その13 小部屋での密談
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聖国メイド、モニカは思うようにいかない状況に苛立っていた。
「一年以上も現場から離れていたツケ、というヤツかしら。よもやこれほどまでに城内の勢力が変わっているとは思わなかったわ」
聖国王家の主催する新年式に、ミロスラフ王国の貴族であるティトゥが招かれる。
ナカジマ家の開発には大量の聖国資本が投入されている以上、あり得ない話ではない。
だが、普通は王城で開かれる式典に、遠い外国の領主を招くような事はしない。
何者かが策謀を巡らせている。
モニカはティトゥに先がけて王城に入る事で、その動きを掴もうとした。
可能であれば対応もしたい。
そう考えていた彼女の目論見は、しかし、現状で上手くいっているとは言えなかった。
「しばらく王城から離れていたのが想像以上に痛かったわね。まさかここまで各方面の顔ぶれが入れ替わってるなんて」
彼女が王城を離れ、ナカジマ領に向かったのは昨年の秋の事。聖国沿岸を荒らし回った海賊達を、マリエッタ王女率いる聖国海軍騎士団が一網打尽にした直後である。
ハヤテ達が関わった(というよりも、ハヤテが始めた)この大掛かりな海賊掃討作戦。
その影響は王城内の人事や力関係にまでも波及していたのだった。
「いかにも竜 騎 士らしい話よね。あの人達は、自分達は人畜無害ですよ、と言わんばかりの顔をしているくせに、ひとたび事が起きて動き出せば、一切合切まとめて全てひっくり返してしまう。その影響力たるや、余波だけでも数多くの人間を振り回してしまうくらい。カサンドラ様がハヤテ様を危険視する理由もその点にあるわ。まあ、私にとってみればそこがたまらなく魅力的なんだけど。・・・とはいえ、流石に今回ばかりは困ったわね」
モニカはつい無意識に緩んでいた口元を引き締めた。
四方を海に囲まれている聖国は、海上運送の盛んな貿易国家である。
危険な海賊達が近海から一掃された事により、春先からずっと抑えられていた経済活動が一気に再開された。
それにより、領地に大きな港を持つオルバーニ侯爵家、ラザルチカ侯爵家に資金が集まり、ひいては王城内における影響力が強まったのである。
更には海賊掃討による海軍騎士団の名声の高まり。
これも軍務系を司るオルバーニ侯爵家の発言力の強化に繋がった。
現在、王城内では三侯の力が――中でも、経済、軍事、両分野において、オルバーニ侯爵家の力が特に突出している状況にあるのだ。
とはいえ、流石に宰相夫人カサンドラ、吊るし首の姫マリエッタ王女を有する、聖国王家を揺るがす程ではない。
それでも一年前とは比べ物にならない程、三侯が強い影響力を持っているのは確かである。
「オルバーニ侯は王城内の人事に口を出して、自分の派閥の者達をどんどん重要な役職に就けているようね。一年前と今とではまるで違う顔ぶれだったわ。おかげで仕事がやり辛いったらない」
モニカは聖国の玄関口、レブロンの港町でラザルチカ侯爵家当主、ハベルの部下の口から、これらの事情を把握していた。
しかし、話に聞くのと、実際に自分で体験するのとではまるで別だった。
まさかこれ程までにオルバーニ侯が幅を利かせているとは。
なる程、これではオルバーニ侯をライバル視しているラザルチカ侯ハベルが焦りを覚える訳である。
「ていうか、カサンドラ様は何をやっているのよ。全くあの人らしくないわね。三侯の力が伸びて来たら王位継承にどんな影響が出るか。それが分からない訳じゃないでしょうに」
モニカは赤髪の元第一王女、宰相夫人カサンドラに文句を付けた。
「そしてお婆様。何が『こっちも今は大変なのよ。ジャマはしないから、そっちはそっちで勝手にやって頂戴』よ。あの古狐。相変わらず食えない婆さんだわ」
そして王城のメイド頭の祖母――聖国王家を陰から支え続けて来た諜報組織の長――にも文句を付けた。
諜報組織の協力がない以上、全て自分でやらなければならない。モニカの能力をもってしても、それは流石に不可能だ。
そこで彼女は、昔の同僚に貸しをチラ付かせたり、握っていた秘密を使って脅したりして、強制的に彼らに協力?を頼んでいた。
正直、ここで貴重な手札を切ってしまうのは痛いが、背に腹は代えられない。とにかく今は時間が惜しい。
なお、諜報組織の者達を脅して使う事に危機感は覚えなかった。
祖母から、勝手にやれ、と言われたから勝手にやっただけの事。そこに文句を付けるのは筋違いである。情報を手に入れる手段に正しいも悪いも無い。それは昔、祖母自身から教わった事でもあった。
そもそも、モニカは祖母が何か言ってくるとは考えていなかった。逆にこれが祖母の狙いだと推測していた。
どういう事か? そう。祖母は、自分が突き放せば孫がこうすると分かっていて、あえて手を貸さなかったのだ。
彼女はこの機会に、孫の切り札を吐き出させるだけ吐き出させ、組織の弱みを一掃するつもりなのである。
例え血の繋がった孫であっても、利用出来る者は利用する。今は外に出ている孫よりも組織の利益の方を優先する。
なる程、モニカが”食えない婆さん”呼ばわりするのも無理はないだろう。
「まあ、全ては立場の弱い私が悪いだけだし、私がお婆様の立場でも、間違いなく同じ事をすると思うけど」
そして祖母の血は、確実に孫にも受け継がれているようであった。
モニカが向かったのはラザルチカ侯爵家派閥が利用している区画だった。
彼女はドアに付けられた小さな目印を見つけると、極自然にさり気ない動作で、しかし物音一つたてる事無くスルリと部屋の中に入った。
その際に目印を回収するのも忘れない。これは彼女の協力者が――昔のネタで脅された同僚が――あらかじめ付けておいてくれた物である。
ここは従者用の控室だろうか? 聖国の城内にしては珍しく実用性重視で飾り気のない調度品が揃っている。
モニカはドアに鍵を掛けると、壁際までイスを動かし、そこに座った。
そして戸棚から取っておいたカップを耳にあてると、壁にくっつける。
モニカはジッと息を殺し、隣の部屋の様子を窺った。
どのくらいそうしていただろうか。やがて隣の部屋のドアが開く音が聞こえた。
ズカズカと入って来た足音は一つ。時々ブツブツと呟く声から若い男という事が分かる。
男は部屋の中を歩き回ったり座ったり。とにかく落ち着かない様子だ。
それから三十分程後。ノックの音と共に別の人間が部屋に入って来た。
「ズラタ! 上手くいったか?!」
「落ち着いて下さい、ダーヴィン様。外に声が聞こえてしまうわ」
若い女の声がはやる男をたしなめた。
モニカは素早く脳中の貴族リストをめくった。
(若い男。ダーヴィンという名前。そしてラザルチカ侯爵派。・・・確かハレック男爵家にダーヴィンという者がいたはず。次男だったか三男だったか)
モニカの記憶は間違いなかった。男はハレック男爵家の次男ダーヴィン。年齢は二十代半ば。ラザルチカ侯爵家の分家から妻を娶っている。つまりは既婚者である。よって、ティトゥの花婿候補からは外されていた。
モニカはズラタという女の名には心当たりはなかった。今の彼女に、従男爵家の、しかも城を出た後に入ったメイドまでチェックするような余裕はない。
そう。ズラタはカーチャに話しかけた王城のメイド。ズラタ・ヒッツバークであった。
「ナカジマ家のメイド――カーチャと言うんだけど、彼女にお菓子をプレゼントしたわ。美味しそうに食べていたわよ」
「菓子をやった? たったそれだけか? もっと高価な品を、例えば宝石なんかを渡してそのメイドをこちらへ寝返らせる事は出来ないのか?」
「ムリを言わないで頂戴」
ズラタは呆れ声で否定した。
「私があの子から貰ったのは小さな金属の筒だけ。ドラゴンの物だからどの程度の価値が付くのかは分からないけど、メイドの手が届く所に置いているような物だから、たかが知れているでしょうね。そんなもののお礼に宝石なんて渡したら怪しまれるに決まっているわ。真面目そうな子だったし、そうなればきっと主人に私の事を報告したでしょうね」
モニカはズラタの口からカーチャの名前が出た事に驚いた。
そしてズラタは、既にカーチャと物を交換する仲らしい。
(やられた。こういう事があるから、城の者とは出来るだけ接触しないようにと言っておいたのに・・・)
生き馬の目を抜くような聖国王城内では、知らず知らずのうちに取り込まれ、相手のいいように利用されてしまってもおかしくない。
その事をモニカは誰よりも良く知っていた。
今回の一件はカーチャがうかつだったのか、ズラタが抜け目なかったのか。
(いえ。諜報活動に注力するあまり、ナカジマ家の使用人達から目を離していた私のミスね)
モニカはこの後でナカジマ家の使用人の下を訪ねて、もう一度強く念を押しておこうと心に決めた。
「だが、菓子をやった程度でどうする。たかが菓子だろう?」
いいえ、違うわ。モニカは心の中でダーヴィンの言葉を否定した。
菓子かどうかは問題じゃない。重要なのは行為に対して報酬を受け取ったという事実そのものなのだ。
「いいえ、違うわ。渡した物の価値は関係ないの。大事なのはあの子が主人の物に手を付けた。そしてその行為で私から見返りを受け取った。その点なのよ」
そう。ズラタは人の心が良く分かっている。
『千丈の堤も蟻の一穴より崩れる』という言葉がある。これは千丈もの強固な堤も、小さなアリの穴一つが原因で崩れてしまう事がある。という意味の言葉である。
今回の場合、相手に品物(※この時点でモニカはカーチャがズラタに何を渡したのかは分かっていない)を渡し、その見返りを受け取ったという事実が、蟻の一穴に当たる。
一度相手の頼みを聞いてしまえば、次の頼みも断り辛くなる。その次も同様。更にその次も同様。
こうして気が付けば、いつの間にか相手と一蓮托生の状態まで引きずり込まれているのである。
(なる程。この娘に狙われたら、カーチャじゃ到底、太刀打ち出来ないわね)
モニカのカーチャに対する評価は、頑張り屋だが根が真面目で疑う事を知らない。というものだった。
ズラタにとってみれば、さぞ与し易い相手だったに違いない。
「それにお菓子と言っても、砂糖をふんだんに練り込んだお菓子よ。王家や三侯の姫様が食べているのと同じ物なんだから。半島の小国家の田舎貴族の屋敷じゃ、絶対にお目にかかれない高級品だわ。なにしろ、私だって王城で働くようになって初めて口にした物なんだもの」
ズラタは「本当なら、あんな子にあげないで私が全部食べてしまいたかったくらいだわ」と呟いた。
「だから今頃あの子は私に凄く感謝してるはずよ。絶対にそう」
「だが、菓子は菓子。食べればなくなる物だ。形が残る物でなければ、いざという時に脅しに使えないではないか。大体、新年式は明後日なんだぞ。時間がないんだ。私はナカジマ家の当主がいつまでこの国に留まるかすら知らないんだからな」
ダーヴィンがカーチャを――ナカジマ家のメイドを使って何を企んでいるのかは分からない。あるいは具体的にはまだ何も考えていないのかもしれない。
取り合えず手駒が欲しい。情報を仕入れるためにも、探りを入れるためにも、このままではどうしようもない。その程度の考えなのかもしれない。
立場こそ逆だが、今現在、カシウス第二王子派に対して、全く同じ悩みを抱えているモニカには、彼の気持ちが痛いほど良く分かった。
ダーヴィンの「時間がない」という指摘には、ズラタも反論が出来なかったようだ。
彼女は少し考え込んだ。
「・・・分かった。次に会う時には多少強引になっても、もっと踏み込んでみるわ」
「そうか。期待しているぞ」
ダーヴィンは安堵の吐息を漏らした。
(さて。状況は分かったけど、これをどう生かすべきかしら・・・)
カーチャの事を心配するのであれば、ズラタの正体を明かし、会わないように忠告するべきだろう。
しかし、モニカは未だにカシウス第二王子派の狙いを――カシウス王子の思惑を――読めずにいた。
(ダーヴィンの実家、ハレック男爵家が、一体どの程度この一件に絡んでいるかは分からない。けど、これが上手くいけばハレック男爵家が、そして更に上のラザルチカ侯爵ハベルが出て来るに違いない。そうなればオルバーニ侯、そしてカシウス殿下も無視出来なくなる。慌てて動き始める可能性はある)
モニカが第二王子派の狙いを読めないのは、彼らのガードが固いため。派閥の主流であるオルバーニ侯爵、そして派閥のトップであるカシウス王子が、全く動かないためだ。
彼らに何かしらの動きさえあれば、動きそのものやそれに加わった人間を辿る事で、相手の思惑なり目的なりを推測する事が出来るだろう。
(ならばここはダーヴィンを泳がせるべきね)
モニカは冷静に決断を下した。
次回「カーチャの友人」