その17 漆黒の騎士《ブラック・ナイト》
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レンドンの港町の大通りに店を構える商人のフェブル。
彼は先日、隣領の街道で自分達の馬車が盗賊達に襲われた際、助けてくれた謎の飛行物体が、ミロスラフ王国の竜 騎 士である事を知った。
そして今日、レンドンの町にちょっとした騒ぎが起きた。
町の上空を見た事もない大きな物体が旋回。その後、領主の屋敷に舞い降りたという。
その話を聞いたフェブルは、これぞあの時のドラゴンに違いないと直感した。
彼は取る者も取り敢えず、急ぎ、レンドン伯爵の屋敷に向かったのであった。
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僕達に頭を下げる人当りの良い初老の男。
彼は先日、僕達に助けられた、この町の大店の店主、フェブルさんである。
『ここでお会いする事が出来て幸いでした。実は私自らお礼を申し上げに半島に向かわねばと思っていた所でして』
ティトゥが困った顔で僕の方へと振り返った。
ああ、うん。君の気持ちは良く分かるよ。
あの時、僕達は、山賊達に僕の存在がバレるのを恐れて、危うく彼の馬車を見捨てる所だったからね。
こんな風にお礼を言われても、申し訳ない気持ちの方が先に立ってしまうんだろう。
『それで、ナカジマ様はいつまでこのお屋敷に滞在される予定でしょうか? 今日はとにかく急いで駆け付けねばと焦ったため、お恥ずかしい話ですが何の用意もしておりません。ですが次にお会いする時には必ず、お礼の品を持ってまいりますので、その時には是非お収め頂ければと思います』
『えっ? 何で私達がこの屋敷に泊まる事になっているんですの?』
『えっ? 泊まられないのですか? でしたら今日はどこにお泊りになられるご予定なのですか?』
『レブロン伯爵のお屋敷ですわ。使用人達もあちらでお世話になっていますので』
『は? レブロン伯爵? レブロンの港町の? えっ? 今から? けど。ええっ?』
フェブルさんは目を白黒させた。
『あ、あの。でしたら、もうこの町からは立ち去ってしまうという事でしょうか? それだとお礼が出来ないのですが』
『それでしたら大丈夫ですわよ? ラディスラヴァ様の――レブロン伯爵夫人のご都合が付けば、明日にでもまた来ますわ』
『えっ? 明日?』
『ええ。都合が付き次第ですけど』
フェブルさんは、どうにかティトゥの言葉を理解しようと、頭を捻っている。
彼は『レブロンの港町って、王都の向こうのレブロンの港町の事ですよね? けど一体どうやって? いくらドラゴンが空を飛ぶと言っても、船で何日もかかる距離なのに? とはいえ、この国に他のレブロンがあるとは思えないし。そもそも伯爵夫人の名が出ている以上、あのレブロンで間違いないはず。あれ? いやしかし常識的に考えて――』などとブツブツと呟いている。
それはさておき、お礼か。
う~ん。
『チョット イイ?』
『うはっ?! えっ?! い、今の声は一体?!』
『フェブルさん! ドラゴンです! 今のは目の前のドラゴンが喋ったんです!』
フェブルさんの後ろに立っていた息子さん? が、慌てて僕を見上げながら彼の肩を叩いた。
あれ? そういえばまだこの人達の前では喋ってなかったんだっけ?
『サヨウデゴザイマス』
『『喋った!』』
それはさておき、ちょっとフェブルさんに相談したい事があるんだけど。
ティトゥはフェブルさん達を連れて僕の機首のすぐ下に潜り込んだ。
フェブルさん達はおっかなびっくり。こわごわとした様子で僕を見上げた。
『さあ、こっちに。ここなら小声で喋れば周りには聞こえませんわ』
ティトゥはドヤ顔でその場にしゃがみ込んだ。
そりゃあまあ、君の言う通り、屋敷の騎士団員達は今も僕の事を警戒してるから、絶対に近付かないだろうけどさ。けどちょっと見栄えが悪くない?
屋敷の庭には見張りの騎士団員達が。そして屋敷の窓からは、さっきから僕の様子が気になって仕方のない使用人達がチラチラとこちらを見ている。
あまり彼らに聞かれたくない話なのでどうしよう。と思っていたら、ティトゥが『だったらいい場所がありますわ』とばかりに、この場所にフェブルさん達を連れ込んだのである。
『それで? ハヤテがこの人達に相談したい事って何なんですの?』
「相談というよりも、聞きたい事があるって感じかな。さっきティトゥが言ってた事に関してなんだけど、ひょっとして地元の彼らなら僕らが知らないような事情も知っているんじゃないかと思って」
『さっき私が言ってた事?』
可愛らしく小首を傾げるティトゥ。
ファル子もたまに似たような仕草をやるけど、あれってティトゥのマネをしてるよね。いや、それはともかく。
僕達がここ――レンドン伯爵家の屋敷にやって来たのは、レンドン伯爵にエルヴィン王子の後ろ盾になって貰うためだ。
エルヴィン王子のお母さんは、レンドン伯爵のお姉さん。つまり伯爵にとって王子は自分の甥に当たる。
ならばすぐに協力してくれるだろう・・・と思っていたのだが、レンドン伯爵はのらりくらりと明言を避け、煮え切らない様子だったらしい。
王城の三侯の専横には憤りを感じていた様子なのに、この反応はいかにもおかしい。
僕は伯爵の弱腰には何か原因があるんじゃないかと考えたのだ。
『――と言っていますわ』
『ははあ。ドラゴン様がこれ程までに我が国の殿下の心配をして下さっているとは。人間として、聖国に生きる者として、汗顔の至りでございます』
フェブルさんは眉間に皺を寄せると、悩まし気に大きくかぶりを振った。
「いや、そういうのいいから」
『それで、何か心当たりはありませんの?』
『・・・・・・』
フェブルさんは何かを言いかけたが、ためらうように口を閉ざした。
『・・・ひょっとして、あなたの口からは言い辛いような事ですの?』
『あ、いえ。そうではございません。これは町の者なら大抵知っているような話ですから。ただ、他所の土地の方に理解して頂くには、一体どこから話せば良いかと考えただけでして。
ナカジマ様はレンドン伯爵家が漆黒の騎士と呼ばれている事をご存じでしょうか?』
『――寡聞にして存じ上げませんわ』
なぜに謙譲語だし。
僕は、漆黒の騎士というカッコ良さげな響きに、ティトゥの瞳の奥がキラリと輝いたのを見逃さなかった。
『そうですか。でしたら先ずはそこからご説明しますね』
フェブルさんの話をザックリ纏めるとこうである。
レンドン伯爵家がランピーニ王家の支配下に入って伯爵家になる前の話。このクリオーネ島は各地で戦乱に明け暮れていた。
その頃、レンドン家の当主は、戦場では常に自らが陣頭に立って配下の兵を率いていた。
死をも恐れぬ勇猛果敢な戦いぶり。そして、特徴的な漆黒の鎧姿から、いつしか彼らは漆黒の騎士と呼ばれ、敵には恐怖を、そして味方の将兵からは尊敬の念を抱かれるようになったという。
そしてこの島がランピーニ王家によって統一され、平和な時代になっても、レンドン家当主の象徴である漆黒の鎧は――その名も黒龍の鎧は――親から子へ、子から孫へと、代々受け継がれていった。
現在でも当主が代替わりする際には、新当主がその鎧を身に纏い、寄子の面々にお披露目をするのがしきたりになっているという。
『素敵なしきたりですわね。・・・ボソリ(黒龍の鎧。カッコいいですわ。ナカジマ家でも何か作れないかしら)』
『ハイ。しかし、今から十五年前、レンドンの町が海賊に襲われました』
ラダ叔母さんのレブロンの港町でもそうだったが、その頃は聖国中の港で海賊が暴れ回っていたそうだ。
レンドンの町を襲った海賊はランピーニ王家ですら手を焼いていた程の大物で、その戦いはほとんど戦争と言ってもいいようなモノだったという。
『その混乱の中、黒龍の鎧が海賊の手に落ちてしまったのです』
ある意味ではレンドン伯爵家の当主の証ともいえる漆黒の鎧。それがなんと、海賊の手に渡ってしまったというのだ。
レンドン伯爵家はメンツに掛けて、必死になって鎧を持った海賊達を追い詰めた。
しかし運命のイタズラか、僅かな差で鎧はレンドン伯爵の下には戻らなかった。
鎧を積んだ海賊船が、嵐の中で行方不明になってしまったのである。
『それは残念でしたわね』
ティトゥは余程、黒龍の鎧を見て見たかったのか、非常に実感のこもったため息をついた。
『ハイ。後日、レンドン伯爵は黒龍の鎧を模した新しい鎧を作らせました。しかし、どんなに有名な鎧職人に作らせても、元の鎧を完全に再現する事は出来ませんでした。噂によると、黒龍の鎧はレンドンに港が作られた頃、遥か昔に作られた物で、今では失われた技術で作られていたからだとも言われています』
なる程。いわゆる遺失技術というヤツか。
この世界では五百年前に起きた大災害で、数多くの技術や文明が失われている。
その黒龍の鎧が本当に大災害より前――五百年以上前に作られた物かどうかは分からない。だが、日本だって千年以上も前の平安時代の鎧が残っているくらいだ。ワンチャン、五百年前の鎧が残っている可能性はゼロではないだろう。
中々興味深い話だったが、はて? この話のどこがレンドン伯爵当主ミルドラドさんに関係してくるのだろうか?
『今のレンドン伯爵家当主ミルドラド様は、近いうちに御子息のパトリチェフ様にご当主の座をお譲りしたいと考えておられます。しかし、現在のレンドン伯爵家には、当主の証ともいえる黒龍の鎧がないため、傘下の貴族家当主の方々から認めて貰えないのではと考えておられるようです』
どうやらここでも新当主に関する揉め事が起きているらしい。
先日のコルベジーク伯爵に続き、このレンドン伯爵家にも世代交代の波が押し寄せているようだ。
コルベジーク伯爵家では、当主の交代自体はすんなりいったが、家族間に問題を抱えていた。
逆にここ、レンドン伯爵家では、家族間には問題がないが、代々当主に受け継がれて来た特別な鎧を失ったため、周囲から認めて貰えないらしい。
つまり黒龍の鎧はアレだ。日本の天皇家における三種の神器みたいなものなんだろう。
「とはいえ、認めないも何も、鎧は無くなっちゃったんだよね? 新しい鎧も作ったんだし、それで我慢するしかないんじゃないの?」
『――と言ってますわ。私もハヤテと同意見ですわ。それってどうにかなりませんの?』
『傘下の貴族家当主の皆様も、当然、理屈では分かっているのでしょう。しかし、長年続いて来たしきたりを自分達の代で曲げてしまう事には、やはり大きな抵抗があるようです』
それはまた、なんともはや。とはいえ、しきたりや風習、ならわしといったモノはそういうものかもしれない。
レンドン伯爵領の貴族達はどっちかと言えば体育会系という話だし、理屈よりも伝統、的なノリが強い可能性もある。
あるいは下手にルールを変えると、うるさがたのOBが黙っていないとか。
何だかいかにもありそうな話だ。
『とは言っても、もうこの世に実物がない以上、いくら文句を言われたってどうしようもありませんわよね?』
『――それが、そうでもないのです』
『どういう事ですの?』
フェブルさんは『あくまでも船乗り達の間の噂なのですが』と前置きをしてから言った。
『嵐で沈んだと思われている黒龍の鎧を積んだ海賊船が、実はレンドンの沖合のとある小島に流れ着いたのではないかという噂があります。
島の名はバルガス島。船乗り達の間では死の島として恐れられている場所でございます』
次回「死の島バルガス島」