その39 一等樽
僕の提案で開催された、地元のお酒とナカジマ銘菓の交換イベント。
開始一週間目で、僕達はようやく探していた三銘柄のお酒、その一つを手に入れる事が出来た。
そのお酒を持って来たのは、見るからにチンピラ風のガラの悪そうな男。
彼は残り二銘柄の入手先にも心当たりがあるという。
勝手に話を進めようとする酒蔵のお爺ちゃんを見て、ティトゥが慌てて止めようとしたその時だった。
この場になぜかビブラ伯爵が現れた。
そしてその途端、チンピラ男は何故か青ざめ、ガクガクと震え出したのだった。
てなわけで翌日。
僕達はいつものように酒問屋エルカーノさんの屋敷を訪れた。
屋敷には昨日まではいなかった騎士団員が二人。そしてレンドンの商人マゼランと、珍しくエルカーノさんの姿もあった。
後で聞いた話によると、騎士団員は念のために二人に付けられた見張りだったそうだ。
僕がエンジンを切ると、ティトゥはヒラリと飛び降り、エルカーノさん達の下に駆け寄った。
『昨日はあれからどうでしたの? ビブラ伯爵に何か酷い事をされたりしませんでした?』
開口一番、心配そうに尋ねるティトゥに、騎士団員達は少しだけ居心地が悪そうな顔をした。
『ハハハ、ご心配なく。普通に事情を聞かれただけですよ。そうそう、先にこちらをお返ししておきます』
そう言ってエルカーノが差し出したのは、昨日、チンピラ男が持って来た酒壺だった。
『別に構いませんのに』
『いえいえ、あちらの取り調べは全て済みましたので。それにそちらのドラゴンはこれを手に入れるために、毎日この町を訪れていたのでしょう? せっかく手に入った品なのです。是非、お持ち帰り下さい』
いや、このお酒を欲しがっていたのは、僕じゃなくてラダ叔母さんなんだけど。
どうやらエルカーノさんは、僕の作り話を完全に信じ込んでいるようだ。最初に屋敷の庭を使わせて貰う時、その辺の事はちゃんと説明したはずなんだけどなあ。
ティトゥはマゼランに振り返った。
『あなたも大丈夫でしたの? 酷い事はされませんでした?』
『私の方も特に何も。受け答えはほとんどエルカーノ様が引き受けて下さいましたので。私がされたのは簡単な確認くらいで、ほとんど頷いていただけのようなものですから』
二人の元気そうな顔にティトゥはようやく安心したようだ。
まあ昨日は突然、あんな事になっちゃったからね。彼女の気持ちも分からないではないけど。
昨日、ガクガクと震えるチンピラ男に、ビブラ伯爵は再度問いかけた。
『ナンウィルとパルコ、それにハイグースの一等樽。俺の耳にはそう聞こえたが、違ったか? そしてお前はその酒のありかを知っているとも聞こえたが?』
『ひ、ひいっ!』
男はとうとう立っていられなくなってその場にへたり込んだ。
一体、何が彼をそこまで恐れさせているのだろうか? その場の異様な雰囲気にあてられて、ティトゥの表情も強張った。
『ふむ。これでは話にならんな。おい、館の部屋を一室借りるぞ。中で話を聞かせて貰――』
その時だった。チンピラ男が突然、彼に這い寄った。
護衛の騎士団員達が素早く男に槍を突き付けたが、男は伯爵ではなく、彼の隣に立つ少年――ティトゥに無礼を働いた件で伯爵にぶん殴られていたワガママ貴族、ビブラ伯爵の弟ジェラール少年の腰に縋り付いた。
『ジェラール様! た、助けて下さい! お慈悲を! 俺は、俺はこんなつもりじゃなかったんです!』
『ええい離せ! 俺はお前なんて知らんわ!』
『そんな! 何度も俺に声を掛けて下さったじゃないですか! この前だって相手があなただから俺が自ら鎧を届けたんですよ! 前に店に新しい女が入った時だってそうです! あなた好みの女だからって客を取らせる前に俺の家で――』
『う、うるさい、うるさい! これ以上無礼な事を言うと許さんぞ!』
何やらヤバそうな話を暴露し出したチンピラ男を、ジェラール少年は黙らせようとするが、男は必死のあまりそれどころではないようだ。
ビブラ伯爵は目の前の光景に、眉間に深いしわを寄せた。
『・・・ジェラール。お前にも聞きたい事が出来たようだ。先にその男を連れて館の中に入っていろ。おい、お前はジェラールを手伝え。男が抵抗するなら手足の一本もへし折ってやれ』
サラリと物騒な事を言う伯爵に、命令を受けた騎士団員は『はっ!』と短く答えた。
え~と、本当に折るの? 確かにどう見てもチンピラだけど、別に犯罪を犯した訳じゃないよね? それとも領主の弟に縋り付いた事による不敬罪とか?
ビブラ伯爵は二人の事はその騎士団員に任せると、ティトゥの方に振り返った。
『そう言えばこちらを確認に来たんだったな。ここで何やら変わった事をしているという話だが、どういう事だ?』
『そ、それは・・・』
突然の状況に若干混乱しているのか、ティトゥは中々説明の言葉が出ないようだ。
この時、庭の騒ぎを聞きつけたのか、屋敷の主人、エルカーノさんが駆け付けた。
『伯爵様。まさかいらしておられるとは気付かずに、大変失礼いたしました』
『エルカーノか。隣にいるヤツは誰だ?』
『はっ。私はレブロンの商人、マゼランと申します。そちらのナカジマ様とハヤテ様からご相談を受け、微力ながら今回、お二人方のお手伝いをさせて頂いております』
僕の名前が出た事で、ビブラ伯爵はチラリと僕に振り返った。次いで再びティトゥに視線を戻すと、彼女はビクリと体を固くした。
伯爵は、僕達では話にならないと思ったのか、小さなため息をついた。
『そうか。ここで何をしているのか詳しい説明を頼む』
『はい。ではこちらに』
こうしてビブラ伯爵はエルカーノさんに案内されて屋敷の中に入って行った。
緊張から解放されたティトゥは、ふう、と大きなため息をついた。
「ねえティトゥ。今のは一体何だったんだろうね?」
『さあ? 急にやって来た途端、場を仕切り始めるんですもの。全く意味が分かりませんわ』
流石にこんな状況でイベントを続ける事も出来ない。
僕達はエルカーノさんが戻って来るまで、手持ち無沙汰のままで待つ事になった。そのうちに、ナカジマ家の料理長のベアータが屋敷の中から現れた。
『何かあったんですか? 屋敷の中が妙にざわついているんですが』
『私も教えて欲しいくらいですわ』
その直後だった、急に屋敷の中が騒がしくなった。
すわっ、何事?! と、緊張する中、僕達を手伝ってくれていた顔見知りの使用人が、慌てた様子でこちらに駆け寄って来た。
『屋敷で何かあったんですの?!』
『申し訳ありません、詳しい話はここでは・・・。伯爵様は先程、急いでどこかに向かわれました。例の男も一緒です。屋敷の者うち数名は伯爵様に命じられ、騎士団の詰め所に増援を呼びに向かいました。私はエルカーノに命じられ、ナカジマ様に今日の所はお帰りになられるよう、申し上げに参りました。説明は後日致しますので、また明日以降においで下さいとの事です』
事情は分からないが、屋敷の主人のエルカーノさんがわざわざそう伝えて来たのなら、そうした方がいい理由が何かあるのだろう。
僕達はモヤモヤとした気持ちの中、ベアータを乗せてその日は屋敷を後にしたのであった。
そして今日。ティトゥは早速エルカーノさんに昨日の事を尋ねた。
『それで、結局何がどうなったんですの?』
『それでしたら、話は屋敷の中で――あ、いえ、ここでした方がよろしいですかな』
エルカーノさんは、ティトゥに気を使って暖かい屋敷の中に案内しようとしたようだが、彼女が僕の方を気にした様子を見て、この場で説明する事にしたようだ。
『お願いしますわ。ハヤテもずっと気にしてましたもの』
『そうですな。私はどうもドラゴンが人間の言葉が分かるというのを忘れてしまいがちで。実はあの後、ちょっとした捕り物がありまして――』
エルカーノさんの説明をザックリまとめるとこうである。
例のチンピラ男。彼はこの町の大きな娼館のオーナーの用心棒だったらしい。
なんでそんな人間が例のお酒を持っていたのかというと、買い占め犯が彼の雇い主、娼館のオーナーだったからだ。
男はオーナーに命じられて酒の保管所の警備をやっていたそうだ。
そんな中、彼は僕達の噂を聞き付けた。
どうせ酒はたっぷりあるんだ。だったら少しくらいくすねてドラゴンに売りつけても、どうせバレやしないだろう。男はそう考えたようだ。
彼は夜のうちにコッソリ、保管所からお酒をくすねておくと、翌日、僕達の所に持ち込んだ。
そこをビブラ伯爵に見付かり、洗いざらい白状させられた、という事であった。
『白状って。その娼館のオーナーがどこかからお酒を盗んだとかいう訳じゃないんでしょう? 確かに買い占めはみんなの迷惑だけど、こんな風に騒ぎになる理由が分かりませんわ』
『買い占められた酒の銘柄と、その売り先が問題だったのです』
お酒の銘柄? 確かナンチャラとナニカ、それにホニャララの一等樽だっけ?
『一等樽の部分しか合ってませんわよ? ムニエルとパスタ、それにハンバーグですわ』
『ナンウィルとパルコとハイグースです。一等樽というのは、まあ言ってしまえば、そこの酒蔵で作られる一番上等の酒と思って貰えればよろしいかと』
ティトゥも全然違ってるじゃん。まあそれはいいや。
ちなみに一等樽というのは、その酒蔵のオーナーの一家に代々伝えられている秘蔵の配合と作り方で作られる特別なお酒の事を言うんだそうだ。
今回、僕達を手伝ってくれた酒飲みの――じゃなかった、酒造りのベテランのお爺ちゃん達ですら、一等樽には近寄る事すら許されていないそうだ。
正に秘伝のレシピ。それだけ徹底して管理されているという訳だ。
『これら三つの銘柄の一等樽は、ビブラ酒を作る際の味の決め手となる事で良く知られています。これらの酒が少量混ぜられる事で、ビブラ酒特有のまろやかで奥深い風味が生まれるのです』
隠し味的な何かという事かな? 主役じゃないけど、メインを引き立てる、なくてはならない存在的な。あるいはクセになる味のクセになる部分とでも言うべきか。
『そして酒の取引き先はウェンツの町の商人でした。ナカジマ様は聖国の酒にはあまりお詳しくないと聞いておりますのでご説明致しますと、ウェンツというのはこのビブラ伯爵領と同じく、酒造りが盛んな町でございます』
『お酒造りが盛んな町なのに、わざわざ他の土地からお酒を買うんですの?』
ティトゥは、意味が分からない、といった感じで小首を傾げた。
ちょっと待った。これってまさか・・・
「ねえ、ティトゥ。ひょっとしてそのウェンツって町のお酒もアッサンブラージュ――ブレンド酒なんじゃない? そしてまさか、最近「美味しくなった」って評判を伸ばしているんじゃ・・・」
『ハヤテ、何か気付いたんですの? ・・・あっ! そうか! ウェンツはビブラ酒の味の決め手となるお酒を買い占める事で、ライバルの評判を落とし、お客を奪おうとしていたんですわね!』
惜しい。おそらくウェンツの商人の考えているのは、もっと狡猾で悪どい方法だ。
「ねえ、ティトゥ。もし、ウェンツのお酒がブレンド酒なら。そして味の面でビブラ酒に負けているなら。そしてビブラ酒の味の決め手となる銘柄が買い占められるとしたら。相手の評判を落とすだけじゃなくて、自分の所のお酒の味も上げられる、一石二鳥の方法があると思わない?」
『自分の所の? ――ああっ!』
ティトゥはここでハタと手を打った。
『ビブラ酒と同じ味のブレンド酒を作ればいいんですわ!』
正解。ビブラ酒もウェンツ酒も同じブレンド酒。
以前にアッサンブラージュの説明をした時にも言ったが、アッサンブラージュの欠点は、ブレンド酒であるという点。
複数の味の酒を組み合わせて作るだけに、他の土地でも似たような味のワインが作られてしまう可能性があるのだ。
ウェンツ酒にはないビブラ酒だけの長所。それは味の決め手となる三つの銘柄。その中でも一等樽だけが持つという深みのあるフレーバーにある。
しかしもし、その一等樽さえ手に入るならば、ウェンツ酒もビブラ酒に匹敵する銘柄を作り出す事が可能になるのではないだろうか?
レンドンの商人、マゼランが重々しく頷いた。
『この数年、ウェンツ酒の中で急に評判を伸ばして来た銘柄があります。確かにビブラ酒に良く似た高級感のある風味だとは思っていましたが・・・。おそらくここから流れた三銘柄、その一等樽の物が使われていたのでしょう』
チンピラ男の雇い主。彼は、酒造りのライバルの土地の商人に、ビブラ酒の売りとなる大事な一等樽を売り付けていたのか。
次回「ビブラ伯爵の怒り」