その5 第二王子派の誤算
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ランピーニ聖国の南東に位置するレブロンの港町。
ここは半島との貿易で賑わう大きな港町である。
ハヤテにとって今やお馴染みのこの町の一角に、豪商や貴族を相手にした高級旅館があった。
その豪華な調度品が取り揃えられた一室で、一人の貴族の男がイライラと足踏みをしていた。
「ええい、いつになったらミロスラフ王国からの船が到着するのだ!」
ナカジマ家に新年式の案内状を届けに来た、あの使者の男である。
「ハベル様からの直々の命令なのだ! 何としても果たさねばならん! それが分からんのか!」
分からないのかも何もない。この男は誰の何に対して文句を言っているのだろうか?
実際は大した意味はないのだ。男は何に対しても不平不満を抱いて止まない。そういう性質の人間なのである。
男がベアータの作るドラゴンメニューに後ろ髪を引かれながら、報告のために王城に戻ったその翌日。
彼はこのレブロンの港町にとんぼ返りをしていた。
ミロスラフ王国からやって来るナカジマ家当主――つまりはティトゥを、王城まで案内するためである。
これは彼の所属する第二王子派閥の長、ハベル・ラザルチカ侯爵直々の命令だった。
「私が? でしょうか? 私はミロスラフ王国から戻ったばかりなんですが」
気が乗らない様子の男にハベル侯爵は告げた。
「だからこそお前に命じるのだ。この役目はあちらの人間と面識のある者こそが適役だ。それともお前、この俺に意見すると言うのか?」
侯爵はジロリと男を睨み付けた。
ハベル・ラザルチカ侯爵は二十代後半。三年前、父親が急逝したために家督を継いだばかりの若い当主である。
背の低い、痩せた神経質そうな見た目をしている。
感情の起伏が激しい――というよりも、常に何かしらに対して苛立っているような若者で、些細な事でもすぐに癇癪を起し、周囲に対して当たり散らす問題のある人物でもあった。
「いえ、そんな滅相も無い! すぐに出発致します!」
例え性格に問題を抱えた若者でも、相手は自分が所属する派閥のトップである。男は慌てて頭を下げた。
「ふん。ナカジマ家はカシウス殿下が直々に招待された相手だ。そんな相手にもしも何かあればどうなるか、分かっているだろうな? お前の首だけでは済まされんぞ?」
「は、はははい! も、勿論でございます! 分かっておりますです、はい!」
「何だと?!」
侯爵は突然、激昂すると、分厚いテーブルを平手で叩いた。
「ならばなぜ、いつまでもこんな所にいる?! お前は俺に尻を蹴り飛ばされなければ動けんのか!」
「たた大変失礼致しました!」
男は踵を返すと慌てて部屋を後にした。
そして急いで馬車を用意し、このレブロンの港町へ向かったのである。
「・・・それにしてもハベル様の気の短さにはまいってしまう。お父上も気難しい方だったがハベル様はそれ以上だ。このままだとあの方もあまり長くはないかもしれんな」
ハベルの父親の先代ラザルチカ侯は、怒りのあまり頭の血管が切れて死んだとも、ミスをした使用人を激しく怒鳴り付けている最中に心臓発作で死んだとも言われている。
このままだとあの神経質な若者も、遠からず父親と同じ道を辿るに違いない。
あのハベルの姿を見ていると、そんな未来が容易く想像出来てならなかった。
「――あまりハベル様に尽くしても未来はないかもしれんな。オルバーニ侯か、ないしは直接、カシウス殿下の下で働けるようになれればいいのだが」
第二王子派の中心となっているのは二つの侯爵家。オルバーニ侯爵家とラザルチカ侯爵家である。
聖国には三つの侯爵家――三侯と呼ばれている――が存在するが、そのうちの二家がカシウス第二王子を支持している事になる。
三侯、という呼び名から三つの派閥を連想するかもしれないが、この何十年かは、ほぼオルバーニ侯爵家の一強、と言っても良い状況で、ラザルチカ侯爵家の当主であるハベルは、その事に付いて常日頃から周囲に不満をこぼしていた。
「カシウス殿下の母上と奥方もオルバーニ侯爵家の者だし、昨年には跡継ぎとなる男子もお生まれになっている。ハベル様が焦る気持ちも分からないではないが」
カシウス第二王子の母、この国の第一王妃は、オルバーニ侯爵家当主の娘である。
この輿入れの際にもかなりの駆け引きや政治的な争いがあったそうだが、三十年以上も前の事であるため、男も詳しくは知らなかった。
そして数年前、カシウス第二王子が妻を娶った。この女性はオルバーニ侯爵家当主の孫娘である。
こうなれば第二王子派は実質的にオルバーニ侯爵家に占められている、と言ってもいいだろう。
ハベルが、ライバルに大きく水をあけられている、と焦りを感じるのも当然だ。
そんな中、カシウス第二王子が「ミロスラフ王国の竜 騎 士を王城の新年式に招待する」と言い出した。
追い込まれたハベルが、一も二もなくこの話に飛び付いたのも、無理がないというものである。
「殿下はドラゴンとやらに興味があるのかもしれないが・・・全く、酔狂な事だ」
男はティトゥの屋敷を立ち去る前に、ハヤテの姿を見ている。
勿論、飛んでいる姿ではなく、屋敷の庭にいる姿なのだが、それを見た男の感想は「本当にこんなものが空を飛ぶのか?」というものだった。
実は男はドラゴンが――ハヤテが飛ぶ姿を見た事がなかった。
先程も言ったが、ナカジマ家ではその機会は無かったし、ハヤテが聖国王城を訪れる際は、城の中庭(※男ごときの立場では立ち入る事すら許されていない)に直接降りているためである。
「おかげで折角国に帰ったというのに、ゆっくりする間もなく、レブロンくんだりまで出向かなければならなくなってしまった。こちらとしては良い迷惑だわい」
こうして男の愚痴は最初にループし、再び「いつになったらミロスラフ王国からの船が到着するのだ」と、イライラと足踏みをする事になるのだった。
ミロスラフ王国からの船が到着したのはそれから二日後の事だった。
だが、船にはナカジマ家の当主ティトゥの姿は無かった。
「ナカジマ家の当主がいない?! それは一体どういう事だ?!」
「さ、さあ? 私は使いの者からそういう連絡を受けただけですので」
宿の者では話にならない。男は急ぎ、馬車で港に向かった。
果たしてそこにはナカジマ家当主ティトゥの姿もドラゴン・ハヤテの姿もなかった。
「おい! どういう事だ?! お前達の主人はどこだ?! ドラゴンはどこにいる?!」
焦りと怒りで我を忘れて詰め寄る男に、ナカジマ家の使用人達は鼻白んだ。
すると若いメイドが彼らの前に進み出た。
「何ですかあなたは? ナカジマ様に何かご用ですか?」
メイドの堂々たる態度に、男は一瞬、気勢をそがれたが、ラザルチカ侯爵家当主ハベルの脅しを思い出し、怒りを新たにした。
「メイドごときがこの私に口答えするな! お前達の主人はどこにいるかと聞いているのだ!」
貴族の怒鳴り声に、事の成り行きを遠巻きに見守っていた港の野次馬達の顔色が変わる。
彼らは美しく若いメイドが、貴族の男に酷い目に遭わされる未来を予想して、痛ましげな表情を浮かべた。
しかし当の本人は男の怒りなどどこ吹く風で、涼しげな顔で男の事を見つめるばかりだった。
それどころかナカジマ家の使用人達すら、さっきまでの怯えた様子から一転。男に対して同情の眼差しを送っている程であった。
「・・・あの使者の方、お気の毒に」
「誰か言ってあげた方がいいんじゃない?」
「いや、無理だって。絶対、モニカさん怒ってるだろ」
この異様な雰囲気に、さしもの男も怪訝な表情を浮かべた。
聖国の貴族の自分が、たかだかミロスラフ王国の領主ごときの使用人達に心配される。
あり得ないはずの光景に、男の脳内に激しく警告音が鳴り響いた。
男が戸惑う中、使用人の一人が若いメイドに――聖国メイドのモニカに、コッソリ声を掛けた。
「あの、モニカさん。あの人は先日、聖国から来た使者の方でして・・・」
「ほう。この男が――なる程」
モニカが男に冷めた視線を――捕食者が被捕食者に向ける視線を――送った。
その瞬間、男の本能はどうあがいても勝ち目のない相手にロックオンされた事を悟った。
それでも彼は、なけなしの根性をかき集めてモニカに尋ねた。
「それで、あの、ナカジマ家の当主は・・・」
「ナカジマ様でしたら、今頃はまだ屋敷でオットー様と仕事をしている最中だと思います。あちらを出発されるのは二日後か三日後か。その日の天気が悪ければ数日は遅れるかもしれません」
「数日だって?! バカな! それじゃ新年式の式典に間に合わないだろうが!」
男は悲鳴を上げた。
年末まで残り一週間ほど。
ミロスラフ王国からこのランピーニ聖国までは船で四日から五日はかかる。
男の常識では絶対に間に合わない。彼はナカジマ家の当主が何を考えているのか分からなかった。
「ど・・・どうすれば。ハベル様に一体何と言えば・・・そ、そうだ、こうしてはいられない。早くハベル様に報告に戻らなければ」
男は慌てて馬車に乗り込もうとするが、モニカがその前に立ちはだかった。
「ハベルとは、三侯ラザルチカ侯爵家の当主、ハベル・ラザルチカ侯の事ですね? 王城に行く前に事情を知っていそうな人間に出会えたのは幸運でした。あなたには色々と聞きたい事があります。そうですね、そこの倉庫でいいでしょう。みなさん、ご協力お願いします」
「お、お前は一体何を言っているんだ? おい、お前達何をする! よせ! 私に触るな!」
「すみません。モニカさんの命令ですので」
「逆らわなければ悪いようにはならないと思います。――多分」
「お気の毒だと思いますが、どうか諦めて下さい」
「諦めろだと?! おい止めろ! 私をどうするつもりだーっ!」
モニカがパチリと指を鳴らすと、ナカジマ家の使用人達が申し訳なさそうにしながら男の周囲を取り囲んだ。
野次馬達が、目の前の光景を理解出来ずに混乱する中、使用人達は男を連れて近くの倉庫へと入って行った。更にはメイド達が後に続く。
「それではみなさん、大変お騒がせしました」
そして最後にモニカが優雅にペコリと頭を下げると、倉庫の中に消えて行ったのであった。
次回「飛行日和」