その27 王都に降り積もる雪
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一昨日から降り続けた雪は今朝になっても止む気配は無かった。
ミロスラフ王国の新国王カミルバルトは、白い息を吐きながら雪に覆われた大地を見下ろした。
「流石に撤退したか・・・」
ここは小ゾルタの旧王都バチークジンカ。
城壁の上では、兵士達が鈴なりになって町の外を見下ろしている。
彼らの視線の先。昨日まで町を取り囲んでいたヘルザーム伯爵軍はもういない。
予想通り、夜の間に撤退したようである。
カミルバルト率いるミロスラフ王国軍が、冬を越すためにここ、バチークジンカに入ったのは一ヶ月程前。
王都に入ったカミルバルトは、真っ先に、帝国軍の侵攻によって壊されていた城壁の修復を行わせた。
ヘルザーム伯爵軍が町の外に現れたのはその直後の事である。
正に修復が終わるか終わらないか。ギリギリのタイミングであった。
応急処置とはいえ、堅牢な城壁は、ヘルザーム伯爵軍の攻撃に良く耐えた。
かつては帝国軍五万の攻撃すらも跳ね除けた城壁である。
あの時もカメニツキー伯爵の裏切りさえ無ければ、王都の陥落は無かったかもしれない。
こちらは都市に立てこもって戦った事に加え、兵士の士気も高かった。
対して、ヘルザーム伯爵軍は連戦が続いている。
春にカメニツキー伯爵領に攻め込み、夏にはミロスラフ王国の砦を攻撃し、つい先日はピスカロヴァー王国(旧伯爵領)へと攻め込んでいる。
しかも、初戦のカメニツキー伯爵軍にこそ勝利したものの、その後は二回連続して負け戦が続いている。
そんな中での再度の出兵である。兵士達の士気が上がらないのも無理はなかった。
「ヘルザーム伯爵としては、軍を動かさずにはいられなかったのだろうが・・・。 無謀な戦いを命じられた将兵は気の毒だったな」
カミルバルトは、ピスカロヴァー国王の援助要請を受け、自ら軍を率いて旧ゾルタへと出兵した。
しかし、ヘルザーム伯爵軍は陣地を放棄。占拠中のカメニツキー伯爵領から動かせるだけの物資を全て引き上げると、自領へと撤退していた。
戦う相手を失ったミロスラフ王国軍はその足を止めた。
敵の焦土作戦を警戒したのである。
(厄介な事をしてくれる。年が明け、雪で街道が埋まれば、退却が困難になる。可能であれば年内に決着を付けたい所だが、カメニツキー伯爵領を放置したままヘルザーム伯爵領に攻め込むのは悪手だ)
もし、考えなしにカメニツキー伯爵領を通過すれば、飢えに苦しむカメニツキー伯爵軍が一か八か、物資を狙って背後から襲い掛かって来る恐れがある。
(そうなれば、俺達は補給も無く敵地で孤立する羽目になるだろう。ピスカロヴァー国王も同盟相手としてどこまで信じていいものか分からない。状況が悪くなれば、あっさりこちらを裏切って俺の首をヘルザーム伯爵に差し出すやもしれん)
実の所、ヘルザーム伯爵軍は士気の低下が激しく、ミロスラフ王国軍を迎え撃つ事が出来ないために、やむを得ず陣地を放棄、領地に撤退しただけなのだが、その行動が運良くミロスラフ王国軍の進軍を阻止する結果となっていた。
この時、カミルバルトは選択を迫られていた。
このまま危険を覚悟で進軍を続けるか、敵が撤退したのを良しとしてこちらも軍を引き上げるか。その二択である。
(――どちらも癪だな。よし。ならばいずれは手に入れたいと考えていた場所だ。少し早くなったが、この機会に頂いておくことにしよう)
カミルバルトが選んだのは三つ目の選択。
カメニツキー伯爵領の東、打ち捨てられた旧王都バチークジンカに入って、そこで冬を越すというものだった。
(ふむ。苦し紛れではあるが、意外とコイツは上手い考えかもしれん)
ヘルザーム伯爵領に攻め込むにあたって、カミルバルトは一度は勝っておきたかった。
出来れば、互いの条件が互角となる野戦で勝利を収めたかったが、相手が領地に引っ込んでいる以上、それは望めない。
不利を承知で砦を攻めるしかなかった。
(だが、俺達が王都に入れば、あのヘルザーム伯爵の事だ。きっと攻撃して来ずにはいられなくなるはずだ)
ヘルザーム伯爵は大のミロスラフ王国嫌いで有名だ。
ミロスラフ王国の国王が、自分達の国の王都に入るとなれば、これ以上の挑発は無いだろう。
「冬を越すための準備が敵への最高の挑発になる。一石二鳥の妙案というヤツだな。よし! 全軍、転進! 王都バチークジンカへ向かえ!」
このカミルバルトの策略はまんまと成功した。知らせを聞いたヘルザーム伯爵は怒髪天を突く勢いで激怒した。
「ミロスラフの若造が、調子に乗りおって! わが国の領土を踏み荒らしただけに飽き足らず、神聖なる王都までも下品な軍靴で汚そうとは!」
怒りのヘルザーム伯爵はすぐさま軍に王都奪還を命じた。
軍を預かる将軍は、当然のようにこの無謀な命令に反対した。
「お待ち下さい閣下! 我が軍は度重なる戦いに、兵士は疲れ果て、物資も底を尽きかけております! 今はむやみな出兵を控え、力を蓄える時期かと思われます!」
「黙れ! 歴代国王陛下の御霊の眠る王都が、ミロスラフの蛮族共に蹂躙されているのだぞ!」
「左様左様。将軍にはこの国を愛する伯爵様のお気持ちがお分かりにならないのですか?」
「こうしている今も、ミロスラフ王国軍は王都で力を蓄えているに違いありません。こんな所で言い争っている時ではありませんぞ」
(この閣下の腰巾着共めが! 閣下をお諫めするどころか、欲に駆られて媚びへつらいおって!)
将軍は無責任に出撃を命じる側近達に内心で歯噛みした。
十年程前、ヘルザーム伯爵軍には優秀な指揮官がいた。
軍に無くてはならぬ者。塩のように欠かせない将軍。
周囲の者達はそういった意味を込めて、彼の事を”塩将軍”の異名で呼んだ。
将軍の真骨頂はその優れた人材育成能力にあった。
彼の育てた騎士団は精強を誇り、対ミロスラフ王国との戦いで敵軍を大いに苦しめ、数多くの戦果を上げた。
この将軍も例にもれず、塩将軍の薫陶を受けた軍人である。
彼のような塩将軍の教え子達――将軍の戦闘教義を叩き込まれた将兵達が、本人亡き今もヘルザーム伯爵軍の中核を担い、ヘルザーム伯爵軍を精強たらしめているのである。
そんな名将軍の唯一の汚点であり最大の失敗。
それは最後まで自分の後継者を育てなかった事にある。
確かに塩将軍の鍛えた部下達は強い。しかし、それはあくまでも戦場での強さである。
彼らは良く言えば戦いのスペシャリスト。悪く言えば指示待ち人間の集まりだった。
いかに優秀な手足でも、その手足を扱うための優秀な頭脳が伴わなければ宝の持ち腐れである。
将軍の部下達には、大局的を物を見る事が出来る者もいなければ、政治力に長けた者もいなかった。
そのため、伯爵本人に具申するなどもっての外。その側近とすらまともに渡り合う事も出来ず、上から言われた命令に唯々諾々と従う事しか出来なかった。
こうしてヘルザーム伯爵は、塩将軍の遺産とも言える貴重な人材を、自分の気分や場当たり的な命令によってすり減らしていったのだった。
王都バチークジンカの中央には大河が流れ、大きく北と南に分かれている。
ヘルザーム伯爵軍は、自領に隣接する北に陣を敷いた。
初戦は呆気ないものだった。
士気も低く、物資も不足しているヘルザーム伯爵軍が、王都の堅牢な城壁の上から攻撃を行うミロスラフ王国軍に勝てる訳がなかったのである。
ヘルザーム伯爵軍は大きな犠牲を出し、後退した。
その後は王都を取り囲むだけで、二度とあちらから手を出す事は無かった。
カミルバルトは何度か軍を差し向け、戦いを挑ませたが、ヘルザーム伯爵軍はその度に軍を後退させ、誘いには乗って来なかった。
「ふむ・・・どうやら俺自らが出て来るのを待っているようだな」
将軍から報告を受けたカミルバルトは、敵の動きをそう読んだ。
ヘルザーム伯爵軍は初戦の敗戦で自分達に勝ち目がないのを知ったのだろう。
もし、この戦いに勝機があるとすれば、それは一発逆転。敵の大将首をあげるしかない。すなわち、指揮官であり、国王でもあるカミルバルトの殺害。
それ以外にこの戦いに勝つ方法はないと考えたに違いない。
「どういたしましょうか、陛下」
「ならば俺を囮にする――いや、冗談だ。そんな目で睨むな。わざわざ自分から相手の土俵に上がって、敵に勝ちの目を作ってやる必要は無い。攻めて来ないと言うのなら、その間に城壁の修理を済ませておくさ」
カミルバルトが出ない限り戦わない、というのであれば、それはそれでこちらとしては問題はない。
その間に守りを固めるだけである。
「王都に立てこもった我々に対し、敵は外で陣を敷いている。雪が降り出せば、敵の指揮官は短期決着を狙って一か八か攻めて来るか、諦めて退却するかのどちらかを選ぶだろう」
カミルバルトは、どちらかを選ぶ、とは言ったが、十中八九、敵は退却するだろうと考えていた。
戦いを挑んでも勝てないのは、初戦の結果で分かっているし、優秀な敵指揮官がやぶれかぶれの蛮勇に訴えて来るとは思えなかったからである。
カミルバルトは、城壁の上から白い大地を見下ろした。
昨日まで敵の陣地があった場所は、降り積もる雪に覆われ、既に真っ白に染められている。
「さて。ひとまずここまでは俺の予想通り、敵は退却した訳だが、今後はどうなるか」
半島では毎年、年が明けると同時に雪が降り積もる。
今年も例年通りの気候なら、この雪はしばらく降り続ける事だろう。
「流石に当分、攻めては来ないだろうな。再度の攻撃があるとすれば、雪解けと同時か。城壁を頼りにこのまま王都で待ち受けるか、あるいはこちらから打って出て野戦を挑むか」
その時こそ、ヘルザーム伯爵軍の最後。
そしてヘルザーム伯爵亡き後、この小ゾルタの地に表立ってカミルバルトに反抗する者はいなくなるだろう。
そうなれば大陸への道を塞ぐのは、愚帝ヴラスチミルの支配するミュッリュニエミ帝国だけとなる。
カミルバルトは遥か大陸まで続く空を見上げた。そんな彼を、見張りの兵士達が見つけた。
彼らは興奮に染まった顔で勝利の雄叫びを上げた。
「ミロスラフ王国万歳! カミルバルト陛下万歳!」
雄叫びは周囲に響き渡り、あっという間に城壁の上の兵士達の間に広がっていく。
「「「「「ミロスラフ王国万歳! カミルバルト陛下万歳! ミロスラフ王国万歳! カミルバルト陛下万歳!」」」」」
やがてこの声が大陸に響き渡る日が来るだろう。
カミルバルトは片手を上げて彼らの声に応えるのであった。
次回「若さ」