その22 撃墜王ハヤテ
近年、海外に知られるようになった、とある日本語がある。
それは「おもてなし」。
おもてなしとは相手を思いやる美しい日本の文化。
ちょっとした心遣い。細やかな気配り。そういった日本独特の奥ゆかしい文化が、外国人からも高く評価されているのである。
僕はこんな四式戦闘機の体になっているが、今でも心は日本人のつもりでいる。
というよりも、日本人の精神が魂に刻み込まれていると言ってもいい。
だから当然、おもてなしの心だって持っている。
だが、おもてなしとは、あくまでも小さな親切。さりげない思いやりであって、相手に押しつけるものではない。
度を越したおもてなしなど単なる自己満足。過剰なサービス精神は相手にとってはありがた迷惑でしかないのだ。
つまり僕が何を言いたいのかというと、やり過ぎは良くないよね、という事だ。
そう。僕という人間は、たまにスイッチが入ったようにやり過ぎてしまう事があるのである。
儀仗兵の隊長さんを乗せての遊覧飛行は、意外な程上手くいっていた。
飛び始めの頃こそ、随分と怖がっていた隊長さんだったが、直ぐに空から見下ろす王都の光景に心を奪われたのである。
『こ、これが聖王都。何という美しさだ・・・』
そういえば、この国では王都の事を聖王都と言うんだっけ。
どこまでも広がる町並み。そして町を見下ろす荘厳な白亜の城。
隊長さんは魂を抜かれたように、眼下に広がる光景を見つめていた。
実際、聖王都は、この世界で僕が見て来た町の中でもトップクラスに美しい都市だと思うよ。
僕がそう感想を告げると、隊長さんはまるで自分自身が褒められたかのように満足そうに頷いた。
『その通りだ。しかしそうか。ドラゴンの目から見ても、我が国の王都の景観は世界一なのだな』
『オウジョウ トクニ カッコイイ』
『おおっ! 分かっているではないか! この城を設計したのは、さる有名な将軍なのだ。彼は武勇に秀でていただけではなく、芸術に対しても深い造詣を持ち合わせていてな。城に対して機能性以上の物を――国の象徴、国家の顔としての品格といったものも求めたのだ。計算され尽くしたその美しい姿は、特に貴族街の目抜き通りから見た時の角度が秀逸で、青い空を背景に佇むその姿には誰もが心を打たれ、ため息を禁じえないと言われているのだよ』
隊長さんは自国の王城に並々ならぬ誇りを持っているらしい。興奮に頬を染めながら僕に説明してくれた。
ふうん。そうまで言われれば気になって来るというものだ。
僕は早速、隊長さんおすすめの絶景ポイントへと向かうために、機首を下げた。
下方向へのUターン、スプリットSという急速旋回である。
『おおっ?!』
隊長さんから驚きの声があがった。
しまった。最近だとこのくらいの空戦機動は、ティトゥを乗せている時にもたまにやるから、つい無意識にやってしまった。
『アノ・・・ゴメン』
『ハハハ、いやいや、今のは面白かったぞ! 天地がグルリと一回転しおったわ!』
隊長さんは豪快に笑った。
見た感じ、やせ我慢でも、空元気でもないようだ。彼が心から喜んでいるのは、その笑顔からも分かった。
僕はホッと安心した。
『なあ、ドラゴンよ。良ければ今のをもう一度やってくれんか? おおっ! そう、これだ、これだ! おおおおっ! アハハハ! こりゃあ面白い! こんな感覚は始めてだ!』
僕がローリングを繰り返すと、隊長さんは楽しそうに笑い出した。
どうやら彼は僕の空中機動が気に入ってくれたようだ。
飛ぶ前までの怖がっていた姿はどこへやら。今ではまるで子供のようにはしゃいでいる。
これはきっとアレだ。ジェットコースターに乗っているような気分なのだろう。
『空を飛ぶのがこれほど楽しいとは思いもしなかったぞ! 人間にお前のような翼が付いていない事が残念でならないくらいだ!』
隊長さんは大喜びだ。
ここまで喜んでもらえれば、僕だって嬉しくなって来る。
そうか、ジェットコースターか。だったら水平飛行をしているだけじゃ物足りないよね。
よしっ。
僕はエンジンをブースト。青い空を一直線に急上昇していった。
『おおっ! これはたまらん! 一体どこまで登って行くのだ! アハハハハハハ!』
「アハハハハハハ!」
ハ45”誉”エンジンの爆音轟く操縦席に、男二人の笑い声が響き渡る。
・・・今思えば、隊長さんが心から楽しんでいたのはこの辺りまでだった気がする。
やがて高度は約二千メートルに達した。
僕はブーストをカット。機首をフラリと真下へと――地上へと向けた。
『・・・えっ。ど、どうしたのだ、ドラゴンよ。急に静かになったぞ。おい、ドラゴンよ、どうした』
「じゃあ行きますよ~。せーの! うひょおおおおおおお!」
『ギャアアアアアアア!』
僕は急降下。凄まじい速度に機体がギシギシと悲鳴を上げる。
そう! この風、この肌触りこそ戦争よ!
いや、戦争関係ないけど。
さあさあ、楽しいアクロバット飛行の始まりだーっ!
◇◇◇◇◇◇◇◇
「おおっ! 降りて来るぞ!」
「いやあ、中々に見ごたえがありましたなあ」
聖国王城の中庭。新年式の式典に参加するために集まった貴族達の顔は、珍しいショーを見た喜びに染まっている。
ドラゴンは――ハヤテは曲芸飛行を終えると、唸り声を上げながら中庭に降りて来た。
エンジンが止まり、プロペラが回転を止めると、操縦席の風防が開く。
来客達は、見事な技を披露してくれた儀仗兵の隊長に、惜しみない拍手を送った。
パチパチパチパチ・・・
「・・・あら? どうかしたのかしら?」
「何だか様子がおかしいんじゃないか?」
いつまでたっても姿を現さない隊長に異変を感じたのだろう。来客の一部から訝しげな声が上がった。
そんな来客者の中から、一人の青年が抜け出した。青年は満面の笑みを湛えたままハヤテに歩み寄った。
聖国の第一王子エルヴィンである。
ティトゥが慌ててエルヴィン王子を止めた。
「あっ! ちょ、殿下! 待ってくださいまし!」
「ハヤテよ! 素晴らしく見ごたえのある飛行だったぞ! これでハヤテの安全が証明された訳だ! さあさあ、次は私を乗せて飛んでくれるのだよな?!」
ティトゥは王子の腕を掴もうとしたが、儀仗兵の騎士達によって止められた。
「待て! それ以上殿下に近付いてはならん!」
ティトゥが思わず怯んだその隙に、エルヴィン王子はハヤテの主翼によじ登っていた。
「で、殿下! 危のうございます! お下がりくださいまし!」
「何が危険なのだ? (※ここでエルヴィン王子はハヤテの翼の上から周囲を見回した)お前達も見ていたであろう? ハヤテには危険なことなど何もない。大変見事な飛行だったではないか。さあ、隊長よ。早くそこから出て私に場所を譲って――うっ! な、何だこの異様な匂いは?!」
エルヴィン王子は鼻を突く異臭に思わずのけぞった。
騎士達が何事かと操縦席を凝視する。
辺りが騒然とする中、ただ一人。ティトゥだけが全てを悟り切った顔で天を仰いでいた。
「――あの、ハヤテの背中からあなた方の隊長さんを降ろすのを手伝って頂けません?」
「何? 隊長を降ろすのを手伝うとは一体・・・」
「なっ! た、隊長! どうしたのだ?!」
騎士達はエルヴィン王子の叫び声にギョッと目を剥いた。
彼らは慌てて駆け出すとハヤテの翼の上に飛び乗った。
「殿下! 殿下はお下がりください――た、隊長?!」
異臭を放つ操縦席。
そこには彼らの隊長が、まるで魂が抜けたような顔で座っていた。
一体どのような目に遭ったのだろうか。油でピシリと整えられていたはずの髪は乱れ、顔は涙の跡でグシャグシャに汚れ、目は焦点を失い、だらしなく開いた口からは涎が垂れていた。
時々「ヒクッ。ヒクッ」としゃくり上げる声が聞こえなければ、死んでいるのではないかと勘違いしたかもしれない。
騎士達は、あまりにも変わり果てた隊長の姿に絶句した。
「こ、これは一体・・・」
『・・・ええと、ゴメンね』
混乱する騎士達にハヤテは申し訳なさそうに謝った。
「ああ。やっぱりこうなるんですわね」
ティトゥからは諦めムードが漂っている。
「お、おい! 今はそれどころじゃないぞ! みんな手を貸せ! 隊長をここから降ろすんだ!」
『あっ! ちょっと待って! そんなに急に動かしたら――!』
ハヤテが止める間こそあれ。騎士達は隊長の体からむしり取るように安全バンドを外すと、彼の体を引っ張り上げた。
その瞬間――
「おげえええええええ・・・」
『あ~あ。やっちゃった・・・』
「うっ、うわわっ!」
「ぎゃっ! ちょ、隊長!」
隊長は盛大にリバース。吐しゃ物をぶちまけた。
汚物を浴びた騎士達から、そして何事かと見守っていた来客者から大きな悲鳴が上がる。
「ああ。やっぱりこうなるんですわね」
ティトゥは更に諦めムードで呟いた。
「な、何という事だ」
そしてちゃっかりティトゥのそばまで逃れていたエルヴィン王子は、何とも言えない表情で現場を見上げた。
ハヤテはバツが悪そうにエルヴィン王子に尋ねた。
『ええと、王子。それでこれからどうしますか?』
「――と言っていますわ」
「どうするとは何がだ?」
『いや、さっき僕に乗りたいって言ってましたよね。あまり安全の確認にはならなかったのかなって思って』
「――と言っていますわ。私としても今のハヤテに乗るのは、あまりオススメ出来ませんわね」
ティトゥの言葉に、エルヴィン王子は惨劇の場を見上げた。
そしてさっきの匂いを思い出したのか、イヤそうに顔を歪めた。
「・・・諦める事にする」
「『サヨウデゴザイマスカ』」
ティトゥとハヤテの言葉が重なった。
こうしてハヤテは聖国でも見事(?)に、撃墜の記録を伸ばしたのであった。