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その40 ビブラ伯爵の怒り

 チンピラ男の雇い主。この町の娼館のオーナーは、酒造りのライバルとなる土地の商人に、ビブラ酒の売りとなる大事な一等樽を売っていた事が判明した。

 酒問屋エルカーノは大きく頷いた。


『ナカジマ様のお気付きになった通りです。ビブラ伯爵はこれを知って激怒致しまして』


 ビブラ伯爵の怒りも分からないでもない。ビブラ伯爵領の経済を支えているのは、鉱山から採掘される資源とビブラ酒の輸出である。

 平地が少ないこの地方は、農地として利用出来る土地が限られている。

 食料の自給率がどのぐらいになっているのかは知らないが、将来、ビブラ酒の売り上げが落ちれば、最悪の場合、他の土地から麦や穀類が買えなくなって、領民が飢える事になるかもしれないのだ。

 お酒が売れなくなっても、まだ鉱山の方があるだろうって? いやいや、鉱山だって埋蔵量が無限にある訳じゃないからね。

 それに聖国は貿易の国である。

 日本でも1960年代の高度経済成長期までは、全国各地に数多くの鉱山が存在していたそうだ。しかし、外国から安くて品質の良い資源が輸入されるようになると、それらのほとんどは閉山してしまったという。

 過去の繁栄と今の繁栄は、必ずしも未来の繁栄を約束するものではないのである。

 あのいかにも頭が切れそうなビブラ伯爵が、僕が思い付くような事に気付いていないとは思えない。

 彼が激怒したのも当然だ。

 娼館のオーナーのした事は領地の将来を危険に晒す行為、この土地の人達に対する裏切りと言ってもいい行為だったのである。


『用心棒の男の証言によると、明日には最初の荷物が出荷される予定だとの事です。それを知った伯爵様は、急ぎ自ら手勢を率い、酒の保管場所を押さえに向かわれてました』


 昨日の屋敷の騒ぎはそれ(・・)だったのか。

 ティトゥも納得した様子で頷いた。


『だから昨日はあんな騒ぎになっていたんですのね。それで、お酒の方は見付かりましたの?』

『はい。三銘柄全てが無事に見つかったそうです。伯爵様は買い占められていた酒を確保すると、関係者の捕縛に乗り出されました。そのほとんどは既に捕まっていると聞いております。街道の封鎖もされているようですし、逃げ出した者もじきに捕らえられる事でしょう』


 スゴイな、ビブラ伯爵。

 まだ事件が発覚してから一日も経っていないのに、これでほぼ解決したって事じゃないか。


『それで捕まった人達には、今後どういった裁きが行われるんですの?』


 同じ領主仲間として、ティトゥはその点が気になるようだ。

 エルカーノさんは『そうですなあ』と、少し考え込んだ。


『前例のない事件なので確かな事は分かりませんが、おそらく主犯は全財産没収の上で家族共々斬首。直接買い占め行為に関わった者達も全員斬首。この辺りまではほぼ間違いないでしょう』

『斬首? 殺すんですの? 彼らのした事はお酒の売り買いなんでしょう? 確かに褒められた事ではないにしろ、それ自体は罪でもなんでもないじゃないですの』

『それは、確かにそうかもしれませんが――』


 エルカーノさんは少し困った顔になった。


『伯爵様が騎士団に任せず、自ら指揮を取られ、解決なされた事件などめったにありません。それだけ今回の件は重大な事件だったという事です。そういう場合、普通、犯人とその一党は斬首と決まっているのです。また、そうしなければ伯爵様のご威光にキズが付かれるのでしょう』

『そんな・・・』


 ビブラ伯爵領の苛烈な慣習にティトゥは絶句した。

 勿論、僕も同じだ。

 けど、考えてみればこの世界はまだ封建時代。法律の上に権力者達が君臨している、理不尽が当たり前の社会なのだ。

 ティトゥ達と暮らしていると忘れそうになるけど、多分、こちらの方がこの世界の標準(スタンダード)なんだろう。

 なる程。昨日、チンピラ男がビブラ伯爵を見た途端、ガクガクと震え出したのも当然だ。

 彼は自分達の――自分の雇い主のやっている事が、ビブラ伯爵領に対する裏切り行為だと分かっていたのだ。

 そして権力者の怒り次第では、自分達の命が危うくなる事も知っていた。

 だったら欲を出さなきゃ良かったのだが、もう何年もバレずにやって来た事だし、ビブラ伯爵の弟が知り合いにいるという事で、ついつい気が緩んでしまったのだろう。

 あの場にビブラ伯爵が現れたのが、彼にとって最大の不運だったという訳だ。


『その娼館のオーナーは、そんな商売をすればビブラ伯爵の怒りを買うと想像出来なかったのかしら?』

『ビブラ酒は、この土地の特産品です。その決め手となる酒を他の土地に売りつけるような事をすれば、伯爵様のお怒りを買う事くらいは分かっていたでしょうな』

『だったらどうして? その人の商売は娼館だったんでしょう? お酒の売り買いは全然畑違いじゃないですの』

『商人の業というものでしょうな。あ、いえ、私を含め、そうでない者も大勢いますが、商人の中には人が手を出さない場所、儲けの眠る危険な場所に踏み込み、一獲千金を目論む者がいるのも事実なのです』


 ティトゥは何も言えなかった。

 儲け話に目がくらみ、地元の人達を裏切るような事をした娼館のオーナーの気持ちも、領地の重要な産業を守るためとはいえ、明確な犯罪行為をした訳でもない商人を殺すビブラ伯爵の行いも、彼女には理解は出来ても納得は出来なかったのだろう。

 今回の事件の首謀者達がこの後どうなったのか、その結果を僕達は知らない。

 判決が出る前に、ビブラ伯爵領に来る理由がなくなってしまうからである。

 だけど、この土地に生まれ育ったエルカーノさんがこう言っている以上、おそらく、彼の予想通りになったのだろう。

 ティトゥの感覚はこの世界の領主としてはふさわしくはないのかもしれない。けど、彼女にはずっとこのまま変わらずにいて欲しい。そう思ってしまったのは、きっと僕のわがままなのだろう。




 といった訳で更に翌日。

 僕達はナカジマ家の料理長ベアータを乗せて、エルカーノさんの屋敷へ向かっていた。

 昨日ベアータに、「このままイベントは終了するかもしれない」と告げた所、「だったらその前にやっておきたい事があるんですが」と、彼女からお願いされてしまったのである。


『すみません、ご当主様、ハヤテ様、アタシのわがままに付き合わせてしまって』

『別に構いませんわ。その方達も良く手伝ってくれたんでしょう?』

『はい! それはもう!』


 ベアータのお願い。それはこの一週間、彼女のナカジマ銘菓作りを手伝ってくれた屋敷の料理人二人に、ちゃんとしたナカジマ銘菓の作り方を伝授したいというものだった。


『それよりもベアータはいいんですの? 大事なレシピを教えてしまって』

『手伝って貰っている時点で、大体覚えてしまっているでしょうから。だったら、中途半端に覚えられるより、ちゃんとした作り方を覚えて貰った方が、アタシの気持ち的にもスッキリしますから』


 ベアータらしいというか、なんというか。この子って結構、姉御肌というか、気風がいいよね。

 一応、外に出すなら、”ナカジマ銘菓”の名前を入れる事。そしてレシピを広めない事を条件には出すそうだ。


『いい人達だし、ハヤテ様の、ナカジマ領をお菓子の里として広めるという計画。その邪魔になるような事だけは絶対にしないと思います』

『そう言えばあなた達、以前、そんな事を言ってましたわね』


 少し呆れた様子のティトゥ。

 ていうか、ベアータは良く僕が言ったそんな言葉を覚えていたね。


『ヨロシクッテヨ』

『ええと、ハヤテ様、それは構わないという意味でしょうか?』

『多分、あまり考えずに適当に返事をしただけですわ。それより到着しましたわよ』


 僕は翼を翻すと、すっかりお馴染みとなったエルカーノさんの屋敷の庭に着陸したのだった。

 ベアータの申し出に、屋敷の二人の料理人は二つ返事で飛びついた。


『勿論、レシピは決して口外致しません!』

『ナカジマ銘菓の名を汚さないお菓子を作ると誓います!』

『よし! だったら早速、特訓開始だ! ご当主様とハヤテ様に無理を言って連れて来て貰ってるんだからね! 今日中に覚えて貰うよ!』

『『はい!』』


 といった感じで、三人は元気よく屋敷に駆け込んで行った。

 彼らもこの一週間、ずっとベアータのアシスタントとして働いていた訳だし、きっとすぐにナカジマ銘菓の作り方をマスターしてくれるんじゃないかな?

 それはさておき、僕達は暇になってしまった。

 僕の方はこのままベアータを待っていてもいいけど、ティトゥを寒い中、庭で待たせておく訳にはいかない。

 さて、どうしたものかな、と悩んでいると、レンドンの商人、マゼランがやって来た。


『お待たせして申し訳ありません。町の方へ行っておりましたので』

『構いませんわ。町はどんな様子でしたの?』


 あの日は突然、騎士団による大捕り物が始まった事で、町の人達は訳も分からず随分と怯えていたようだ。

 町のあちこちで、何人もの人間が騎士団に連れて行かれていたそうだからね。当然だ。

 まさか次は自分の番ではないか? 人々は戦々恐々としながら、不安な夜を過ごしたという。

 いくらか事情が判明したのは、騒動から一夜明け、更に丸一日過ぎた今朝になっての事。

 エルカーノさんは昨日の時点で随分と詳しい部分まで知っていたが、あれは事件のきっかけがこの屋敷で発生していたからに違いない。


『大分落ち着いた様子でした。中には気の早い者もいて、お酒とナカジマ銘菓の交換はいつ再開するのか、と、私に聞いて来ましたよ』


 どうやらマゼランは、ナカジマ銘菓のファンから、イベント再開の予定を質問されたようだ。

 う~ん、その人には悪いけど、最初の目的も果たしてしまった以上、これ以上は続ける理由もないかなあ。

 ちなみにイベント中に集まったお酒は、毎日、ラダ叔母さんが吟味して、気に入った物はその場で彼女にあげている。

 残りは全て樽増槽に詰め込んでいるので、ティトゥの帰国後は屋敷のみんなのお土産にする予定だ。


『昨日、持って帰られたナンウィルの一等樽はどうでしたか?』

『ラディスラヴァが早速開けて飲まれていましたわ。非常に良い風味だとおっしゃっていましたわ』

『そうですか』


 マゼランは嬉しそうに頷いているけど、僕はティトゥから本当の話を聞いている。

 ラダ叔母さんは、最初は『おおっ! これが噂の酒か!』と、大喜びだったそうだ。

 しかし、酒壺を開けて一口飲んだ所で、途端にテンションがダダ下がり。『うへっ、これは直接飲むようなシロモノじゃないな。風味がキツすぎて酒と言うより薬を飲んでいるような気分だ。こういう味を好む酒飲みがいるのは分かるが、私はちょっと』と、その場でティトゥに突き返したという。

 という訳で、僕達が叔母さんのために苦労して手に入れたナンウィルの一等樽は、今も僕の樽増槽の中に眠っている。

 風味には独特の良さがあるそうなので、ベアータが料理に使う予定となっている。

 僕達のこの数日間の頑張りは、一体何だったんだろうか?


『ナカジマ様、屋敷の部屋に温かい飲み物を用意させてあります。どうぞそちらでおくつろぎ下さい』

『分かりましたわ』


 ティトゥがマゼランに案内されて、暖かな屋敷の中に向かおうとしたその時だった。

 ビブラ伯爵の所の騎士団員がこちらに向かって走って来た。


『ナカジマ様、お待ちを! 伯爵がナカジマ様に大事なお話があるそうです! 我々と一緒に伯爵の屋敷までお越しください!』

『ビブラ伯爵様が?』


 ティトゥは戸惑いの表情を浮かべて僕に振り返ったのだった。

次回「三伯同盟」

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― 新着の感想 ―
[良い点] そういや関係者は処分されたようですが弟くんはどうなったんでしょうね…?どこかの騎士団に放り込んで鍛えなおしとか…?
[良い点] ハヤテってばこの世界では破格の攻撃力があるのに、それを殆ど使うこと無く(フェブルを襲った盗賊を倒すのに使った程度)、知恵と言うか思いつきでたまたま事件の核心に迫ってしまい、すべて解決してし…
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