その4 隣国のミロスラフ王
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ティトゥ達の住むミロスラフ王国の北に隣接する小ゾルタの王都、バチークジンカ。
歴史あるこの城塞都市は、一昨年、ミュッリュニエミ帝国によって占領され、略奪の限りを受ける事となった。
帝国軍がミロスラフ王国軍に敗れ(あるいはハヤテに敗れ)、本国に撤退した後も、小ゾルタの領主達による次の支配者を巡る争いが始まったため、結局、王都は誰からも顧みられる事もなく、荒れ放題となっていた。
そんな事情が変わったのは昨年の末の事。
ピスカロヴァー王家から救援を請われ、自ら軍を率いて小ゾルタに進軍して来たミロスラフ王国国王カミルバルトが、自軍が冬を越す場所としてこのバチークジンカを選んだのである。
バチークジンカに入った彼は、亡きゾルタ王家の者達の亡骸を弔い、王都を根城にしていた野盗達を討ち取り、この地の再建と治安回復に勤めた。
初めは、彼の行動に――ミロスラフ王国軍が自分達の国の王都を支配するという行為に――難色を示していた小ゾルタの領主達も、自分達が誰も出来なかった事を全て他国の軍がやってくれているという事実を前にしては、何も口にする事は出来ず、むしろ自分達の力不足と不明を恥じ入るだけであった。
そして年が明けて現在。
ここはバチークジンカの王城。
カミルバルトは国王になって初めての冬を、隣国の王城で過ごしていた。
かつての輝かしい小ゾルタ王城の面影は今はない。
運べる大きさの物は全て略奪者に奪いつくされた城内は、妙にガランとしていて生活感に乏しく、まるで太古の墓所か遺跡か何かのように寒々しく感じられた。
そんな王城の一室で、真新しい肘掛けイスに腰かける若き美丈夫。
現在の城の主。ミロスラフ王国国王、カミルバルトである。
カミルバルトの前に膝をついているのは、歳の頃三十代半ばの男達。彼らは王都から物資を運んで来た文官達であった。
文官の代表が捧げものか何かのように紙の束を掲げた。
「こちらが今回、我々が運んで来た追加の物資一覧となります。宰相バラート様からは、陛下のご要望があれば我々はこのまま軍に同行し、陛下の下で働くように命じられております」
「そうか? そいつは助かる。なにせ人手はいくらあっても足りんからな。数字に強いヤツとなればなおさらだ。今から担当の者を呼ぶので、詳しい話はそいつから聞いてくれ。おうい! 誰か隣の部屋からウィリアムを呼んで来い! イタガキの所の若いヤツだ!」
イタガキはアダム・イタガキ特務官。ウィリアムは彼の元同僚であり、現在は部下として頼れる右腕となっていた。
件のウィリアムはすぐにやって来た。
彼は挨拶もそこそこに、やけにギラついた目で鼻息も荒くカミルバルトに詰め寄った。
「陛下! 人手を回して頂けるとの知らせを受けましたが、本当でしょうか?!」
「ああ、本当だ。コイツらがそうだ。宰相の部下だから頼りになるはずだぞ。お前の下に付けるから仕事を教えてやってくれ」
「宰相の?! やった! 即戦力じゃないですか! あなた方がそうですね?! よろしくお願いします! あ、私の事はビルと呼んで下さい!」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
ウィリアムは文官達の手を一人一人握っては大きく振った。
異様にテンションの高いウィリアムに戸惑う文官達。
カミルバルトは何とも言えない表情で苦笑した。
「騎士団のヤツらは数字に弱いと言うか、どいつもこいつも揃いもそろってどんぶり勘定しか出来なくてな。いつもならそれでも困らないのだが、今回の場合はこの都市と周辺の土地を治めなければならん。帳簿が読めるヤツがどうにも少なくて困っていた所だったのだ」
どうやらその数少ない人材を纏めているのが、目の前のウィリアムだったようだ。
文官達にとって帳簿等、書類仕事は日頃から慣れたものである。
彼らはようやく納得顔で頷いた。
「そうですか。それなら我々でも力になれそうです。それではウィリアム殿、早速、この城の出納帳を見せて頂けませんか?」
「私の事はビルで結構です! 残念ながらその類の物はこの城が荒らされた時にほとんど紛失してしまったようです。今はとにかく使えそうな書類やそれっぽい書き留め等を様々な場所からかき集め、隣の部屋に山積みにしている状態です。あなた方にはそのバラバラの書類を整理して、どうにか使えるようにして頂きたいのです!」
「ええっ?! そ、それは、ええと・・・。が、頑張ってみます」
これは一筋縄ではいかないかもしれない。
文官達は安請け合いしてしまった事を内心で後悔しながら、表情をこわばらせるのだった。
文官達がウィリアムに背中を押されるようにしながら部屋を後にすると、ヒゲの騎士が一人だけポツリとその場に残された。
カミルバルトはようやく彼の存在に気付き、小さく眉を動かした。
「なんだアダム、お前もいたのか。いつの間に部屋に入って来たんだ?」
「ウィリアムの騒ぎ声が聞こえたので。最近、かなり根を詰めていた様子だったので、何かのはずみに陛下に失礼な事でも言い出さないか心配致しまして」
ヒゲの騎士はアダム・イタガキ特務官。
この世界では馴染みのないイタガキという姓は、実はドラゴン・ハヤテに考えて貰った物である事をカミルバルトはアダム本人から聞かされていた。
「それほど追い詰めているつもりはないのだが?」
「ああ見えて抱え込むタイプの男ですから。陛下から命じられた仕事が進まない事に気を病んでいるのですよ」
アダム特務官は部下の弁護をしながら、「とは言っても、この方には我々非才な者達の気持ちは分かって貰えないのだろうな」などと半ばあきらめていた。
優秀なカミルバルトは大抵の事なら何でも自分で出来てしまうし、王族であるカミルバルトは自分では出来ない事でも出来る人間に任せる事が可能な立場にいるからである。
(これ程特別な存在は、この国ではカミルバルト陛下くらいしかおられないだろうな。――いや、人間に限らないならもう一人。ハヤテ殿もいたか)
アダム特務官が思い浮かべたのは、巨大な緑色のレシプロ機。
この世界では(ティトゥのせいで)ドラゴンということになっている、四式戦闘機・ハヤテの姿であった。
ハヤテは鳥よりも高く速く大空を飛び、帝国の大軍すらもものともしない超生物である。そして人間を超越した明晰な頭脳と豊富な知識、そして穢れなき高潔な魂を持っていると(ティトゥのせいで)思われていた。
あの規格外の生き物ならば、およそこの世に出来ない事など何一つないのではないだろうか?
そんなアダム特務官の想像に、どこかでハヤテが、『ムリムリムリ、確かに四式戦闘機はこの世界では未来兵器だけど、出来ない事なんていっぱいあるから。ていうか、そもそも中身の僕は極普通の一般人だから。平均的な日本人でしかないから』などと慌てている気もするが、当然、彼に伝わるはずもなかった。
それはいいとして。と、アダム特務官は想像上のハヤテを頭の中から追いやった。
「それにしても、最近の陛下は、ええと、何と言えばいいか、良くお気持ちを我々の前で口にされるようになりましたね?」
「なんだ、その奥歯に物が挟まったような言い方は。普通に機嫌が良さそうだと言えばいいだろうに」
アダム特務官の持って回った言い回しに、カミルバルトは呆れ顔になった。
「まあ、その点に関しては俺も自覚はしている。何せ先王陛下から国を預かって一年。今までずっと王城で過ごしていたんだからな。あそこは城という名の魔窟だ。我ながら良くあんな場所にいて我慢出来たものだ」
かつては王城から距離を置いていたカミルバルトは、その名声に反して権力基盤が非常に弱い。
勿論、優秀な頭脳を持ち、決断力もカリスマも兼ね備えた彼ならば、王城に巣食う宮廷貴族達を相手取って政争をこなせるだけの能力も十二分にあるのだが、”出来る”事と”好む”事は別である。
カミルバルトは本人の性格的にも、根回しや派閥争いなどといった、騙し合いや腹の探り合いがあまり好きにはなれなかった。(ちなみに重ねて言うが、決して出来ない訳ではない)
そんな彼にとって、現在の状況は――王城を離れ、遠く外国にいる状況は――鎖から解き放たれたように感じられるのだろう。
この城で多忙な日々を送りながら、カミルバルトの機嫌が良いのは、そんな理由があっての事であった。
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これは未来の話となるが、将来、カミルバルトは王都をここバチークジンカに移す事になる。
いわゆる遷都を行った訳だが、その理由は一般には、より大陸に近く、半島の中央にも近いこの場所の方が、ミロスラフ王国から統治をするよりも便利だったから、と言われている。
勿論、そういった地理的な理由も大きかったのだろうが、カミルバルト本人的には、ミロスラフ王城に根を張った有象無象の宮廷貴族の相手をせずに済む、古いしがらみのない新しい場所で、のびのびと政治を執りたかった、という理由も大きかったのではないだろうか。
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カミルバルトは「そういえば」とアダム特務官に問いかけた。
「そういえば、何か用事があったから俺の所に来たんじゃないのか? まさか、こんな場所にたまたま通りかかったなどという事はあるまい」
その途端、アダム特務官は途端に申し訳なさそうな顔になると、そっと抱えていた書類を差し出した。
カミルバルトは怪訝な表情で書類を受け取ると、上から数枚にザッと目を通した。
すると先程までの上機嫌から一転、カミルバルトは凛々しい眉を不快げにひそめた。
「・・・今度はオルドラーチェク家の者達が問題を起こしたというのか。確かあそこは当主の弟が軍を率いて参加しているんだったな?」
「はい、ガルテン殿です。ガルテン・オルドラーチェク殿。海賊退治で勇猛を鳴らしたお方だそうです」
「ああ、その説明で思い出した。確か、ボハーチェクの鮫とか呼ばれているヤツだったな。敵に食らい付いたら離れないとか。また随分と勇猛なあだ名を付けられたものだ」
カミルバルトは続けてパラパラと書類をめくった。
そのどれもがオルドラーチェク家の騎士団並びに、傘下の貴族達が起こした諸々の問題に対して、被害を受けた者達からの陳情書であった。
「全く。先日はヨナターン家傘下の貴族家が、その前はネライ家の騎士団だったか。どうしてヤツらは揃いも揃って大人しくしていられないのか・・・」
カミルバルトの吐き捨てるような言葉に、アダム特務官は自分が叱責を受けているような気分になり、申し訳なさそうに頭を下げた。
「彼らも陛下のご不興を買うつもりはないのでしょうが・・・戦いらしい戦いがない事に力を持て余しているのではないでしょうか」
「ヘルザーム伯爵軍が領地から出て来ないせいか・・・」
カミルバルト率いるミロスラフ王国軍の進軍を受け、ヘルザーム伯爵軍は占領中のカメニツキー伯爵領から慌てて軍を引いた。
ヘルザーム伯爵としては、地の利のない他領での戦いを避けたつもりなのかもしれないが、この行動が結果として焦土作戦(敵軍の進軍先となる町や村から事前に食料や燃料を引き上げ、ないしは焼き払い、敵軍による現地調達を出来なくする作戦)のような形になり、ミロスラフ王国軍の進軍を停滞させる事となった。
そうこうしているうちに雪が降り積もり、ミロスラフ王国軍はバチークジンカで軍を留めざるを得なくなったのである。
「だが、それも春になり、雪が消えるまでの話だ。実際、この数日、晴れ渡った暖かい日が続いている。ヘルザーム伯爵もそれが分かっているのだろう。領内に忍び込ませた諜報部隊からは、傭兵を雇い入れているとの情報もあったようだが」
この時代、戦争は単純に頭数が重要である。数で敵を圧倒するのが最も簡単な作戦なのである。
これは現在の地球での戦争と比べ、兵器の殺傷力が極めて低いため、戦っている者達の士気の高さが――「これではとても敵わない」と、敵兵の心を折れるかどうかが――戦の勝敗を左右するためである。
カミルバルトは書類を机の上に置いた。
「戦いさえ始まればコイツらも少しは大人しくなるだろう。それまでしばらくの間はお前にも苦労をかける事になる。スマンな」
「い、いえ。陛下が謝られる必要はございません。これも私の仕事ですので」
アダム特務官が慌てて頭を下げたその時だった。
「陛下にご報告! 陛下! 急報でございます!」
「下がれ! 貴様、何者だ?!」
部屋の外で何者かが立哨の騎士と揉めている声が聞こえた。
アダム特務官は咄嗟に腰の剣に手を掛けると、カミルバルトを守る形で入り口の前に立った。
「よい、アダム。おい! 何事だ?!」
「はっ! 急報があると申している兵が、陛下との面会を求めております」
「急報だと? 構わん、入れろ」
連絡の兵は、休みなく馬を乗り継いでここまで駆け付けたのだろう。
着衣は砂まみれで乱れ、眼窩は疲労でくぼんでいた。
男は疲労と寒さで紫色になった唇を開いた。
「ち、諜報部隊よりご報告致します! ヘルザーム伯爵領ミコラツカの港に帝国の軍旗を掲げた黒い大型船が多数到着! おそらく敵の援軍かと思われます! その数およそ二十!」
「何だと?!」
それはハイネス艦長率いる黒竜艦隊が、ヘルザーム伯爵領に到着したという知らせであった。
次回「帝国艦隊」