その12 王城のカーチャ
◇◇◇◇◇◇◇◇
聖国王城でティトゥが案内されたのは来客用の一室だった。
ナカジマ家のメイドや護衛の騎士、使用人達には、その正面と両隣りの部屋が与えられている。
つまりはこの一角がナカジマ家に与えられた区画、という訳である。
とは言っても、ティトゥが聖国王家の客である事に変わりはない。
様々な雑用は基本的には王城のメイドや使用人達が行い、ナカジマ家の使用人達が必要とされるのは彼らの手が届かない所、具体的にはティトゥの身支度の世話等に限られていた。
メイド少女カーチャは、暇を持て余して窓から外を眺めていた。
彼女の主、ナカジマ家当主ティトゥは、第八王女マリエッタに朝食に誘われ、王女達の住む屋敷へと出向いている。
本人はそんな席はイヤでイヤで仕方がなかったのだが、嬉しそうにしているマリエッタ王女の手前、無下に断ることも出来ずにいた。
しり込みするティトゥにハヤテは苦笑した。
『多分、君の事だから、どうにかして断れないか、とか考えているんじゃない? ティトゥは招待を受けた正式なお客さんなんだから、ホストからのおもてなしはちゃんと受けないとダメだよ』
「・・・ハ、ハヤテに言われなくても、そのぐらい分かってますわ」
「「ギャーウー(ママ、いってらっしゃい)」」
「ちゃんとファルコとハヤブサのご飯も用意してますよ。ラミラ姉様もファルコに会えるのを楽しみにしていました」
「・・・ギャーウー?(・・・ああ、やっぱり?)」
「ギョッ! ギャウ、ギャウー!(ギョッ! あの子がいるの?! イヤーッ!)」
ティトゥは暴れるファル子と、諦観漂わせるハヤブサを連れて、王女達の待つ屋敷へと向かったのであった。
部屋を出ようとしたカーチャは、ナカジマ家の使用人達に呼び止められた。
「おや、カーチャ。何処に行くんだい?」
「あ、あの、ファルコ様達のトイレの砂を換えようと思って」
「それなら今朝取り換えたばかりじゃないか。まだ一度くらいしか使っていないだろ?」
「そうなんですが・・・。何かしてないと落ち着かなくて」
カーチャの言葉に使用人達は微妙な表情になった。
彼らは皆、聖国メイドのモニカと一緒に前乗りして、数日前から王城に入っていた。
それ以降、ほとんど仕事も無く、ずっと暇を持て余していた。
彼らは自分達の行いを、年下の少女にとがめられた気持ちになったようだ。
そんなつもりは微塵もないカーチャは、気まずい空気から逃げるように、慌てて部屋の外へ出たのだった。
「・・・はあ。忙し過ぎるのも困るけど、やることがなさすぎても困っちゃいますね。私にもハヤテ様くらいの図太さがあればいいんだけど」
カーチャの脳裏に、今もテントの中でのほほんとしているであろうハヤテの姿が浮かんだ。
ハヤテが聞けば、「そんな事ないから」「僕はむしろ小心者だから」と否定されそうな言葉である。
確かにハヤテは、基本的には毎日テントの中でジッとしているか、晴れた日に屋敷の庭に出て(それも自分では動かずに、使用人達に出して貰って)日向ぼっこをするくらいしかしていない。
しかし、ひとたび事件が起きれば、人間では到底不可能な事を容易く成し遂げてしまう。
実際、ナカジマ領の今の繁栄も、ハヤテの力の賜物なのだ。
それはカーチャにも良く分かっている。ただ、ハヤテの日頃のぐうたらな姿を見ていると、ありがたみと言うか、感謝の気持ちが薄れてしまうのもまた事実であった。
そんな事を考えながら歩いていたせいだろうか。彼女は自分が呼ばれている事にしばらく気が付かなかった。
「ちょっと待ちなさい! 待てと言っているでしょう?! あなたよあなた。そこの小さいあなた! ――って、あらっ? 初めて見る顔ね。ひょっとして新人かしら?」
そう言いつつ、背後からカーチャの肩を掴んだのは、メイド服姿のまだ幼い少女。
年齢はカーチャと同じか少し上くらい。日本で言えば、まだ中学校に通っている歳だ。
カーチャの事を「小さい」と言っていたが、本人の方が頭半分背が低い。
癖のある薄茶色の髪をお団子にした、パッチリとしたつり目が印象的な、気が強そうな少女だった。
カーチャはこの城で自分と同年代のメイドを見たのは初めてだった。
そのため、咄嗟に返事も忘れて彼女の顔に見入ってしまった。
どうやらメイド少女は、カーチャのリアクションを見て、口もきけないくらい動揺しているようだ、と思ったらしい。
少女は成長途上の胸を張ると、偉そうに頷いた。
「さては城の中で迷ってるって所ね。心配しないで。怒ったりなんてしないわ。私も最初の頃はよく迷ったもの。そんなのこの城で働く者の通過儀礼みたいなものよ。いいわ。私が案内してあげる。それでその砂の入った箱は何? それをどこに運ぶように言いつけられたの?」
「あっ! ち、違うんです! コレはファルコ様達のおトイレで――」
「トイレ? 砂でしょ? 遠慮しなくていいのよ。そうかそうか。遂に私にも後輩が出来たのね」
メイド少女は勝手に納得して、勝手にウンウンと頷いている。
二人の周囲では、幼いメイド達のやり取りに、何事かと足を止める者も出始めた。
カーチャは周囲の注目を浴び、落ち着かない気持ちになった。
「あ、あの、こ、こっちに来てください。事情は向こうで話しますので」
「そう? てか引っ張らないでよ。私あなたの先輩なんだからね」
カーチャは先輩風を吹かす少女の手を取ると、慌ててこの場から逃げ出したのであった。
カーチャは人目につかない場所に少女を連れ込むと、自分がナカジマ家のメイドであることを説明した。
少女は驚きに目を見開いた。
「ミロスラフ王国のナカジマ家? それってひょっとして中庭のドラゴンの飼い主っていうアレ?」
どうやら少女は中々の情報通のようである。いや、城の中庭にドラゴンが降りれば、当然、使用人達の間で話題にもなるのか。
「飼い主ではなく、ティトゥ様はハヤテ様と契約を結んでいるんです。ハヤテ様は私達人間の言葉が理解出来るので」
「そういう噂を聞いた事があるけど・・・アレって本当の事だったのね」
少女は一瞬、興味深そうに目をすがめた。
「まあいいわ。私の名前はズラタ・ヒッツバーク。ヒッツバークって言っても、あなたは知らないでしょうね。従男爵家だから。それであなたの名前は?」
年頃の貴族家の子女が、行儀見習いとして上位の貴族家に使用人として働きに出るのは良くある話である。
その間に屋敷の主人のお手付きとなれば良し。仮にそうならなくても、ずっと実家にいるよりは有力な貴族家の子弟と知り合うチャンスも多くなる。
どうやらこの少女も――ズラタも、そういった理由で聖国王城で働くようになったようである。
「わ、私はカーチャです。家名はありません。その・・・平民ですので」
「そう? 家名が無いならあなたの事はカーチャって呼ぶわ。――何? その顔」
カーチャは、自分が平民と知って、ズラタの態度が変わるんじゃないかと恐れたのである。
急に怒り出したり、露骨にバカにするような態度を取るんじゃないか。そう警戒したのだ。
理不尽なようだが、そういった貴族も極当たり前に存在している事を彼女は知っている。
しかし、ズラタは特に気にしている様子はなかった。
カーチャはこの少女に好感を持った。
ズラタはカーチャの目を覗き込んだ。
「それでカーチャ。あなたがナカジマ家で働いていると聞いて、実は折り入ってお願いがあるんだけど。どうか聞いてくれないかしら?」
◇◇◇◇◇◇◇◇
僕がテントの中でボンヤリと考え事をしていると、外の見張りの騎士達がガシャリと鎧の音を立てた。
誰か尋ねて来たのかな? と思って耳を澄ませてみると、聞きなれた少女の声が。
やがてテントの入り口が開くと、僕の予想通り、メイド少女カーチャが姿を現した。
ティトゥの姿もなければ、ファル子達も連れていない。彼女が一人だけで僕のテントを訪れるなんて、珍しい事もあったもんだ。
『ハヤテ様、少しいいですか?』
カーチャは申し訳なさそうにしながら、僕にとあるお願いをしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
カーチャは小さな金属の塊を握りしめながら、城の中に戻って来た。
城の物置として使われている部屋に入ると、そこには小柄なメイド少女、ズラタが待っていた。
「カーチャ! どうだった?!」
「はい。これでいいでしょうか?」
「これがドラゴンの! ・・・ええと、これってドラゴンの何になるのかしら?」
ズラタは怪訝な顔で、カーチャの手の中の円筒を見つめた。
カーチャが持って来たのは一握り程の真鍮製の円筒。
20mm機関砲の空薬莢である。
「何なのかは私にもちょっと・・・。 でも、ハヤテ様の体の一部? 体から出た物です。これではダメでしたか?」
「いいえ、ドラゴンの物であるのが間違いないならいいのよ」
ズラタは嬉しそうにカーチャから空薬莢を受け取った。
「ありがとうカーチャ! これで実家に戻った時に弟に自慢話が出来るわ!」
ズラタがカーチャにしたお願い。
それはドラゴンの大ファンの弟のプレゼントに、ドラゴンに由来する何かが貰えないか? というものだった。
カーチャから相談を受けたハヤテは、『友達の弟へのプレゼント? だったら空薬莢がいいよ』と答えたのである。
「? どうしたの? カーチャ。浮かない顔をして」
「あ、いえ。ご当主様の物に手を付けてしまったので・・・」
プレゼントには空薬莢がいい、とは決まったが、まさかテントの中で発砲する訳にはいかない。
そんな事をすれば外の騎士達が血相を変えて飛び込んで来るだろう。
かと言って、火薬が詰まったままの弾丸を渡すのは危険過ぎる。
幸い、ハヤテの操縦席には、ティトゥの宝物箱が積まれている。その中には空薬莢も入っていた。
『モッテッテ イイヨ』
「そんな。勝手に取ってもいいんでしょうか」
カーチャは気乗りしなかったが、何度もハヤテに促されて渋々箱を開けた。
中には雑多なガラクタに混じって空薬莢がいくつも入っていた。
なる程。これなら一つくらい持って行っても問題はなさそうである。というか、ティトゥなら数が減った事にすら気付かないだろう。
「これなら大丈夫そうですね」
カーチャはひとまずホッとした。
とはいえ主人の持ち物に手を付ける行為には違いない。いくらハヤテが『イイヨ、イイヨ』と言ってくれても、心に浮かんだ罪悪感は消せなかった。
ズラタは残念そうに手の中の金属筒を見つめた。
「勝手に取って来たの? だったらコレは返すべきかしら」
カーチャは慌ててかぶりを振った。
「あ、いえ、ズラタ様は気にしないで下さい。ハヤテ様本人が持って行っていいと言ってくれた物なので大丈夫です」
「本人って、えっ? ドラゴンって、人間のそんな話まで理解出来るの?」
ズラタは驚きに目を丸くした。
彼女はハヤテを直接見た事はない。
ドラゴンは人の言葉を理解出来る、という噂は聞いていても、どうやら訓練された馬や犬が人の命令を聞く程度のものだと思っていたようである。
次回「小部屋での密談」