その10 大空からの襲撃
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街道を馬車に揺られる一組の中年夫婦。
二頭立ての大きな馬車、そして身なりの良さから、裕福な夫妻である事が分かる。
人の良さそうな夫が、外を見ながらホッとため息をついた。
「昨日のうちに雨がやんでくれて良かったよ。この様子だと明後日にはレンドンに戻れそうだ」
彼の名はフェブル。レンドンの港町の目抜き通りに店を構える、大店の店主である。
フェブルが妻と共に、隣のコルベジーク伯爵領に来ていたのは、知人の葬儀に出るためである。
死因は年齢による老衰。
まだ彼が駆け出しの頃に随分と世話になった、いわば恩師とも言える存在であった。
その時、馬車の外が急に騒がしくなった。
こんな何もない場所で何だ? と思う間もなく、御者が馬車を急停車させた。
「ど、どうした?! 何事だ?!」
「フェブル様! 賊です! 前方に賊が現れました!」
馬車の横。馬に乗った若い男が、腰に佩いた剣を引き抜きながら叫んだ。
護衛として連れて来ていた、商会の腕利きの男達である。
「あ、あなた?!」
「お、落ち着きなさい! おい、賊だと?! 相手は何人いる?! お前達でどうにか出来そうなのか?!」
フェブルは青ざめる妻を宥めながら、男に尋ねた。
護衛は強張った表情で短くかぶりを振った。
腕利きの護衛とはいえ、こちらは三人。そして目の前の賊の数は優に二十人を超えていた。
「二十人以上だと?! どうしてこんなに近くに来るまで、誰も気付かなかったんだ?!」
「上手く隠れていたようです。おそらく、町で噂になっているトゥラグ山賊団とかいうヤツらに違いありません。俺達がヤツらを引きつけておくので、フェブル様と奥様はどうにかしてさっきの町まで逃げ延びて下さい」
「トゥラグ山賊団・・・」
フェブルの顔から血の気が引いた。
トゥラグ山賊団は、この辺りの街道を荒らし回っている野盗集団である。
首領のトゥラグは、海賊上がりの残虐な人間として知られている。
フェブルはこんな状況でありながら、息子夫婦を連れて来ていなくて良かったと思った。
護衛は馬から降りるとこちらに手綱を差し出した。
「さあ、急いで」
フェブルはハッと我に返ると、慌ててドアを開けて、馬車の外に出た。
彼は予想以上に山賊達が近くにいた事に驚きながら、妻が降りるのに手を貸した。
山賊達は武器を振り上げると走り出した。
「一人も逃がすな! 皆殺しにしろ!」
「「「うおおおおおっ!」」」
「ひっ!」
「早く馬に乗って! お前達、フェブル様をお守りするぞ!」
「「お、おう!」」
多勢に無勢。
山賊達の勢いに護衛三人が飲み込まれるかと思われたその時だった。
街道にヴーンという甲高い声が響き渡った。
「こ、今度は一体何だ?!」
フェブルが慌てて辺りを見回したその瞬間だった。
ドドドドド・・・!
腹に響く低い音と共に地面にいくつもの土煙が上がったのだった。
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レブロン伯爵夫人、ラディスラヴァは湧き上がる興奮を抑えきれずにいた。
目の前の馬車を助けるか、助けないか。隠れ潜んでいた山賊と戦うか、戦わないか。
ドラゴン・ハヤテが選んだのは、『馬車を助けるために山賊と戦う』というものだった。
(私としてはどちらでも良かったが、こうしてハヤテが戦う所を間近で見る事が出来るのだ。むしろ願ってもないといった所か)
二年前、ミロスラフ王国に突如現れたドラゴン・ハヤテ。
ハヤテは何と、ランピーニ聖国のあるクリオーネ島から、カルシーク海を越え、ミロスラフ王国のあるペニソラ半島まで一日で往復する事が出来るという。
いくら空が飛べるとはいえ、冗談のようなバカげた移動力である。
それだけでも十分に驚異的な能力であるにもかかわらず、ハヤテの上から見下ろす景色は、あらゆる情報を丸裸にしてしまう。
川の流れ、街道の位置、砦の縄張り、町の形や大きさ、建物の配置。
(仮にもし、今が戦争中で、どこかの国の軍が行軍中だとしても、ハヤテの目にはどれだけの兵力がどこにどのように配置、ないしは移動しているのか、全てお見通しという訳だ)
これがどれだけ恐ろしい事か分かるだろうか? いかに防諜活動を完璧に行ったとしても、兵士の存在そのものを消す事など出来はしない。
つまりハヤテの目を欺く事は誰にも出来ないのである。
そんな常識外れの行動範囲、そして圧倒的な情報アドバンテージを持つハヤテだが、更に人知を超える攻撃力を持っている(※ティトゥ談)という。
レブロン伯爵夫人は前々から、「なる程。ならば是非一度、自分の目で直接見てみたいものだ」と思っていた。
(まあ、確かにハヤテはこの大きな体だ。まともに当たれば人間など一ひねりだろうが)
ティトゥの説明によると、ハヤテは「龍咆哮閃光枝垂れ」(※20mm機関砲)と「双炎龍覇轟黒弾」(※250kg爆弾)という二つの武器を持っているという。
双炎龍覇轟黒弾は、以前に見た事があるが、大きな音と共に、港を塞いでいた沈没船を破壊していた。(第三章 王都招宴会編 その22 あれは”双炎龍覇轟黒弾”より)
しかし、あの攻撃はハヤテの切り札。そう何度も使える物ではないという。
さもありなん。あれ程の威力を持つ攻撃だ。おそらく、使用には色々と大変な条件を満たす必要があるのだろう。
ならばハヤテのもう一つの武器、龍咆哮閃光枝垂れも、簡単には使えないのではないだろうか?
「大変! 馬車の人達がもう襲われていますわ!」
『行くよティトゥ! このまま山賊達を攻撃する!』
伯爵夫人はティトゥとハヤテの声にハッと我に返った。
胴体内補助席は視界が狭い。夫人は首をよじってどうにか外の様子を見ようとした。
その時だった。
(ハヤテが吠えた?!)
ドドドドドド・・・!
腹に響く龍の咆哮。夫人はハヤテが龍咆哮閃光枝垂れを使用した事を直感した。
夫人は居ても立っても居られずに、安全バンドを外すと風防に張り付いた。
「ラディスラヴァ様?!」
『ちょ! ラダ叔母さん何やってるの?! 攻撃するから安全バンドをしといてって言ったよね?!』
ティトゥとハヤテにとがめられたが、レブロン伯爵夫人はそれどころではなかった。
夫人は背後を振り返った。
「おい・・・ハヤテ、お前今、一体何をやったんだ」
『?』
20mm機関砲の着弾で起きた土煙は、既に吹き消されようとしている。
そして街道には倒れたままでピクリとも動かない山賊が三人。
そう。あの一瞬。僅か一~二秒の時間で、ハヤテは三人もの山賊を倒してのけたのである。
ハヤテは夫人の突然の行動に驚いたが、今はそれどころじゃないと思い直した。
山賊達は突然の襲撃に混乱しているが、正気に戻れば馬車の人達を人質に取るかもしれない。
ハヤテは「今は馬車を助けなければ」と 夫人の説得を一先ず諦めて翼を翻した。
ドドドドドド・・・!
再びハヤテの20mm機関砲が火を噴いた。
伯爵夫人の目には、赤い光の線が――閃光弾が光の尾を引きながら、犠牲者の体に吸い込まれていく光景がハッキリと映っていた。
今度は四人。山賊達はあっけなく倒れた。
ハヤテはほんの一往復、僅か数十秒の間に、七人もの山賊を倒した事になる。
レブロン伯爵夫人は心の中で叫んだ。
(これは、こんなものは戦いじゃない!)
相手は人の命を何とも思わないような山賊だ。だから彼らがいくら殺されようと、夫人の心はピクリとも動かない。
だが夫人は、まるで虫を潰すようにあっさりと人間を殺せるハヤテの理不尽な力の方に、本能的な恐怖を覚えた。
(ドラゴンは・・・ドラゴンとは、どれ程、我々人間を超越した存在なのだ)
ティトゥの語るハヤテは、人間を超えた叡智を持ち、高潔な魂を宿し、優れた力と優しい心を持つ、あらゆる生物の頂点に立つ究極の存在である。
だが、レブロン伯爵夫人の見立てでは、確かにハヤテは目を見張る能力を持っているが、それは飛行力に限った事で、精神は至って凡庸。むしろ大きな体をしていながら、臆病で頼りない性格をしているとまで思っていた。
だが、それはドラゴンの本当の力を知らない、自分の思い違いだったらしい。
ハヤテは決して臆病などではない。
彼は日頃から、自分が吼えるだけであっさりと死んでしまう弱い人間達に気を使っている。その姿が事情を知らない者の目には臆病に映ってしまうだけだったのである。
夫人は初めてティトゥの言っていた言葉の意味が分かった気がした。
ハヤテは優しくて気高いドラゴン。
(まさか・・・まさかハヤテがこれ程の怪物だったとは・・・)
レブロン伯爵夫人が密かに戦慄を覚える中、ハヤテは更に二往復して、山賊達を全て蹴散らしていた。
生き残りの山賊の姿を捜していたハヤテが叫んだ。
『ティトゥ、あそこを見て! 馬に乗った男達が逃げて行くよ!』
「! やっぱりラディスラヴァ様の考えていた通り、林の中にも山賊の仲間が潜んでいたんですのね」
どうやら山賊達は獲物を取り逃がさないように、林の中に伏兵を潜ませていたようだ。
十人程の山賊達が馬に乗って別方向に、全員バラバラに逃げ出していた。
「ハヤテ! 急いで追いかけましょう! ここで逃がしてしまってはマズイですわ!」
『分かってる!』
ハヤテは翼を翻すと、逃げ出した山賊達の後を追ったのだった。
次回「強行軍」