その3 コルベジーク伯爵家の問題
ティトゥ達が庭に戻って来た。
先頭に立っているのは、見るからに気難しそうな印象の白髪の老人。先々代のコルベジーク伯爵家当主――つまりは現当主のお爺さん――であるオスロスさん。
彼の後ろでハヤブサを抱いて歩いているお婆さんは、多分、オスロスさんの奥さんだろう。
さっきはいなかったけど、僕を警戒して屋敷に残っていたんじゃないかな。多分。
「お疲れ、ティトゥ。どう? 上手く行った?」
『ボソリ(後で話しますわ)――オスロス様。今日は突然お邪魔してご迷惑をお掛けしましたわ』
なんだろう? 僕はティトゥの表情が妙に固いのが気になったが、空気を読んでここで聞くのは遠慮する事にした。
オスロスさんは目をすがめて僕を見上げた。
『構わん。おかげで珍しい生き物も見せて貰ったしな。噂では聞いていたが、まさかこの歳になって、伝説のドラゴンを目にする事になるとは思わなんだ』
桜色のリトルドラゴン、ファル子がバサバサと翼をはためかせると、操縦席に飛び込んで来た。
「ギャウ! ギャウ!(パパ! パパ!)」
「お帰り、ファル子。ちゃんとママの言いつけ通りにいい子にしていたかい?」
「ギャウー!(私、いつもいい子だもん!)」
うん。言い過ぎ。残念ながらいつもではないかな。
ハヤブサの方はと振り返ると、オスロスさんの奥さんに抱かれたままでいる。
奥さんは現れてから終始無表情。無言のままでハヤブサを撫で続けている。
何というか、ちょっと怖い雰囲気だ。
とはいえ、ハヤブサが大人しくしているので、イヤがっているのを無理やり、といった訳ではないと思う。
「ギャウ!(ハヤブサ! アンタもこっちに来なさい!)」
「ギャーウー(ええ~。・・・行っていい?)」
ハヤブサはニュッと首を伸ばして、オスロスさんの奥さんに声を掛けた。
『・・・あっちに行きたいの?』
「ギャウー(うん。ファル子に呼ばれてるから)」
『そう』
奥さんはハヤブサをそっと足元に下ろした。
「ギャウ!(ハヤブサ!)」
「ギャーウー(分かってるって)」
ハヤブサはバサバサと羽ばたくと操縦席に乗り込んだ。
「お帰り、ハヤブサ。ファル子は屋敷でいい子にしてた?」
ファル子は「ギャウ?!(パパ?!)」と驚きの表情を浮かべた。
僕に信用されていなかった事がショックだったようだ。
いや、別にファル子の事を信用してない訳じゃないんだぞ。ただ、ファル子は忘れっぽいから、みんなに迷惑をかけた事も忘れてるんじゃないかと心配しただけで。
「ギャーウー(う~ん。普通?)」
「ギャウ、ギャウ!(違う! 私、いい子だもん!)」
『あなたたち、何を騒いでいるんですの? みんなに迷惑ですわよ』
いつの間にかティトゥが主翼に立って、操縦席を覗き込んでいた。
「・・・ギャウー(・・・ファル子のせいで僕までママに怒られた)」
「ギャウ!(私、悪くない!)」
バサバサと翼をはためかせて荒ぶるファル子。
ラダ叔母さんはオスロスさんとの挨拶を終えると、こちらへやって来た。
「それで? 話は終わったんだろ? だったらどうする? まだお昼前だし、次の三伯の屋敷にでも向かう?」
『――と言ってますわ。その事だけど、ハヤテ。一度レブロンの港町まで戻って貰ってもいいかしら?』
『ああ、少し私達だけで話をしよう』
二人は声を潜めてそう言った。
「そう? 分かった。僕は別に構わないよ」
二人が乗り込むと僕はエンジンを始動。
屋敷の人達に見送られながら、コルベジーク伯爵家の屋敷を後にしたのであった。
空の上。水平飛行に移ると、ティトゥはホッと大きなため息をついた。
『・・・息が詰まりそうでしたわ』
グッタリとシートに体を預けるティトゥを見て、ラダ叔母さんは苦笑した。
『ナカジマ殿はああいう空気が苦手みたいだな』
『ラディスラヴァ様に一緒にいて頂いて良かったですわ。私一人だったらどうしていいか分からなかった所ですわ』
ティトゥは相当に参っているようだ。一体、屋敷の中で何があったんだい?
『私だって苦手だ。夫からコルベジーク伯爵家は、家族仲が上手くいっていないとは聞いていたが、まさかああいう事だったとはな』
ラダ叔母さんはそう言うと、屋敷で何があったのか語ってくれた。
・・・って、なる程。これはティトゥがげんなりしてしまう訳だ。
僕もその場にいたらいたたまれなくなっていただろう。
コルベジーク伯爵家、というよりも、オスロスさん夫婦が抱えていたのは、夫婦仲の悪化であった。
とは言っても、夫の浮気とかそういう分かりやすい原因があった訳ではないらしい。
『オスロス夫妻と言えば、自分を厳しく律する事の出来る、古き良き時代の理想の貴族夫婦として有名だ。互いに何となく反りが合わなくなったのを、長年、我慢し続けているうちに、一緒にいる事すらも耐えがたくなったのだろう』
なる程。夫婦揃って真面目な性格なんだな。
どうやら二人共、外で羽目を外したり、わがままを言ったりして、上手くガス抜きが出来ない性格らしい。溜め込むタイプと言ってもいい。
ティトゥが納得顔でウンウンと頷いた。
『当主というのは、いつも重圧がかかっているものですものね』
そうなんだろうけど、それを君が言う? 君の場合、重圧のほとんどを代官のオットーが背負ってるだろうに。
今の言葉は、メイド少女カーチャくらい真面目に仕事をするようになってから言おうね。
「ギャウギャウ!(私! 私もそう! じゅうあつ!)」
そしてファル子。言葉の意味すら分かっていないのに、取り敢えず乗っかろうとするのは止めようか。
僕らの話に参加出来ずに退屈しているのは分かるけど。
オスロスさん達は夫婦仲は冷え込んでいるものの、離婚までは行かないようだ。
コルベジーク伯爵家は領主貴族派のトップ、三伯の一角だ。例え今は当主を引退した身とはいえ、奥さんと別れてしまうと周囲に与える影響が大きすぎるのだろう。
今でも夜会や式典の時には夫婦揃って出席しているようだが、会話をしないどころか互いに顔すら合わさないらしい。
そこまでイヤなら夫婦別々に参加すればいいのに、と思うのだが、それはそれで外聞が良くないそうだ。
そういった事情もあって、最近ではあまり社交場にも顔を出さなくなっているという事である。
『それでも目的は果たせたから、行った甲斐がありましたわ』
僕達がコルベジーク伯爵家を訪ねた目的。それは三伯にエルヴィン王子の後ろ盾になって貰うというものだった。
オスロスさんは快く協力を約束してくれた。
というよりも、『心ある聖国の貴族であれば、黙って王太子殿下をお支えするのが当然。それを三侯は、自分達が気に入らないなどという理由で、王家が定めた継承権を無視して別の者を推すなど、臣下の身としてあるまじき行為。不敬、不遜にも程がある』と、怒りを露わにしたそうだ。
「だったら上手くいったんだね」
『それが・・・そうとも言えないんですわ』
オスロスさんは協力を約束してくれた。しかし、それはあくまでもオスロスさん個人の話。
コルベジーク伯爵家は、既に彼の孫が当主になっているので、当主の方針に自分が口を挟む訳にはいかないそうだ。
真面目というか堅物というか、何とも融通が利かない人だね。
「それじゃ何も出来ないって言われたのと同じじゃん」
『いやいや、ハヤテ。そうでもないぞ。というよりも、オスロス老ならきっとそう言うんじゃないかと、最初から思っていたからな』
どういう事?
ラダ叔母さんの説明によると、オスロスさんは入り婿。元はコルベジーク伯爵家傘下の有力貴族の息子だったらしい。
そういった事もあって、彼は非常に傘下の貴族家に人望があるという。
彼らにとって「オスロスは俺達の代表」みたいな意識が強いからだそうだ。
『世代としては私より二回り程上の話になるが、彼らの間では未だにオスロス老の持つ影響力は非常に大きい。勿論、オスロス老が現役時代に真面目に領主の仕事を勤め上げたから、というのも彼が周りから信頼されている理由のひとつなんだが』
「なる程。外堀を埋めた訳か」
『分かった! 当主達が新年式から戻って来る前に先にオスロス様を味方に付けて、こちらのお願いが通りやすい状況を作っておいた、という訳ですのね!』
ハタと手を打つティトゥに、ラダ叔母さんは『そういう事だ』と頷いた。
『後は当主のハルデンと、前当主のトマーツ達が聖王都から帰って来るのを待って、話をしに行くだけだ。オスロス老の影響力は未だに大きいからな。彼らも断る事は出来んだろう』
『きっと上手く行きますわ!』
「ギャウギャウ!」
退屈したファル子が、構って欲しくてティトゥにじゃれついた。
それはさておき。どうにか上手く行きそうで良かったよ。
僕は幸先の良いスタートに、ホッと胸をなでおろした。
今の僕は、なでおろす胸も手もない四式戦闘機ボディーなんだけどさ。
といった訳で、この時の僕達は話し合いの成功を確信していた。
しかし、僕達はコルベジーク伯爵家の抱えている問題を甘く見ていた。
問題は、オスロスさん夫妻の夫婦仲の悪化だけではなかった。
オスロスさんは、先代の当主――息子のトマーツさんとの親子仲も悪くなっていたのである。
何でもこの数年、ロクに口も利いていないらしい。
オスロスさん。あなた奥さんとだけじゃなく、息子さんともですか。
そう。コルベジーク伯爵家の家庭は、僕達が思っていたよりもずっと拗れていたのであった。
次回「コルベジーク一家」