その19 中庭の騒動
年も明けて今日は正月三が日の三日目。
そう。いよいよティトゥの参加する新年式。その当日がやって来たのである。
じゃあティトゥ。ナカジマ家の、ひいてはミロスラフ王国を代表する貴族家当主として恥ずかしくないように頑張ってね。
――などと、のん気に構えていられたのは二日前までの話。
第一王子エルヴィンの鶴の一声で、急遽、式典は城の中庭で行われる事に決まり、なぜか僕まで参加しなければならなくなってしまったのだ。
どうしてこうなったし。
「うわっ、どうしよう。段々、緊張して来たんだけど」
テントの外では、朝からお城の使用人達が忙しく働いている。
ここからでは外の様子を見る事は出来ないが、漏れ聞こえる声から、どうやらあちこちに焚き火台を設置して回っているようだ。
今は真冬。僕は寒さ暑さを感じない体なので今一つピンと来ないが、屋外の式典となれば、当然、寒さだってハンパじゃない。
参加者達が凍えないように、今のうちから暖気を用意しているのだろう。
ていうか、だったら無理に外でやらなくてもいいのに。
今からでも屋内に変更しない? そうしたら参加しなくて済むんだけど。
さっきは、寒さだってハンパじゃない、などと言ったが、実はこの国は――クリオーネ島は――ミロスラフ王国よりもずっと温暖な気候なんだそうだ。雪もほとんど降らないという。
雪どころか、冬でも気温が零度を下回る日はあまりないという。
割と雪が降り積もるミロスラフ王国とは大違いだ。
まあ、ティトゥもそれを知っているから、冬の最中だというのに僕に乗ってやって来たんだけど。
普通に考えれば、雪でフライトが出来なくなって帰れなくなるんじゃないかと心配するよね。
では一体、なぜ、クリオーネ島は冬でも気温が温暖なのか?
マリエッタ王女の説明によると、その理由はこの島の西に流れる暖かい海流にあるという。
なる程。つまりこちらの世界のヨーロッパ大陸にも北大西洋海流が流れている訳だね。
北大西洋海流とは何ぞや? という方に少々説明を。知っているぜ、という人は斜め読み推奨で。
この世界は――この惑星リサールは――地球と良く似た環境、良く似た歴史を辿って来た世界である。
地球とは似て異なる惑星。SF的に言えば、地球とはパラレルワールドの関係にある。
そんな人類史に決定的な違いが生まれたのは、今から五百年程前。魔法元素マナの大量発生による大惨事が元となっている。
その辺の事はちゃんと説明すると長くなるので、この場では割愛させて頂く。(※詳しく知りたい人は第十一章 王朝内乱編 その14 五百年前を参照)
ここで僕が言いたいのは、「今、僕達がいるこの場所は、地球で言えばヨーロッパに当たる」という事である。
日本の日本海側、北海道や東北地方は、世界でも有数の豪雪地帯である。一月の北海道の平均気温は氷点下になるそうだ。
ヨーロッパはその北海道よりも更に北に位置している。例えばイギリスなんかは、大体、樺太と同じ緯度にあるそうだ。
だったらイギリスの冬はさぞ厳しいんじゃない? と思いきや、実はそんな事はないらしい。北海道と違い、一月の平均気温も零度を下回る事はないそうだ。
北海道よりも北にあるのに、北海道よりも温かいのはなぜなのか?
その理由こそがヨーロッパ大陸の西に流れる暖かな海流。そう。北大西洋海流にあるのだ。
北大西洋海流は、メキシコ湾から北上してヨーロッパ西岸に向かって流れる暖流である。この暖流上空の空気が偏西風によってヨーロッパ大陸に運ばれ、冬でも過ごしやすい温和な気候に保っているのである。
このヨーロッパの気候帯の事を西岸海洋性気候と言う。
イギリスはこの西岸海洋性気候に含まれ、イギリスより更に北に位置するノルウェーの場合は、海岸線は西岸海洋性気候。山地では冷帯湿潤気候と、二つの気候帯になるそうだ。
『ハシャブム男爵様、御らいひーん』
おっと、考え事をしているうちに、最初の来客がやって来たみたいだ。
案内人? 呼び出し係? 男の声で、式典の参加者の来場が告げられた。
その言葉を皮切りに、『何々男爵』だの『何某男爵』だのが次々と紹介される。
聖国王家が主催する新年式。その三日目の式典が遂に開催されたのである。
呼び出し係の人が次々と参加者を読み上げていく。
その度にテントの外のざわめき声が増えていく。
そして僕の緊張感も次第に高まっていく。
やがて遂にティトゥの名が呼ばれる番がやって来た。
『小上士位貴族家当主、ナカジマ様、御らいひーん』
『『『『小上士位?』』』』
聞きなれない爵位に会場の来賓者達のざわめきがピタリと止まった。
シンと静まり返った会場に、やがて『おお~っ』とどよめきが上がる。
どうやらティトゥが現れたようだ。
『まあ、なんて綺麗なお嬢様』
『ほほお、女性の当主とはまた珍しい。しかもまだ若いではないか』
『ナカジマ家とは奇妙な名だな。爵位も聞きなれない物だったし、一体どこの国の者なのだ?』
参加者達が口々にティトゥの噂をする。
ナカジマという名の響きに馴染みがないのも当然だ。なにせ僕の母国で使われている名字なんだからね。
しかも僕の名字と同じだったりする。
・・・あの時の僕は、どうしてティトゥに自分の名字を提案してしまったんだろう。自分でもどうかしていたとしか思えない。それを採用しちゃったティトゥもティトゥだと思うけど。
中にはティトゥの事を知っているのか、『まさかミロスラフ王国の竜 騎 士?』という声も聞こえる。
外の様子は見えないが、今頃ティトゥは注目を浴びて、さぞ居心地の悪い思いをしているに違いない。
とまあ、そんな事をのん気に考えていられたのも、ここまでだったんだけど。
『ナカジマ家のドラゴン・ハヤテ、御らいひーん』
案内人の言葉と共に、テントの入り口がサッと開け放たれた。
うおっ! 二日ぶりの外の光が眩しい!
『『『『『おおおおおおっ!』』』』』
その途端、ティトゥが登場した時の何倍にもなる大きなどよめきが上がったのだった。
新年式の会場となった中庭は、どよめきと悲鳴に包まれた。
『ドラゴン?! あれがミロスラフ王国のドラゴンなのか?!』
『キャアアアアアッ!』
『お、落ち着きなさい! 危険な物ではないはずだ!』
『ウソッ?! 本当にドラゴンなの?!』
『信じられん。あれがドラゴンなのか』
参加者達は大混乱だ。
驚く者。アタフタとうろたえる者。慌てて逃げ場を探す者。怯えて夫の後ろに隠れる夫人。
自分達の後ろのテントから、巨大な謎生物が現れたのだ。みんなが驚くのも無理はないだろう。
ティトゥが大きな目を丸く見開いて僕を見た。
『ハヤテ?!』
今日の彼女はゆるふわヘアーをアップに纏め、王城に来た時に着ていた茜色のドレスの上からストールを巻いている。
随分驚いている様子だが、僕が参加する事を知らされていなかったんだろうか?
中庭はパニック――とまではいかないまでも、大騒ぎになっていた。
主催者側も参加者達のこの反応は想定外だったのか、あちこちで『落ち着いて下さい!』『大丈夫ですのでお静かに!』などと懸命に呼び掛けている。
しかしながら効果は薄いようだ。
どうやらお城の人達は僕の姿を見慣れ過ぎていて、初めて見た人がどう反応するか、事前に想像する事が出来なかったらしい。
うっかり僕を紹介してしまった主催者側のミスだ。
とはいえ、どうしたらいいんだろう。
王城側の手落ちとはいえ、混乱の原因を作ってしまったのは僕である。
僕が申し訳なさにいたたまれなくなったその時だった――
『キャアアアッ! さっきの娘がドラゴンの所に!』
『お、おい、よせ! 危ない!』
『相手はドラゴンだぞ!』
ティトゥが颯爽と僕の方へとやって来た。
中庭が悲鳴に包まれる。
ティトゥは周囲の声を無視。ヒラリと僕の翼の上に乗ると、背後を振り返った。
『皆さんお静かに! 御覧の通り、何も危険な事はありませんわ! ご心配なく! ハヤテは人に危害を加えるようなドラゴンではございませんわ!』
ティトゥの言葉。そして堂々とした態度に、来客達は次第に落ち着きを取り戻していった。
呼び出し係の人が慌てて来客達に呼びかけた。
『み、皆様、ご安心ください。ハヤテは大人しいドラゴンです。ましてや今は飼い主であるナカジマ様が抑えています。皆様に危害が及ぶような事はございません。どうか落ち着いてください』
ティトゥは『飼い主って。私とハヤテはパートナーですわ』と不満そう呟いたが、彼の言葉を正すような事はしなかった。
ここで余計な事を言って、不安がぶり返した客達が再び騒ぎ出す事になったら大変だと考えたのだろう。
その代わり、ティトゥはガラリ、風防を開けると操縦席に乗り込んだ。
「ちょ、ティトゥ! 何やってんの?! 君は式典に戻らないとダメじゃないか!」
『私がここでこうしていた方が、きっとみんなも落ち着きますわ』
それは・・・それは確かにそうかもしれないけど、いいのかなあ。
あ、ホラ。呼び出し係の人が困った顔でこっちを見ているよ? 本当に戻らないで大丈夫?
『いいんですわ。それよりハヤテもこの式典に参加するんですのね』
「どうもそうみたい。第一王子が決めたって聞いているよ」
『エルヴィン殿下が? 王族が決めた事なら誰も文句は言えないですわね』
ティトゥは満足そうに頷いた。
そして上機嫌で風防を閉めた。
「ちょっと、ティトゥ!」
『開けっ放しは寒いですわ。ねえハヤテ。ハヤテも私と一緒で、この二日、テントの中にいたんですの? 大事な式典があるからとはいえ、部屋から出てはいけないのはどうかと思いますわよね』
「あ、うん。ええと、そうだね」
ティトゥは機嫌良く、会う事の出来なかった正月二日間の話を続けた。
僕は最初、参加者達の注目を浴びて気が気でなかったが、しばらくティトゥと話をしているうちに、次第に気持ちが落ち着いていった。
どのくらい、こうして二人で話をしていただろう。
やがて王城の使用人達がテントの中に入って来た。
『あの、ドラゴンをテントの外に出すように命じられているのですが、動かしてもよろしいでしょうか?』
『そうですの。じゃあハヤテ、また後で来ますわ』
『サヨウデゴザイマスカ』
ティトゥは操縦席から降りると、案内役のメイドさんに連れられて行った。
使用人達はおっかなびっくり。僕の主翼に取り付くと、ゆっくりとテントの外に押し出した。
『おお・・・』
『大きな体ね』
参加者達は改めて僕の姿にざわついたものの、先程のようにパニックに陥るような事は無かった。
その時、軍楽隊の奏でるファンファーレが鳴り響いた。
ランピーニ王家の登場である。