その9 トロッコ問題
僕が見つけた不審な集団。
彼らはまるで街道を取り囲むような形で潜んでいた。
まさか、彼らの目的は――
ラダ叔母さんが『ふむ』と外の景色を見回した。
『他領の事だし、正確な所までは分からんが、この辺りはコルベジーク伯爵家の者達から聞いていた、山賊団の活動範囲に含まれるんじゃないかな?』
『えっ?! だったら、ハヤテが見つけた人達って?!』
ティトゥがハッと息を呑んだ。
やっぱりか。
そう。彼らはこの辺りの街道を荒らし回っているトゥラグ山賊団。それにほぼ間違いないだろう。
『ハヤテ!』
「分かった! 今から引き返すからティトゥ達も下を良く見てて!」
僕は翼を翻すとUターン。街道を東へと向かった。
「そこ。今の場所だけど、見えたかな?」
『ええ! ハヤテの言った通りでしたわ!』
さっきは一瞬で通り過ぎたため、ハッキリとは分からなかったが、目を凝らしていれば良く分かる。
そこにはざっと二十人程の、武装した男達が隠れていた。
『二十人・・・いや、もっと多いかもしれんな。すぐ近くに小さな林がある。私ならあそこに手勢を潜ませておくだろうからな』
『場所といい、人数といい、これは山賊団に決まりですわね!』
フンスと力を入れるティトゥに、ラダ叔母さんが問いかけた。
『それでどうする?』
『えっ? やっつければいいんじゃないですの?』
『我々の仕事は山賊団の本拠地を見張る事だぞ。山賊達をどうこうする事じゃない』
『あっ・・・』
確かに。
思わぬ発見?遭遇?に、つい色めき立ってしまったが、僕達に与えられた役割はあくまでも山賊討伐軍本隊のサポート。
山賊団の連中に見付からないように、彼らのアジトを見張る事だった。
「ええと、だとすれば、ここは見て見ぬふりをして、最初の予定通りにガイドシーク山を目指した方がいいのかな?」
『そんな。せっかくハヤテが山賊達を見つけたっていうのに』
ティトゥは不満顔を見せた。
「いや、ティトゥ。山賊達を攻撃する事は出来るけど、もしそれで逃がしてしまったらどうするの? 山賊団に僕の存在を知られてしまう事になるんだよ」
『だったら全員やっつけてしまえばいいんじゃないですの?』
死人に口なし。全員殺してしまえば大丈夫って事か。
・・・いや、それはダメだな。さっきラダ叔母さんが、林に潜んでいる者達がいるかもしれないと言っていた。
もし、本当に林の中に山賊がいたら、そいつらが僕の情報を山賊団のアジトに持ち帰ってしまうかもしれない。
ラダ叔母さんは大きく頷いた。
『ああ、そうなれば、山賊団の拠点を見張るという我々の役目は失敗に終わるな』
僕の存在がバレてしまうだけならまだいい。
最悪、山賊団はアジトを引き払って隣の領地に逃げ込んでしまうかもしれない。
そうなれば、山賊団討伐作戦そのものの失敗である。
「ねえティトゥ。もし僕達の勝手な行動で、山賊団を取り逃がす事にでもなったら、どうやってハルデン達に謝る訳? 今後、コルベジーク伯爵領でトゥラグ山賊団の被害が出る度に、「あの時の討伐作戦が失敗しなければ」なんて言われ続ける事になるんだよ」
『それはそうですけど・・・』
ティトゥは声を詰まらせた。
しかし、僕達に悩む時間は残されていなかった。
「ギャウー(パパ。前から馬車が来るよ)」
「ん? 何だいハヤブサ。街道なんだから馬車ぐらい・・・あっ! マズイ! ティトゥ、馬車だ!」
『えっ? ――ああっ! このままだと、直ぐにさっきの場所に到着してしまいますわ!』
そう。薄緑色の子ドラゴン、ハヤブサが見つけたのは街道を西に向かう一台の馬車と、その護衛と思われる三組の騎馬。
三人の護衛を連れた、二頭立ての大型馬車であった。
僕達は選択を迫られていた。
馬車が山賊達の隠れている場所に到着するまで、あまり時間は残されていない。
今からでは助けを呼んで来る時間もない。
馬車に乗った人達を助けるつもりなら簡単だ。
すぐに引き返して山賊達を攻撃すればいい。
だが、そうなれば山賊団に僕の存在がバレてしまう。
作戦は失敗。山賊団には逃げられてしまうだろう。
だが、このまま何もしなければ、馬車は山賊達に襲われてしまうに違いない。
護衛に守られているような大型馬車だ。山賊達にとってはまたとない獲物だろう。
馬車の人達は、最悪、身ぐるみを剥がれて皆殺しにされるかもしれない。
目の前の馬車を助けるか? それとも、彼らを見捨てて、ハルデンの部隊による山賊団討伐作戦を成功させるか?
手の届く範囲の被害者を助けて、将来に大きな禍根を残すか、少数の犠牲を許容して、山賊団を根こそぎ駆逐するか。
小を取って大を殺すか、小を殺して大を取るか。
そう。これはまるで『トロッコ問題』だ。
トロッコ問題、あるいはトロリー問題とは、有名な思考実験の事である。
内容はこうだ。
暴走するトロッコの先に五人の作業員がいるとする。
このままにしておけば、トロッコは作業員達に激突。五人は全員死んでしまう。
だが、あなたの前にはレールの分岐器――切り替えスイッチがある。
これを切り替えれば五人は助かるのだが、切り替えた先には別の作業員が一人いる。
あなたが何もしなければ、五人もの人間が死んでしまう。
あなたが分岐器を動かせば、五人は助かるが、全く無関係な人間が死んでしまう。
なにもせずに五人を殺すか、行動して一人を殺すか。
運命に任せて自分は手を出さないか、犠牲を容認するか。
命は平等と誰も選ばないか、多数のために少数を切り捨てるか。
これは正解の存在しない倫理学的な問題なのである。
『ハヤテ・・・』
『どうするのだ、ハヤテ』
ティトゥとラダ叔母さんは僕に判断を委ねるようだ。
そんなぁ、と思わないではないが、もし、馬車を助ける事になったら、実際に山賊達を攻撃するのは僕なんだから、当人に決めて貰おうという考えなのかもしれない。
気持ちは分かるけど、正解のない問題を押し付けられた方としては、たまったもんじゃない。
どうしよう?
どうするのがいいんだろうか?
作戦を重視するなら、勝手な事をするべきではない。
この作戦には多くの人と予算、それに新当主ハルデンのメンツもかかっている。
それを勝手な判断でぶち壊してもいいのか? いや。いい訳はない。
けど、僕が助けなかったら、馬車は山賊に襲われてしまうだろう。
ひょっとしたら、僕が何もしなくても、馬車は無事に逃げ延びるかもしれない。
三人とはいえ、護衛がいるのだ。あり得ない話ではない。
けど、それを言うなら、林の中に隠れている山賊なんていないかもしれない。
その場合、僕は慎重策を取ったあまり、無駄な被害者を出しただけという事になる。
「・・・・・・」
どうする? どうするのが正しい?
こうしている間にも、タイムリミットは刻一刻と迫っている。
僕は――
「ギャーウー(助けないの?)」
その時、ハヤブサが不思議そうに尋ねた。
彼はさっきから僕達の話を聞いていたが、良く理解出来なかったようだ。
「いや、助けない訳じゃないんだ。ええと、――あれ? これってどう説明すればいいんだ?」
僕はハヤブサに何が問題になっているのかを説明しようとして、ハッと我に返った。
そうだ。僕はさっき自分で、これはトロッコ問題だと言っておきながら、いつの間にか考え違いをしていた。論点がズレていた。
どうするのが良くて、どうするのが悪いか。
トロッコ問題に正解はない。良いも悪いもない。どっちの選択が正しくて、どっちの選択が間違っているなんて事はないのだ。
あるのは、自分ならどっちを選ぶか、という選択だけ。
そう。ハヤブサに助けない理由を説明出来ない時点で、僕の心は最初から決まっていたのである。
「山賊達を倒そう、ティトゥ」
『そうですわね! 私達で馬車の人達を助けましょう!』
ティトゥはパッと明るい表情になった。
どうやら彼女も僕と同じ気持ちだったようだ。
『ハヤテがそうと決めたのならそれでも良かろう』
ラダ叔母さんはニヤリと笑った。
「ギャウ?! ギャウ?!(なに?! ママなに?!)」
桜色の子ドラゴン、ファル子がバサバサと翼をはためかせながら飛び上がった。
話について行けない、というよりも、最初から話を聞いていなかった感じだ。
どうやら今まで寝ていたらしい。どうりで妙に静かだと思ったよ。
ティトゥは安全バンドを締めると、落ち着きなく動き回るファル子を捕まえた。
『ラディスラヴァ様も安全バンドを締めて下さいまし。――そう、ハヤブサを捕まえて。それでいいですわ。ハヤテ、行って頂戴!』
「了解」
僕は180度ロール。背面飛行に移りながら、下方向に180度ループ。
『おおおっ! こりゃスゴイ! 天地が逆転したぞ!』
「「ギャウギャウ!(※興奮している)」」
ラダ叔母さんとファル子達から大きな歓声が上がる。
急速旋回の空中機動、垂直方向へのUターン、スプリットSだ。
僕は山賊達に攻撃を仕掛けるべく、街道を西へと飛ぶのだった。
次回「大空からの襲撃」