その15 ティトゥ、棒を抜け!
僕はエンジンをかけるとゆっくりとテントから外へと出た。
みんなはそれぞれ準備をしている。
トイレとか先に行っとかないとね。
ちなみに僕のような陸軍機はともかく、零戦のような海軍機は洋上を何時間も飛行する。
当然途中で着陸することはできない。
その間トイレはどうするか?
ちゃんと専用のトイレ袋が用意されていたのだそうだ。
袋の中に用を足し、風防を少し開いて中身を捨てる。
上手く捨てないと機内に逆流してきて大変だったという。
何事かと集まって来て遠巻きにしている騎士団員を、カトカ女史が牽制してくれている。
ティトゥとマリエッタ王女がテントの中から出てきた。
騎士団のマントを羽織っている。アダム班長が用意してくれたものだろう。
汗ばむ季節とはいえ、気温減率によると高度が100m上がるごとに大体気温は0.6℃程下がる。
あまり高度を取るつもりはないが、念には念を入れておいた方がいいだろう。
王女の侍女のビビアナさんが心配そうに彼女の主を見守っている。
さっきまで大分もめてたみたいだけど、最終的には納得した・・・のかな?
あるいはクリオーネ島まで飛んで帰るという話に、実はまだ半信半疑なのかもしれない。
そういえばティトゥのメイド、カーチャの姿が見えないけどどうしたのかな?
『王女殿下!』
カーチャの声だ。
マリエッタ王女とティトゥが声のした方へと振り返った。
カーチャは見るからに高価な仕立ての良い青いドレスを着ていた。
先日マリエッタ王女からもらったドレスだ
――大きく開いた襟元から包帯を巻かれた肌が覗いている。
くそっ。パンチラ元第四王子にムチを打たれた傷跡だ。
少女の痛々しい姿に集まっていた騎士団員からざわめきが起こった。
マリエッタ王女が目を見開き、小さく息をのんだ。
どうやら王女はカーチャがケガをしていることを知らなかったようだ。
そんな彼女にドレスを送ってしまった事に対して、明らかに後悔の表情を浮かべている。
カーチャは二人に向かってお辞儀をした。
『素敵よカーチャ。とっても良く似合っているわ』
ティトゥがカーチャに微笑みかけた。
ティトゥの言葉にマリエッタ王女はハッと我に返ったようだ。慌てて王女もカーチャに笑顔を向ける。
『ええ。大変お似合いですよ』
カーチャは二人の称賛にはにかんだ。
『ありがとうございます。せっかく頂いたドレスを王女殿下に見て頂きたいと思いまして』
アダム班長がさり気なくカーチャの横に立ち、騎士団員達から彼女の姿を遮った。
騎士団員達はバツが悪そうに目を逸らした。
『今度はランピーニ聖国のパーティーに招待しますよ。その時にまた着て見せて下さいね』
『ええーっ! そ・・・そんな恐れ多い事・・・』
『良かったわねカーチャ。いつでもお呼び下さいマリエッタ様』
カーチャは二人にからかわれて、わたわたと手を振った。
周囲は小さな笑いに包まれた。
さて、これで準備は全て済んだのかな。
『さあ、クリオーネ島へと向かいますわよ!』
と、ティトゥの宣言のあったところでなんだけど、僕達にはまだ問題が残っていた。
『この棒がジャマですわ』
あ~、やっぱりね。
四式戦闘機の操縦席は一人乗りだ。
いくらマリエッタ王女がまだ幼女だと言っても、ティトゥとの二人乗りは厳しいみたいだ。
『そうですね。どうしましょう』
マリエッタ王女も困り顔だ。
四式戦闘機、というか同じ製造元である中島航空機の一式戦闘機もそうだが、実は胴体には人が一人潜り込めるだけの空間が空いている。
もし不時着時に機体が横転して風防が開けられない状態になっても、イスを倒し、胴体の中を通って脱出出来るようになっているのだ。
だから機体の胴体左には人が通れる大きさのハッチが付いている。
それらは普段は機内の点検用ハッチとして利用されていたんだそうだ。
とはいうものの王女やティトゥにそんなところに潜り込んでもらうことはできない。
そもそも体を固定できないからケガをしてしまうだろう。
やるしかない。
僕は覚悟を決めた。
『ボウ。ヌケ』
『『えっ?』』
二人の少女の声がハモる。萌える絵面だが今の僕はそれどころではない。
『ボウ。ヌケ』
再びティトゥに呼びかけた。
『あの・・・この棒を抜くんですか?』
『アナタそんなことをして大丈夫なんですの?』
多分大丈夫じゃない。でもそれしか方法が無いのなら仕方がないだろう。
『ボウ! ヌケ!』
僕の周囲で見守る人達も、とまどう二人の少女に訝しげな視線を向けている。
『ボウ! ヌケ! ティトゥ!』
『! 分かりましたわ!』
ティトゥは覚悟を決めると操縦桿を掴み――
力いっぱい引っ張った。
僕が今の体の元になったと思われる四式戦闘機のプラモデルを作った時のことだ。
後々搭乗員を乗せることを考慮して、実は操縦桿の接着を甘くしていたのだ。
とは言っても接着されていることに変わりはない。
心なし緩めに接着した。その程度でしかなかったのだ。
だから僕はそれに賭けたのである。
そして賭けは・・・
成功だったよ! コンチクショウ!
「ギャアアアアアアアアアアアアアア!!!」
スポ――――ン!
音を立てて操縦桿が抜けた。それは良い。それは良いが・・・
「イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタ――――イ!!!!」
『ハ・・・ハヤテ?』
『大丈夫ですか、ハヤテさん?!』
大丈夫じゃない! 痛い! 痛い! 痛すぎだ!!
この身体になってから、かつて感じた事のない痛みに僕は絶叫した!
パンチラ元第四王子に剣で切り付けられた時にはこんなに痛くはなかったぞ!
一体全体どういうことだ!
痛い! 痛い! 痛い! 痛い!
元の体だったら涙を流して悶絶していただろう。
『ど・・・どうしましょう』
『元に戻せないんでしょうか?』
ティトゥが慌てて操縦桿を元の穴に突っ込んでいる。
周囲で見守っていた人々も僕の大声に驚いてざわついている。
遠くでこわごわこちらの様子を窺っていたゾルタ兵の捕虜達は、僕の声に今やパニック寸前だ。
だが今の僕にそんなことを気にする余裕はない。
絶叫しながらひたすら襲ってくる痛みに耐え続けていた。
落ち着いて考える余裕が出来た時に思ったことだが、実は操縦席はこの身体で唯一、僕の神経?が集中している場所なんじゃないだろうか。
つまりアレだ。僕の急所だということだ。
そう考えると納得できることも多々ある。
例えば僕は操縦席の計器類の動きを非常に細かく感じることができるが、機体に関しては大雑把にしか感じることが出来ない。
もし計器類に感じるのと同じだけの感覚を機体全体に感じたら、僕の頭では到底情報を処理しきれなかったに違いない。
なにせ全長だけでも10m近い体なのだ。
僕はじっとしていられなくなり、エンジンをふかした。
慌ててマリエッタ王女が操縦席に飛び込んだ。
そのままティトゥの膝の上に抱きかかえられるようにスッポリと収まる。
今度はちゃんと乗れたようだ。
激痛に耐えた甲斐があったというものだ。
痛みのあまり混合気にガソリンが混ざり過ぎたようだ。アフターファイヤーが上がる。
悲鳴を上げて逃げ出すカーチャ。
転んでせっかくのドレスを汚してしまった。
ビビアナさんはその場で立ったまま固まっている。
そのビビアナさんを守るように抱きかかえるアダム班長。
騎士団員も蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
大きな声が上がっているのはゾルタ兵のテントからだろう。
どうやら彼らの恐怖が限界に達してしまったようだ。
後で騎士団員がなんとか鎮めてくれるのを祈るしかない。
そんなこんなで今回の出発は、僕のせいで大騒ぎになってしまった。
なんかゴメン。
次回「マリエッタ王女、大空へ」