その37 きのこたけのこ論争
◇◇◇◇◇◇◇◇
僕達がグレイザーの町で始めた、地酒と銘菓の交換イベントも今日で五日目。いや、六日目だっけ?
で、今はその休憩時間。
ティトゥ達は火鉢の周りを取り囲みながら、温かい飲み物で体を温めながらお茶請けのお菓子を摘まんでいる。
先程からみんなが口にしているのは、今日から新たにラインナップに加わったナカジマ銘菓・スイートポテトだ。
『ほうほう、コレは旨いの! ジョーガンの所の酒に良く合いそうじゃわい!』
『そうだな。息子の嫁はナカジマひよこに夢中だが、コイツもなかなか。なあ、息子夫婦の土産にいくつか貰う事は出来んかな?』
『残っていたら後で皆さんに差し上げますわ』
ティトゥの返事に酒蔵の職人達は天を仰いだ。
『それはムリじゃ! 今朝からみんなコッチを選んどるじゃないか!』
『いや待て、まだ可能性はあるぞ。これから来るヤツらは、ナカジマひよこの方を選ぶかもしれん』
『というか、俺はナカジマひよこの方が好きかな。ウチの孫も見た目が可愛らしくて好きと言っとったし』
職人のお爺ちゃん達は、いやいや、スイートポテトの方が、いやいや、ナカジマひよこの方がと、どちらが好みかの言い争いを始めた。
「まるで、きのこたけのこ論争だね」
『キノコとタケノコですの? キノコはあのキノコですわよね? タケノコって何ですの?』
おっと、僕の独り言にティトゥが反応してしまったか。
それはそうと、タケノコを知らないの? 確かにこっちの世界に転生してからこちら、竹が生えているのを見た事がないかもしれない。
竹はアジアのような温暖湿潤地方に生える植物なので、こっちの大陸で繁殖するのは難しいのかもね。
「ええと、僕らの所にはタケノコって植物の形を真似たお菓子と、キノコの形をしたお菓子があってね。良く似たお菓子なんだけど、それのどっちが美味しいか、良くファンの間で論争になっていたんだよ。丁度、そこで職人のお爺ちゃん達が、どっちのナカジマ銘菓が美味しいかで議論しているみたいな感じかな」
まあ、実際の所は論争というよりも、ネタとしてみんなで盛り上がっていた感じだった気がするけど。
『ふぅん。論争になる程美味しいお菓子なんですのね。一度食べてみたいですわ』
「きのこの山とたけのこの里を? う~ん、ベアータなら作れるかもしれないけど、チョコレートがない事にはなあ・・・」
確かチェルヌィフ王城の聖域で、叡智の苔ことバラクに尋ねた事があったんだっけ。(※第十二章 ティトゥの怪物退治編 その23 突然の別れ より)
・・・そう言えばティトゥが、僕の言葉を理解していると知ったのはあの時だったっけ。ああ、うん。思い出したくない記憶だったよ。
ティトゥは、急にテンションがだだ下がりになった僕を、不思議そうに見上げた。
『? どうかしたんですの? ハヤテ』
『ナカジマ様』
屋敷の中から若い男の商人が――レンドンの商人、フェブルさんの息子のマゼランが――現れると、ティトゥに声を掛けた。
『そろそろ休憩はよろしいでしょうか? 次の客を入れようと思うのですが』
『ええ。皆さんもよろしいかしら』
『うむ。我々の事ならお気遣いなく』
『酒蔵で働いている時とは違って、こうして火鉢のそばにいられるだけ楽ですからな』
『そうそう。ナカジマ銘菓・スイートポテトも頂ける事ですし』
『だからナカジマひよこの方が』
『いや、ナカジマ銘菓・スイートポテトが』
『はいはい。そのくらいにして頂戴。どちらも美味しい、でいいじゃありませんの。という訳でこちらは準備おっけーですわ』
マゼランはオッケーという聞きなれない単語に、少しだけ戸惑った様子だったが、大丈夫という意味に捉えたらしく、『分かりました』と屋敷に引っ込んだ。
『それでハヤテ』
「きのこの山とたけのこの里の事だったら、チョコレートが見つからない限りムリだよ」
『その話じゃありませんわ。いつまでこの作戦を続けるつもりなんですの? もう町中のお酒が集まったんじゃありません?』
ティトゥの言う町中のお酒とは、お酒全部の事ではなく、お酒の銘柄――種類の事だろう。
残念ながら今の所、目的のお酒を持って来てくれた人はいない。
だけど――
「自信はないけど、結構いい所まで来ているんじゃないかな? むしろこれからが本番かも」
『どういう事ですの?』
大抵の銘柄のお酒が集まった、という事は、これから持ち込まれるお酒は、ほとんどが今までの物と被っているという事だ。
僕達は新しい銘柄のお酒や、珍しいお酒を持って来てくれた人には、ナカジマ銘菓も多目に交換していた。
つまり、これからはほとんどの人が以前よりも少ないお菓子しか貰えないという事になる。
「そこに輪をかけて、今回の新しい銘菓だろ? ナカジマひよこでナカジマ銘菓のファンになった人達としては、更に欲しいお菓子が倍になった訳だよね」
『なのにお菓子は今までよりも貰えない。さぞや悩ましいでしょうね。だったら今までに持ち込まれていなさそうなお酒を手に入れなければならない訳で・・・って、あっ! そういうことですのね!』
そう。今まで持ち込まれていないお酒。
それこそが僕達が探している銘柄なのだ。
「町中の人達が僕達の代わりに探してくれるって訳だね。だから新しく交換できる銘菓が増えたのは、丁度いいタイミングだったんじゃないかな? まあ、ベアータはそんな事を考えて、新しい銘菓を作った訳じゃないと思うけど」
『スゴイ! スゴイですわ! これなら絶対に見付かりますわ!』
ティトゥは既に成功したかのような喜びようだ。
彼女にこんなに喜んで貰えると、僕も何だか嬉しくなってしまう。
とはいえ、あくまでも「こうなるのではないか?」という予想であって、必ず上手く行くという保証なんてどこにもないので、僕にかかるプレッシャーが増えたのも事実なのだが。
まあ、今この瞬間だけは、この笑顔を見て癒されよう。
心配したって、どの道なるようにしかならないのだ。
仮に上手くいかなかった所で、別に誰かが酷い目に遭うという訳でもないんだし。
『ナカジマ様。次の客が来ました』
『! 分かりましたわ!』
屋敷の使用人の声にティトゥはハッと居住まいを正した。
しかし、機嫌の良さは隠しようもなかったらしく、この日のティトゥは終始笑みが途切れる事がなかった。
お客さん達は飛び切りの美人の笑顔が見られてさぞや眼福だった事だろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇
グレイザーの町の歓楽街。この町で一番大きな娼館の一室で、男は情事の後の余韻に耽っていた。
ひと目で真っ当な職業に就いていない事が分かる、どこか崩れた印象のある男だ。
それもそのはず。彼はこの娼館のオーナーの用心棒のような仕事をしている男だった。
男は半裸の娼婦から酒の入ったカップを受け取ると、一口含んで顔をしかめた。
「なんだ、冷えたままじゃねえか。客には温めた酒を出すもんだろうが。商売女なら手ェ抜いてんじゃねえよ」
「誰が客よ。そういう事はちゃんとお代を払ってから言って頂戴」
男は大のギャンブル狂いで、今日はサイコロ賭博で大負けしていた。
そのまま帰るのもゲンが悪いと、憂さ晴らしと厄落としを兼ねて、ここに女を抱きに来たのである。
勿論、懐に金はない。しかし、彼はオーナーの用心棒として店では顔が利く。
男は馴染みの娼婦に無理を言って頼み込み、先程一戦済ませた所であった。
「おっ? なんだそれは。おい、俺にもそいつをよこせよ」
「お生憎様。これは私がお得意にしているお客から貰った物なの。タダで女を抱きに来るような与太者にはあげられないね」
「いいからよこせって」
男は女が食べかけていた菓子を奪うと、口に放り込んだ。
「おい、何だこりゃ。旨っ! もっとないのか? くれ」
「それで最後よ」
「じゃあ買って来いよ。金ならまた今度払うからよ」
「ダメダメ。お金があれば手に入るって物じゃないの」
「なに? どういう事だ?」
ここで男は初めてこのお菓子がナカジマ銘菓、ナカジマひよこである事。そしてこの町にやって来たドラゴンが土地の地酒と交換にこのお菓子を渡しているという事を知った。
「へえ、この菓子をドラゴンがねえ。ナカジマ銘菓ってのはそんなに手に入り辛い物なのか?」
「当たり前じゃない。今じゃ町中の女達が目の色を変えてナカジマ銘菓を求めているのよ。しかも今日から新しい銘菓が加わったって話も聞いたわ。はあ、私も食べてみたいもんだわね」
女の言葉に男の目が光った。
そう。男には酒の当てがあったのだ。しかも今、町には全く出回っていない、とっておきの銘酒の当てが。
「ふふふ・・・。ナカジマ銘菓か。手に入れて売ればいくらになるだろうな?」
「そりゃあ、欲しいって人間はいくらだっているからね。結構な値で売れるんじゃないの? まあ、みんな売るよりも自分で食べてしまうと思うけどさ」
男は大儲けの予感に心が湧きたってくるのを感じた。
ちなみにこの時、男は一人が一度に交換出来るサイズは四合瓶(約720ミリリットル)までというルールを知らなかった。
「ちょっと、何手を伸ばしてんのよ。さっきやったばかりじゃないの」
「いいじゃねえか。二回戦だ。ほら、こっちに来いよ」
「もう!」
男はもう一度女を抱くと、興奮を女の体にぶつけた。
こうして腰の軽くなった男は、バクチで負けた心もすっかり癒やされ、上機嫌で店を後にしたのであった。
次回「チンピラのような男」