その29 ゆっくりと流れる時間
『何なんですの! あのビブラ伯爵家というのは! 弟も弟なら兄も兄ですわ! あれだけ思わせぶりな態度を取っておきながら、「その上で返事を考えさせて頂く」キリッ! ですのよ?! ちょっと人をバカにし過ぎなんじゃありません?!』
ここは高度千メートルの空の上。ビブラ伯爵の屋敷からの帰り道。
先程から、ティトゥの怒りが収まる様子がない。
ちなみに今日は良く晴れているから、この高度を飛行しているが、雲が多い時は雲の上、高度二千メートル以上の中層を飛ぶ事になる。
気温は百メートル上がるごとに大体0.6度下がるので、冬場は寒くて大変だ。僕自身は気温をほとんど感じない体だけど。
『ハヤテ! 聞いているんですの?!』
「聞いている、聞いてる。聞いてるから、少しは落ち着いてくれないかな。君がさっきからずっと怒鳴ってばかりいるから、ハヤブサ達も心配しているよ」
「キュウン(ママ・・・)」
「ギャウ! ギャウ!(ママ! ママ!)」
緑色の子ドラゴン、ハヤブサが、甘えるようにティトゥに体を摺り寄せた。
それを見た姉のファル子が、弟に負けじと突撃した。
『・・・あなた達、ごめんなさいね。ちょっと不愉快な事があっただけなのよ』
ティトゥは二人の体をギュッと抱きしめた。
ハヤブサはティトゥから見えない角度で首を伸ばすと、「これで良かった?」と言いたげな目でこちらを見つめた。
グッジョブ、ハヤブサ。後でカーチャに頼んでおこしを貰ってあげよう。
それにしても、ビブラ伯爵がそういう人間だったとはね。ちょっと意外? だったかも。
僕の印象としては、やり手の実業家、というか、才走った金持ちY〇uTuberというか、いかにもこう、「バリバリ仕事が出来ますよ」といった感じに見えたんだけどなあ。
「人は見かけによらないという事かもね。それでどうする? ビブラ伯爵がハルデンやパトリチェフに――他の三伯当主に確認を取った頃を見計らって、また話し合いに行く?」
『――今はその事は考えたくありませんわ』
余程腹に据えかねているのか、ティトゥは眉間に皺を寄せるとファル子のお腹に顔をうずめた。
まあ、日数的にも余裕がある訳だし、今ここで無理に決める必要もないか。ティトゥも頭が冷えれば考えが変わるかもしれないし。
胴体内補助席の聖国メイドのモニカさんが苦笑した。
『ナカジマ様の気持ちも分からないではないですが、ビブラ伯爵の反応も理解は出来ますね』
『ええっ?!』
ティトゥは、まさか身内からビブラ伯爵擁護派が現れるとは思っていなかったらしく、驚きの表情でモニカさんに振り返った。
『相手は、「確認してから考える」と言ったんですのよ?! ハヤテみたいに空を飛んで行けるならともかく、馬で人を向かわせるだけで何日かかると思っているんですの?!』
『そう、正にそれです』
『それ?』
モニカさんの指摘にティトゥはキョトンとした。
『世の中の人間は、普通、ナカジマ様と比べると随分とゆっくり流れる時間の中で生活しているのです。隣の町に行くのも馬車で一日がかり。他家を訪問する際も、使者を送っている間に準備を整え、その使者が相手の返事を持って戻って来てから出発します。ナカジマ様のように、その日のうちに本人が到着するなんて事はあり得ません』
『それは・・・使者を送るよりも、直接ハヤテで向かった方が早いからですわ。もし先方の都合が悪かったとしても、都合のよい日を伺ってから戻ればいいだけですし』
『その通りです。そして、だからです。お二人は普通の人達とは圧倒的に時間の感覚が違っているのです。いえ。違っているのはハヤテ様の方ですか。空を飛ぶハヤテ様ドラゴンは、私達人間とは距離の尺度が――世界の大きさが全く異なっているのでしょう。ナカジマ様はそのハヤテ様の影響を受けて、ハヤテ様と同じように感じるようになっているんだと思います』
僕の影響? いやいや、ティトゥが落ち着きがないのは元からだから。
そしてティトゥ。君、何を「言われてみれば確かに!」みたいな顔をしている訳?
今の話に納得出来ないのは僕だけ?
『そう言えば私も昔はそうでしたわ・・・。ゆっくりと流れていく時間の中、何も代わり映えのしない日常。私にとっての世界は、自分の家と、マチェイの村の中だけだった。馬車で何日もかけて旅行したのは、姉の結婚式の時と、十五の時に王都の新年式に参加した時くらい。それだけでしたわ』
ティトゥは自分の記憶を辿りながら呟いた。
王都の新年式。それって確か、ティトゥが王家のバカ息子に目を付けられるきっかけになった式典じゃなかったっけ?
ティトゥもイヤな記憶を思い出したのだろう。遠くを見ているような表情がやや曇った。
しかし、すぐに小さく笑みを浮かべた
『それが今では、聖国ですらその日のうちに行って帰れるような場所と感じるようになってしまいましたわ。こんな話、あの時の自分に言っても、絶対に信じないでしょうね』
『ナカジマ様だけではありません。ハヤテ様を知らない人ならば全員そう思うでしょう。勿論、ハヤテ様の事を知っていても、頭が固く想像力が足りない人間はどこにでもいます。そういった者達にはどれだけ説明しても、ハヤテ様とナカジマ様の見ている世界を理解する事は到底不可能でしょうね』
まあ、四式戦闘機はこの世界では未来兵器だからね。ガソリンエンジンすら発明されていない現状で、話だけで分かれと言う方がムリがあるだろう。
『ビブラ伯爵領はクリオーネ島の南西。大陸からは一番離れた場所にあります。大きな港を作るのに適した場所はありませんが、逆に言えば他国から船で攻められる危険が少ないとも言えます。また、中央山脈にへだれられているため、島の北に対しての守りも固く、ランピーニ王家に帰順したのも一番最後でした。
そして(※西の海に暖流が流れている影響で)、聖国の他の土地と比べても冬も温かく過ごしやすい。
農地に適した平地こそ少ないものの、領内には国内有数の鉱山があり、山の斜面を利用した果樹園で採れる果実から作られる果実酒は、人気の銘酒として知られているため、経済は潤っている。
つまり、ビブラ伯爵領は、安全が守られている上に住みやすく、また、それなりに裕福な土地という訳です。そんな生活に困らない土地に住む者達が、保守的で偏狭な傾向を持つのも仕方がないのではないでしょうか?』
『それは・・・確かにそうかもしれませんわね』
ティトゥの生まれ育ったマチェイ――ヴラーベル領も国内有数の穀倉地帯として知られている。
しかも王都のすぐ南とあって、治安も良く、交通の便にも優れていた。
そんな土地で生まれ育ったティトゥは、モニカさんの言葉に身につまされるものがあったようだ。
なる程。
やり手の青年実業家然としたビブラ伯爵。
あのいかにも”出来る人オーラ”を身に纏った彼にとって、ビブラ伯爵領はさぞかし物足りない土地に違いない。
なにせ現状維持さえしておけば、まず領地運営に失敗する事はないのだ。
もしも、彼がもっと大変な他の領地の領主だったら――そう、例えば、ナカジマ領の領主だったら、きっとブツブツ文句を言いながら、ティトゥよりも断然手際よく書類の処理をしていただろう。
そして自分の仕事にやりがいを感じていたに違いない。
「ああ、するとビブラ伯爵の弟があんな感じだったのも納得か」
伯爵の弟少年。名前は・・・ええと、何だっけ?
彼の絵に描いたようなバカ貴族っぷり。あれもビブラ伯爵領の土地柄を考えれば理解出来なくはない。
ビブラ伯爵領では――ビブラ伯爵家では、きっと余程の無能でさえなければ、将来がほぼ約束されているのだろう。
だから多少アレでも問題はない。それ程問題にはならないのだ。
「つまりはアレだな。日本で地元の名士の子供や金持ちの子が、中学高校で不良になるのと似たような感じか(※あくまで個人の感想です)」
『ハヤテはさっきから何をブツブツ言っているんですの?』
おっと、いつの間にか考えが口に出ていたようだ。
ティトゥは不思議そうな顔で僕を見つめるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
グレイザーの町の目抜き通りから、一本外れた通りにある歓楽街。
大小様々な酒場が軒を連ねるその一角に、独特ないかがわしい雰囲気の大きな建物があった。
この町一番の娼館である。
その娼館に、場違いとも言える少年が一人、吸い込まれて行った。
「いらっしゃいませー。ジェ、ジェラール様! そのお顔は一体?!」
ホールのスタッフの声に、少年は――ビブラ伯爵の弟、ジェラール少年は――顔をしかめた。
彼の頬は誰かに殴られたのか、赤く腫れていた。
「黙れ! 俺の顔がどうだろうがお前の知った事か! それよりシェリーを呼べ! それとビビアンもだ!」
「は、はい! た、ただちに!」
スタッフは慌てて走り去った。
控室の客達は、ジェラール少年の怒りの形相を見て、慌てて順番待ちをキャンセルした。
この狭い田舎町で領主の弟を知らない者はいない。彼らは触らぬ神に祟りなし、とばかりに、次々と店から出て行った。
店にとってジェラール少年はとんだ疫病神。完全な営業妨害だが、明らかに不愉快そうな領主の弟に、文句を言えるスタッフは誰もいなかった。
こうしてジェラール少年がイライラと貧乏ゆすりをしながら待つ事しばらく。やがて温厚な顔をした中年男性が現れた。
この娼館のオーナーだ。
「これはこれはジェラール様。こんな時間にウチの店においでになるとはお珍しい。今日は騎士団のお仕事はどうされたのですか?」
揉み手をしながら近付いて来るオーナーに、ジェラール少年は小さく舌打ちをした。
「――お前には関係ない」
「これは大変失礼いたしました。そうそう。そう言えば、先日お渡しした新しい鎧ですが、お気に召して頂けたでしょうか?」
現在、ジェラール少年が着ているのは、ハヤテ達が見たあの派手な白い鎧ではなく、ビブラ伯爵家の騎士団員達が着ているごく普通の鎧である。
少年はハヤテ達が帰った後、客に失礼な態度を取ったという事で、兄に手酷く叱られた。
頬が赤いのは彼から鉄拳制裁を受けた跡である。
例の白い鎧はその時に没収されている。
どうやらあの鎧は目の前の男から送られた品だったようだ。
少年は兄が留守中に溜まった仕事を片付けるために屋敷に入ると、腹立ちまぎれに屋敷を飛び出した。
屋敷を出たジェラール少年だったが、こんな時間に行くあてなどある訳もない。
ならばせめて女の肌に触れて気分を紛らわせようと、彼は馴染みの娼館へと足を向けたのであった。
「あれはいい鎧だった。感謝している」
「おお、それはようございました。本日は着て頂けていないようですが、次の機会には是非、あれを着てこの店においで下さい」
「覚えておく」
ジェラール少年は、先程までの怒気はどこへやら。今は借りて来た猫のように大人しくなっている。
それもそのはず。この男は少年のパトロンと言っても良い存在で、金の工面から女の世話、今回のように鎧や武器の調達まで、あらゆる点で彼を支えて来た、少年にとってはもう一人の父親のような存在なのであった。
「それでですが、ジェラール様・・・」
オーナーは辺りを憚って声を潜めた。
「実は十日程後に、ウチの荷馬車が町の北門を通りたいと思っておりまして。いつものように、ジェラール様のお力でお目こぼし頂けないでしょうか?」
「またか? まあ俺は別に構わないが」
ジェラール少年はさほど深く考える事なく頷いた。
とはいえ、一応、念のために釘を挿しておくのは忘れない。
「だが、違法な品ではないだろうな?」
「勿論でございます! ジェラール様には決してご迷惑はおかけ致しません!」
町を出入りする商品には関税がかけられる。それに、いちいち商品を調べるのにも時間がかかる。おそらくこの男はその金と手間を惜しんでいるのだろう。
(そのくらいなら日頃から世話になっているのだから見逃してもいいか)
ジェラール少年はそう軽く考えた。
「いやあ、助かりました! 流石はジェラール様! おっと、女達が来たようです。ではごゆるりとお楽しみください」
「ジェラール様ー。シェリーでーす」
「ビビアンでーす。ご指名ありがとうございまーす」
「おお! 待っていたぞ!」
ジェラール少年は薄着の女性達を両脇に侍らせると、すっかり機嫌を直した様子で奥の部屋へと向かったのであった。
次回「ラダ叔母さんの気遣い」