その12 コルベジーク伯爵家の屋敷で
◇◇◇◇◇◇◇◇
ハルデン率いる山賊討伐軍が強行軍を決定したその頃。
ここはコルベジーク伯爵家の屋敷。
聖国を代表する三伯の屋敷、しかも広い屋敷とあって、当然、雇われている使用人の数も多い。
とはいえ、屋敷の大きさも中々のもので、奥まで踏み込むと流石に人の姿も途絶える。
そんな屋敷の奥にある小さな部屋。
落ち着いた雰囲気の内装。窓の近くに置かれた古びたベビーベッドが目を引く。
屋敷の中では比較的静かな場所という事もあって、元は赤ちゃん用の部屋として使われていたようである。
そんな部屋で一人、本を読んでいる初老の婦人の姿があった。
ピシリと伸びた背筋。いかにも貴族然とした、気品の漂う女性である。
彼女は先々代当主、オスロスの妻であった。
「・・・・・・」
夫人は空になったカップに目をやった。
実は先程からお茶のお替りが欲しいと思っていたのだが、辺りはしんと静まり返っている。
ここは屋敷の奥。そして誰かが来る気配もない。
大声で呼んでも彼女の声は誰の耳にも届かないと思われた。
「ふう。仕方がありませんね」
夫人は小さなため息をつくと、読んでいた本にしおりを挟み、壁に据えられたサイドボードの上に置いた。
そして年齢を感じさせない優雅な動きで立ち上がると、ドアを開けて廊下に出た。
彼女がこんな屋敷の奥にいたのは、夫であるオスロスと顔を合わせたくないからである。
別に夫とケンカをしている訳でもなければ、嫌っている訳でもない。
単に、二人でいると間がもたず、気が休まらないため、互いに避けるようになっただけである。
とはいうものの、一日中同じ屋敷で生活していれば、不意に顔を合わせてしまう事もある。
そんな気まずい状況を避けるため、彼女は日中は屋敷の奥に引きこもっている事が多くなっていた。
「・・・誰もいませんね」
日頃あまり人が利用しない屋敷の奥とはいえ、普段なら誰かしら――例えば掃除をしているメイドなりがどこかにいるものである。
しかし、今日は余程タイミングが悪かったのだろう。夫人はここまで来るまで誰にも出くわさなかった。
仕方なく少しずつ歩いているうちに、いつしか彼女は中庭の見える場所までやって来ていた。
「こんな所にいたのね。・・・あれは何をやっているのかしら?」
中庭には使用人達が集まっていた。その中心にいるのは息子夫婦――先代当主トマーツとその妻である。
笑顔の彼らに夫人は怪訝な表情を浮かべた。
そう言えば、今朝は孫のハルデンが領内を荒らし回る山賊を退治するために出発したはずである。
夫人は「ひょっとしてそれに関係があるのかも」と思ったが、どう関係があるのかまでは分からなかった。
「・・・・・・」
彼らが何をしているのか気にはなったが、あの輪に加わるのは気が引ける。
夫が息子と孫の教育方針で仲たがいして以来、夫人も何となく息子と話すのを避けるようになっていた。
古い価値観を持つ彼女は、貴族の妻は夫を支えるべきである、という考えを今も持っている。
自分が息子夫婦と仲良くすると、夫が一人だけ孤立してしまう。いくら夫と疎遠になっているとはいえ、妻が夫をないがしろにして良い訳はなかった。
夫人は彼らとは別の使用人を捜すべく、この場を立ち去ろうとした。
そんな彼女に声を掛ける男がいた。
「これはこれは、先々代のご夫人。こんな所にいらしたのですね。捜しましたよ」
「ヴィクセンですか」
夫人の前に現れたのは、流行りの服を来た身なりの良い四十前後の男。
この町の目抜き通りに店を構える大商人、ヴィクセンである。
「一体どうしたのですか? 今月はまだ屋敷に来る日ではないですが」
ヴィクセンはコルベジーク伯爵家の出入りの商人である。
彼は御用聞きとして月末にいつも屋敷を訪れていた。
「実は先日、先代当主様から急なご注文を受けまして。その品をお届けするために今日は参った次第でして」
「トマーツから?」
いくらヴィクセンが定期的に御用聞きで屋敷にやって来るとはいえ、急な事情で何かしら必要となる時もある。
そんな時には使いを出して屋敷に品を届けさせるのだが、夫人は今日彼が屋敷に来るとは聞いていなかった。
夫人は背後を振り返った。
使用人達が中庭に集まっていたのは、その届けられた品とやらを見るためだろうか?
(しかし、一体なぜ中庭で?)
夫人の疑問は深まるばかりだった。
ヴィクセンは揉み手をせんばかりの勢いで夫人に尋ねた。
「残念ながら当主様はお出かけのご様子。すれ違いになってしまい、残念に思っていた所でした。それで、いかがでしょうか? 何か私でお役に立てる事はございますでしょうか?」
どうやらヴィクセンは、折角コルベジーク伯爵家の屋敷に来たついでに、御用聞きを済ましてしまおうと思ったようだ。
そのために先程から夫人を捜していたようである。
とはいえ、夫人は物欲も薄く、豪遊するような人間でもない。
それに夫との仲が冷え込んで以来、夜会に出る事もほとんどなくなっているため、新しいドレスも必要としていなかった。
夫人は「特に頼む物はない」と言おうとして、ふと、先程の疑問を思い出した。
「トマーツはあなたに何を頼んだのです?」
「はい。先代様は――」
ヴィクセンの話に夫人は目を見開いた。
そして少し考えた後で彼に息子と同じ物を注文したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『どうやら上手くいきましたわね』
『はい。これもナカジマ殿のご協力とハヤテのアイデアのおかげです』
あれから一週間。
僕達は山賊団のアジトのあるガイドシーク山の麓で、新当主ハルデン達から報告を聞いていた。
太鼓腹の騎士団団長が、大きなお腹を揺すって満足そうに頷いた。
『逃げ出した山賊達もこれ以上はいない様子。警備隊の中に潜んでいた裏切り者――山賊団に買収されていた者達のあぶり出しも、昨日でようやく一区切り付きましたわい。後はここを引き払い、ハルデン様を無事にお屋敷までお返しするだけです』
団長は、遠足は家に帰るまでが遠足です的なノリで報告を締めくくった。
強行軍を決めたハルデン達は、たったの二日でこのガイドシーク山の麓までやって来た。
ハルデンは先行させていた騎士団員に用意させてあった装備を兵士達に配ると、自分達の目的が演習ではなく、領地を荒らすトゥラグ山賊団の討伐にあった事を説明した。
既に僕達とハルデン達の会話から、何となく察していた兵士達は、「やっぱりか」といった反応だったそうだ。
懸念されていた山賊団の動きだが、ずっとアジトに引きこもって何も行動を起こしていなかった。
後に捉えた山賊を締め上げた事で得た情報によると、どうやら僕が馬車を助けた時の攻撃で、首領のトゥラグ含め、主だった幹部達が全員やられていたそうだ。
ちなみにあの時の馬車に乗っていたのは、お隣の領地で最大の港町、レンドンの港町の中でも最大手の商会の商会主だったという。
大きな獲物を前に首領自ら気合を入れて挑んだ所で、僕という予想外の乱入者によって全てを台無しにされたらしい。
さて。逃げ帰った仲間から、事情を聞いた山賊団には大きく二つの選択肢があった。
このまま息をひそめて僕という厄災がどこかに行ってしまうのを待つか、アジトを捨てて隣のレンドン伯爵領に逃げ込むか、である。
首領を失い、主だった幹部すら失った彼らには、意見を纏め、仲間を引っ張って行ける存在がいなかった。
こうして彼らが、ああだこうだと無駄な言い合いをしているうちに時間は過ぎ、山の麓にハルデン率いる山賊討伐軍が到着してしまった。
彼らが「しまった!」と思った時には既に後の祭りであった。
山の麓に着いたハルデン達は早速、山狩りを開始した。
僕も汚名返上とばかりに、空から安全なルートを探索した。
ちなみにあの日、妙にふさぎ込んでいたラダ叔母さんは、翌日にはいつもの調子を取り戻していた。
『調子を取り戻したと言うよりも、ただの開き直りかな。今更、思い悩んだ所で仕方がないと割り切ったよ』
『何か分かりませんが、元気になられたようで良かったですわ』
ラダ叔母さんは僕に乗り込むと、『ハヤテよ。聖国と戦う事になりそうなら、その前に是非、私に相談してくれ』『聖国を亡ぼす場合でも、ウチの領地だけは見逃してくれよ』と、しつこく念を押して来た。
いやいや、聖国を亡ぼすって物騒だな。
ていうか、ティトゥのナカジマ領はミロスラフ王国の中では屈指の聖国派だと思うけど?
港町ホマレには、聖国からの投資も多いし、聖国の技術者も数多く派遣されている。
もしも聖国とミロスラフ王国の仲が悪くなったら、ナカジマ領こそいの一番にミロスラフ王国軍に攻め込まれるんじゃないだろうか?
『はんっ! カミルの坊やはそこまでバカじゃないだろう』
『もしそうなっても、ハヤテがいれば大丈夫ですわ!』
どうやらティトゥは、昨年、帝国軍を撃退した件(※第七章 新年戦争編 より)を思い出したようだ。
そりゃあ確かに、あの時の帝国軍の侵攻を防げたんだから、それよりも数段劣るミロスラフ王国軍なら相手にならないと考えるのも分かるけど、あれはたまたま上手くいっただけだから。もう一度同じ事をやれと言われても、多分ムリだから。
おっと、話が逸れた。
こうしてハルデン達の山狩りが行われた。
山賊達はこの期に及んでも、未だに逃げるか交戦するか、意見が割れていたようである。
結果としてそれが彼らの命運を決めた。彼らは貴重な時間を無駄に食いつぶし、気が付いた時にはハルデン軍に取り囲まれていたのだ。
戦闘は一時間もかからなかった。言うまでもなくハルデン軍の圧勝である。
山の中に逃げた山賊も、その日のうちにほとんどが見つかり、その場で始末された。
ハルデン達は捕らえた山賊から得た情報を元に、山賊達から賄賂を受け取っていた警備隊を取り押さえ、組織の膿を削除した。
その中には有力な男爵家の息子も含まれていたという。
こうしてハルデンの出兵は、申し分のない結末で無事、幕を閉じたのであった。
『実は最初は不安ばかりでしたが、終わってみれば予想を超えた良い結果にホッとしています。ハヤテも色々と手伝ってくれてありがとう。感謝しているよ』
『サヨウデゴザイマスカ』
『ハルデン様。そろそろ帰りの仕度を致しましょう』
ハルデンは騎士団団長に呼ばれて振り返った。
そう言えば、団長さんは最初の頃は「若君」と呼んでいたけど、いつの間にかハルデン様と名前で呼ぶようになっていた。
これって、ハルデンの事を主人の息子ではなく、主人として認めるようになったという事なんだろうか?
『ではレブロン伯爵夫人、ナカジマ殿、ハヤテ。次は私の屋敷でお会いしましょう』
『ああ』
『分かりましたわ』
『ゴキゲンヨウ』
「「ギャーウー(バイバーイ)」」
ハルデンはファル子リトルドラゴンに微笑みかけると、自分の馬の方へと立ち去って行った。
「最初はどうなるかと思ったけど、上手くいって良かったよ」
『そうですわね。これでハルデン様がお爺様に認めて貰えればいいんですけど』
ああ、そういえば最初はそんな話をしてたっけ。
「多分、大丈夫じゃないかな」
僕は去って行くハルデンの後姿を見つめた。
彼の背中は以前に比べると、どことなく大きく頼もしくなったように感じられた。
次回「小さな家族」