その18 死の島バルガス島
聖国の三伯、レンドン伯爵家。
そのレンドン伯爵家の当主に代々受け継がれて来たという、相伝の鎧、黒龍の鎧。
今から十年前。鎧は海賊達の手に渡り、嵐の中、海の藻屑と消えてしまった。
しかし、海中に沈んだと思われた海賊船が、島に流れ着いたという噂があるという。
『その島の名はバルガス島。船乗り達の間では死の島として恐れられている場所でございます』
レンドンの港町に店を構える大店の店主、初老の商人フェブルさんはそう言ってゴクリと息を呑んだ。
『死の島・・・ですの?』
その島の物騒な異名にティトゥの顔が緊張でこわばった。
『ハイ。島の大きさはそうですね、大体レンドンの町くらいでしょうか? 海流によって島は削られ、どこも切り立った崖のようになっているため、舟をつけても乗り込む場所がありません。
そもそも、島の周囲は船乗り達から【船底砕き】と呼ばれる尖った岩礁で覆われており、普通の外洋船では危なくて近付く事さえ出来ないのです。
かと言って喫水の浅い小舟で向かおうにも、あの辺りは【暴れ川】と呼ばれる程海流の強い場所でして。その強い海流が岩礁によって複雑にかき乱され、まるで川の急流のように荒れ狂っております。迂闊に小舟で近寄ったが最後、嵐に揉まれる木の葉のように翻弄されたあげく、岩礁にぶつかって粉々に破壊されてしまうでしょう。
当然、泳いで行くなどもっての外。潮の流れに阻まれてまともに泳げないだけではなく、あの辺りはレンドンの漁師達すら何人もやられている程の有名なフカの巣でもあるのです。近付く者は誰であろうと、獲物の匂いに釣られて寄って来た獰猛なフカ達の餌食になるのです』
海底に潜む姿なき殺し屋【船底砕き】。
船のコントロールを奪い、岩礁に叩きつける【暴れ川】。
船を壊され、海に落ちた者達を待ち受けるのは、周辺の海域を住処とする海のハンター、人食いサメ。
なる程。この辺りの船乗り達から、死の島と恐れられているのも当然というものだ。
あくまでも噂話とはいえ、なぜレンドン伯爵が、大事な相伝の鎧があるかもしれない場所が分かっていながら、何もしていないのかと思ったら、そういう事情があったとは。
目と鼻の先にあるのに、誰も手を出せない危険領域。
何人をも拒む天然の要害。
そして「相伝の鎧が今もそこにあるかもしれない」という事実が、今もレンドン伯爵家の足を引っ張り続けている。
むしろ焼失するなりなんなりして、この世からスッパリ無くなってくれていた方が、全員にとって幸せだったのかもしれない。
下手に現存する可能性が残っているからこそ、諦めがつかない。新しく作った鎧も代用品止まりで、偽物にしかならない。
そこにあるかもしれないという可能性が見えない鎖となり、まるで呪いのようにレンドン伯爵領の貴族達の心を縛り、前に進む事を頑なに拒んでいるのである。
『それに重ねて一昨年の海賊騒ぎです。あの時はレンドンの港町を中心に、領内の町や村も大きな被害を受けました。流石に十年前の時程ではないにしても、未だに完全に傷が癒えたとは言えません』
レンドン伯爵が今のエルヴィン王子の境遇に不満を抱えながらも、自ら行動に移せなかったのにはそういった理由があっての事だったのか。
黒龍の鎧を失ったレブロン伯爵家は漆黒の騎士足り得ない。
今の当主のミルドラドさんはともかく、彼の長男の・・・ええと誰だっけ?『パトリチェフ殿ですわ』そうそう、それね、パトリチェフ。パトリチェフは、傘下の貴族家からは新しい当主として認めて貰えない。
レンドン伯爵家がエルヴィン王子の力になるには、先ずは本腰を入れて戦える状態を作らなければならない。そのためには自分達の足元を固める必要がある。
優先すべきは海賊によって受けた被害の回復。それには当主の交代を成功させる必要がある。
そうやって信頼できる息子に領地を任せてこそ、ミルドラドさんは後顧の憂いなく、王城という伏魔殿を牛耳る三侯と戦う事が出来るのだ。
なる程。ティトゥがミルドラドさんの事を煮え切らないように思えたのは、彼が結論を先延ばしにしていた態度がそう見えただけだったのか。
ミルドラドさんの中ではきっと、当主の交代を済ませ次第、王城に向かう覚悟を決めているのだろう。
『だったら話は簡単ですわ!』
そうとも、ティトゥの言う通りだ。
黒龍の鎧の所在が――いや、黒龍の鎧を積んだまま行方不明になった海賊船の消息がハッキリすればいいのだ。
その結果、黒龍の鎧が見つかれば最も良し。
仮に海賊船が海の藻屑と消えていたとしても、それはそれで別に構わない。
要は、相伝の鎧がまだどこかにあるかもしれないという可能性さえ消えればいいのだ。そうすれば傘下の貴族達の心を縛っている呪縛も解けるだろう。
ティトゥはフンスと握りこぶしを握った。
『その死の島に行って海賊船が流れ着いているかどうかを確認すればいいんですわ!』
『いえ、先程それが不可能だと申し上げたばかりなんですが。船で行けない以上、一体どうやって行けば――あっ!』
そう。船で行けないなら、空から行けばいいのだ。
島全体を船底砕きが覆っていようが、そこに暴れ川が流れていようが僕ならば関係ない。
ひとっ飛びして空から確認して来ればいいだけなのである。
『そうと決まれば早速出発ですわ! 死の島は一体何処にあるんですの?!』
仮に船で一日がかりの距離にある島でも、僕ならサッと行って帰って来れる。
ミルドラドさんとの話し合いを前に進めるためにも、ここは急いで確認に行っておくべきだろう。
ティトゥの言葉に、今まで黙って話を聞いていた、フェブルさんの連れの青年が声を上げた。
『それでしたら、私がご案内出来ます』
そういや君って誰? 何となくフェブルさんの息子さんかと思っていたけど。
『ええと、どなたですの?』
『この者はウチの店の手代を纏めている、番頭のハントでございます』
息子さんじゃなかったのね。それにしても随分と若い番頭さんだ。きっとかなり優秀な青年なんだろう。
『お店の番頭なのに、島の場所が分かるんですの?』
『船長として船を指揮して、何度もあの近くを通っていますので』
番頭のハントはハント船長でもあったようだ。
そりゃまあ、船長をやっていたなら、間違っても沈没必至の危険な死の島には近付かないように、ちゃんと場所を覚えているよね。
それにしてもこの若さで船長か。・・・あれ? なんだろう。何だかイヤな予感を覚えて仕方がないんだけど。
『それにしてもその若さで大きな店の番頭を任されているなんて、随分と優秀な方なんですのね』
ティトゥの素直な称賛に、番頭のハントはフェブルさんの方をチラリと見た。
この思わせぶりな視線。こ、これって、ひょっとしてまさか・・・
『ええ。ハントは私が目を掛けていた若者でして。いずれはウチの娘婿として迎え、店を任せるために、今は番頭として経験を積ませている最中なのでございます』
「やっぱりそうだと思ったよおおおおお! これってアレじゃん! トレモ船長の時と全く同じパターンじゃああああん!」
トレモ船長はランピーニ王家の南、都市国家連合の大手商会の雇われ船長である。(※詳しくは 第十六章 評議会選挙編 を参照)
ワイルド系のイケメンだし、この若さで大商店の所有する船の船長だしで、どことなくトレモ船長に似ている気がしてたら案の定かよ。
クソッ! コイツも僕を自分のロマンスのダシにするつもりか!
クソッ! クソッ! コイツも手柄を立てて、雇い主に認められて、娘さんをゲットしてヒャッホウする気か!
『――リアジュウ バクハツ シロ!』
『りあじゅ・・・何ですか?』
『あ~、ハヤテの事なら放っておいて大丈夫ですわ。それよりもあなたが島の場所を案内してくれるんですのね?』
ティトゥは嫉妬に狂う僕を華麗に無視。彼女の言葉に番頭のハントは頷いた。
そんな彼の腕をフェブルさんが掴んだ。
『ハントよ、本当にそれでいいのか? ドラゴンに乗る事になるんだぞ?』
『――フェブルさん。勿論、恐ろしいですが、既に覚悟は出来ております。私の犠牲であなたの恩に報いる事が出来るのでしたら、何も不満はありません』
『いや、犠牲って・・・。ハヤテの背に乗るだけなのに、一体何を言っているんですの?』
まるで最前線に赴く息子とそれを見送る父親のような光景に、ティトゥは呆れ顔になった。
僕も、何を大袈裟な。と思った所で、ハッと気が付いた。
「ねえ、ティトゥ。フェブルさんって、自分達の馬車を助けてくれた相手の情報を集めたって言ってたよね。その結果、僕達にたどり着いたって」
『そう言ってましたわね。私の事も最初に姫 竜 騎 士と呼んでましたし』
そう。フェブルさんは情報を集めまくっていた。
そして僕達の――というか、僕の情報の中には、当然、最新情報としてあの時の事も入っていたに違いないのだ。
『あの時の事? ですの?』
「僕達が聖国に来てからの最新情報と言ったら、お城の新年式に参加した時の事になるよね。あの時僕が何をやったか、フェブルさん達は知ってるんじゃないの?」
『ハヤテがやった事って――あっ』
聖国王城の新年式の際。僕は式典が終わった後に、儀仗隊の隊長をのせてアクロバット飛行をした。
それ自体は不可抗力というか、求められたので、やむを得ずにやったというか――ウソです。調子に乗ってしまっただけです。
それはともかく、僕は王城の上空で空中戦闘機動を披露。
哀れな隊長さんは撃墜されて、汚物まみれになってしまったのだった。
『・・・ひょっとして、あなた達、自分達も儀仗隊の隊長のような目に遭うと思っているんですの?』
ティトゥの質問に、フェブルさん達はビクリと体をこわばらせた。
そして慌ててあらぬ方向に目を反らした。
あ~、これは間違いないですわ。確実にそう思ってましたわ。
ていうか、心外だな。この僕がティトゥを乗せて、そんなムチャな飛行をするはずがないじゃないか。
ティトゥはクソデカため息をつくと、番頭のハントの背中を押した。
『そんな訳ないでしょ。大体、私も乗るんですのよ。あなた海の男のくせに、か弱い女の私より、ハヤテの飛行に耐えられる自信がないんですの?』
『わ、分かっています! 分かっていますから、そんなにグイグイ押さないで下さい! 気持ちの整理が! 覚悟を決める時間を下さい!』
『だからそんな時間はいらないと言っているんですわ。いいからさっさと乗って頂戴――ハヤテ?』
「・・・・・・」
ガッチリと閉じたままで開かない風防に、ティトゥが怪訝な表情を浮かべた。
そんなに僕に乗るのがイヤなら、別に乗せなくてもいいんじゃない? 島の場所だけ聞き出せば。
それにこの人ってアレだよね。要はトレモ船長二号だよね。なんで僕がそんなリア充の養分にされなきゃいけない訳? 僕は彼の立身出世物語の引き立て役になるために、この世界に転生して来たんじゃないんだけど?
『ハヤテ、あなたね・・・』
『あ、あの、ドラゴン様も気乗りしないご様子ですし、どうでしょうか? ハントを乗せるのは止めにした方がいいのでは?』
『・・・そう言えば、ドラゴンは女性しか背中に乗せないという噂もあったような』
「ああん? 何キミ、ひょっとして僕にケンカを売ってる? ・・・屋上へ行こうぜ、久しぶりにキレちまったよ」
揉め続ける僕達に、とうとうティトゥの堪忍袋の緒が切れた。
『あなた達いい加減にして頂戴! ハヤテ! 風防を開ける! ハント! ハヤテの背中に乗り込む! フェブル! 後ろに下がって、私達が戻って来るまで屋敷で待ってなさい!』
「『『し、しかし・・・』』」
『急ぐ!』
「『『は、はい!』』」
フェブルさんは屋敷まで全力ダッシュ。僕が風防を開けると、ハントが慌てて飛び込んだ。
ティトゥは彼を胴体内補助席に押し込むと、テキパキと彼の安全バンドを締めた。
『前離れー! ですわ! ハヤテ、さっさと行って頂戴!』
「了解!」
こうして僕達は慌ただしくレンドン伯爵家の屋敷を後にしたのであった。
次回「打ち捨てられた船」