その6 決行の朝
ここはお馴染みレブロン伯爵領砦。砦の空に朝日が昇る。
昨日は一日中曇っていて、「これは雪が降るか?」と思っていたけど、せいぜい小雨がパラつく程度だった。
本当にこの島では雪が降らないんだなあ。
ミロスラフ王国ではあんなに降り積もるのに。スゴイな北大西洋海流。
ガラガラと音を立てて二台の馬車が砦の中に入って来た。
『よお、ハヤテ。今日は絶好の山賊退治日和だな!』
開口一番、嬉しそうな顔で物騒な事を言いながら馬車を降りて来たのは、レブロン伯爵夫人ラダ叔母さんだ。
続いて彼女の旦那さん、レブロン伯爵と三人の子供達。
そう。新年式で王都に行っていた家族がようやく戻って来たのである。
遅れて二台目の馬車からティトゥと二人のメイド。メイド少女カーチャと聖国メイドのモニカさんが降り立った。
「ギャウ! ギャウ!(パパ! パパ!)」
それと二人のリトルドラゴンズ。ファル子とハヤブサ。
何と言うか、勢ぞろいって感じだね。
『ハヤテ。今日は妻の事をよろしく頼むよ』
レブロン伯爵が僕を見上げた。
そう。さっきラダ叔母さんが言っていたけど、今日はいよいよコルベジーク伯爵家新当主ハルデン指揮による、トゥラグ山賊団討伐作戦が開始されるのである。
「よろしく、と言われても、僕達は上空から偵察をするだけなんですけどね」
『――と言ってますわ。大丈夫。ハヤテに任せておけば心配する事なんて何もありませんわ』
いや、何で君はいつもそうやってハードルを上げて来るのかな。
僕は偵察をするだけって言ったよね。今回の作戦は新当主のハルデンのお披露目と言うか、周囲へのアピールが目的なんだよ?
僕らが目立つようなら、その時点で作戦は失敗なんだからね。その辺の事が分かってる?
『なあに、あちらの騎士団も少し鍛えてやったからな。時間が無かったので大した事は出来なかったが、陸に上がった落ちこぼれ海賊程度に後れを取るなど、まずはないだろうよ』
叔母さんの言葉に子供達は『ママすごい!』と大興奮だ。
そんな光景に苦笑するレブロン伯爵。そしてどこか遠い目をするレブロン騎士団員。
どうやら今の叔母さんの言葉は、彼らの思い出したくない遠い記憶を刺激したようだ。
うん。頑張れ。
さて、それじゃそろそろ出発しようか。
『ナカジマ殿もどうかお気を付けて』
『ありがとうございます。お昼には一度戻って来ますわ』
『・・・ああ、そう言えばそんな予定だったね。分かってはいたけど、コルベジーク伯爵領は王都の反対側なんだが・・・。ハヤテの速度は本当にデタラメだな』
伯爵は新年式に参加した後、何日もかけて王都からこのレブロンに戻っている。
自分達が馬車で数日かけて進んだその距離の、そのまた先へ行くにも関わらず、お昼には戻って来るというティトゥの言葉に、伯爵は引きつった笑みを浮かべた。
『前離れー! ですわ!』
「「ギャウー(離れー!)」」
『ふむ。ナカジマ殿はいつもそれを言っているが、中々カッコイイな。次は私も一緒に言ってみるか』
好きにやってくれていいですよ?
「エンジン点火! 試運転異常なし! 離陸準備よーし!」
ババババババ・・・
エンジンが始動、プロペラが回転すると、子供達が興奮して叫んだ。
『わースゴイ、スゴイ! 大きな音ー!』
『コラ! あまり前に出ると危ないぞ』
『さ、寒いです! ハヤテ様、ここにはレブロン伯爵のお子さんもいるんですから、もう少し風を抑えてくれませんか?!』
メイド少女カーチャから無茶な注文が飛ぶ。
レシプロ機はプロペラを回す事で推進力を得るから。風を抑えるのはムリだから。
「離陸!」
僕はエンジンをブーストさせると地上を疾走。
タイヤが地面を切ると、僕の体は冬の空へと飛び立つのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここはコルベジーク伯爵家の屋敷。
新当主ハルデンは、出発前に両親に挨拶をしていた。
「それでは父上、母上、行って参ります」
「うむ。成功の知らせを待っておるぞ」
「体には気を付けてね。無理をしちゃダメよ」
ハルデンの父、先代当主トマーツは、鎧姿の太鼓腹の中年男に振り返った。
「団長、息子をよろしく頼むぞ」
「お任せあれ! ワシの目が黒いうちは、若君には指一本触れさせんわ!」
コルベジーク騎士団の団長は、長いヒゲを震わせて「ワッハッハ」と豪快に笑った。
団長は今年四十歳。未だに衰えを知らない、血気盛んな勇猛な騎士である。
彼と先代当主トマーツは、かつては轡を並べて戦った盟友でもあった。
「・・・・・・」
「――むっ? どうしました、若君?」
屋敷に振り返ったままのハルデンに、団長は怪訝な表情を浮かべた。
「・・・いや、何でもない。それよりも団長、僕ももう父の跡を継いで当主になったんだから、いつまでも若君と呼ばないで欲しいんだけど」
「やっ! これはしまった! ワシとした事がまたやってしまいましたか?! 申し訳ありません若君!」
彼に悪気はないのは分かっているが、治らない若君呼ばわりに、ハルデン達は苦笑するしかなかった。
(団長にとっては、僕は今でも未熟な若君なんだろうな。そしてそれはお爺様も同じという事か・・・)
ハルデンは己の不甲斐なさに物悲しい気持ちになった。
先程ハルデンが屋敷に振り返っていたのは、祖父のオスロスの姿を捜すためだった。
彼の父トマーツと、祖父オスロスは、もう一年以上もほとんど口をきいていない。
王城の新年式も、オスロスは年齢による健康状態を理由にして、屋敷に残っていたくらいである。
当然のように今朝の見送りにも顔を出していなかった。
(僕がもっとしっかりしていれば、こんな事にはならなかったんだろうな)
ハルデンは、自分が二人の仲互いのきっかけであり、原因だと思っていた。
息子を、孫を、コルベジーク伯爵家の次期当主としてどう教育し、どう育てるべきか。
親子の性格の違いによる考え方、世代の差による価値観の違いは、教育方針の違いという形で現れた。
生真面目なオスロスに対して、豪快なトマーツ。一見、全く共通点のない親子だが、こうと決めたら絶対に譲らない頑固な所だけはよく似ていた。
二人のすれ違いはやがて大きなしこりとなり、遂には修復困難な深い亀裂となっていった。
(それでも、父上達はいがみ合っている訳でも、憎しみ合っている訳でもない。ただのすれ違いなんだ。だったら、必要なのはきっかけ。それさえあれば、元通り――は難しくとも、仲直りする事くらいは出来るに違いない)
悪いのは半人前の自分。
自分さえ一人前の領主と認めて貰えれば、仲たがいの原因もなくなるはずだ。
だが、具体的にどうすればいいのかが分からない。
ハルデンはずっとそのチャンスを待ち望んでいた。
そしてつい先日。レブロン伯爵夫人が隣国の女当主と共にドラゴンに乗って現れ、父のトマーツが山賊退治の話を出した時、彼は「これだ!」と思った。
父がまだ当主を継いだばかりの頃、当時、領内を荒らし回っていた山賊を退治した事で、傘下の貴族達に認められたという話は聞かされていた。
ここで自分が実績を示し、祖父に一人前と認められれば、祖父と父親のわだかまりも解消されるに違いない。
「では行きましょうか若君」
「ああ」
ハルデンは両親に手を振ると、馬上の人となったのであった。
町の外には今回の作戦に参加する兵士達が集まっていた。
人数は約千人。内訳は、騎士団員二百人。そして一般の兵士が約八百人である。
たかが千人。しかし、ハルデンはこれだけの兵士を率いた経験はなかった。
いや、率いるどころか、彼は千人もの兵士を実際に目の当たりにした経験すらなかった。
ハルデンが内心でしり込みしていると、彼の姿に気付いた兵士達が一斉にこちらに振り返った。
ハルデンは昨年当主になったばかりの新人当主である。こんな風に大勢から注目を浴びるのには慣れていなかった。
緊張するハルデン。
しかし団長は長い髭を撫で付けながら唸り声を上げた。
「むうっ。何だこの情けない兵士共は。まあワシの部下の騎士団員達もいるし、山賊相手ならこれで十分かもしれんが。そもそも急場でかき集めた兵士ならこんなものか」
すっかり浮足立っていたハルデンは、全く動じていない彼の姿に憧れの視線を送った。
(さ、流石は団長だ。そうとも。団長は二十年以上も山賊を相手にして来た経験豊富な騎士。彼に任せておけば大丈夫だ。僕が恐れるような事は何もありはしない)
ハルデンがそう自分を鼓舞していると、団長はふと、何かに気付いた様子で空を見上げた。
「ん? あれは・・・」
東の空に現れた小さな点。それはみるみるうちに大きくなっていった。
やがて特徴的な唸り声が辺りに響き渡る。
そう。ミロスラフ王国のドラゴン、ハヤテが到着したのである。
「「「「おお~っ!」」」」
兵士達から大きなどよめきが上がった。
この数日間、ハヤテは何度もティトゥ達を乗せてここ、コルベジーク伯爵領を訪れている。
町の者にとっても、その姿はすっかり馴染みのものとなっていた。
ハルデンは、大空を舞うハヤテの姿を見上げた。
「ハヤテが到着したか。確か今日はレブロン伯爵夫人もやって来るという話だったけど・・・」
「何ですと?!」
大きな声にハルデンが振り返ると、団長は驚きの形相で限界まで目を見開いていた。
「? 団長?」
「わわ、若君! いい、今の言葉は本当ですか?! この作戦にはレブロン伯爵夫人が――海賊狩りの王女が参加するのですか?!」
レブロン伯爵夫人。その単語が騎士団員達に与えた衝撃は大きかった。
彼らは一斉に団長と同じように青ざめ、額に汗を浮かべるとガクガクと震え出した。
「えっ? ど、どうしたんだ団長? さっきまでの自信に溢れた姿はどこに行ったんだい? それに騎士団員達も。みんな一体、どうしたっていうんだ?」
一人だけ事情の分からないハルデンは、騎士団員達の突然の変わりように、驚きと戸惑いの表情を浮かべるのだった。