その16 聖国新年式(一日目)
◇◇◇◇◇◇◇◇
聖国の第一王子エルヴィンの補佐官エドムンドは、怪訝な顔で主人を見つめた。
「今朝は随分とご機嫌なご様子ですね。新年式に限らず、式典という式典でいつも面倒くさそうにしておられる殿下にしては非常に珍しいかと」
「そこまでかい? まあ式典なんて祭司長から言われた事を言われたように行うだけで、面白みも何も無いからね。もしも私がこの国の王になったら、式典という式典を全部廃止にしたいくらいだよ」
「そのような無茶は絶対にお止めください。そして、もしも、ではありません。じきにあなたが国王陛下の跡を継がれ、この国の王になられるのです」
エルヴィン王子は軽く肩をすくめた。
「大体、これから三侯に見下されに行かなければならないというのに、ご機嫌な訳はないだろう? 僕が楽しそうに見えたのなら、それは明後日の式典の事を考えていたからだよ。毎年毎年、何も変わらない退屈な式典の中、明後日の式典だけが今の僕の救いだからね」
真面目な補佐官は、王子の軽口にムッと眉間にしわを寄せた。
「三侯は聖国王家を支え続けて来た国家の重鎮。次期国王となられるエルヴィン殿下を軽んじる事などありません」
「いや、それってエドの感想だよね」
エルヴィン王子は某大型ネット掲示板の元・管理人の名言を思わせる言葉で返した。
「彼らが弟のカシウスを担ぎ上げ、私を蹴落とそうとしている。そんなのは誰でも知っている事だろう? 彼らが陰で私の事を何と呼んでいるか。君も知っているよね」
「・・・ぬるま湯に浸かったヘチマ王子、でしょうか」
「えっ?! それは知らないんだけど?! 流石にちょっと酷くない?! ・・・ゴホン。”混ざり者”さ。彼らにとって、私は正当な聖国王家の血は半分しか流れていないのさ」
「そ、そんな事は!」
エドムンドは目を怒らせた。
「誰がそのような事を! 例え国家の重鎮とはいえ、そのような無礼を許しておく事は出来ません!」
「エドが許そうが許すまいが、今の王城ではそのような無礼がまかり通ってしまうのさ。それだけ三侯の力が強くなっているという訳さ」
エルヴィン王子は苦笑した。
「エド。私は時々思うんだよ。どうして母上は後一年、私を産むのを我慢してくれなかったのかな、と。あるいはアマランタ様が頑張って、後一年早くカシウスを産んでくれていたら良かったのに、と。もしそうなっていれば、今頃はカシウスが父の跡を継いで立派な聖国国王になっていただろうね。少なくとも、今のように我々の存在に周囲が振り回される事は無かったんじゃないかな」
「そ、それは――」
エドムンドは言葉を詰まらせてしまった。
エルヴィン王子は悲しげな表情で小さな笑みを浮かべた。
部屋の空気が重く沈み込んだその時、外から近衛の騎士が声をかけた。
「殿下。案内の者がやってまいりました。式典にご出席される準備はお済みでしょうか?」
「ああ、ドアを開けてくれたまえ」
音もなく分厚いドアが開くと、王子はため息と共に立ち上がった。
「さて。明後日の式典を楽しむためにも、今日と明日の苦痛を乗り越えるとしようか。なにせ明後日の式典にはドラゴンが参加するんだ。聖国の長い歴史の中でも、ドラゴンが参加する式典なんて初めてだよ。それだけでもワクワクして来るというものさ」
エルヴィン王子はそう言い残して控室を出て行った。
エドムンドは内心に忸怩たる思いを抱えたまま、黙って主人の後に続いたのだった。
新年式の一日目は王族と三侯。つまりはランピーニ王家の者達と三つの侯爵家のみで行われる。
今でこそ、ランピーニ聖国はクリオーネ島を統一。ほぼ支配しているが、初期の頃は国家どころか、島内にいくつも存在する領主の一つでしかなかった。
三侯とはその当時からずっと王家を支えて来た重臣達、その子孫なのである。
王城の拝謁の間。
謁見の間を二回り程小さくしたようなこの部屋に、三人の男達が入って来た。
一人目は、いかにも気真面目そうな三十代半ばの男。
この国の宰相、アレリャーノ侯セレドニオである。
次いで背の低い、痩せて神経質そうな男。三人の中では一番若く、年齢は二十代後半。
ラザルチカ侯・ハベルである。
最後に入って来たのは、人の良さそうな初老の男。
大きなお腹を揺らしながらよたよたと歩く姿は、まるでコメディー役者か何かのようである。
しかし、彼を見た目で侮った者は、手痛いしっぺ返しを食らう事になる。
彼こそがオルバーニ侯・デルミール。
三侯の筆頭。軍部のまとめ役。宰相夫人カサンドラから「タヌキおやじ」と呼ばれる、宮廷貴族界を陰で取り仕切る大物なのである。
三人は案内人に指示されるまま、横並びになったイスに向かった。
宰相セレドニオは黙って。
オルバーニ侯・デルミールはふうふうと荒い息を吐きながら「よっこいしょ」と。
二人共それぞれ案内されたイスに座った。
しかし、ラザルチカ侯・ハベルは立ったままイスを睨み付けていた。
「・・・この並びには何か意図があるのか? 確か昨年は私が一番左に座ったはずだが?」
イスの並び順は右からラザルチカ侯、アレリャーノ侯、オルバーニ侯。
ハベルの言葉通りなら、昨年とは違う並びになっているようである。
祭司長が慌ててハベルに駆け寄った。
「意図があるなど、滅相もございません! 案内の者は皆様方が部屋に入って来られた順番に、座る場所へと案内しただけの事でございます!」
「ハベル殿。場所が気になるのであれば、私が変わってしんぜよう」
オルバーニ侯・デルミールはイスのひじ掛けに手をつき、「よっこらせ」と立ち上がった。
「ホラ。こちらに座るといい」
「・・・いえ。オルバーニ侯の手をわざわざ煩わせるような事ではございませんので」
ハベルはムスリとした表情のまま目の前のイスに座った。
「そうか? 私に遠慮する事はないぞ? ハベル殿は色々と気になる事も多いご様子。イスの並び然り、半島から来た客人しかり。私のように歳を取ると些事にいちいち振り回されるのが面倒になってな。いやはや、若いというのは羨ましい」
「何が言いたいのか?!」
ハベルは顔を怒りで朱に染めると立ち上がった。
キレ易い彼らしい過剰な反応だ。
半島から来た客人、とは、言うまでもなくナカジマ家当主、ティトゥの事である。
オルバーニ侯・デルミールは、ハベルがティトゥを取り込むために動いているという情報を掴んだ上で、「些事に振り回されている」と言い放ってみせたのだろう。
「いやなに。ハベル殿も聖国に誉れ高き三侯の当主。もっとどっしりと構えていた方が良いのではないかと思ってな。焦って小事に振り回される姿を、立派な先代が見たらどう思うか。息子の情けない姿に、今頃墓の中で泣いているのではないですかな」
「貴様! 言うに事を欠いて、父の名を出して俺を辱めるとは!」
激昂するハベル。
宰相セレドニオは驚きに目を見開いた。
三侯は決して仲が良いとは言えない。いや、むしろ政争の敵同士と言える。
だが、それでもオルバーニ侯がここまでハッキリと、公の場で相手を挑発するのを見たのは初めてだ。
普段であれば、チクリと嫌味を言う程度に留めるものである。
(何だ? 何が一体、この老人を突き動かしている? ――ひょっとして焦り、か?)
オルバーニ侯・デルミールはハベルに、「焦っている」「小事に振り回されている」と言った。
だが、逆にオルバーニ侯こそが「焦って」「振り回されている」のではないだろうか?
ならばこの煽りは、その苛立ちを競争相手にぶつけただけなのかもしれない。
そしてオルバーニ侯程の人間が何を焦り、何に振り回されているのか。
決まっている。先程その名が話に出た所ではないか。
(――ミロスラフ王国の竜 騎 士。ドラゴン・ハヤテとナカジマ家当主、ティトゥ・ナカジマか)
オルバーニ侯とラザルチカ侯が所属する派閥。そのトップ、第二王子カシウス。
ハヤテとティトゥ、二人の竜 騎 士はカシウス王子が直々に招待した客である。
そしてカシウス王子は、自らが招いたにも関わらず、竜 騎 士が到着しても、会いに行くどころか挨拶の使者さえも送っていない。
それは宰相夫人カサンドラがナカジマ家に送り込んだメイド、モニカからの情報でも確認済みである。
わざわざ呼んでおきながら、いざやって来た相手を、なぜ、いない者であるかのように無視するのか?
カサンドラはカシウス王子の考えが読めずに首を傾げていたが、この様子だとオルバーニ侯もカシウス王子から何も知らされていないのかもしれない。
(その前提で考えれば今の会話も理解出来る。ナカジマ殿はカシウス殿下がハベルに命じて招待させた客だ。その件にはオルバーニ侯は関わっていない。自分の知らない所で殿下とハベルが何かをしている。しかもハベルはナカジマ殿を取り込むために、今も動いているらしい。これが殿下の指示によるものか、あるいはそうではないのか、オルバーニ侯には知る事すら出来ない。その苛立ちをつい、直接相手にぶつけてしまった。あるいはあえて挑発する事で平常心を奪い、ハベルの失敗を誘う狙いなのかもしれない)
タヌキおやじことオルバーニ侯ならやりそうな手である。
しかし、それでも疑問は残ったままとなる。
オルバーニ侯はカシウス王子の派閥のトップである。いわばカシウス王子の腹心と言ってもいい。
ならばなぜ、カシウス王子はオルバーニ侯にまで自分の考えを秘密にしているのだろうか?
(カシウス殿下はなぜ、竜 騎 士に関してはオルバーニ侯を使わず、ハベルを使い続けるのか。ハベルでは様々な点でオルバーニ候に劣っている。そして竜 騎 士を呼んでおきながら、会いに行きもしないのも疑問だ。そもそも、カシウス殿下と竜 騎 士に面識がない事は分かっている。ならなぜカシウス殿下は二人を呼んだのだ。竜 騎 士を利用して一体何をするつもりでいる)
新年式はランピーニ聖国王城で毎年開かれる祭事である。
それが今年はどうだ。
三侯オルバーニ家とラザルチカ家はいがみ合い、自分はこうして頭を悩ませ、彼の妻である宰相夫人カサンドラは、実の弟であるカシウス王子の心が分からず、イライラと落ち着きがなくなっている。
(・・・竜 騎 士が来たというだけでコレだ。本当に彼らはカサンドラが言うように疫病神なんじゃないだろうか)
とんだ言いがかりもあったものである。
もし、この心の声をティトゥが聞けば、「そっちが呼んでおいて、その言いぐさは何なんですの?!」と不貞腐れたかもしれない。
部屋の空気が重くなったその時、外から呼び出しの声が響いた。
「国王陛下、御来臨ー!」
これから五日間に渡って行われる新年式。その開始を告げる合図である。
三侯は素早くイスから立ち上がった。
オルバーニ侯も「よっこいしょ」とは言わない。実は日頃の姿は演技なのでは? そう疑いたくなる程、背筋がピン伸び、老いや鈍重さを感じさせなかった。
彼らは膝を折り、首を垂れると、拝謁の間に国王を迎えるのであった。
次回「聖国新年式(二日目)」