その38 チンピラのような男
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ビブラ伯爵家当主クレトスが妻と弟と共に、グレイザーの町に戻って来たのは、両親と祖父の住む隣町の屋敷に出向いてからおよそ一週間後の事だった。
ハヤテとティトゥの行動を追いかけていると忘れてしまいそうになるが、この世界の人間は基本的には徒歩か馬車での移動となる。隣の町や村に行くのに半日がかりの日程となるのも、決して珍しくはないのだ。
特に坂の多いこのビブラ伯爵領では、頻繁に馬を休ませる必要がある。そのため、早朝に隣町を出発した彼らの馬車が屋敷に到着したのは、昼も大分過ぎてからの事であった。
ビブラ伯爵は妻に旅の後片付けを任せると、自分は屋敷の家令から留守の間の報告を聞くために執務室へと向かった。
「随分と遅かったですな。四日で戻って来るご予定だったのでは?」
「スマン。あちらで祖母が熱を出してな。かかりつけの医者が言うにはただのカゼだそうだが、あの人ももう歳だ。病で気が弱くなっているのを見ると、中々帰るとは言い出せなくてな」
ビブラ伯爵は小さくかぶりを振った。
「それよりも、留守中に何か問題はあったか? まあ、あれば俺の所に連絡をよこしていたと思うが」
「はい。特には何も。懸念されていた冬の流行り病の広まりもありませんし、騎士団の方からも特に何も聞いてはおりません。報告すべき事と言えば、出発前にレンドン伯爵宛てに送っていた使者が、今朝がた戻って来た事くらいでしょうか」
「パトリチェフとハルデンの所に出した使者か? 早いな。それで何と言っていた?」
ティトゥがハヤテに乗って、この屋敷に現れたのは今から九日前の事。
ビブラ伯爵は彼女の話で、初めてレンドン伯爵ミルドラドが、息子のパトリチェフに当主の座を譲った事を知った。
ティトゥは更に、三伯のうちの二伯、レンドン伯爵家とコルベジーク伯爵家が、今後力を合わせて第一王子エルヴィンを後押しするという約束をした事を告げ、ビブラ伯爵家にもこの輪に加わるよう求めて来た。
ビブラ伯爵は返事を一旦保留にすると、レンドン伯爵家とコルベジーク伯爵家に確認のための使者を送ったのであった。
そのレンドン伯爵家に送った使者が戻って来たのが今朝の事。コルベジーク伯爵家に送った使者がまだ戻っていないのは、単純にここからの距離の差だと思われる。
「あちらからのご返事はここに。使者の者の話では、概ね竜 騎 士の言っていた通りであったとの事です」
「竜 騎 士?」
ビブラ伯爵はレンドン伯爵からの手紙に手を伸ばしたが、聞きなれない単語にふと眉をひそめた。
「ナカジマ家の当主とドラゴンの事を、町ではそう呼んでいるようです」
「町で噂にでもなっているのか? まあ、ドラゴンだからな。それは噂にもなるか」
ビブラ伯爵は自分で疑問を口に出し、自分で答えて納得した。
しかし、家令は「いえ」と否定した。
「いえ。どちらかと言うと、ドラゴンよりも、ドラゴンが伝えたという”ナカジマ銘菓”が話題になっております」
「は?」
しかし、更に予想の斜め上の情報を足されて、ビブラ伯爵の目が点になった。
「実はあれからドラゴンは毎日、酒問屋のエルカーノの館に訪れているのです。そこでドラゴンは――」
家令の説明はビブラ伯爵にとって理解し難いものだった。
いや、理解は出来るのだが、ドラゴンが酒とお菓子を交換していて、そのお菓子に町中の女性が夢中になっていると言われ、脳が受け入れを拒んだのである。
「何でそんな事になっているんだ? ナカジマ殿を呼べ――いや、いい。俺が出向いて自分の目で直接確かめる」
ビブラ伯爵はどちらかと言えば行動派。大抵の事なら何でもこなせる才気あふれる青年である。
一度こうと決めた時、彼の行動は早かった。
「弟を呼べ。まだそこら辺にいるはずだ。それと護衛の騎士、お前とお前が付いて来い。そっちのお前は御者を捜して、表に馬車を回すように命じろ」
「はっ!」
こうしてビブラ伯爵は、ハヤテ達が酒と銘菓の交換をしている酒問屋エルカーノの屋敷へと向かう事となったのであった。
その直後、伯爵は廊下で妻とバッタリ出会い、行き先を聞かれたので特に隠すことなく正直に答えた。
「ナカジマ様の所に行くんですか?! だったら是非、ナカジマ様の所の銘菓とやらを頂いて来て下さい! 使用人達が言うには、今まで誰も食べた事のない幸せの味なんだそうですよ!」
どうやら彼女は屋敷で留守番をしていたメイド達から、早速、ナカジマ銘菓について聞かされていたようだ。
日頃大人しい彼女にしては珍しく、興奮に頬を染めながらグイグイと夫に詰め寄った。
「そ、そうか。分かった。頼んでみる」
伯爵は少し腰が引けながら、妻にお土産を約束させられたのであった。
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僕達がグレイザーの町で地酒と銘菓の交換イベントを始めて、今日で丁度一週間。
昨日からはナカジマ銘菓・スイートポテトも加わり、更に町のみんなの心を掴んだ事だろう。
ちなみにお酒の匂いが嫌いな(あるいは発酵食品の匂いが嫌いな?)ファル子達は、初日以来、一度も僕達に同行していない。
毎日、ラダ叔母さんの屋敷で、叔母さんの子供達に遊んでもらっているようだ。
父親離れされたみたいで、少しだけ寂しいと思ってしまったのはナイショだ。
そんなこんなで、今日も午前中から交換を始めて数時間。
今日の分はそろそろ終わりかな、と、ティトゥ達と話していた頃にその男はやって来た。
着崩した派手な服。品のない無精ひげ。何と言うか、見るからにチンピラといった感じの男だった。
チンピラ(仮)は、最初に僕を見てギョッと驚いた様子だったが、直ぐにティトゥを見てやに下がった顔になった。
・・・ぶっちゃけ、こんな男にこんな目でティトゥを見られると、それだけで彼女が汚れる気がするので、出来るだけ早くお引き取り願いたいのだが。
ティトゥもチンピラ(仮)の場違いさに疑問を覚えたのだろう。彼に尋ねた。
『あなた、ここが何をしている所なのか、分かって来たんですの?』
『もちろんでさ。ここは旨い酒を旨い銘菓と交換して頂ける場ですよね。ちゃんと知ってて来てまさぁ』
ふむ。こんな見た目でも、一応、イベントの参加者という事か。
じゃあチンピラ(仮)改め、男で。男が取り出した酒を、酒蔵のお爺ちゃんが受け取った。
そう言えばお爺ちゃん達って、この一週間、一口ずつとはいえ、毎日何杯もお酒を飲んでるんだけど、体の方は大丈夫なんだろうか?
確か利き酒って、口に含むだけで飲んだりはしないよね? このお爺ちゃん達って普通に飲んでいるんだけど。
そりゃあまあ、吐き出すのも勿体ないとは思うけど、それにしたって、ねえ?
本人達が平気そうだから、問題はない、のかな?
お爺ちゃんはいつものように、白い小皿に一口分だけお酒を注いだ。
もう何度となく見慣れたその光景に、しかし今回だけはいつもと違いがあった。
『むっ。この酒は――』
お爺ちゃんは表情を硬くすると、妙に慎重に匂いを嗅いだ。
そしてすぐに別のお爺ちゃんを手招きした。
『おい、これってお前の所の――』
『ああ、見ていた。そいつをよこせ。――うむ、やはり今年ウチで作られた酒。一等樽で仕込んだ酒に間違いあるまい』
呼ばれたお爺ちゃんは小皿のお酒を口に含むと、しばらく口の中で転がした後でやっぱり飲み込んだ。
この人達って・・・まあ今はいいか。
二人のお爺ちゃんはこちらに振り返ると、コクリと頷いた。
これってまさか――
『見つかったんですの?』
ティトゥもハッと目を見開いた。
そう。どうやら僕達は探していたお酒をとうとう見つけたようである。
僕達が探していた、謎の誰かに買い占められているという地元のお酒。
そのお酒を持って来てくれたのは、なんと見た目もチンピラなら行動もチンピラそのものという、チンピラ以外の何者でもない男であった。
この男が買い占め商人なのか? 人は見かけによらないとか? いや、マジで?
ティトゥも興味が湧いたのだろう。思わず男に尋ねた。
『あなた、このお酒をどこで手に入れたんですの?』
ティトゥの前のめりの様子に男は一瞬、鼻白んだ様子だったが、直ぐに「しめた!」とばかりにニヤリと笑った。
『それなんですがね。たまたま知り合いの伝手で手に入れたものでして。何でもビブラ酒の味の決め手になっている銘酒だとか』
『そのようですわね。それでその知り合いというのはどなたですの? 名前を教えて貰えません?』
『ほうほう、この酒の価値をご存じでしたか。名前を教えろと言われてもそれはちょっと。俺の信用もありますから。しかし、もっと欲しいとおっしゃるのなら、手に入れて来る事も出来ますが』
『そうなんですの? それなら――』
「ティトゥ、ちょっと待って!」
『なっ?! 今の声はなんだ?! まさかこのドラゴンが喋ったのか?!』
男が僕の声に驚いて何やら騒いでいるけど、それは別にいいや。
今はティトゥの方が先だ。
「そいつの前であまり物欲しそうな態度は見せない方がいいと思うよ。そいつ、ティトゥの様子を見て、明らかに何かを企んでた様子だったから」
僕は今回の件はただの商人による買い占め、転売ヤーによる仕業だと思っていた。
しかし、こんなチンピラモドキにそんな大それた事が出来るだろうか?
最悪、何かの犯罪が絡んでいるかもしれない。
『ボソッ(犯罪? それって一体どういう犯罪なんですの?)』
「いや、流石にそこまでは分からないけど・・・。どの道、あまり深入りはしない方がいいと思う。一応、探していたお酒はこうして手に入ったんだから、今回はこれで良しとしておいた方がいいんじゃないかな」
『ボソッ(それは・・・けど、ハヤテがそう言うなら、仕方がありませんわね)』
僕とティトゥがコッソリ相談をしている間に、酒蔵のお爺ちゃんが男と話を続けていた。
『のう、お前さん。ウチの一等樽の酒を持っているという事は、よもやパルコとハイグースの一等樽も持っていやしないか?』
それらの名前は全く記憶にないが、ここでお爺ちゃんが名前を出している以上、この三つの銘柄が、ビブラ酒の味の決め手となっているという例のお酒の事なんだろう。
そして一等樽というのは、響きから考えて、そこの酒蔵で一番高価なお酒に違いない。
要はアレだ。洋酒のラベルに書かれているVSOPとかXOとかそういうアレ。
『さて、どうだったかな。俺はあんたらと違って酒なんて飲めればいいって人間だからよ。しかし、ここでその名前が出たって事は、そこのドラゴンはまだその銘柄の酒は手に入れていないって事でいいんだよな?』
お爺ちゃん達は困り顔を見合わせた。
隠し事の出来ない人達だ。これじゃ僕でも手に入れていない事が丸わかりだ。
男はその様子を見てしたり顔の笑みを深めた。
『だったら俺がその酒を探してきてやってもいいぜ? なあに、俺はこう見えても案外顔が広いんだ。勿論、貴重な酒を探して来るんだ。その分、報酬は頂きたいがな。なあに、金をよこせなんて野暮な事は言わない。ここであんた達が酒の代わりに町の人間に渡しているナカジマ銘菓。その半分で手を打とうじゃないか。どうだ?』
ナカジマ銘菓? コイツ、まさかお酒の代わりに今度はナカジマ銘菓を買い占めるつもりなんだろうか?
とは言っても、お菓子はお酒のように日持ちはしないし、ベアータがいくらでも作ってくれるから、買い占めなんて不可能だと思うけど。
『ナカジマ銘菓? 菓子などでいいのか?』
『ああ、構わない。元々、そいつと交換して貰うために、この酒を持ち込んだんだからな。ただし、酒の出所は詮索しない。俺の事も誰にも喋らないというのが条件だ』
『何と! そんな条件で、ナンウィルとパルコ、ハイグースの一等樽の酒が手に入るなら、むしろ申し分ないわい!』
いやいや、何が申し分ないわい、だよ。そっちで勝手に話を進められても困るんだけど。正直、ナンウィルだっけ? このお酒が手に入っただけで三分の一の目的は果たしている訳だし、これ以上は別になくてもいいんだけど。
ティトゥが慌てて彼らに言った。
『ちょっと待って頂戴。勝手に――』
『ナンウィルとパルコ、それにハイグースの一等樽の酒だと? どういう事だ? その話、詳しく聞かせて貰おうか』
男の声に振り返ると、そこに立っていたのは護衛の騎士を引き連れた貴族の青年――ビブラ伯爵だった。
チンピラ男は、伯爵の姿を見ると途端に顔を青ざめ、ガクガクと震え出した。
え? どういう事? もう一体、何がどうなっているのやら。
次回「一等樽」