その36 町の噂
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グレイザーの町の目抜き通りに店を構える大きな雑貨屋。
その店の奥では近所のご夫人方が集まり、ちょっとしたお茶会が行われていた。
「実は私、この数日、この時間になるのが待ち遠しくて待ち遠しくて」
「分かりますわ~。ナカジマ銘菓ですわね」
「そうなのよ。ウチなんて子供が多いじゃない? 『ダメ! 一番食べるのはママよ!』なんて子供達と取り合いになっちゃって」
「まあ、酷いママですこと。オホホホ」
「でも気持ちは分かりますわ~。だって本当に美味しいんですもの」
今、このグレイザーの町を賑わしているのは、海の向こうの半島からもたらされた新しいお菓子、ナカジマ銘菓であった。
一口サイズの可愛いらしい見た目。柔らかい食感でほのかに甘い。大事な事なのでもう一度言うが、そう、甘いのだ。
この世界の庶民の甘味の代表として、干した果実――ドライフルーツがある。(※砂糖も存在するが、非常に高価なため、余程の貴族でもないと口にする事は出来ない)
しかし、ナカジマ銘菓の甘さはそれとは明らかに違っていた。
平地の少ないこの地方では、昔から山の斜面に食べられる実のなる木が植えられている。
その収穫されたベリーの果実を発酵させたものが今日のビブラ酒なのだが、保存食としてドライフルーツも盛んに作られていた。
果実から水分を飛ばし、甘味を濃縮させたドライフルーツは確かに甘くて美味しいのだが、どうしても果物特有の酸味や、皮や果肉に含まれる雑味等は残ってしまう。
そんなドライフルーツを子供の頃から食べ続けて来た地元の人間だからこそ、ハッキリと分かるのだ。
ナカジマ銘菓の甘さは全くの別次元だと。
酸味や雑味のない、あのひたすらに甘い甘い柔らかな美味しさ。
そんな優しい甘さに、町の女性達は(それと甘党の男性達は)すっかりメロメロになっていたのだった。
「それにしても、あの甘いお菓子の作り方を教えたのが、恐ろしいドラゴンだなんて、今でも信じられないわ」
「そうそう。ナカジマひよこって見た目も小さくて可愛らしいじゃない? あれを体の大きなドラゴンが作って食べていたなんて、ちょっと想像出来ないわよね」
一週間程前、突然この町の空に現れた巨大な生物、ドラゴン。
半島の貴族の屋敷で飼われているというその生き物は、主人が聖国王城の新年式に招待された事で、主人を乗せてこの聖国へとやって来たという。
そこでこのビブラ伯爵領の酒の噂を聞きつけ、わざわざ町まで訪れたのだそうだ。
「ドラゴンってお酒が好きなのね。間近で見たウチの店員の話だと、小屋くらいもありそうな大きな体をしていたそうよ」
「それだとお酒も物凄く飲みそうね。そう。ビブラ酒は人間もドラゴンも酔わせる名酒なのよ」
とある夫人の地元愛に溢れたドヤ顔に、他の夫人達はお追従の笑い声を上げた。
実は彼女の家は大通りに面した大きな酒場である。
今日のお茶会は、明言こそされていないものの、実質的に彼女が主役というのが、この場に集まっている者達の共通認識だった。
そう。これは打算の笑い。
先程から話題になっているナカジマ銘菓。
あの幸せなお菓子を手に入れるためには、この夫人の協力が――彼女の酒場で仕入れている様々なお酒が必要とされているからである。
この町へとやって来たドラゴンは、酒問屋のエルカーノの屋敷を訪れた。らしい。
土地の酒を求めてこの町にやって来たのだ、町一番の酒問屋に目を付けたとしても何らおかしな話ではないだろう。
しかし、ここでドラゴンにとって予想外の問題が起きた。そう。酒問屋は酒蔵から出荷されたお酒を買い取り、店に卸す場所であって、年代や酒造所の異なる様々なお酒を取り揃えている場所ではなかったのである。
酒問屋は倉庫であって、酒屋ではないのだ。
困ったドラゴンだったが、エルカーノは彼に快く屋敷の庭を提供した。そして町の人間に声を掛けて、各々少しずつ様々な種類のお酒を提供してくれるよう、広く協力を呼び掛けたのであった。
――と、ここまでの話は、ご存じの通り、全てハヤテの作り話。彼の言う所のイベントに説得力を持たせるための設定である。
しかし、町の人間にとって無理のない受け入れやすい内容であったため、この話を疑う者は誰もいなかった。
そしてこの話だけであれば、「ふうん。そんな事があったのか」で終わっていただろう。
多少、話題にはなってもそれっきり。こんな風に盛り上がる事は絶対になかったに違いない。
話のキモとなるのはここから。
ドラゴンはお酒の提供者に対してお礼として、彼がナカジマ家の屋敷の料理人に伝えたお菓子、ナカジマ銘菓をプレゼントする事にしたのである。
ビブラ酒と言えば、複数の原酒を混ぜ合わせ、プロの舌で味を調えられたブレンド酒の事を言うが、ドラゴンが望んでいるのは他の土地でも飲めるビブラ酒ではなく、あくまでも地元の人間が飲んでいる酒。
よってドラゴンに渡すお酒は地酒だけとする。
そして出来れば色々な種類のお酒が飲みたいし、持ち主にもあまり負担をかけたくはない、というドラゴンの考えを尊重して、一人が一度に提供出来るサイズを四合瓶(約720ミリリットル)までとする。
勿論、それよりも少なくても別に構わないが、その場合は貰えるナカジマ銘菓も少なくなってしまう。
そう。このルールこそがポイントなのだ。
何せここは酒造の町。町のあちこちに酒蔵が建っているような土地柄である。
地酒なら何でもあり、というなら、そこらの酒屋で適当な酒を買って持ち込んでもいいのである。
しかし、ありふれた酒だと、ナカジマ銘菓もお気持ち程度にしか貰えない。
逆に珍しかったり、非常に評判の良いお酒の場合、貰えるナカジマ銘菓の数が跳ね上がる。
一度に持っていける酒壺のサイズが限られている以上、そして、順番待ちの者達が列を成している以上、出来るだけ貴重な酒を持ち込んで一度の交換で沢山の銘菓と交換して貰いたい。そう考える者が出て来るのも自然な成り行きであった。
とはいえ、そんな都合の良いお酒が転がっている家などそうそうある訳はない。
ならばどうするか?
ある所から買えばいいのである。
そう。例えば酒場なら、忙しい中、倉庫のどこかに仕舞われたまま忘れられている、珍しいお酒なんてものもあるのではないだろうか?
酒場の夫人が友人達から狙われているのは、そんな理由があっての事だったのである。
コンコンコン。
作為的に作られた一見和やかな会話を、ノックの音が遮った。
会話が止まった事で、急に静まり返った部屋の中で、この家の夫人は――雑貨店の夫人は「来たーっ!」と心の中で声を上げていた。
「コホン。どうぞ」
「失礼します」
ドアが開くと、丁度外から帰って来た所だろうか? 厚手の外套を着た男が立っていた。エルカーノの屋敷までナカジマ銘菓を交換に行っていた、この店の店員である。
店員の手には、この数日ですっかり見慣れた平たい白木の箱があった。ナカジマ銘菓が入っている例の箱である。
しかもただの箱ではない。なんと彼の手にはその箱が三つ。全部で三箱ものナカジマ銘菓が抱えられていたのであった。
「あれってナカジマ銘菓の箱よね。三つもあるのなんて初めて見たわ」
「すごーい。一体どんなお酒だったのかしら」
様子を窺っていた夫人達の間から驚きの声が上がった。
しかし当の本人――雑貨店の夫人は湧き上がる歓喜の声を抑えるのに精一杯になっていた。
(キャーッ! ウソ! ウソ! ホントに?! 三箱よ、三箱! あのお酒、三箱にもなったんだ! 夫があのお酒を手に入れるのは苦労したって言っていたけど、本当に凄いお酒だったんだわ!)
ドラゴンの所に持ち込まれたお酒は、酒の味に詳しい酒蔵のベテラン職人達によって鑑定される。
似たような酒を高価な銘柄の酒壺に移し替える程度の誤魔化しでは、彼ら職人の舌を欺く事は出来ない。
彼女が今日のお茶会を自分の店で開いたのは、夫が珍しいお酒を手に入れて来たから。――つまりはこの成果を友人達に見せびらかして自慢したかったからである。
とはいえ、まさか三箱にもなるとは。
あの甘味が三箱も。
雑貨店の夫人は正に天にも昇る気持ちだった。
(よし! よし! あのお酒はまだ樽に半分以上残っているわ! 同じお酒を持って行っても、二回目以降は交換して貰える銘菓の数が減ってしまうけど、今回、三箱にもなった銘酒だもの。きっと次も二箱くらいは――いいえ、二・五箱くらいは交換してくれるに違いないわ!)
婦人はセコく0.5箱分期待値を上げながら、想像の中で何度もガッツポーズを取っていた。
「あの、よろしいでしょうか?」
未だ興奮冷めやらぬ夫人は、店員に声を掛けられた事で、初めて自分がナカジマ銘菓の箱を凝視したまま固まっていた事に気が付いた。
夫人は慌ててその場を取り繕った。
「な、何かしら? あ、そうそう、寒い中ご苦労様でした。お昼まで休憩していいから、奥で温かい物でも飲みながら休んで頂戴」
「ありがとうございます。それよりも、このナカジマ銘菓の事なんですが・・・」
ナカジマ銘菓の?
夫人はようやく、店員がずっと不安そうな顔で自分を見ていた事に気が付いた。
「ナカジマ銘菓がどうかしたのかしら?」
まさか、途中で何者かに襲われ、奪われたとか?
そんな事はあり得ない。いや、あり得るのか? なにせこれ程美味しいお菓子だ。そんな凶行に走る者が出たとしても何ら不思議ではない。
夫人はその光景を想像しただけで、はらわたが煮えくり返る思いがした。
店員は夫人から突然、怒気がみなぎるのを感じ取ったようだ。慌ててナカジマ銘菓の箱を差し出した。
「じ、実は今日からナカジマ銘菓に新しい品が増えたそうでして!」
「――はっ?」
予想すらしなかった話の内容に、夫人の頭が一瞬真っ白になった。
「ナカジマ銘菓に新しい品を増やしたんだそうです。今までの銘菓とどちらがいいか聞かれたのですが・・・その、私には分からなかったので、仕方なく、半分づつ入れて貰いました。あの、さ、三箱も貰ったのは初めてだったので、もし間違っていたとしても、前の銘菓の分が一箱と半分もあるし、大丈夫かなと思って。・・・ええと、ダメだったでしょうか?」
「新しい、ナカジマ銘菓?」
店員がしどろもどろになりながらする報告を、夫人の脳は半分も理解していなかった。
お茶会に集まった友人達の熱い視線を受けながら、彼女はゆっくりとナカジマ銘菓の箱を開いた。
「えっ? これが新しいナカジマ銘菓?」
「はい。ナカジマ銘菓・スイートポテトと言うそうです」
箱の中には一口サイズの黄金色のお菓子が並んでいた。
どうやらこれがスイートポテトらしい。勿論、誰も見た事がないお菓子である。
「ナカジマ銘菓って、ナカジマひよこだけじゃなかったんだ」
「あ、あの、奥様! 一つでいいので私にも頂けないかしら?!」
正直、惜しい気持ちが湧き上がりはしたものの、この流れで断る事など出来はしなかった。
夫人は新しいお茶を用意すると、全員で新しいナカジマ銘菓、ナカジマ銘菓・スイートポテトを口にした。
「「「「「!!」」」」」
そして全員が絶句した。
ナカジマ銘菓・スイートポテトはナカジマひよことは違い、しっとりとした食感でいながら、口どけは軽やかだった。
そしてやはり、甘くて美味しい。
間違いない。
「間違いなくこれは、ナカジマ銘菓だわ」
誰も異論など唱えるはずもなかった。
そして次の瞬間、全員が揃って同じ事を考えていた。
ナカジマひよことナカジマ銘菓・スイートポテト。自分は明日からは一体、どちらを選べばいいのだろうか、と。
(今の時点で、ハッキリしている事はただ一つ。今まで以上にお酒の確保が重要になったという事だわ)
この日、グレイザーの町の女性達は、大いなる衝撃と共に意気込みと決意を新たにしたのであった。
次回「きのこたけのこ論争」