その6 飛行《フライト》日和
テントを出ると抜けるような冬の青空が広がっていた。
絶好の飛行日和に、僕の気持ちがキリリと引き締まった。
いやあ、実はここの所、連日曇り空が続いていたし、そろそろ雪でも降るんじゃないかと心配していたんだよ。
この国では年が開ける頃になると本格的に雪が降り積もるのだ。
そう。今日はティトゥが聖国に出発する日。
今年も残す所後三日。明々後日の元日には聖国王城で新年式の式典が開かれる予定となっている。
僕達の出発が、なぜこんなにギリギリまで遅れたのか。それはいつものティトゥのわがままのせい――ではない。いや、ティトゥがずっと参加を渋っていたのは事実だけど。
実はこの日程を提案したのは、聖国メイドのモニカさんだったのである。
『ナカジマ様の場合、出来るだけ式典の直前に現地入りした方が良いかと思います』
『それは一体、どうしてなんですの?』
モニカさんの説明によると、あまり早く現地入りすると貴族達の主催するパーティーに招待されるそうである。
この夏、王都で国王の即位式があった時、ティトゥはいくつかのパーティーに参加しただけではなく、自分の屋敷でもパーティーを開催している。(※第十四章 ティトゥの招宴会編 より)
この辺りの事情は、国が違えどさほど変わりはないそうだ。
ティトゥもあの時の事を思い出したらしく、『げっ』とイヤそうに顔を歪めた。
ここで代官のオットーがモニカさんに尋ねた。
『そうなんですか? それでしたら、むしろ早目に到着しておいた方が良いのではないでしょうか?』
『なっ?! オ、オットー! あなたなんて恐ろしい事を言うんですの!』
パーティー嫌いのティトゥにとっては、確かに、聞くも恐ろしい話に違いない。
しかしモニカさんはオットーの意見をバッサリと切り捨てた。
『いいえ。ナカジマ様を自分達のパーティーに招待するような者達の下心など見え透いています。最初から相手にする必要もないでしょう』
『と言いますと?』
『ナカジマ様は聖国の王家から――第二王子のカシウス殿下から直々に招待された。つまりはそういう事です』
『? それに一体、何の意味があるんですの?』
『・・・なる程。そういう事ですか』
ティトゥはピンと来ていないようだが、オットーには今の話で伝わったようだ。
彼は少し言葉を選びながらティトゥに説明した。
『聖国の貴族家の方々にとって、ご当主様はカシウス殿下の客人です。つまりは、カシウス殿下にとって特別な存在である、という風に見られています。彼らが自分達の饗宴にご当主様を招待するという事は、ご当主様を通じてご当主様の背後にいるカシウス殿下との繋がりを期待しての事なのです』
『はぁ? 繋がりも何も、私はカシウス殿下の事なんて全く存じ上げませんわよ?』
『それでもです。ご当主様がカシウス殿下の事を知らなくても、相手はそれを知らないのです。周囲は勝手にそう考えるし、そのように期待して行動するだろう、という話なんですよ』
『迷惑ですわ!』
ティトゥは声を荒げて憤慨した。
彼女にとっては迷惑な話でも、聖国の貴族達にとっては最高権力者にお近づきになれるかもしれない絶好のチャンスである。
彼らは目の色を変えてティトゥに近付いて来るだろう。
そして王城の奥に住む雲上人の王子様とは違い、ティトゥは小国ミロスラフのたかだか地方領主に過ぎない。
この機会をものにするためには、多少の強引な手段や行き過ぎた行動も許される。そう暴走する者がいたとしてもなんら不思議はないだろう。
『なのでナカジマ様は、出来る限り式典の直前に聖国に到着した方が良いと思います』
『ええ、ええ、そうしますわ』
『・・・・・・』
貴族の社交場嫌いのティトゥは、一も二もなく頷いた。
オットーは何故か少し考える素振りを見せていたが、最終的にはモニカさんの提案に同意した。
『とはいえ、本当に直前だと何かあった時に対応が出来ません。出発するのは三日前でどうでしょうか?』
『よろしいのではないでしょうか。流石にその日程ならナカジマ様を招待する者もいないでしょう』
モニカさんが頷いた所で、ティトゥの出発は年末の二日前と決まった。
ティトゥはパーティーに参加せずに済んでホッと一安心。晴れ晴れとした表情でカーチャにお茶を淹れてくれるように頼んだのだった。
オットーが僕のテントに現れたのはその日の夜の事だった。
彼がこんな時間に僕を訪ねて来るのは初めてだ。
僕は少しの驚きと戸惑い、そして何か不穏な気配を感じていた。
『ハヤテ様。昼間の件ですが・・・あの時、モニカさんの様子で何か気が付いた事等ありませんでしたか?』
オットーの話は意外なものだった。
モニカさんの様子? いや、どうだっただろう? 別に変な所は無かったと思うけど。
戸惑う僕に、オットーはモニカさんの説明に違和感を覚えたのだと言った。
『いえ、違和感という程のものでもないのです。ただ、少々強引なのではないかと思いまして』
モニカさんの話にウソがあるとは思えない。というか、十分に納得できる話だ。しかし問題はそこではない。ああ言えばパーティー嫌いのティトゥなら絶対に飛びつくだろう。モニカさんはそれを分かった上であえてそのように誘導した。オットーにはそう感じられてならなかったのだそうだ。
『モニカサン リエキ』
『リエキ――利益。モニカさんにとってそうさせて何の利益があるのか、という事ですか? それは私にも分かりません。彼女しか知らない事情が何かあるのかも・・・聖国の貴族社会の事は私には何一つ分かりませんし』
モニカさんはティトゥを聖国の社交場に――表舞台に立たせる事を望んでいないのかもしれない。
しかし、もしそうだとして、それが彼女にとって何のメリットがあるのだろうか?
突然、第二王子から案内状が届いた件といい、聖国では僕達の知らない何かが起きているのかもしれない。
ふと気が付くとオットーが真剣な表情で僕を見上げていた。
『ハヤテ様。今回の件、突然、面識のない第二王子から案内状が届いた点といい、昼間のモニカさんの様子といい、何か不穏なものを感じてなりません。いっそ断る事が出来ればそれがいいのですが、聖国王家、それも王族直々の招待となれば、我々の立場としては受けない訳にはいきません。何も出来ない立場で勝手な事を言うようですが、どうかご当主様の事を――ティトゥ様の事をよろしくお願いします』
オットーはそう言うと深々と頭を下げた。
思えばティトゥがナカジマ家の当主となって以来、彼がプライベートでもティトゥの事を名前で呼んだのは初めてじゃないだろうか?
元々オットーはティトゥパパの下で働いていた。つまりティトゥの事は主人の娘として接していた時間の方が、ずっとずっと長かったのだ。
さぞや手のかかる娘だったに違いない――いや、それは今も大して変わらないか。
それはさておき、オットーにとってティトゥは主人とか上司とか、そういった関係を超えた特別な存在なのだろう。
勿論、僕にとってもティトゥは特別な存在――パートナーだ。彼に言われるまでもなく、当然、彼女の事を守るつもりだ。
『ヨロシクッテヨ』
オットーの立場では出来ない事も、僕なら出来る。
最悪、ティトゥを助けるために何かやってしまっても、「ドラゴンのせいだし仕方がないよね」で、どうにかなるだろう。
『いや、それは・・・どうなんでしょうか?』
オットーはドン引きしている。
彼にとって――いや、この国の全ての人達にとって、ランピーニ聖国はこの国の完全上位互換。自分達では及びもしない先進国なのだ。
しかし、僕にとってこの世界の国は、それが例え聖国であっても遅れた中世の国でしかない。
軍事、経済、文明、科学、全てにおいて前世の母国、日本国の足元にも及ばない。
聖国がティトゥに何かしようと企んでいるのなら、僕は彼らの前に立ちはだかる。
僕はティトゥの翼。僕とティトゥは二人で一つの竜 騎 士なのだ。
『あの、今のは私が勝手に心配しているだけで、何らかの確証がある訳ではありません。その、もしも何かあっても、可能な限り慎重に。出来るだけ穏便に片が付くようにお願いします』
オットーは「これはヤバイ」と感じたらしく、先ほどまでとは一転、急に日和り始めた。
その夜、僕は何度もオットーから「慎重に」「穏便に」と何度も念を押される事になるのだった。
「ギャウー! ギャウー!(パパ! パパ!)」
『ファルコ様! 走らないで下さい!』
物思いにふけっていた僕は、賑やかな声で現実に引き戻された。
リトルドラゴン、ファル子は翼をはためかせると僕の主翼の上に飛び乗った。
僕が風防を開いてやると、彼女は勢い良く操縦席に飛び込んだ。
『すみませんハヤテ様。久しぶりにハヤテ様に乗って飛ぶのが嬉しいみたいで、昨夜からずっとこんな感じなんです』
メイド少女カーチャが僕を見上げて申し訳なさそうに謝った。
「ギャウー! ギャウー!(カーチャ姉! 出発するよ! 早く、早く!)」
ファル子はバシバシと尻尾で機体を叩いた。
「コラ、ファル子! 操縦席では尻尾を振り回さない! それにカーチャが乗っても、ママが来るまでお空には飛ばないぞ」
「ギャウ! ギャウギャウー!(ママ! 分かった、ママを呼んで来る!)」
『ちょ! ファルコ様?! どこに行くんですか?!』
ファル子は操縦席を飛び出すと屋敷の中に駆け込んで行った。
僕は慌ててファル子の後を追おうとしているカーチャを呼び止めた。
『イイ ファルコ ティトゥ ヨビニ イッタ』
『ああ、ティトゥ様の所に行ったんですね』
こうしてカーチャとハヤブサと一緒に待つ事少々。
ファル子はげんなりした顔のティトゥと一緒に現れた。
「ギャウー! ギャウー!(ママ! ママ、急いで!)」
『・・・憂鬱ですわ。ハヤテが飛べないくらい雪が降ってくれれば良かったのに』
ティトゥは運動会の日の子供のような事を言いながら、青く晴れ渡る空を恨めし気に見上げた。
君には悪いけど、もしそうなっていたとしても、滑走路上の除雪作業をやってもらってでも無理やり飛ぶつもりでいたからね。
なにせ今年も残す所、後三日。新年式の式典はもう間近に迫っているのだ。
代官のオットーが僕を見上げて確認した。
『ハヤテ様。可能な限り慎重に、出来るだけ穏便に、ご当主様の事をお願いします』
昨夜と比べて注文が増えた気がするけど、まあいいや。
『ヨロシクッテヨ』
『本当に、本当にお願いしますよ』
どこまでも心配そうなオットーを尻目に、ティトゥは操縦席に乗り込んだ。
『それでは出発! ですわ!』
「「ギャーウー!(しゅっぱーつ!)」」
『しゅっぱーつ』(※小声のカーチャ)
僕はエンジンをブーストすると疾走。
タイヤが地面を切ると、良く晴れ渡った飛行日和の冬空へと飛び立ったのであった。
次回「怒りの宰相夫人」