その9 招宴会前日
『なのに姫様は何もおっしゃらないんですよ。私はもう腹が立って腹が立って』
「うんうん。大変だね」
僕は自分のテントでマリエッタ第八王女の侍女、ビビアナさんの愚痴を聞いていた。
ティトゥは我関せずと僕のブラッシング中だ。
ティトゥのメイド少女カーチャはティトゥのお茶の準備をしている。
カーチャの傷の具合は大分良くなったようだ。もちろん完全に治ったわけではないので無理は禁物だが。
今思い返しても、カーチャにムチを打ったパンチラ元第四王子には本当に腹が立ってくる。
もう30分ほど絶叫ツアーを延長してやれば良かったかもしれない。
『聞いていますか? ハヤテ様』
「聞いてます、聞いてます」
マリエッタ王女はあの日以来ここに顔を出していない。
友好使節団の代表として色々忙しいのだろう。
そういえば招宴会を開くと言っていたっけ。今はその準備に追われているのかもね。
代わりと言っては何だけど、王女は毎日のようにビビアナさんをココに寄越すようになった。
正直ビビアナさんが来ても何もすることは無いんだけど・・・
仕方がないので少し話し相手になったら、いつの間にか僕が彼女の愚痴を聞く係になってしまっていた。
どうやらビビアナさんは使節団の副代表のメザメ伯爵という人が大嫌いなようだ。
あのアオダイショウが、あのアオダイショウが、と、毎日山ほど愚痴ってはスッキリした顔をして帰って行く。
正直僕は、これほど女性に嫌われているメザメ伯爵に、同じ男として同情を禁じ得ない。
何て言えばいいのか・・・あれだよ、会社の給湯室でOL達がキライな課長の愚痴で盛り上がっているのをたまたま聞いてしまった、みたいな感じ?
女って怖ぇ~、課長可哀そう・・・。みたいな?
まあ僕の入ってた会社に給湯室なんて無かったけどね。あくまでイメージですから。
ビビアナさんは小男爵令嬢という立派な貴族だ。
なんでそんな人が侍女をやっているのかというと、彼女の母親がマリエッタ王女の乳母だったかららしい。
そもそもランピーニ聖国では侍女は貴族、メイドは平民、と決まっているのだそうだ。
もっとも王位継承の高い王族には、代々王家に仕える半分貴族のような女性がメイドとしてつくらしい。
まあ外国の要人を案内したり、お茶を入れたりしなければならないだろうし、スペシャリストでなければならないんだろうね。
小男爵令嬢はランピーニ聖国の貴族としては下の方の階級らしく、平民メイドのカーチャに対しても偉ぶった様子はまるでない。
むしろ目上の者から見た可愛い妹分、といった様子だ。
ちなみに、ティトゥは竜 騎 士の後輩としてマリエッタ王女を可愛いがっている。
この辺りなかなか面白い関係になったものだ。
ちなみにそのティトゥとビビアナさんだが、ビビアナさんのペンスゲン小男爵家の家格はティトゥのマチェイ家と大きくは変わらないようで、ここでは二人とも気兼ねなく会話をしている。
長年屋敷に閉じこもって貴族の友人のいないティトゥだ。ぜひビビアナさんと良い関係を築いて欲しい。
そんな風に二人の関係を温かく見守っていると
『なんだかビビアナと話していると、ハヤテの視線が生暖かくて気になりますわ』
と言って最近ティトゥはビビアナさんとの会話を避けるようになってしまった。
なんてこったい。
娘にウザがられる父親とはこういう気持ちなのかもしれない。
そんなティトゥが珍しく自分からビビアナさんに話しかけた。
ちなみに今はお茶の時間である。二人は仲良くイスに腰かけている。
『明日は招宴会ですが、ビビアナはここにいて大丈夫なんですの?』
招宴会は明日なのか。あ、カーチャがビクっとしてる。
先日マリエッタ王女からドレスをもらって参加するようにお願いされてたからね。
今夜は緊張して眠れないんじゃないかな?
『マコフスキー卿が全部取り仕切ってくれてるから私なんかが出る幕は無いわ』
ビビアナさんはそう言って肩をすくめた。
なんだろう、この人はこういった仕草が非常に絵になる人だ。
姉御肌とでも言った感じだろうか。
それはそうとマコフスキーさんとはどなたでしょうか?
モフモフスキーさんの聞き間違いでしょうか?
『マコフスキー卿はミロスラフ王国の親ランピーニ聖国派の上士位の家ですわ』
僕の疑問を察したティトゥが説明してくれた。
なるほど。モフスキーさんはランピーニ聖国のオーソリティ。よし、覚えた。
『ご当主のヤロスラフ様は人柄の良いお方だけど、ご長男のヤロミール様はどうも好きになれないのよね』
そうしてまたひとしきりビビアナさんの愚痴が始まった。
今度のターゲットはモフスキーさん家の長男である。
長男か・・・磯〇家でいえばカ〇オだな。ところが年齢的にはマ〇オさんに近いらしい。
ややこしいな。
いや、変な例えをした僕がいけないんだけど。
ビビアナさんによるとモフスキーさん家のマ〇オさんは、一見人当りが良いものの、腹の中では人を見下していて何を考えているのか分からない人物なんだそうだ。
モフスキー家は名家だそうだから、甘やかされてそういうイヤな坊ちゃんに育っちゃったのかもね。
なるべくティトゥに近付けないようにしよう。
しばらくお茶を楽しんだ後、ティトゥ達は後片付けをして帰って行った。
いつの間にかテントに入っていた見た目できる女のカトカ女史も一緒に出て行ったのでテントにいるのは僕だけだ。
だから入ってきても良いんだよ?
僕はチラチラとテントの影からのぞく人影を見つめた。
人影は意を決したのか、ゆっくりとテントの中に入ってくる。
立派な髭のおじさんだ。
騎士団のアダム班長である。
なんとも久しぶりの再会だね。いや、嘘だけどね。
実はアダム班長はここ数日、テントに人がいなくなるのを見計らって毎日のようにチラチラと僕の様子を窺っていたのだ。
最初はおじさんが何を照れているのかと気持ち悪い気分にもなったが、なにやら随分と深刻な雰囲気を漂わせている。
今日ようやく覚悟を決めてテントの中に入る気になったらしい。
『正直・・・ハヤテ殿にこんな話をするのもどうかと思うが・・・私の話を聞いて欲しい』
おっと、突然の告白タイムである。
いやいや、誰得だよそんな展開。
どうやらアダム班長も僕に愚痴を聞いて欲しいようだ。
そういえばマチェイから王都への移動中もたまに愚痴を聞かされたっけ。
『一人で抱え込むのは耐えられそうにないのだ』
その内容はとても愚痴と呼べるものではなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
カミル将軍に連絡することもできなくなったアダム班長は、仕方なく騎士団の寮に引きこもった・・・わけではなく、引き続き調査を進めた。
それは彼の騎士団員としての職業意識かもしれないし、ミロスラフ王国を守る使命感に突き動かされてのことかもしれない。
いや、実際は混乱した彼は身の引きどころを見失ってしまっていただけなのだろう。
何かしていなければ不安でたまらなかったのだ。
次第に深入りする自分を自覚しながらもアダム班長はさらに核心へと迫った。
王都内東区の商業区。ここは貴族も利用する高級商業区だ。
そこに建つ見るからに立派な建物。
立派な外観に不釣り合いな平凡な入り口に看板も何も無い。だからと言って誰かの屋敷というわけでもない。
ここは貴族も利用する会員制のサロンなのである。
当然サロンの客は表の入り口から入ることなどない。
裏に馬車で乗り付けるのだ。
表の入り口は付けないと営業許可が降りないから付いているだけなのだ。
裏門は素っ気ない作りの表の入り口とは異なり、金のかかった重厚な作りだ。
そこには身なりの良い店員が常に二人以上張り付いていた。
時刻は夕方、つい先ほど暮れ六つの鐘が鳴ったばかりだ。
王都に夜が訪れる時間帯である。
裏門に止まった飾り立てられた馬車から一人の男が降り立った。
馬車も男の服装も、見る人間が見ればふんだんに金がかかっていることがすぐに分かる。
VIPの登場に裏門の店員がすかさず案内についた。
男の年齢は30手前。細い顎と他人を見下す鋭利な目付きが特徴的だ。
男は尊大な態度で店員の後に続き建物の中に入った。
サロンの中は落ち着いた雰囲気で飾り立てられていた。
店員も含め、女性の姿はない。
それも当然である。ここは紳士の社交場なのだ。
ここでは原則として外の階級を持ち込まないことになっている。
上士位も下士位もなく、大手商会の商人ですら同等に扱われる。
そのルールを受け入れた者のみが集まる場なのだ。
要はそういうていで楽しむ場、ということだ。つまりは貴族のお遊びである。
男は店員の案内で個室に通された。
個室と言ってもちょっとしたパーティーが開けるほどの広さだ。
そこで男を待っていた者は――
「ヤロミール君! ココだよ!」
テーブルについていた男達が男に声をかけた。
ちなみに階級の無いこの店では互いを「君」付けで呼び交わす。これもこの店のルールだ。
ヤロミールと呼ばれた男はテーブルに近付いた。
「主だったものは集まっている。君の来るのを待っていたんだ」
ヤロミールに声をかけた男が興奮気味に喋った。
テーブルについた男達も同様に興奮しているように見える。
全員若い貴族だ。上はヤロミールと同じくらい、下はまだ十代だろう。
全員で20人ほどだろうか。
テーブルにつけない者は備え付けのソファーに座っていた。
「親父と話はつけてきた。これは俺が考えた当日のメンバーの配置図だ」
ヤロミールは懐から畳んだ布を取り出すとテーブルに開いた。
ソファーに座っていた男達は立ち上がるとテーブルに群がった。
「ネライ卿の案内は?」
「それは俺と俺の手の者でやる。家の使用人でも腕の立つ口の固いヤツを選りすぐっておいた」
おお~っ! 男達の間にどよめきが広がった。
ヤロミールの顔に満足そうな表情が浮かぶ。
「第八王女はともかく、メザメ伯爵の方は大丈夫なのか?」
別の男からも疑問の声が上がった。
良い気分に水を差されたからか、ヤロミールの目に若干険が立ったが、すぐに平静を装った。
「そちらも抜かりは無い。
使節団の代表である王女が襲われた時に、副代表が王城でのうのうとしているのもどうなんでしょうね? 軽くケガを負うくらいしておかなければ面目が立ちませんよ。
そう言ってやったらアイツも渋々招宴会に参加することに決めていたよ」
そう言うとヤロミールは鼻で笑った。
男達の間にもさざ波のように笑いが広がった。
「じゃあ計画通りだな」
「ああ、我ら文律派の決起の時だ。王女も伯爵もまとめて始末する」
次回「文律派の計画」