その8 混沌としてくる状況
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ミロスラフ王国王城、その最奥にある王族の居住区。
その一室でいつものようにユリウス宰相がノルベルサンド国王に報告書を読んでいた。
国王は話を聞いているのかどうなのか。
ぼんやりとした視線をユリウス宰相に送っていた。
しかしそれもいつもの事だ。宰相は特には気にせず最後まで報告を終えた。
実際のところこの報告に意味があるのかは分からない。
国王は聞いているのか分からないし、宰相は別に理解してもらおうと思っていない。
言ってみればこれはある種の儀式なのかもしれなかった。
とはいうものの、こう忙しくてはこの時間も惜しいが・・・
戦勝式典の準備に没頭しているユリウス宰相にとっては、今や時間は黄金に等しい。
その時間をドブに捨てているようなこの時間はいかにも無駄に感じられる。
だからと言って宰相がこの役目を他の者に任せることはないだろう。
国王に近づく者は少なければ少ない方が良い。
かつて周囲の佞言に乗せられては増長し、多くの仕出かしを繰り返した前国王にかけられた苦労を宰相は忘れていないのだ。
ユリウス宰相は報告を終えると手元の報告書から目を上げた。
いつもならここで国王が頷いて報告は終わりである。
だが今日はいつもと事情が異なっていた。国王自らが宰相に話しかけたのである。
「五日後、マコフスキー家の屋敷でランピーニ第八王女の主催する招宴会が開かれると聞く。知っておろうな」
「え? あ・・・はい、確かに」
ユリウス宰相は驚きに目を見張った。
おおよそ国王からそのような話が出るとは思ってもみなかったのだ。
「既に陛下の名代を派遣するよう手配は済んでおり・・・」「我自らが出向くこととする」
突然馬が話しかけてきても宰相はこうも驚かなかっただろう。
「むろん皇后も伴ってだ」
ユリウス宰相は完全に混乱してしまった。
当然、正式なパーティーはパートナーを伴うものである。
だが、国王が皇后を伴いパーティーに参加したことなど、結婚のお披露目以来一度として無かったのだ。
一体どんな風の吹き回しでこのような話になるのだろうか?
そもそも相手も国王自らが来ることなど望んでいまい。
一応案内状は送るが、あくまでそれは「招宴会を開きますよ」という報告のようなものに過ぎない。
それに対して王家から名代が派遣されたことで、「このパーティーは王家のお墨付きである」と認めたことになる。そういう慣習なのだ。
「あ・・・その・・・なぜ? そう、なぜ急になんでしょうか?」
切れ者として知られるユリウス宰相とは思えないほど言葉の歯切れが悪い。
まあ、それも当然と言えるのだが。
だが国王は宰相を気遣うつもりはないようだ。
「親衛隊の警護を手配せよ。臣下の屋敷に出向くとはいえ、皇后を伴うのだ。気の緩みはゆるさんぞ」
国王はそこまで告げると、またどこか遠い場所に視線をさ迷わせた。
話は終わったということだ。
ユリウス宰相は混乱した頭を抱えたまま、フラフラとした足取りで国王の私室を去るのであった。
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騎士団のアダム班長はかつてないほど気が重かった。
今は無理やり足を動かして王城へと向かっている最中である。
結局、頭を整理するのに一晩かかった。
前日聞かされた話はそれほど衝撃的な内容であった。
しかも噂話なんてあやふやなものではない。ランピーニ聖国の第八王女自らが語ってくれた話なのだ。
信ぴょう性を疑うことなど絶対にあり得ない。
そもそも最初は元第四王子ネライ卿が娼館でマコフスキー卿と密談をしている現場に居合わせたのが運のつきだった。
その内容はアダム班長の予想を大きく超えていたのだ。
そもそもの始まりは先日の隣国ゾルタの侵略に遡る。
隣国ゾルタは大型船一杯に兵士を詰め込み、直接ミロスラフ王国の国内に送り込むという常軌を逸した戦術を取ったのだ。
幸い戦闘自体はひと月ほどでミロスラフ王国の勝利で幕を閉じたが、国内に大きな傷跡を残すことになった。
マコフスキー卿が言うには、この戦いはランピーニ聖国のある伯爵が隣国ゾルタにミロスラフ王国の海岸線の情報を売ったことから始まったと言う。
その伯爵とはノールデルメール伯爵家。
メザメ伯爵家と並んで親ミロスラフ王国派として知られる伯爵家である。
つまりノールデルメール伯爵はミロスラフ王国を裏切ったと言うのである。
この話に戦闘の現場となったネライ領を治めるネライ卿が食いつくのは当然であった。
実際には彼の直接治める領地は見向きもされていないのだが、ネライ領が戦場になったことは事実である。
マコフスキー卿がどこからこの情報を得たのかは不明だが、親ランピーニ聖国派であるマコフスキー卿の言うことだけに説得力があった。
ランピーニ聖国からの友好使節団は当初はメザメ伯爵が代表に決まっていたという。
それが直前でノールデルメール伯爵からの横やりが入り、マリエッタ第八王女が代表になったのだそうだ。
ノールデルメール伯爵とマリエッタ第八王女がつながっているのはもはや明白。
さらに十日後、そのマリエッタ第八王女が主催となった招宴会が開かれる。
マリエッタ第八王女は上士以外にも下士や平民も呼ぶという。
他国の使者が普通そこまでの規模の招宴会を開くものなのか?
考え出すといろいろと不自然なことが目に付く。
これは裏に何かの企みがあると考えられないだろうか?
そこまで話せば思慮の足りないネライ卿なら憤慨するのも当たり前の事だ。
「おのれ! 我が領を蹂躙するに飽き足らず、今度は王都でも良からぬことを企むとは!」
親ランピーニ聖国派のマコフスキー卿もノールデルメール伯爵の裏切りは腹に据えかねていたようで、ネライ卿と意気投合した。
こうして、マリエッタ王女の襲撃計画が持ち上がった。
王女を襲撃と聞き、少し腰の引けるネライ卿だったが、王女も八番目ともなれば上士位の中でも下程度の立場でしかない、と聞かされて不遜な態度を取り戻した。
具体的な計画としては、先ず招宴会の最中に屋敷の所有者であるマコフスキー卿が第八王女を警護の者から引き離す。
タイミングを見計らって潜入していた同志達が屋敷の内外で一斉に蜂起する。
外部の者は屋敷の警備兵を引き付け、内部の者は王女と引き離された警護の者の相手をする。
現在謹慎中で招宴会に参加できないネライ卿はこの混乱に乗じてすかさず屋敷に入り、マコフスキー卿の手の者と第八王女の身柄を確保するために動く。
この時マコフスキー卿は会場にいてなるべく混乱を抑え、来場者に余計な被害が出ないよう取り計らう。
ネライ卿を案内して第八王女の身柄を押さえるのは彼の息子が担当する。
身柄を確保した第八王女はマコフスキー卿の用意した隠れ家に移し、そこでこれまでの悪事とこれからの企みを白状してもらう。
王女とはいえまだ10歳の少女だ。こうなってしまってはこちらの意のままだろう。
そんな計画が二人の間に練られたのである。
二人はおかしいと思わなかったのだろうか?
この場で初めて意気投合した二人が練ったにしてはやけに具体的な内容であることに。
そして二人が計画を練りだしてから、急に口をはさむようになった男の存在に。
アダム班長も、今となれば二人が男に上手く誘導されていたことに気が付いている。
あの時は話の内容に驚いて冷静に考えることができなかったのだ。
やはりマリエッタ王女殿下の考え通り、あの男はメザメ伯爵の遣わした工作員に間違いないだろう。
恐らくこの計画は、成功しても失敗しても、実行に移された時点でメザメ伯爵の思い通りに違いない。
元王族が他国の王女を襲うのだ。いくら今は臣籍降下しているとはいえ、ランピーニ聖国に対して取り返しのつかない引け目になることは間違いない。
そもそも王女殿下の話を信じるなら彼女はゾルタ軍の侵攻に全く関わっていない。監禁しても彼女から得る情報は何もないのだ。
アダム班長は何度も頭の中で考えを整理しながら、騎士団の詰め所へとたどり着いた。
「みんなどこへ行ったんだ?」
騎士団の詰め所は昼間とは思えないほど閑散としていた。
「あれ? アダム、お前娼館で病気をうつされて休んでたんじゃなかったのか?」
「お前その話どこから聞いた?!」
詰め所の入口で立ち止まったアダム班長を見つけた同僚が声を掛ける。
「どこって、みんなそう言ってるぞ? カミル将軍が言ってたからな」
「カミル将軍ー!!」
どうやらアダム班長はカミル将軍から聞きたくもない話を聞かされた仕返しをされたようだ。
もちろんアダム班長は何も悪くはない。ただのとばっちりだ。
「カミル将軍ならいないぜ。もう視察に出られたからな」
アダム班長は同僚の意外な言葉に固まった。
同僚の男はそんなアダム班長を不思議そうに見た。
「ん? ああそうか、お前は休んでいたから知らなかったのか。カミル将軍は国王陛下直々の命を受けて今日から国境警備の視察に出られたんだよ」
アダム班長の口があんぐりと開いた。
「ちょ・・・ちょっと待て! 国境警備だって?!」
「ああ。だから将軍に用事があっても連絡がつくのは二週間は先だな」
アダム班長の顔から血の気が引いた。
招宴会は6日後だ。それでは間に合わないのだ。
そして最悪のことに気が付いた。
(しまった! 昨日のうちに連絡しておけば間に合ったんだ!)
そう。考えをまとめるなどと悠長なことを考えずに、昨日のうちにカミル将軍に連絡を入れておけば済んだことだったのだ。
そうすれば今頃は将軍が何か手を回してくれていたのは間違い無かった。
どのみち最終的な判断を下すのは将軍なのだ。彼が思い悩む行為は不要だっただけではなく、むしろ害ですらあったのだ。
(私は・・・私は取り返しのつかないミスをしてしまった・・・)
絶望に膝をついてうなだれるアダム班長を、同僚の男は不思議そうに眺めるのであった。
次回「招宴会前日」