その31 アッサンブラージュ
『フェブルの息子マゼランです。こちらは妻のミナス。先日は父の馬車が賊に襲われていた所を助けて頂き、誠にありがとうございました』
僕達の前に現れた若い商人。
彼らは港町レンドンの商人、フェブルさんの息子夫婦であった。
ティトゥは彼に頭を上げるように言った。
『たまたまハヤテとその場に居合わせただけですわ。それにお礼の言葉なら、先日お父様から頂きましたわ』
『ええっ?! 父にはもう会っていたのですか?! 父さん・・・だったら連絡をよこしてくれても良いのに』
マゼランの笑顔が曇った。
気持ちは分かるけど、僕達がフェブルさんに会ったのは二日前だからね。
まだ電話もメールも生まれていない世界だし、余程急がない限り、このくらい連絡が遅れるのは当たり前だと思うよ。
そう言えば、フェブルさんは次に会った時は何かお礼の品をくれるとか言ってたけど、ティトゥはその事を覚えているのだろうか?
この様子だと多分忘れてそうだな。後で確認しとこうか。
『この町には仕事で来ていると言ってましたわよね?』
『あ、はい。ここの果実酒は名酒として有名ですので、仕入れのために来ております』
『お酒? ああ、そう言えば、そんな説明も受けましたわね』
この辺の事は聖国メイドのモニカさんがちゃんと説明してくれたはずだが、ティトゥは自分がほとんどお酒を飲まないせいか、あまり記憶に残っていなかったようだ。
『だったらみんなのお土産に少し買っておこうかしら。何か有名な銘柄はありますの?』
ティトゥの言葉にマゼラン夫婦は少し戸惑った様子で顔を見合わせた。
彼らのリアクションに不思議そうな顔をするティトゥ。
ここまで黙って会話を聞いていたラダ叔母さんが、苦笑しながらティトゥに言った。
『ビブラ地方の酒は基本的には一種類、ビブラ酒しかないんだ。勿論、味の違いで値段は分けられているが、どれも全てビブラ酒であって、銘柄はこれ一つしかない』
『? 一つの酒蔵でしか作っていないという事ですの?』
『あ、いえ。酒蔵は沢山あります。酒造りはこの地方の主要産業ですので。――あの、そちらのお方はどこの貴族家のご夫人でしょうか?』
ここでラダ叔母さんが自己紹介をしてからの、マゼランが『こ、これは初めまして』とかしこまったりの一連のやり取りがあったが省略。話を再びこの地方のお酒の説明に戻そう。
ザックリ聞いた話を纏めると、このビブラ地方では農家は小麦の代わりにお酒で税金を納めても良い事になっているそうだ。
これはこの地に麦作に適した平地が少なく、斜面でも育てられる果実の木が昔から数多く植えられていた事が理由らしい。
集められたお酒は専門家の手によってブレンドされ、ビブラ酒という統一銘柄で領外に輸出。人気を博しているという。
『何でわざわざ混ぜたりするんですの?』
『品質をある程度均一にするためです。同じビブラ酒でも、作られた酒蔵によって差が出てしまいますから』
『それに同じ果実でも品種が違えば、出来上がった酒の味わいも変わるだろう? 豊作や不作の年もあれば、果実そのものの出来不出来もあるからな。職人の舌で味を調える事でそういったバラつきを抑えるのだよ』
ラダ叔母さんは割と酒好きなのか、マゼランの説明に嬉々として補足を入れてくれた。
ていうか――
「ていうか、これって要はアッサンブラージュの事だよね?」
『おっさん・・・何ですの?』
オッサンじゃなくてアッサンね。アッサンブラージュ。
アッサンブラージュはフランス語。意味は「寄せ集め」。つまりはブレンドの事だ。
『ほうほう。それはドラゴンの酒の話かな?』
ラダ叔母さんが僕の話に食い付いて来た。
マゼラン夫婦も、ドラゴンが一体何の話をするつもりなのかと、不思議そうな顔で見上げている。
「そんなに期待されても面白い話は出来ないよ? 僕は別にお酒に詳しい訳じゃないからね。せいぜい、ワインに関して聞きかじりの知識があるくらいだから」
お酒でフランス語と来れば、そう、ワインだ。
フランスの有名なワイン生産者と言えば、僕でも聞いた事があるボルドーやシャンパーニュ。
これら地域で作られるワインは、アッサンブラージュと呼ばれる、ブレンドワインなのである。
理由はさっきラダ叔母さんも言った通り。これらの地域では昔から盛んにワインが作られていたからだ。
長い歴史の中では、ブドウの木にウドンコ病が蔓延し、壊滅の危機に陥った事もあったという。
ちなみにその時は、スペインで作られているブドウの品種がこの病気に強い事が分かり、ボルドーのシャトーは急いで彼らに自分達の技術を提供した。
そして品質が向上したワインを輸入し、そのワインに自分達のブランドを付けて販売するという荒業でこの危機を乗り切ったそうだ。今なら産地偽装で炎上しそうな話である。
なお、この一件でスペインのワイン業界は急速な近代化を果たしたと言われている。
「極端に言えば、アッサンブラージュはまだ農業技術が未発達な時代に生まれた、生活の知恵的な技術だったとも言えるよね。欠点としては、あくまでもブレンド品だから、他の土地でも同じような味のワインが作られてしまう可能性がある点かな。そのためか最近のシャトーだと、より品種の味わいをダイレクトに反映させる事が出来る単一ワインの方が好まれる傾向にあるみたいだね」
『そうなんですの』
『ハヤテは何と言っているんだ?』
ラダ叔母さんの問いかけに、ティトゥは『さあ?』と可愛らしく小首を傾げた。
『こういう時のハヤテの話は聞き流すようにしてますから』
ちょっとティトゥ!
・・・ま、まあいいや。ボルドーとかスペインとか言っても、どうせティトゥにはピンと来ていないだろうし。
『でもブレンドした物なら、わざわざここで買わなくても良さそうですわね』
ティトゥはそう言うと割とあっさり諦めた。まあ元々、それ程お酒に興味はなさそうだったしね。
しかし、ここでラダ叔母さんから待ったがかかった。叔母さんはハッと何かに気付いた様子で手を打ち鳴らした。
『ハッ! 待て。確かに外で売っているビブラ酒はブレンド品ばかりだ。勿論、それはそれで美味いのだが、何と言ってもここはビブラ酒の本場。ブレンドされる前の土地の酒が手に入るという事にならないか?』
ビブラ伯爵領から出荷されるお酒は、複数のお酒がブレンドされ、味を調えられた後のブランド酒である。
しかし、出荷元の地元ではどうだろうか?
そんな手間をかけずに原酒? のまま飲んでいる者も多いのではないだろうか?
どうやら叔母さんはそれに気付いたようだ。
『ええ。おっしゃる通りです。実は私もそれを調べようと思って、レンドンからやって来た次第でして』
『やはりか! それで?! それで、手に入ったのか?!』
マゼランは『ええ。それなりには』と頷いた。
その瞬間、ラダ叔母さんは彼の襟首に掴みかかりそうな勢いで詰め寄った。
険しい表情の領主夫人を前に、マゼランはどうすればいいか分からずに目を白黒させている。
慌てて助けを求めて周囲を見回すが、屋敷の騎士団員達もこの突発的な出来事に誰も対処出来ない。
『私にも売ってくれ! なんなら商人を紹介してくれるだけでもいい! なあ、頼む!』
「ちょ、ラダ叔母さん?! 必死過ぎ! マゼランがドン引きしてるから!」
『ラディスラヴァ様、落ち着いて下さいません?! マゼランが困っていますわ!』
『ええい、離せ! 酒が逃げるではないか!』
酒が逃げるって何だよ。
ティトゥが間に入った事で、どうにか酒――じゃなかったマゼランは、叔母さんから逃れる事に成功したのだった。
興奮していたラダ叔母さんが落ち着くのを待って、マゼランは話を始めた。
『実は、その件で少々気になる事がありまして』
マゼランがわざわざ自分でビブラ伯爵領まで仕入れに来た理由。それは最近のビブラ酒の品質の低下が原因だと言う。
『品質の低下? けど、それを防ぐ為のオッサンブラジャーじゃなかったんですの?』
アッサンブラージュね。ていうか、もう原型がなくなってるんだけど。
ラダ叔母さんは難しい顔で眉をひそめた。
『そうか? 私もビブラ酒は良く飲む方だが、全く気付かなかったぞ』
『一見、気付かれないように上手く誤魔化してありますので。しかし、ウチの店の仕入れ担当が言うには、この三四年、少しずつ味が低下しているそうです』
一度の仕入れ分だけならまだしも、もう何年も続いているとなれば流石に問題だ。
今はまだその道の専門家が気付いているだけだが、このままの状況が続けば、いずれは客の中からも『おかしい』と感じる者が出て来るだろう。
そうなればあっという間だ。悪事千里を走るという言葉もある。悪い噂というのはとにかく広まり易いものなのである。
事態に危機感を覚えたマゼランは、自分の目で直接ビブラ酒の現状を確認するため、この町へとやって来たのであった。
『・・・それで何か分かったのか?』
ラダ叔母さんは声を潜めて尋ねた。
『原因だけは』
さっきも説明したが、ビブラ酒はアッサンブラージュ。ブレンド酒だ。
複数の酒蔵のお酒を混ぜ合わせて、決められた味わいを――ビブラ酒の味を作り上げている。
しかし、マゼランがこの町に来て個々の原酒を買い求めた所、いくつかの酒が明らかに不足している事が判明したという。
『どれも人気の酒でした。ビブラ酒の味を決める重要な要素となっている酒です』
『ふむ、なる程。つまりは足りないその酒の分を別の酒で誤魔化していたせいで、味が落ちているように感じたんだな?』
『ええ、おそらく』
マゼランの調べた範囲だと、別にその酒蔵の生産量が落ちている訳ではないらしい。
お酒は例年通り出荷されているようだが、市場には出回っていないのだと言う。それどころかビブラ酒をブレンドするのにすら不足しているようだ。
ならばそのお酒は一体どこに消えてしまったのだろうか?
マゼランは八方手を尽くしたが、誰に聞いても全く分からなかったそうである。
『先程も言いましたが、人気の酒なので国外に売られている、という可能性はあります。ビブラ伯爵領にも港はありますから』
『ああ、確かベルディホの港だったか。随分昔に作られたままの、狭くて古い使い勝手の悪い港だと聞いているが』
『はい。施設の老朽化もあって、ずっと改修の話は上がっているようですが、予算が出ないようです。なにぶん、ここは保守的な土地柄なので』
どうやらここでもビブラ伯爵領の保守的で偏狭な傾向が足を引っ張っているようだ。
一回大きな事故でも起こらないと、この土地の人間は改修工事の必要性に気が付かないのかもしれない。
ここでラダ叔母さんが身を乗り出した。
『それでその酒なんだが――』
『残念ながら手に入りませんでした。というよりも、ビブラ酒を作る量すら不足しているくらいですから、私ではとてもとても・・・』
『・・・だろうな。はあ・・・』
叔母さんは本気で残念そうに天を仰いだ。
落胆する叔母さんを見て、ティトゥが僕に振り返った。
『何だか気の毒で見ていられませんわ。お屋敷に泊めて頂いている恩もありますし、ハヤテ、何かいい考えはありませんの?』
僕? 急にそんな事言われても・・・
ティトゥの言葉に、ラダ叔母さんが目を輝かせて僕を見上げた。
いや、そんな風に見ても、何も出ませんから。大体、僕は戦闘機だから。僕にだって出来る事と出来ない事があるから。期待されてもムリな物はムリだから。いや、ホントにムリだから。マジ、ホント。
しかし結局、僕はティトゥとラダ叔母さんの圧力に負けて、お酒探しに協力する事になるのであった。
どうしてこうなったし。
次回「断固拒否」