その14 カーチャの友人
ティトゥは僕のテントにやって来るなり開口一番、愚痴をこぼした。
『お茶の飲み過ぎでお腹が緩くなるかと思いましたわ・・・』
ちなみに今朝とは違い、今はティトゥとファル子達だけで、マリエッタ王女は一緒ではない。
聖国の王女様達は、これから明後日の式典の準備で忙しいそうである。
「フウウ~ッ。ウウウウ・・・」
ファル子はさっきからずっと、ガリガリゴリゴリと木の棒を齧っている。
『ラミラ王女殿下は、随分とファルコの事を気に入っていたご様子でしたわ』
「ああ、そういう事」
どうやらファル子は、ラミラ王女に構い倒されたストレスを木を噛む事で絶賛発散中らしい。
ハヤブサの方はというと、こちらは僕の主翼の上で丸くなっている。
姉のファル子程ではないが、やはり構われ過ぎてストレスを溜め込んでいるようだ。
グッタリと横になりながら、今は放っておいて欲しいオーラを漂わせている。
「キュウ(ママ。私、お家に帰りたい)」
『我慢して頂戴、ファルコ。明後日の新年式が終わるまでの辛抱だから』
ファル子は「ギャウー(ええ~っ)」と不満げな声を上げた。
『ママだって我慢しているんですわ』
ティトゥは拳を握り締めると、『後三日。後三日の辛抱ですわ』とブツブツと呟いている。
・・・彼女は元日に開かれる新年式が終わればすぐに家に帰れると思っているが、僕はモニカさんから聞いている。聖国の新年式は元旦から五日間続くのだ。
そう。つまり僕達は、後、最低八日間は聖国王城に留まっていなければならないのである。
悲しいかな、ティトゥはその事実を知らない。
というか、今回のメンバーの中では唯一、ティトゥだけがこの事実を知らされていない。
知ったら駄々をこねられるのが分かっているから、誰も彼女に伝えなかったのだ。
可哀想なティトゥ・・・とはいえ、正直、自業自得かな。
『・・・なんでハヤテは、そんな生暖かい目で私を見ているんですの?』
「いや、何も。そういやカーチャは一緒じゃないんだね」
『あの子なら部屋にいるんじゃないかしら? 私達は王女殿下達のお屋敷から、直接ここに来たんですわ』
ティトゥは聖国の王女殿下達と朝食とお茶を十分に堪能した後、その足で直接、僕のテントにやって来たらしい。
まあ、部屋に戻ってもやることも無くて退屈なだけだろうし、彼女の気持ちも分からないでもないかな。
『ファルコ達がパパに会いたがったんですわ』
「ギャウ?(何?)」
一心不乱に棒を齧っていたファル子が、不思議そうに顔を上げた。
ハヤブサは気だるそうにパタパタと尻尾を振っている。
うん。今は無理して僕達の話に加わらなくてもいいから、もうしばらく好きにしてなさい。
「そうそう。カーチャといえば、ついさっきの事なんだけど・・・」
僕はカーチャが、友達へのプレゼントを貰いに僕を訪ねて来た時の事を話したのだった。
噂をすれば影が差す。
丁度、話を終えた所で、カーチャがテントに現れた。
「ギャウー! ギャウー!(カーチャ姉! カーチャ姉!)」
『ティトゥ様、ファルコ様もハヤブサ様も。ここにいたんですね』
カーチャは足元にまとわりつくファル子をあしらうと、ティトゥに振り返った。
『どうしましょう? テントの中は冷えますし、熱いお茶でも淹れましょうか?』
『お茶はもう十分。これ以上飲んだら鼻から出て来そうですわ。それよりあなたに出来たお友達の話を教えて頂戴』
いや、ティトゥ、鼻からお茶ってなんだよ。その姿をちょっと見てみたいんだけど。
ティトゥはカーチャの友達の話を興味津々で尋ねた。
ナカジマ家にはカーチャと同年代の使用人はいない。
正確に言えば、全くいない訳ではないのだが、それは全員男の子で、女の子はカーチャしかいないのだ。
ティトゥも自分の妹分に同性の友達が出来て、余程嬉しかったようだ。
『友達? それってズラタ様の事でしょうか? ええと、お話はさせて貰いましたが、友達というのはちょっと・・・同じメイドでも私とは身分が違いますし』
あれ? 僕が思っていたのとはちょっと違っていたようだ。てっきりカーチャに同年代の友達が出来たものだとばかり思っていたのだが・・・
ティトゥが『どういう事ですの?』と言いたげな目で僕を見上げた。
『ハヤテから聞いた話とは随分違っているみたいですわね。その、ズラタ・・・様? その子とは一体どういう関係なんですの?』
『はい。ズラタ様はこの国の従男爵家のお方で――』
カーチャはザックリと事情を説明した。
相手の名前はズラタ。聖国王城に勤めるメイド。
年齢はカーチャより一~二歳上(多分)。実家はヒッツバーク従男爵家。つまりは貴族の女の子。
向こうからカーチャに声を掛けて来たそうだ。
『それで、ズラタ様から頼まれて、ハヤテ様の”からやっきょう”? を、ティトゥ様の箱の中から勝手に持って行ってしまったんですが・・・』
『その話なら、さっきハヤテから聞きましたわ。空薬莢ならいくつも持っているし、別に構いませんわよ』
別に構いませんわよって、君、さっき僕がこの話をした時、『だったら倍にして返して頂戴』とか言わなかったっけ?
そりゃあまあ、空薬莢くらいいくらでも作れるから、「倍と言わずに五倍でも十倍でも、別にいいけど」と答えたけど、あの会話は一体何だったの?
構わないなら別にいらないんじゃん。何で僕の時とカーチャの時では全然リアクションが違う訳?
カーチャが明らかにホッとしているから、あえて蒸し返すような事は言わないけど。
『良かったです。ハヤテ様に聞いても、「イイヨ、イイヨ」としか言わなかったですし』
『ハヤテ・・・』
ティトゥがジロリと僕を睨んだ。えっ? これって僕が悪いの?
カーチャはハタと手を打つと、『そうだ! ちょっと待っていて下さい!』と言うと、慌ててテントから駆け出していった。
待つ事しばらく。カーチャは小さな袋を持って戻って来た。
『これをどうぞ。少し食べてしまいましたが、ズラタ様からお礼に頂いたものです』
袋に入っていたのは小さなクッキー。いや、ガレットか。
クッキーとガレットの違いは、クッキーは小麦粉に卵とバター、砂糖を加えた焼き菓子で、ガレットは粉を練って丸く焼いた料理全般の事を指すとかなんとか。つまりガレットの一種としてクッキーというお菓子がある、と考えればいいのかな。
ティトゥはガレットを一枚手に取り、しげしげと眺めた。
『使用人に出される物にしては良く出来ていますわね』
『滅多に口に出来ないお菓子だと言ってました』
そんなに貴重なお菓子なら、人にあげないで自分で食べた方が良かったんじゃない?
ティトゥはパクリ。ガレットを食べると、驚きに目を丸くした。
『甘い。砂糖を使っていますのね』
『そう。そうなんですよ。さすがは聖国ですよね。使用人の食べ物に砂糖を使っているなんてビックリしました』
砂糖は聖国においても非常に高価な品である。カーチャも最初にこのガレットを食べた時には驚いたそうだ。
『・・・けど、何だか微妙ですわね』
『はい。私にこれをくれたズラタ様のお気持ちは嬉しかったんですが』
ティトゥの手厳しい評価に、カーチャは困り顔で苦笑した。
そんなに美味しくないの? それってお高い砂糖を使ってるんだよね?
『砂糖が、それもほんの少し入っているだけで、ただのガレットですわ。味でも甘さでも、ベアータの作るナカジマ銘菓には遠く及びませんわね』
『私も日頃からベアータさんの作るお菓子を食べているので・・・。マチェイのお屋敷にいた頃なら、甘い味がするお菓子というだけで喜んだと思いますが』
ああ、なる程。そう言えば水あめ『水あめではなく、龍甘露ですわ』ごめんティトゥ。今は僕が考え事をしてる所だからちょっと黙ってて。
そう言えば、僕が初めてティトゥの実家、マチェイの屋敷で悪魔料理人テオドルに水あめを作って貰った時、ティトゥとカーチャは水あめの甘さに夢中になっていた。
それだけこの世界の女性達は甘味に飢えているのだ。
ならばズラタというメイド少女が、少量とはいえ砂糖が入ったガレットに喜ぶのも当然だろう。
『一口目は確かに驚きましたが・・・私も微妙な顔をしていたかもしれません。ズラタ様が気を悪くしていなければいいんですが』
『滅多に口に出来ないお菓子、と言っていたんですわよね? だったら大丈夫ないんじゃないですの』
確かに。絶対に美味しい! という自信があるなら、少しくらい相手の表情が微妙でも気付かないんじゃないだろうか。
僕達にそう説明された事で、カーチャも少し安心したようだ。
『それで、このお菓子を貰ってその子とは別れたんですの?』
『あ、はい。時間が空いた時にまた会いたい。次はハヤテ様の話が聞きたい。とは言われましたが』
それってもう、友達と言ってもいいんじゃないの?
カーチャは相手との身分差を考えて否定しているけど、向こうは全然、お構いなしなんじゃない?
とはいえ、こういう事は外野が口を挟むようなものじゃないか。
『どうしましょう。ハヤテ様の話なら、契約者であるティトゥ様にお願いした方がいいでしょうか?』
ちょ、カーチャ! なんて恐ろしい事を!
ティトゥに任せれば、何を言い出すか。
これ以上、妙な噂を世間に広められるのはゴメンなんだけど。
『相手はカーチャに頼んでいるんだから、カーチャが話してあげればいいんですわ』
『でも、私よりもティトゥ様の方がずっとハヤテ様について詳しいじゃないですか』
いやいや、そんな事実はどこにもないから。
君もティトゥも僕との付き合いの長さに大して違いはないから。
むしろ妙な思い込みで歪められていない分だけ、カーチャの方が正確に僕の事を理解しているまであるから。
ティトゥの知ってる僕は僕じゃないから。彼女の脳内にだけ存在するもう一人の僕だから。
その後もカーチャは何度もティトゥに頼み込んだが、ティトゥは首を縦に振らなかった。
カーチャにとってズラタは身分違いの相手。友達ではないのかもしれないが、自分が出て行けば友達になる未来、その可能性の芽まで摘んでしまう。ティトゥはそう思ったのだろう。
ティトゥは優しいからね。
僕は彼女のそういう所も好きなのだ。
次回「年が明けて」