その1 再びチェルヌィフへ
ランピーニ聖国。お馴染みレブロンの港町にほど近い砦。僕らが聖国に来た時にはいつもお世話になっているその場所に姿を現したのは、僕達が予想もしていなかった人物であった。
『ハヤテ様! ナカ――ティトゥ!』
『カルーラ! 本当にあなたなんですの?!』
そう。馬車から飛び出して来たのは、灰色の長い髪をした、ちょっと眠そうな目の少女。
チェルヌィフ王城の最奥、聖域に存在する叡智の苔。その叡智の苔に仕える小叡智。
小叡智の姉弟の姉、カルーラ・カズダであった。
カルーラは僕を見上げると、流暢な日本語で告げた。
「飛行機さん。叡智の苔様があなたを呼んでいるわ。大至急、会いに行って頂戴。この大陸の、いえ、この惑星のあらゆる命が危険に晒されているの。止められるのは叡智の苔様とあなたしかいないわ」
それは、この異世界に四式戦闘機の体で転生した僕にとって、最大にして最後の分岐点となるメッセージだったのである。
カルーラの言葉に、僕の魂の契約者(自称)ティトゥが慌てて彼女に詰め寄った。
『ちょっとカルーラ! 大陸のあらゆる命が危険に晒されているって、一体どういう事なんですの?! 穏やかじゃありませんわよ!』
あらゆる命の危険、というパワーワードに、この中で唯一日本語が通じていないメイド少女カーチャが、驚きでギョッと目を見開いた。
カルーラは慌てるティトゥをなだめた。
『落ち着いて、ティトゥ。まだしばらく先の話』
『いいから、早く教えて下さいまし!』
そうそう。僕も詳しく聞きたいんだけど。この星に住む命が危険って一体どういう事なんだい?
とはいえ、どうやらカルーラもあまり詳しい事情は分かっていないようだ。
彼女が一生懸命教えてくれた内容を整理すると――
今から三~四ヶ月前。叡智の苔がとある警告を発した。
それを聞いたのはカルーラの弟、もう一人の小叡智キルリア。
ちなみにキルリア少年はカルーラよりも叡智の苔の言葉を理解する力は高いらしいが、それでも完全に理解出来る訳ではない。
とはいえそれも当然だ。叡智の苔の正体は、僕の故郷、地球のスマホの音声認識アシスタント・VLAC。二人はバラクの喋る日本語は聞き取れても、頭の中身まで地球の現代人になったという訳ではないのである。
彼がバラクから聞かされた内容。それは――
「そんな! 五百年前にこの惑星を襲った自然現象がまた起きるかもしれないって?! それってマナの大量発生が起きるって事だよね?!」
僕は思わず声を上げた。
かつてこの異世界を襲った未曽有の大災害。
その原因となったのが魔法媒介素子、マナの発生。
今から五百年程前、大陸の中央で突如発生した大量のマナは、生まれた瞬間に周囲の物質と反応。大爆発を起こした。
その破壊力は核爆発を超える程で、大陸は真ん中から吹き飛び、残された大地は二つに千切れ、ティトゥ達が住むこの大陸と、今は魔境と呼ばれている東の大陸とに分かれる事になったのである。
しかし、厄災はそれだけにとどまらなかった。いや、むしろ始まりでしかなかった。
新たに惑星の大気中に蔓延したマナは、既存の生物達にとっては命を脅かす危険なシロモノ――毒になったのである。
その結果、ほとんどの生物が大きく数を減らし、人間もあわや絶滅する寸前まで追いやられたのであった。
この人類史上に類を見ない最凶最悪のカタストロフィ。
その未曾有の大惨劇が、五百年後となる現在、再びこの惑星上で発生しようとしているというのだ。
『それって物凄く大変な事じゃないですの!』
『ティトゥ様、ハヤテ様は今、何て言ったんですか?』
ティトゥは僕の言葉をカーチャに伝えた。
『大昔にそんな事があったんですね・・・全然知りませんでした』
『私も知らなかった』
『いや、何でカルーラまで驚いているんですの』
カーチャと一緒に驚くカルーラに、ティトゥは怪訝な表情を浮かべた。
『そんな話、初めて聞いた』
『ハヤテは今の話を、あなたの所のバラクから教えられたと言ってましたわよ?』
ああ、うん。カルーラが知らなくても別に不思議はないかな。
今の話は僕がバラクと直接リンク――マナを媒介とした情報共有の魔法?――によって、得た知識だから。
「飛行機さんの言ってる直接リンクって何?」
「そういやカルーラ達はアレを別の名前で呼んでいるんだっけ。ええと、確か、洗礼? だっけ? 僕とバラクは”魔法生物の種”から生まれたという意味では、本質的には同じ存在とも言えるんだよ。で、そんな僕達の間だけで使える特殊な意思伝達が、君らが洗礼と呼んでる方法という訳」
厳密に言えばちょっと違うのかもしれないが、そう大きくは外していないだろう。多分。
(詳しくは第十一章 王朝内乱編 『その13 叡智の苔―バレク・バケシュ―』参照)
カルーラは、僕の説明に分かるような分からないような顔をした。
『そんな事より、その大災害の話ですわ! あ、こら、ファルコ! 今は大事な話をしているんだから大人しくなさい!』
ティトゥは長話に退屈したのか、ファル子が逃げ出そうとした所を慌ててキャッチした。
ちなみにハヤブサは、相変わらずぐったりとしたままカルーラに抱きかかえられている。
メイド少女カーチャが不安そうな顔で僕を見上げた。
『どうなんでしょう、ハヤテ様。昔に起こった酷い災害がまた起きるという事は、やっぱり私達も死んでしまうんでしょうか?』
『そうなんですの? ハヤテ』
いや、そんな風に僕に聞かれても。
けど、そうだなあ・・・
「多分、そうはならないんじゃないかな? あくまでも僕の予想でしかないけど」
叡智の苔ことバラクの予測したマナの大量発生。
かつてこの惑星上の生物を大量死滅させた未曾有の大災害。そのきっかけとなった現象が再び起こる予兆がある、と聞かされて、僕は思わず「また同じ規模の被害が」と思ってしまった。
「けど、冷静に考えてみれば、現在と五百年前とでは事情が大きく異なっているよね」
『事情? それって何?』
『五百年前と今との違い・・・あっ! 分かりましたわ! 五百年前と違って、今はハヤテがいますわ!』
いや、違うから。ティトゥが物凄くドヤってる所を悪いけど、僕がいるから何? って感じだから。全然違うから。僕はそんな事を言いたい訳じゃないから。
ティトゥはあっさり否定されてプスリとむくれた。
『もう! だったら何なんですの?』
「さっき説明したよね。五百年前は、大気中に蔓延したマナが生物にとって毒になったって。つまりあの時の大絶滅は、直接的な自然災害によるものじゃなくて、環境の変化による部分が大きかったんだよ。
で、現在この惑星に生きる生き物達は、その大気中に含まれるマナに順応した生物の子孫達な訳。ティトゥやカーチャ、カルーラ達人間もそうだよ。
だからまた、五百年前と同じようにマナの大量発生が起きたとしても、あの時のように二次災害で大量の生き物が死ぬような事はないんじゃないかな?」
そう。五百年前の大量絶滅は、大気の組成の変化によるものが大きかった。
惑星上に新たに誕生したマナは、全ての生き物達にとっては異物。今まで彼らが生きて来た環境には存在しない物質だった。
そのためマナは見えない毒となり、抵抗力を持たない生物の命をじわじわと奪って行った。
しかし、やがて環境の変化に耐え抜いた生物の中から、大気中のマナを克服した者達が生まれた。
ティトゥ達現代人は、この新たな世界に適応した新世代の人間達なのである。
僕の説明にカーチャは何とも言えない表情を浮かべた。
『そう聞くと、何だか私達ってスゴイ気がして来ますね。いや、本当の意味でスゴいのは私達のご先祖様達なんでしょうけど』
『ハヤテの言う事が本当なら、今回の災害は恐れる必要はないという事なんですのね?』
「いや、今のはあくまでも二次災害に限った話だから。もし、五百年前と同じ量のマナが発生するとしたら、同規模の爆発が起きるって事になるからね」
なにしろ大陸を真っ二つに引き裂く程の大爆発である。
海上ならその衝撃で大津波が発生するかもしれないし、陸の上なら――そう、もしもこの大陸上で発生なんてしたら、大変な大惨事を引き起こしてしまうだろう。
『そんな! どうすればいいんですの?!』
「いや、どうって言われても。バラクはカルーラ達に僕を呼んで来るように言ったんだよね? ひょっとしたら彼には何か考えがあるのかもしれないよ」
バラクは電波の代わりに魔力を受信する機能を持つ魔法生物だ。マナの発生に対しても、何か対応策があるのかもしれない。
小叡智のカルーラは、納得顔で大きく頷いた。
『きっとそう。そうでなければ、叡智の苔様がハヤテ様を呼んで来るように言わなかったと思う』
『分かりましたわ。だったら、早速チェルヌィフへ向けて出発ですわ!』
「ギャウ! ギャウ!(出発! 出発!)」
ティトゥに抱きかかえられたままでファル子が大きく翼を振った。
『ちょ、ファルコ! 暴れたらダメですわ!』
『ええと、出発って、今からですか? あの、カズダ様(※カルーラの家名)はどうされるのですか?』
『私もティトゥ達と一緒に行く。というか、最初からそのつもりで来た』
カルーラはそう言うと僕を見上げた。
「飛行機さんお願いね」
「僕は構わないけど、今回はファル子達も一緒に乗せて行く事になるから狭いよ? それにカルーラって乗り物酔いというか、僕に乗るのを苦手にしてなかったっけ?」
カルーラは眠そうな目を「はっ!」と大きく見開いた。
『・・・忘れてた。憂鬱』
『大丈夫ですわ! カーチャも最初はハヤテに乗るのを怖がっていたけど、直ぐに慣れましたもの!』
『・・・あ、あの時はご迷惑をおかけしました』
ティトゥの言葉にカーチャはバツが悪そうに縮こまった。
『という訳で、早速出発ですわ! さあカルーラ! ハヤテに乗って頂戴!』
『う・・・わ、分かったから押さないで』
『いいのかなあ・・・』
ティトゥはためらうカルーラの背中を押すと、僕の操縦席に押し込んだ。
そしてファル子達と一緒に自分も乗り込むと、膝の上にカーチャを座らせた。
『さあ、この世界を危機から救うために、チェルヌィフに向けて出発ですわ! 前離れー! ですわ!』
「ギャウ! ギャウ!(出発! 出発!)」
『本当にいいのかなあ・・・』
ババン! バババババ・・・
僕はエンジンをかけると動力移動。砦の広場を滑走すると、冬の大空に舞い上がったのであった。
ティトゥは今にも鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌な顔で背後の景色を振り返った。
『随分と長い間、聖国にいた気がしますが、これでこの景色もしばらくは見納めですわね』
「そうだね。それはそうとティトゥ。確かにチェルヌィフに行くとは決めたけど、その前に一度ナカジマ領に戻るからね」
ピシッ!
その瞬間、ティトゥの笑顔が凍りついた音が聞こえた気がした。
そしてメイド少女カーチャが安堵の息を漏らした。
彼女は僕の喋る日本語は分からないが、ナカジマという単語と今のティトゥの様子を見て大方の事情を察したようだ。
『ああ良かった。ハヤテ様はちゃんとお屋敷に戻るつもりだったんですね』
「そりゃあ勿論そうだよ。みんなにはちゃんと言っとかないといけないからね。特にティトゥはナカジマ領の領主なんだから、領地を空けてしばらく旅に出るって、代官のオットーに説明しておく必要があるだろ?」
「ギャウギャウ!(カーチャ姉、お水! 喉が渇いた!)」
『ちょ、ファルコ様、狭いんだから暴れないで下さい!』
『・・・な・・・な・・・な』
おっと、フリーズしていたティトゥが再起動したみたいだ。
カーチャが慌てて自分の耳を両手で塞いだ。
『なんでそうなるんですのおおおおおおお!』
「ギャウゥゥゥゥーッ!(うるさぁぁぁぁーい!)」
ティトゥのたまぎるような絶叫とファル子の悲鳴のユニゾンが、聖国の上空、高度千メートルの冬空に響き渡ったのだった。
次回「そんな日常は守る必要ないですわ」