その24 襲名式
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ここはレンドン伯爵家の屋敷。
大広間に集まったのは、着飾った貴族達――領内の貴族家当主とその家族達。
今日、彼らがこの場に集められたのは、伯爵家の新当主となったパトリチェフのお披露目のためであった。
「ミルドラド様もようやく念願が叶ったという事か。何年も前からずっとパトリチェフ様に当主の座をお譲りしたいとおっしゃっていたからな」
「ああ。あの方も、これで肩の荷を下ろせたとホッとしておられる事だろう」
「聞きました? 何でもレンドン伯爵家伝来の鎧を見つけたのは、ミロスラフ王国からやって来た竜 騎 士なんですって」
「姫 竜 騎 士って若い娘さんなのよね? 女だてらにドラゴンを乗り回すなんて、一体どんな方なのかしら」
「噂では颯爽とした大変お美しい方なんですって。海賊狩りの王女のレブロン伯爵夫人といい、ミロスラフ王国の女性は男勝りなのね」
レンドン伯爵家当主の象徴とも言える相伝の鎧、黒龍の鎧。この家宝の鎧が発見されたという噂は、瞬く間に領内に知れ渡っていた。
鎧があったと言われている場所は、船乗り達から死の島と恐れられているバルガス島。
ミロスラフ王国から海を渡ってこの聖国へとやって来た、竜 騎 士が発見したと噂されている。
竜 騎 士が黒龍の鎧を発見する。
ドラゴンとドラゴン。そのキーワードの繋がりに、何か運命めいた物を感じる者も少なくはなかった。
ギッ・・・
大広間の奥の扉が開くと共に、レンドン伯爵――いや、今や息子に家督を譲り、前レンドン伯爵となったミルドラドが現れた。次いで夫人が。
そしてその後ろから二人の息子、新当主パトリチェフが姿を現した。
ザワッ・・・
その瞬間、大広間にさざ波のようにざわめきが広がった。
「お、おい、あれは一体どういう事だ?」
「黒龍の鎧はどうしたんだ? 見つかったのではなかったのか?」
そう。パトリチェフが着ているのは両親と同じく普通の礼服。
本来であれば、レンドン伯爵家新当主――漆黒の騎士の襲名式には、当主は黒龍の鎧を身に着けて現れる習わしになっている。
しかし彼は黒龍の鎧どころか、鎧すら着ていなかった。
困惑する来客の前に、前当主ミルドラドが立った。
「皆の衆、今日は良く集まってくれた」
彼は未だにざわめきが収まらない広間を見回した。
「その様子だと、こちらから説明するまでもなく、レンドン家家宝の鎧、黒龍の鎧が見つかった事は知っておるようだな。
その通り。
今より十二年前、忌々しい海賊共によって奪われ、海の藻屑と消えたと思われていた漆黒の騎士の象徴、黒龍の鎧は、つい先日、ミロスラフ王国からやって来た竜 騎 士によって無事発見された」
ミルドラドの言葉に、「おおーっ」という喜びの声が上がった。
噂だけは広まっていた話を、レンドン伯爵家がハッキリと認めたのである。
しかし、だとすれば疑問が生まれる。なぜ新当主パトリチェフは、発見された黒龍の鎧を着ていないのだろうか?
来客の中でも年かさの貴族が、たまりかねたように尋ねた。
「ミルドラド殿。ご子息はなぜ、漆黒の騎士の鎧を着ておられないのだ? 襲名式では新たな漆黒の騎士が黒龍の鎧を着て現れる。それが代々伝わるしきたりであったはずだが」
「――その事だが」
ミルドラドは残念そうに眉尻を下げた。
「先程説明した通り、黒龍の鎧を発見したのは竜 騎 士。
鎧があったのはここの沖にある島、バルガス島。
皆も知っての通りあの島は、【船底砕き】と呼ばれる岩礁と、【暴れ川】と呼ばれる激しい海流に阻まれ、船では近付く事すら敵わぬ死の島と呼ばれている。
海賊達は島に流れ着いたはいいが、どうやらそこから出られなくなったようだ。
何者の侵入をも拒む天然の要害は、島に入った者を逃がさない堅牢な牢獄でもあったという訳だ。
竜 騎 士と共に島を調査したフェブル商店の番頭によると、島は強い潮風にさらされ、僅かな植物のみが茂る不毛の地であったと言う。
島には人影もなく、白骨化した死体だけが点々と転がっていたそうだ
おそらく、生き残った海賊達は残された食料を巡って互いに争い、やがては死に絶えたのであろう」
海賊達を襲った悲惨な末路に、夫人達が息を呑んだ。
「黒龍の鎧はそのような過酷な島に十年もの間放置されていた。竜 騎 士が持ち帰った時、辛うじて原形だけはとどめていたが、それでも相当に酷い損傷を受けて見る影もなかったのだ。
鎧職人達の努力でどうにか元の姿は取り戻したものの、流石に着られるまでには・・・。
今日の襲名式で息子が黒龍の鎧を着ていないのには、そういった事情があったのだ」
「それは・・・だが・・・いや、そうじゃな。戻って来ただけでも幸い。知らなかったとはいえ、そちらの苦労も知らずに不躾な事を言って済まなかった。ただ、ワシは是非もう一度、黒龍の鎧を――若き漆黒の騎士の堂々たる雄姿を見たいと思っただけだったのじゃよ」
老貴族は本当に楽しみにしていたのだろう。残念そうに頭を下げた。
ミルドラドは老人に頭を上げるように言った。
「皆の期待に応えられず、こちらとしても心苦しく思っている。ただ、鎧を着る事は出来ないが、修復された黒龍の鎧をお見せする事は可能だ。別室に飾り付けているので、希望される者には後で見て頂こうと考えている」
「おおっ、それは重畳! あの見事な鎧をもう一度見る事が出来るとは! 是非、よろしくお願いしますぞ!」
ミルドラドの言葉に老貴族はパッと笑みを浮かべた。
周囲の来客達からも喜びの声が上がる。
やはりレンドン伯爵領の貴族達にとって、漆黒の騎士とその象徴たる黒龍の鎧は特別な存在のようだ。
彼らは口々にレンドン伯爵家に喜びと祝いの言葉を送った。
こうして和やかな雰囲気の中、襲名式はつつがなく終了したのであった。
別室に設けられた黒龍の鎧の展示場。
最後の見物客達が部屋から出て行った。彼らはこれから大広間に戻り、祝宴に参加する事になっている。
人がいなくなり、静かになった部屋で、新当主パトリチェフは父親に振り返った。
「父上・・・本当にこれで良かったのでしょうか? あんなに喜んでくれた皆を騙してしまった事になり、大変に心苦しいのですが」
彼は部屋の奥に飾られた黒龍の鎧を見つめた。
そう。黒龍の鎧が着る事が出来ない程痛んでいるというのは全くのウソだった。
いや、実際に何年もの間、手入れもされずに放置された事による損傷はあったのだが、それも優秀な鎧職人によって今は完全に修復されている。
戦場で使うと言うのであればまだしも、今まで通りの使用目的――お披露目の場で着るくらいであれば、何の問題もなく使用できる状態になっていたのだ。
「・・・レンドン伯爵家の将来を考えての事だ。たまたま今回はドラゴンの――ハヤテの協力もあって鎧が戻って来た。しかし、次もこのように上手くいくとは限らない。それに鎧は所詮鎧、物でしかない。いつかは壊れ、使えなくなるのが定め。その時になってから慌てても遅いのだ」
ミルドラドは息子に振り返った。
「レンドン家が漆黒の騎士を本当に必要としていたのは百年以上も昔の事。戦乱の時代には傘下の貴族達を押さえ付け、纏め上げるためには力の象徴が必要だったのだろう。
しかし、それも遠い昔の話。長く続いた平和な時代において、漆黒の騎士の名は当主の権威を高めるためのものでしかない。漆黒の騎士の象徴たる黒龍の鎧も同様だ。
レンドン伯爵家の将来を考える時、本当に必要なものは何か?
それはいつか壊れて使えなくなってしまう鎧ではない。港町を海賊の手から守り、領地をつつがなく治めて行くためのたゆまぬ努力だ。
それこそがレンドン伯爵家当主に求められる力。
古い権威の象徴である黒龍の鎧は、少しずつ皆の心から忘れ去られて行く方がいい。いつまでも鎧頼りでは、次こそ取り返しのつかない事になってしまうかもしれんからな」
ミルドラドは今回の一件で、漆黒の騎士の権威に頼る事の危険性を思い知らされたのだろう。
幸い、黒龍の鎧は無事に手元に戻って来た。
しかし、危うくいつまでも当主交代が行えず、大変な事になるかもしれなかったのだ。
そこで彼は黒龍の鎧を表舞台から下げ、少しずつフェードアウトさせる事にしたのであった。
このミルドラドの考えが、彼の息子にどれだけ正確に伝わったかは分からない。だがパトリチェフは、黒龍の鎧を失った父親が苦しみながら長年領地を治めて来た姿を間近に見ていた。
その父に意見を言える程、彼は積み重ねて来た物を持っていなかった。
パトリチェフは心残りがありそうな顔で黒龍の鎧に振り返った。
「父上の決定に異論がある訳ではないのですが・・・それでも少しだけ残念です」
「なんだ、お前、コレを着てみたかったのか? だったらそう言えば良かったのに。なら祝宴が終わった後にでも着てみるか? 家族だけのお披露目会だ。母も弟達も喜ぶぞ」
ミルドラドはそう言うと、笑顔で息子の肩を叩いたのだった。
こうして襲名式とそれに続く祝宴は何事もなく終了した。
来客が帰った後、レンドン伯爵家の屋敷では、身内だけのお披露目会が開かれた。
それから数日後、ミルドラドは新当主となった息子への引継ぎを終えると、妻と一緒に領地を後にした。
目指すは聖国王城。
ティトゥとの約束を果たすため。
彼にとっての甥である王太子エルヴィンの後ろ盾となり、王城を牛耳る三侯との戦いに向かったのである。
半ば孤立無援状態にあったエルヴィン王子にとって、叔父の到着は非常に心強いものとなるのだが・・・それは少々先の話となる。
ここからは少し時間を巻き戻し、今回のお話の始まる数日前。ティトゥとハヤテがレンドン伯爵家伝来の鎧を発見した翌日。
二人が三伯の一人、ビブラ伯爵の屋敷を訪れた日の話をする事にしよう。
次回「三伯の三 ビブラ伯爵家」