その19 打ち捨てられた船
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ここはレンドン伯爵家の屋敷の一室。
広さは二十畳程。壁際に作られた暖炉には赤々と火が燃えている。
良く使い込まれた家具や、あちこちに置かれた小物類からは、どことなく生活臭が感じられる。どうやら来客用の客室ではなく、普段、生活で使っているリビングのようだ。
温かい部屋の中では、屋敷の子供達が二匹のリトルドラゴンと一緒に遊んでいた。
「お兄ちゃん、ズルい! それ、私が覚えておいた札なのに!」
「そんなの知らないって。さーて次はどの絵柄が出るかな・・・あっ、剣か。しまった! あの辺にあったのは覚えてるんだけど・・・」
子供達は床に散らばった木の札を取り囲んでいる。どうやら彼らが遊んでいるのは絵合わせ――つまりは神経衰弱のようなゲーム――のようだ。
少年はウンウンとうなった後で、「これだ!」とカードをめくったが、残念ながらハズレ。それはウサギの絵のカードだった。
順番は移って、次は薄緑色の子ドラゴン、ハヤブサの番である。
「ギャーウー(違う違う、剣の札はこっち)」
ハヤブサは、尻尾で器用にペシペシと二枚のカードをはじき、剣の絵のカードを揃えた。
「ハヤブサ、またまた正解! これでお兄ちゃんを抜いてトップね!」
「ああっ! しまった、隣だったのか!」
少年は悔しそうに頭を掻いた。
「ギャウー(次はその隣・・・あっ、ハズレちゃった。ファル子の番だよ)」
「グウウウ・・・ギャウ?(えっ? 何?)」
落ち着きのない桜色ドラゴンファル子は、早々にこのゲームに飽きて、さっきメイドさんから貰ったホウキの柄を一心不乱に齧っていた。
「・・・ギャウー(・・・自分が全然勝てないもんだから、不貞腐れちゃって)」
「ギャウギャウ!(ハヤブサ! あんた弟のくせに生意気!)」
ファル子はホウキを放り出すと、弟に飛びかかった。
「ファルコ! ケンカしちゃダメ!」
「ファルコ、弟をいじめるな!」
子供達はファル子を取り押さえようとするが、意外と力が強くて止められない。
暖炉の側で子供達が遊んでいるのを見守っていた品の良い中年女性――子供達の母親のレンドン伯爵夫人は、その様子を見て慌てて声をかけた。
「みんな、家の中で暴れちゃダメよ! ファルコちゃんも落ち着いて!」
「――ファルコ様。他所のお屋敷でおいたはいけませんよ。ハヤテ様からもそう言われていますよね?」
若いメイドが――聖国メイドのモニカが――素早くイスから立ち上がると、暴れるファル子の体をヒョイと抱え上げた。
「ギャーウー!(でもでも、ハヤブサが!)」
「ファルコ様。お分かりですよね?」
「ギャッ!(ひっ!)」
ファル子はモニカの笑顔の奥に何を感じたのか、ビクッと体をすくめると急にしおらしくなった。
モニカはファル子を抱き抱えたまま、レンドン伯爵夫人に振り返った。
「ファルコ様達は、少し外で運動したいようですね。庭に出してもよろしいでしょうか?」
「ギャウー(僕はカードで遊んでてもいいんだけど)」
「ギュウ・・・(ハヤブサ。一緒に来なさい。私この人と二人っきりになるのイヤ)」
「なら、みんなでお庭に出ましょうか。外は寒いので暖かい恰好をなさい」
「はーい!」
「分かりました、母上!」
「行こう、ハヤブサ!」
元気な子供達に、ハヤブサは、ん-と体を伸ばすと、小さく翼をはためかせたのだった。
彼らが部屋の外、屋敷の廊下に出ると、丁度、二人組の男性がこちらに歩いて来る所だった。
「父上! 兄上!」
「あら、あなた。ナカジマ様とのお話は終わりましたの?」
レンドン伯爵家当主のミルドラドと、長男のパトリチェフである。
「いや、今は休憩中だ」
「ナカジマ殿がドラゴンに会いに行くと言ったまま、中々部屋に戻って来ないので、少し様子を見に行こうと思いまして」
「まあ」
レンドン伯爵夫人は問いかけるようにモニカの方へと振り返った。
「それでしたら、おそらくハヤテ様と話し込んでおられるのでしょう。あの方はドラゴンの言葉、聖龍真言語でハヤテ様と会話をする事が出来ますので」
「あの聞いた事もない不思議な言葉ね? あんな言葉が分かるなんて、ナカジマ様はすごいわよね」
感心する夫人。長男のパトリチェフは眉間に皺を寄せるとモニカに尋ねた。
「そう、それだ。ナカジマ殿は、一体どのようにして竜が喋る言葉などというキテレツな言語を覚えたのだ? 父上が本人に尋ねた時も、『心を通わせるようにしていたら自然に覚えた』などと言っていたが、まさか本当にそんな事が可能なのか? それともミロスラフ王国には密かに竜の言葉が伝えられていたのか?」
モニカは少し記憶を辿った。
彼女が初めて竜 騎 士の二人に会ったのは二年前の夏である。その頃からティトゥはハヤテと会話を交わしていたが、モニカの目には、それは飼い主がペットや馬に話しかけるのと左程変わりがないように見えていた。
そんなティトゥの様子が変わったのは、二人がチェルヌィフ王朝から帰った後である。
それまでと違い、ティトゥは明らかにハヤテと話し込む時間が増えていた。
そしてハヤテの言葉を他の人達に通訳する機会も増えた。
それが決して当てずっぽうではなく、正しい翻訳なのは、ハヤテから否定や訂正の言葉が出ない事からも明らかだった。
ちなみにそれをいいことに、ティトゥはたまにハヤテの言葉を自分に都合よく捏造する事もあるのだが、そういう時はハヤテはすかさずツッコミを入れている。
これらの事から、ティトゥがこの時期に聖龍真言語を理解出来るようになったのは間違いない。
以前、モニカがその理由をティトゥに尋ねた所、彼女は『ハヤテと心を通わせるようにしていたら自然に覚えたのですわ!』と嬉しそうに答えていた。
しかしその言葉に納得が出来なかったモニカは、二人と一緒にチェルヌィフに同行していたメイド少女カーチャにも同じ事を質問してみた。
だが、こちらも『なんだかいつの間にかハヤテ様の言葉が分かるようになっていたみたいです』と、要領を得ない返事が返って来ただけに終わった。
カーチャによると、ハヤテ本人も、ティトゥが自分の言葉を理解している事に気付いていなかったらしく、彼はその事実を知らされた時、相当なショックを(なぜか)受けていたそうだ。
(という事は、ハヤテ様がナカジマ様に何かをした訳ではない? 本当に自然に覚えただけ?)
モニカはハヤテがドラゴンの秘術なり魔術なりで、パートナーの少女に自分達の言葉が分かるようにしたのではないか、と疑っていたが、これらの話から考えるとどうやらその線も薄そうだ。
そしてもし、ハヤテが今の話を知れば、『遂にモニカさんまでティトゥみたいな事を言い出したんだけど!』とショックを受けたに違いない。
知らぬが仏である。
「私も詳しくは存じ上げません。しかし、あの方がハヤテ様の喋る言葉を理解している事だけは確かだと思われます」
「だが、そんな事があり得るのか? お前が知らないだけで、何か秘密が――」
「パトリチェフ、止めろ!」
ミルドラドは、息子がモニカに詰め寄ろうとしているのを見て、慌てて止めた。
モニカはメイドの恰好こそしているが、伯爵家相当の地位を持つカシーヤス家の娘である。
彼女の母は王女達の乳母。モニカ本人も第四王女セラフィナと姉妹同然に育っている。
三伯レンドン伯爵家といえど、決して軽く見て良い相手ではなかった。
「ギャウ! ギャウ!(パパ! パパ!)」
「あっ! コラ、ファルコ!」
「ファルコ待って!」
「家の中を走っちゃダメなんだからね!」
長話に退屈したのだろう。桜色の子ドラゴン、ファル子が急に走り出した。
慌ててファル子を追う子供達。
子供特有の良く通るキンキン声に、パトリチェフは気勢をそがれた様子で困り顔になった。
「パトリチェフ。そんなに気になるならドラゴンに直接聞いてみればいい」
「父上・・・。はあ。分かりました。王城の噂話好きの貴族じゃあるまいし、他人の事をむやみに詮索するのは良くないですよね」
パトリチェフは父親に肩を叩かれて苦笑した。
こうして人数の増えた一行は、全員連れ立って屋敷の庭に向かった。
しかし、そこにはハヤテの姿は無かった。そしてティトゥもいなかった。
その場にポツンと取り残されていたのは、町の大店の店主フェブル。
一行は彼の言葉から、ティトゥとハヤテがレンドン沖合のバルガス島――通称、死の島へと向かった事を知らされたのであった。
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ここはレンドンの港から北に少し飛んだ場所。
見渡すばかりの青い海原に、ポツンと浮かんだ小さな島。
島を取り巻く海は、周囲の海の色とは異なり、明らかに黒ずんでいる。
おそらくあれが【船底砕き】。
ビッシリと並んだ岩礁によって、まるで海が黒くなっているように見えているのだろう。
そんな黒い海には白い波が砕けている。
あれは【暴れ川】。
強い海流が岩礁地帯に流れ込み、複雑な流れを生み出しながら荒れ狂っているのだ。
流石に上空からではサメの姿までは見えないが、おそらく辺り一面、ウヨウヨ動いていると思われる。
船乗り達から死の島と呼ばれているのは伊達じゃない、といった所か。
そんな死の島の上空で僕は旋回を続けている。
ティトゥは興奮した面持ちで背後の青年を――フェブルさんの店の番頭ハントを――振り返った。
『それで、あれは例の海賊船なんですの?』
ハントは風防に額を張り付けるようにして下を観察していたが、『分かりません』とかぶりを振った。
『私も自分の目でその海賊船を見た訳じゃないので。なにせ十年以上前の話ですし』
十年以上前なら、その頃ハントはまだ十歳くらい。件の海賊船を見ていないのも当然だ。
『それに随分とボロボロですものね』
『しかし、海賊が好んで使う大きさの船である事は確かです。――可能性はあるんじゃないかと』
そうか。やっぱりな。
僕は眼下の光景を見つめた。
島の一部を切り取ったような小さな入り江。
そこにはボロボロになった外洋船が座礁していた。
次回「小さな入り江」