れたのではないだろうか?
「ギャーウ(だから僕もパパのように訓練を終えてから脱皮をするつもり)」
「ギャウ?!(ええっ?! ハヤブサ、アンタ脱皮しないつもりなの?!)」
ギョッと目を剥くファル子に、ハヤブサは「違う違う」と言った。
「ギャウギャウ(ずっと脱皮しないわけじゃないよ。今の翼で目一杯練習して、これだと足りないって状態になってから進化するつもり)」
ハヤブサの考えは、ゲームで例えれば分かりやすいかもしれない。
キャラクターの成長要素のあるゲーム。例えばRPGで、初期の職業から上級職に進化出来るゲームの場合。特定のパラメータが決められた数値を満たした時に、初めてその上級職を選ぶ事が出来る場合がある。
この例えで言えば、ハヤテは飛行のパラメータを十分に上げたキャラの進化した先といえるだろう。他にもHPのパラメータが高いキャラの場合は、草食恐竜のような姿に。攻撃力のパラメータが高いキャラの場合は、肉食恐竜のような姿に進化するかもしれない。
ファル子は「信じられない!」といった顔になった。
「ギャウギャウ(そんなの絶対にムリよ! そこまで我慢できる訳がないでしょ!)」
「ギャウギャウ(僕はそうするってだけだから。ファルコは我慢しないで脱皮すればいいよ)」
ハヤブサはそろそろ眠くなったのだろう。寝床代わりのバスケットの中で丸くなった。
ファル子はハヤブサに会話を打ち切られて不安になったのだろう。慌てて自分の寝床から這い出ると、ハヤブサのバスケットに潜り込んだ。
「――ギャウ(ちょっとファルコ、狭い)」
「ギャウギャウ(ねえ、ハヤブサ。アンタも一緒に脱皮しなさいよ。ねえ)」
「ギャウギャウ(いや、だからファルコは好きにしなって。僕は進化出来るようになるまで待つから)」
「ギャウギャウ(ハヤブサ。ねえ、ハヤブサったら)」
「ふぁあああ」
ハヤブサは大きなあくびをすると、小さく丸まった。
ファル子はしばらく弟を呼んでいたが、もう返事をしてくれないと分かると、渋々眠る事にしたのだった。
翌朝。
ベッドで目を覚ましたティトゥは、バスケットの中にファル子の姿が無い事に気が付いた。
「ファルコ?! あの子ったら、また勝手に――って、ああ、昨日の夜は寒かったですものね」
一瞬、ティトゥはファル子が勝手に部屋を抜け出したのかと思ったが、直ぐに一つのバスケットで仲良く寝ているドラゴンの姉弟を見つけると、朝からホッコリするのだった。
次回「砂漠の町、再び」