その32 断固拒否
すみません。タイトルを変えました。
『これがドラゴンですか。何とも言えない不思議な姿をした生き物ですなあ』
僕を見上げて驚きの声を上げているのは、ちょび髭を生やした小太りの中年商人。
このグレイザーの町で問屋を営んでいるエルカーノさんだ。
エルカーノさんはマゼランの商会との取引相手で、例の調査にも協力してくれているとの事である。
『マゼランから話は聞かされております。――正直言って、今一つ良く分かっておりませんが、そちらのドラゴンが広い場所を探しているとの事で。私の屋敷の庭で良ければ遠慮なくお使い下さい』
一時間ほど前。
ティトゥとラダ叔母さんからのプレッシャーに耐え兼ねた僕は、無い知恵を絞って一つのアイデアを提示した。
とはいえ、所詮は僕の思い付き。上手く行くかどうかも怪しい方法だったが、案の定、ティトゥがすかさず食い付いて来た。
『素晴らしい作戦ですわ! 絶対に上手く行くに決まっていますわ!』
相変わらずだな!
一切の迷いなく、その言葉を本気で言い切れる君の信頼が僕には重いよ!
ティトゥは自信満々といった様子で、早速、ラダ叔母さんとマゼラン夫婦に僕のアイデアを説明した。
止めて! 素晴らしいとか、成功間違いなしとか、無駄にハードルを上げないで!
いやまあ、ティトゥらしといっちゃあティトゥらしいんだけどさ!
その時の僕の心境は、正に針のムシロ。一刻も早くこのいたたまれない時間が終わる事だけを願っていた。
こうなれば救いはラダ叔母さんだけしかいないのだが、彼女は『ほほう』と面白そうな顔をしただけで黙って話を聞いている。
マゼラン夫婦はどうなのかって? 神妙な面持ちで頷いていたに決まってるだろ。
例え大店の商人とはいえ、貴族家当主と当主夫人が乗り気な計画に、平民が口を挟むなんて出来るはずもないのである。
こうしてティトゥのプレゼンは終わり、僕のアイデアは満場一致で実行される事が決定したのであった。
うう・・・。胃が痛い。
おっと、辛い記憶を思い出している場合じゃなかった。
エルカーノさんの言葉にティトゥが軽く目を見張った。
『ご自分の屋敷の庭を使っていいんですの? 随分と太っ腹ですのね』
『マゼランの父、フェブルには昔から取引先としてお世話になっておりますので。そのフェブルの命の恩人の頼みとあれば、断る事など出来ません』
僕達が山賊から救ったフェブルさんは、どうやらかなりの大物だったようだ。
考えてみれば、僕達に会うためにレンドン伯爵の屋敷に訪ねて来ていたし、息子のマゼランも同じような感じでビブラ伯爵家の屋敷を訪ねていた。
そこらの中小商人なら、伯爵家を訪ねるなどもっての外。門前払いを食らうのが関の山じゃないだろうか?
情けは人の為ならず。親切というのはやっておくものだなあ。僕はしみじみそう思った。
『マゼランはここにはいないんですの?』
『はい。マゼランでしたら、そちらから頼まれた者達を集めに行っております』
なる程。準備は着々と進んでいる訳ね。
それにしても・・・。僕は周囲を見回した。
思っていたよりもずっと大きくて立派な屋敷だ。おそらくこのエルカーノさんもひとかどの人物に違いない。
後で聞いたら、この町の問屋の取りまとめをしている人物なんだそうだ。大者じゃん。
レンドンとグレイザー。二つの町の大商人達が、僕なんかの思い付きに振り回されている。
そう考えると、申し訳なさとプレッシャーで、存在しないはずの胃に穴が開きそうだった。
『ハヤテ?』
『ナンデモゴザイマセン』
『はっ?! しゃ、喋った?! ナカジマ様、今ドラゴンが喋りませんでしたか?!』
そう言えば、まだエルカーノさんの前では喋ってなかったんだっけ?
僕は彼が目を白黒させる姿に、ちょっとだけ癒されたのだった。
その時、ラダ叔母さんが建物の横の蔵を指差した。
『なあ、あの蔵には、お前の所で取引きしている商品が入っているのか?』
あっ、この顔。もしもその商品がお酒なら、飲ませて貰おうと思っているな?
『はい。主に精製済みの鉄と銅となります』
『なんだ酒じゃないのか』
ラダ叔母さんは一瞬にして興味を失うと、退屈そうに辺りを見回した。まるで子供のようなその反応にティトゥが苦笑した。
叔母さんは、ムッと眉をひそめた。
『少し体が冷えたから酒があれば温まるなと思っただけだ。本当だぞ。ナカジマ殿はあまり酒を飲まないようだから分からないだろうが』
『そうですわね』
『ムッ。だからその顔は止めろ。そうだ。ハヤテだって体が冷えた時には、一杯飲んで温まりたいと思うだろう?』
ラダ叔母さんは、僕を見上げて言った。
僕? いや、僕はほとんど気温を感じない体だから。
ここでエルカーノさんが慌てて声を掛けた。
『これは気がつきませんで。直ぐに温かい酒を用意させます』
『そうか? 良かったなハヤテ。温かい酒が貰えるぞ』
『ええっ! ラディスラヴァ様! まさかハヤテにも飲ませるおつもりですの?!』
ラダ叔母さんは、急に血相を変えたティトゥに、キョトンとした。
『そりゃあハヤテだって酒くらい飲むだろう。何、体を温める程度の量だ。言ってみれば薬のようなものさ』
『ダメ! 絶っっっ対にダメですわ! ハヤテにお酒を飲ませるなんてとんでもない事ですわ!』
いや、とんでもない事って何さ。
ティトゥはラダ叔母さんに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
ただ事ではないティトゥの様子に、叔母さんは戸惑いの表情を浮かべている。
ていうか、なぜティトゥがそこまで頑なに、僕にお酒を飲ませるのを拒絶しているのか分からないんだけど。
『とにかく、金輪際、ハヤテにお酒を飲ませようとするのは止めて頂きますわ! もし飲ませたら、ハヤテがどうなっても私は一切責任を負いませんから!』
鬼の形相のティトゥに、叔母さんは気圧されながら『お、おう』と頷いた。
いや、僕がどうなってもって、僕ってお酒を飲んだらどうなっちゃうの? ティトゥは僕の何を知っている訳?
ティトゥの剣幕にラダ叔母さんが戸惑い、僕が戦々恐々とする中、エルカーノさんが店の部下を連れてやって来た。
『お酒ですが、ドラゴン用にはいかほどの量をご用意いたしましょうか?』
ティトゥはキッ! とエルカーノさん達を睨み付けた。
『結構ですわ!』
いや、ティトゥ。本当にどういう事? 普通に怖いんだけど。ねえ。
その後僕達は、エルカーノさんに数日間、屋敷の庭を使用させて貰う約束を取り付けると、ティトゥに背中を押されるように彼の屋敷を後にした。
ラダ叔母さんはお酒が飲めなくて不満そうな表情を浮かべていたが、ティトゥの機嫌を損ねるのが怖かったのか、黙って僕の操縦席に乗り込んだ。
結局、さっきのやり取りは一体何だったんだろうか?
『それで次はどこに行くんですの?』
「ひとまずレブロンの港町に戻るよ。ラダ叔母さんを降ろさないといけないからね」
そういえば今日は、昨日に続いてまたビブラ伯爵の屋敷に行くと決まっていたので、ファル子達はレブロンに残って貰っていた。
「ファル子達が付いて来たがったらどうしよう? 今回は、二人の世話をして貰うためにカーチャを乗せる訳にもいかないんだけど」
『そうですわね・・・。だったら二人がやって来る前にさっさと飛び立ってしまいましょうか?』
う~ん。まあ、それしかないか。
見つかった時は見つかった時で、その時考えればいいか。
ちなみにファル子達はレブロン砦には現れなかった。後で聞いたら、屋敷の中でラダ叔母さんの子供達と遊んでいたそうだ。
僕達はラダ叔母さんを降ろすとテイクオフ。この国を後にしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
港町ホマレから少し離れた小高い丘。そこに建てられたティトゥの屋敷では、代官のオットーがいつものように書類と格闘していた。
「ダメだ。集中できない」
オットーはペンを置くと目頭を揉んだ。
ナカジマ家当主ティトゥが、聖国王城で開かれる新年式に参加するために、ハヤテに乗って出かけてから、そろそろ一ヶ月が経とうとしている。
そのティトゥから、「戻るのが遅れる」と記された簡素な連絡が届いたのはつい先日の事であった。
またあのお二人は・・・他国で何をやろうとしているのか。
オットーは手紙を握りしめたまま、頭を抱えたのであった。
オットーはイスから立ち上がると窓を開いた。その途端、肌を切る冬の冷気が部屋の中に流れ込んで来る。
彼の視線はすっかり雪に覆われた港町ホマレ。その先に見える水平線。そして遥か彼方にあるはずのクリオーネ島――ランピーニ聖国へと向けられた。
「モニカさんも同行しているし、お目付け役のカーチャもいる。そうそう妙な事はしでかさないとは思うが・・・何せ一緒にいるのがハヤテ様だからなあ」
オットーはため息と共に、ハヤテが聞いたら地味にショックを受けそうな言葉を呟いた。
ティトゥとハヤテ、二人の竜 騎 士は、動き始めると何処に向かうのか分からない。
そして周囲に与える影響はバカにならない。
悪い結果になった例がほとんどない点だけは評価出来るが、特に振り回される事が多いオットーにとっては、頭の痛い話である。
一年半前。オットーは、当時の主人であるシモンから、娘のティトゥを託され、悲壮な覚悟を胸に代官としてこの地に赴いた。
苦労するのは当たり前。そんな事は覚悟の上だった。覚悟の上だったのだが、その苦労はあまりにも斜め上過ぎた。
彼は分かっていなかった。
彼の主人は貴族家の当主である前に竜 騎 士なのだ。
竜 騎 士は普通じゃない。
彼は身をもってこの言葉を思い知らされることになったのであった。
「・・・心配していても仕方がないか」
その一言で割り切れるようになったのは、精神的な成長だろうか? それとも諦めの境地だろうか?
窓を閉めようとしたオットーの耳に、ヴーンという羽音に似た音が届いた。
耳慣れたこの不思議な音。何度も聞いた飛行音。
「ハヤテ様?! ご当主様が戻って来たのか?!」
慌てて窓から身を乗り出すと、使用人の多くが彼と同じようにこの音を聞きつけたのだろう。窓から顔を突き出していた。
彼らが見上げる空の上。
厚く雲が垂れ込めた冬の空に、四式戦闘機・疾風の姿があった。
ハヤテは屋敷の上空を旋回しながら、大きく翼を振るのだった。
次回「準備は整った」