その35 酒好きドラゴン
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屋敷を取り囲むように並ぶ大小さまざま馬車の列。
まるでこのグレイザーの町の全ての馬車が集まっているのではないかと疑いたくなりそうなその光景。
彼らはこの町を代表する商店が遣わした従業員。あるいは商人の家族、ないしは本人である。
そしてこの光景を生み出した屋敷の門が、今、開かれた。
「皆様、お待たせしました! 今から順番に入って頂きます! ナカジマ銘菓は十分な数がございますので、騒がず、落ち着いて自分の番が来るのをお待ち下さい!」
オオオオ!
大きなどよめきが辺りを包んだ。
「やれやれ、ようやく始まったか。この寒空の下で待たされ続けて、すっかり体が冷え切ってしまったよ」
「お前はまだいい方だぞ。途中で順番待ちを交代していたじゃないか。ウチの店のご主人はケチだからな。ずっと俺一人で順番待ちだよ。しかも昨日の夜からだぞ、夜から。いくら馬車を用意してくれたからって、寒くて一睡も出来なかったぜ」
「おいおい、お前さんだけが徹夜組って訳じゃないんだぞ。しかもウチの小さな馬車を見てくれよ。これじゃ足も伸ばせやしない。寒さと窮屈さで、体がこわばってこわばって。はあ。早く銘菓を手に入れて家に帰って暖かいベッドで眠りたいものだよ」
ホッとして気が緩むと同時に、あちこちで徹夜組の不幸自慢が始まっている。
彼らは徹夜明け独特の妙なハイテンションで、いかに自分の雇い主が酷い人間か、いかに自分が大変な目にあっているかを、同業者を相手に愚痴っている。
そんな浮ついた空気の中、列の最初の商人が屋敷の中に――この町の酒問屋の元締め、エルカーノの屋敷に案内されていった。
最初に案内されたのは、町の家具屋で働いている男だった。
男は初めて入ったエルカーノの屋敷に緊張しながら、若干薄暗い廊下を進んだ。
ここまで彼を案内して来た男が足を止めると、外に向けて開かれたドアを指し示した。
「こちらから庭に出られます。皆さん、最初は驚きますが、危険はありませんのでご心配なく」
「そうですか。わ、分かりました」
男は緊張にゴクリと息を呑むと、屋敷の庭へと踏み出した。
「なっ! こ、これがドラゴン!」
そこにいたのは異様な姿をした巨大な怪物だった。
光沢を放つ緑色の表皮。大きな頭部はまるでコブのように膨らみ、どこが目でどこが口なのかも分からない。まるでこちらを威圧するかのように、大きく広げられた直線的な翼。太い前足には、爪もなければ指もない。まるで馬車の車輪のような黒い輪の形をしている。
こうして間近くで見ると、ドラゴンの異質さはとてもこの世の生き物とは思えなかった。
男は言葉を失い、呆然と立ち尽くしている。そんな彼に代わり、先程の案内人が男の店の名前を告げた。
「家具屋ですの?」
男にとって見慣れないドレス(それもそのはず、彼女が着ているのはミロスラフ王国風のドレスだった)を着た、若い美しい女性が、意外そうに眉をひそめた。
彼女の名はティトゥ・ナカジマ。
半島の小国、ミロスラフ王国の貴族であり、この若さでありながら、女性では国内唯一の貴族家当主で、しかも領地持ちの領主。更にはドラゴンとの人類史上初の契約者であり竜 騎 士という、どれだけ設定を盛れば気が済むのかと言いたくなりそうな程の、情報過多の存在であった。
「ちゃんとお酒を持って来てくれたのならいいですわ。持って来てくれているんですわよね?」
「えっ? あ、は、はい! こ、ここに!」
美女に――ティトゥに促されて、男は慌てて持っていた包みを解いた。
現れたのは四合瓶サイズ(約720ミリリットル)程度の素焼きの酒壺。
老人が前に出ると、男から酒壺を預かった。
男は老人を知っていた。有名な酒蔵で働いている男だ。
老人は小さな白い皿に少し酒を入れると、軽く皿の中で回した。
そうして酒の色と透明度、それに匂いと粘度を確認すると、何かを察した様子で「ふむ。これは多分、モルハオの所で作られた酒だな」と呟いた。
すると別の老人が、「なんだ、ウチで作られた酒か。どれ、貸してみろ」と、横から小皿を奪って酒を口に含んだ。
「おい、何をする!」
「うむ。確かにこれはウチの酒じゃな。十一年前に作られた物で、あの年は豊作でウチの酒も当たり年じゃった。コイツも飛ぶように売れていたわい。ドラゴン様、これはいい酒じゃよ」
「サヨウデゴザイマスカ」
「しゃ、喋った!」
突然、目の前の怪物が言葉を発し、男は驚いてギョッと目を見開いた。
ティトゥはドラゴンに振り返ると、二言三言会話を交わしたが、ティトゥの言葉はともかく、ドラゴンの喋る言葉は男にとって一度も聞いた事のない未知の言葉だった。
「大変良いお酒で、ハヤテも喜んでいますわ」
どうやらハヤテというのが、このドラゴンの名前らしい。
あまり耳に馴染みのない、何とも奇妙な響きの言葉だが、なにせドラゴンに付けられているような名前だ。普通の人間の名前と違っていても当たり前なのかもしれない。
ティトゥが声を掛けると、屋敷の使用人が進み出て、男に箱詰めを二つ、手渡した。
「こちらがナカジマ家の銘菓、ナカジマひよことなります。良いお酒をお持ち頂いたお礼に、多目にお渡し致します。お持ち帰りの後は、是非お早めにお召し上がり下さい」
「こ、これがナカジマ銘菓! あ、ありがとうございます!」
これが町で噂のナカジマ銘菓。
男はすぐにでもこの場で箱を開けて確認したい気持ちをグッと堪えると、慌てて頭を下げた。
ちなみに今回の酒は、男の勤める店の主人の父――ご隠居が娘と孫娘にせがまれ、自分が所蔵している酒の中でも、これは、という逸品を出した物である。
「いえいえ。まだしばらくはこの屋敷に通う予定ですので、また良いお酒が手に入ったら、ナカジマ銘菓と交換しに来て下さいまし」
「はい! 主人にはそう伝えます!」
男は足に羽根が生えたような軽やかな足取りで庭を後にしたのだった。
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何人かとのやり取りを終えると、ティトゥは何か言いたげな顔で僕の方へと振り返った。
「どうしたの? 疲れちゃった? 少し休憩にする?」
『まだいいですわ。外には大勢の人達が待っていますし。それより、どうしてもこの設定じゃなきゃダメなんですの?』
「設定? ああ、僕がこの土地のお酒を欲しがっているっていう事にしてる所?」
どうやらティトゥは僕が酒好きドラゴンという事になっている部分が引っかかっているらしい。
地元でしか手に入らない、ブレンドされる前の原酒。
中でも、ビブラ酒の味の決め手とも言われているいくつかの銘酒が、なぜか近年、手に入らなくなっているらしい。
出荷自体はされているようだが、流通の途中でどこかの誰かに買い占められているのか、消えて無くなっているそうだ。
ガッカリして気を落としたラダ叔母さんを見かねたティトゥは、僕に何とか出来ないかと相談した。
「こうして考えたのが今回の作戦、と言うかイベント? なんだけど、君も最初はいい考えだって喜んでいたじゃないか」
『それは・・・そうなんだけど』
僕の考えたお話はこうだ。
聖国王城の新年式に呼ばれたティトゥを運び、聖国にやって来た僕は、ここビブラ伯爵領がお酒の名産地であると聞いた。
どうせだったら、直接出向いて地元のお酒を色々と楽しみたい。
だけど僕はドラゴンだから、当然、この国のお金なんて持っていない。
だから僕は、自分がお菓子のメニューを教えたティトゥの屋敷の料理人に手伝ってもらって、お酒とお菓子を交換する事にしたのである。
『そこですわ。私が・・・じゃなくて、ラディスラヴァ様にお金を出して貰って、商人からお酒を買う方法じゃダメだったんですの?』
「お金で済むなら、フェブルさんや彼の息子のマゼランがとっくにどうにかしちゃってるよね? 彼らはレンドンの港町の一流商人な訳だし。けど、普通の方法じゃ手に入らないから、わざわざこんな形にしているんだよ」
なぜ、僕がナカジマ銘菓とお酒を交換する、などという面倒な方法を選んだのか?
お金でお酒を買うのはただの商売だ。それは言うまでもなくフェブルさん達、商売人の専門分野である。
素人の僕が彼らプロと同じ土俵に上がっても、失敗するだけなのは目に見えている。
だったら僕は彼らとは違う土俵、違う角度から攻略する必要がある。
そこで僕は通常のお金を介した売り買いではなく、物々交換に。つまりはお酒探しを商売ではなく、町のイベントにしたのである。
「最初に説明したよね。町の人に認知してもらうためには、最初の掴みが必要だって。僕はこんな見た目で良く目立つし、宣伝効果としては申し分ないからね。それに予想外に沢山お酒が集まったとしても、『ドラゴンだったらこれくらいは飲むのかな?』とか思ってくれそうだし」
『でも、目的のお酒は決まっているんだから、最初からそれだけを探せばいいんじゃないですの?』
「それだと町のみんながイベントに参加出来ないでしょ? 先ずは話題にならなきゃ、そのお酒を持ってる人の耳にも届かないかもしれないし。それに相手は人気のお酒を買い占めている人間なんだよ? これこれというお酒を探しています、なんてピンポイントに名指ししたら、何かあるんじゃないかと警戒して出して来ない可能性だってあるかもしれないからね」
買占め自体は褒められた行為ではないが、ただの商売方法であって別に犯罪という訳ではない。
とは言っても、そんな情報がどこからも出ていない点から考えると、買い占め商人は余程上手くやっているようである。
彼が何の目的でそんな事をやっているのかは分からないが、流石に全部自分達で飲んでしまっている、なんて事はないだろう。
だとすれば、価値が上がるまで死蔵しておいて、十分に値が上がったところで売りさばく。つまりは転売行為が目的だと思われる。
「いやあ、まさか異世界でも転売ヤーが問題になっているとはね。僕も前世では彼らに迷惑を掛けられたクチだけど、人間のやる事なんてどの世界でも変わらないものなんだねえ」
『――ハヤテ。あなた本当に自分がお酒を飲みたいから、という理由でこの作戦を立てた訳じゃないんですわよね?』
ティトゥが念を押すように僕に確認した。
僕がお酒を? 何がどうなればそういう話になる訳?
「僕はお酒を飲まないって事くらい、君も知ってるだろ? 僕がこの町の地酒を飲みたがっているというのは、イベントに説得力を持たせるためのただの作り話なんだって」
それに僕が前面に出ていれば、多少、何か問題があった時も、『ドラゴンのやった事だし』と許される空気になるんじゃないかという期待もあったりする。
この辺は、以前に行った綱引き大会こと、ドラゴン杯の経験が元になっている。
(詳しくは 第十七章 ナカジマ領収穫祭編 より)
『本当なのかしら?』
ティトゥはまだ完全には信じてくれていない様子だ。全く、どれだけ僕の事を疑っているのやら。それとも僕の酒好きドラゴンの評判がよっぽど気に入らないのかな。
「そんな事よりみんなが待ってるよ。早く次の人を呼んだ方がいいんじゃない?」
『・・・分かりましたわ。次の方をお願いしますわ』
『はい!』
ティトゥは僕に促されると渋々指示を出した。
こうしてこの日の僕達の仕事は、料理長のベアータが作るナカジマひよこが無くなるまで続いたのであった。
次回「町の噂」