その7 怒りの宰相夫人
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聖国の王城。優雅さと荘厳さを兼ね備えた巨大な白亜の城の最奥。
静謐な広い廊下に、良く通る女の声が響き渡った。
「待ちなさい、カシウス! ようやく捕まえたわよ!」
女に呼び止められ、足を止めたのはこの国の第二王子カシウス。
肩で切りそろえられた赤毛。知性的なグリーンの瞳に意志の強さを表す太い眉。
身長はやや低めだろうか? ただし体つきはガッシリとしていて、服の上からでも良く鍛えられているのが見て取れる。
彼を呼び止めたのは燃えるような赤毛の長身の美女。
この国の宰相夫人であり、彼の実の姉でもあるカサンドラである。
怒気をみなぎらせながら詰め寄るカサンドラに、護衛の騎士達が緊張をはらむ。
思わず二人の間に割って入ろうとした彼らを、カシウスは軽く手を上げて制した。
「何ですか、姉上。騒々しい」
「何ですか? じゃないわよ! よくもこの数日、私から逃げ回ってくれたわね!」
カサンドラはカシウスの姉だが、今の彼女の立場はあくまでも王家の家臣。
姉だからといって、「話がしたい」という理由で気軽に国王や王子達に――王位継承権を持つ者達に――会う事は出来ない。
カシウスはそれを良い事に、カサンドラからの面会希望をずっと後回しにしていたのである。
カサンドラのただならぬ剣幕に、騎士達とメイド達は戸惑い、緊張している。
しかしカシウスは涼しい顔で姉の怒りを正面から受け止めた。
「侯爵家夫人ともあろう方が、こんな場所で声を荒げるものではありませんよ。それで私に何の用事ですか? あまり立ち話をしている時間はないのですが」
王女はまだしも、王や王子ともなれば、二十四時間、常に公人として生活する事を要求される。
実際にカシウスの自由になる時間はほとんど存在しない。なにせ睡眠時間ですら分単位で決められている程なのだ。
もしもこの話をハヤテが聞けば、「王族ってそんなにブラック企業なんだ?!」と、さぞや驚いたに違いない。
「それはあんたが私の面会時間を取らないから・・・って、その話はいいわ。分かっているでしょう? ハヤテの件よ。あんた新年式の式典にミロスラフの竜 騎 士を招待したでしょ。一体どういうつもり?!」
カサンドラは王城に戻って来たモニカに尋ねられるまで、カシウスがナカジマ家に新年式の案内を送った事を知らなかった。
彼女の所まで情報が上がって来なかった理由は明らかである。
カシウスが彼女に知られないように、密かに動いていたのである。
「竜 騎 士? ・・・ああ、あの事ですか」
カシウスはさも言われて思い出した、といった様子で頷いた。
何ともわざとらしい演技である。
「よくもいけしゃあしゃあと! しかも自分の名前を使って案内状を出すなんて正気なの?! 聖国王家の名前が周囲にどれだけの影響を与えるか分からない訳じゃないでしょうに!」
カシウスは嫡男でこそないとはいえ、聖国の継承権第二位の肩書による影響力はバカに出来ない。
彼が直々に招待した、というだけで、多くの者達の目がナカジマ家に集まる事になる。
ナカジマ家を――というよりも、ハヤテを刺激したくないカサンドラが怒りを覚えるのも当然だった。
「ハヤテに関する事は全て宰相府に一任されているわ。これは国王陛下もお認めになっている事よ。それなのに、よくも私の目を盗んで勝手な事をしてくれたわね」
「目を盗んでとは人聞きの悪い。たかだか小国の地方領主を一人、式典に招いただけでしょう。姉上も何を大袈裟な」
カサンドラのこめかみにピシリと青筋が立った。
「あんたね! ハヤテの危険性は何度も説明したでしょうが! あれはほとんど災害よ! 行く先々で混乱を招き寄せる、意志を持った自然災害! 決して中途半端な知識や身勝手な思い込みで手を出していい相手じゃないわ! なまじ言葉が通じる分だけ却って厄介なのよ。つい相手がこちらの常識や価値観に従ってくれる事を期待しかねない。けど、ハヤテは人間じゃない。ドラゴンよ。どんなきっかけで何が彼の逆鱗に触れるか分からない。あんたは勝手な行動でこの聖国にハヤテという災厄を招き入れてしまったのよ」
ハヤテが聞けば「え~、僕ってカサンドラさんからそんな風に思われていたんだ」とショックを受けたに違いない。
ハヤテはカサンドラからはすっかり人外のように扱われているが、ご存じの通り、彼の精神は普通の人間である。
しかも本人は常識的な社会人のつもりでいる。
このような評価を受けるのは、さぞ不本意というものだろう。
とはいえ、カサンドラが危惧するように、ハヤテの行く先々で常に大きな事件が起きているのもまた事実である。
一昨年の春、ハヤテがこの世界に転生した直後の隣国ゾルタの侵攻。王都でのマリエッタ王女絡みの陰謀。聖国王女パロマの誘拐。帝国による半島進軍。チェルヌィフ王朝での内乱。即位式での反乱騒ぎ。等々。
いずれのケースでも、ハヤテとティトゥ、二人の竜 騎 士は常にその渦中にあった。
こうまでトラブルに見舞われていると、確かに、疫病神扱いされても仕方がないのかもしれない。
ハヤテはいつも巻き込まれているだけで、本人には原因も落ち度もないのだが。
カシウスは姉の怒りもどこ吹く風。平然とした態度を崩さなかった。
「大袈裟な。姉上の考え過ぎですよ。例え相手がドラゴンといえ、所詮は獣の一匹。それを災害などと殊更大袈裟に騒ぎ立てては、聖国宰相府の鼎の軽重が問われるというものです。王城内にも口さがない者達は多い。姉上も軽率な発言は控えた方がよろしいのではないですか?」
「カシウス・・・あんた」
カサンドラはカシウスのハヤテを軽視しているとしか思えない発言に言葉を失った。
彼はそれを会話の終わりと捉えたのか、踵を返して歩き始めた。
護衛の騎士とメイド達が慌ててその後に続く。
一人取り残されたカサンドラは、弟の背中を見送りながらポツリと呟いた。
「どういう事? 私の報告を聞いてハヤテの危険性を理解していたのは、むしろ国王陛下よりあなただったはずなのに・・・」
しかし、カサンドラの呟きは広い廊下に吸い込まれ、誰の耳にも届かなかった。
ここは王城の敷地内。三侯ラザルチカ侯の屋敷の一室で、ラザルチカ侯ハベルは苛立ちのあまりバリバリと頭を掻きむしっていた。
「くそっ! くそっ! どいつもこいつも役に立たない愚図ばかりだ! 俺の部下にはまともに使えるヤツは一人もいないのか!」
屋敷のメイド達は主人の怒りの矛先が向くのを恐れて遠巻きに見守っている。
その腫れ物に触るような扱いが、またハベルの神経を逆なでし、益々苛立ちを募らせる。
ハベルのラザルチカ侯爵家は、第二王子カシウスを支える二つの侯爵家の片方である――と言えば聞こえは良いが、実際はライバルであるオルバーニ侯爵家に大きく後れを取っている。
いや、ライバルと思っているのはハベルの方だけで、オルバーニ侯爵家側は歯牙にもかけていないのかもしれない。
同じ侯爵家でありながら、それほど両家の間には大きな力の差が――格の違いがあった。
「折角、殿下から直々に使者の役割を賜ったというのに、その好機を生かす事ができないとは・・・」
数日前の事である。長らく派閥の二番手として無聊を託っていたハベルに、思わぬチャンスが訪れた。
派閥のトップ、カシウス殿下が他国の貴族に式典の案内状を送るため、その使者をそちらで用意して欲しい、と頼んできたのだ。
相手は半島の小国、ミロスラフ王国のナカジマ家。聞いた事も無い名だが(※というよりも、ハベルはミロスラフ王国の貴族など一人も知らなかった)カシウス王子直々の命令である。ハベルが興奮したのも無理はないだろう。
本来であれば自らが行きたいくらいだが、流石に聖国侯爵家の当主がミロスラフ王国ごときの貴族家を訪問するのはいささか外聞が悪い。
彼はやむを得ず、部下の中でも特に忠誠心の厚い者を選び、この重要な役目を任せる事にした。
男はミロスラフ王国に赴き、相手から出席の約束を取り付けると、喜び勇んで帰って来た。
鼻高々な男を前に、ハベルは怒鳴り付けたい気持ちを堪えるだけで精一杯だった。
(こいつはバカか?! なぜ、約束を聞いただけで戻って来る! 相手はカシウス殿下が直々に案内状を送るような相手だぞ! ここで相手の覚えを良くしておかなくてどうする! それがひいては、殿下の私に対する評価に繋がるのだ! どうしてそんな簡単な事が分からない?!)
数日前、聖国メイドのモニカがティトゥ達に語った内容、その通りの事をハベルは考えていた。
浅ましい、と言えば浅ましいが、トップに取り入って出世しようとする者はどこにでもいるのだ。
ハベルは男に、ナカジマ家の当主を出迎えに行くように命じた。
察しの悪い男に最後には堪忍袋の緒が切れ、怒鳴り付けてしまったが、それも仕方がないというものだろう。
そしてそれから数日後。ハベルは部下から信じられない報告を受ける事になった。
ナカジマ家の者達はとっくに王城に到着しているというのである。
「一体どういう事だ?! ヤツは――俺がナカジマ家の当主を案内するように命じた男はどうした?!」
「どうやら逃げ出したようです。役目を失敗した以上、ラザルチカ侯に合わせる顔が無いと思ったのでしょう」
ハベルは怒りのあまり眩暈すら覚えた。
更に詳しく話を聞くと、ナカジマ家の一行は使用人ばかりで当主のティトゥはいないらしい。
「当主がいない?! どういう事だ!」
「さ、さあ? そこまでは私も・・・」
「こ、こ、この役立たず共がああああああ!」
ハベルの怒りが爆発した。部下は這う這うの体で転がるように部屋から逃げ出した。
「くそっ! くそっ! 一体何がどうなっている! ナカジマ家の当主は一体どこで何をしているんだ!」
ハベルの怒りにメイド達もとうとう堪えきれずに逃げ出したのであった。
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「ギャーウー、ギャーウー(※意味のない歌声)」
『ハイ、ハイ、ですわ』
ハヤブサが雲を眺めながら即興で作った歌を歌っている。
最初は不機嫌顔だったティトゥも、次第に気持ちが晴れて来たのか、今ではハヤブサの歌に合わせて時々合いの手を入れている。
「ギャーウー(ママ、喉が渇いた)」
『あらそう。カーチャ、水筒を・・・って、妙に静かだと思ったら寝てたんですのね』
胴体内補助席ではメイド少女カーチャとファル子が一緒に眠っていた。
カーチャは座席の半分をファル子に占有されて、狭くて寝苦しそうだ。
ファル子は初めての泊りがけの旅行にテンションが爆上がりで、昨夜、ろくに寝ていなかったらしい。
そしてカーチャもいつまでも寝つかないファル子に振り回され、睡眠不足だったようだ。
二人共、飛び始めて三十分もしないうちにユラユラと船をこぎ始め、今では御覧の通りの有様である。
「このまま寝かせといてあげようよ。水筒なら確か脇のバッグに入ってたと思うよ」
『このバッグですわね。器はどこにあるのかしら』
「ギャウー(このままでいい)」
ハヤブサは水筒を抱きかかえると、直接口を付けて飲み始めた。
『コラ、ハヤブサ。お行儀が悪いですわよ』
「ギャーウー(ゴメン、ママ)」
ティトゥに叱られ、ハヤブサがシュンとする。
しかし、ティトゥとカーチャ、それにファル子とハヤブサと四人も乗ると、かなり窮屈に感じるなあ。
みんなは気にしていないみたいだけど、僕としては何だか申し訳ない気持ちだ。
もうちょっと操縦席を広く出来ればいいんだけど・・・中々そう簡単にはいかないんだよね。
僕の四式戦闘機ボディーは、実物の四式戦闘機とは違う材質で作られている。
いや、金属製なのは同じなんだけど、その金属を生み出しているのが魔法物質の塊、”魔法生物の種”なのだ。
つまり金属製の部分は同じだけど、その金属を生み出している大元は魔法の力、という訳だ。
だったら少し形を変えて操縦席を広くする事だって出来そうなものだけど、実際はそう簡単ではない。
僕の体は既に四式戦闘機としてバッチリ固定化されていて、それ以外に変化させる事が出来ないのだ。
そもそも、魔法の力と分かった所で、魔法なんて使った事がないから、具体的にどうすればいいのか分からない。
大抵の異世界転生ファンタジー小説では、主人公は魔法を使いこなしているものなんだけどなあ・・・。
どうやら僕は物語の主人公にはなれないらしい。
地球にも魔法があったら良かったんだけどね。
なんてことを考えながら冬空を飛ぶ事しばらく。
青い海の上に白い線が――外洋船の航跡が見えるようになって来たな、と思った辺りで水平線の向こうに陸地が現れた。
ランピーニ聖国のある島。クリオーネ島である。
次回「王女達の出迎え」