その1 聖国からの使者
その日、ティトゥは朝から上機嫌だった。
毎年、この国の王城で年の初めに開かれている新年式。
今年はその開催が中止となった。その正式な連絡が来たからである。
『これで寒い中、遠路はるばる王都まで行かずに済みましたわ』
ティトゥは僕のテントにやって来ると、実に晴れ晴れとした表情で僕に報告してくれた。
いや、寒い中も何も、僕が飛べばほんの一時間少々の距離なんだけど。遠路はるばるとか、どの口が言っているんだか。
絶対に君、旅行の手間よりも、新年式のパーティーに参加せずに済んだ事を喜んでいるよね。まあ、知ってたけど。
メイド少女カーチャが若干の呆れ顔になりつつも、健気に主人の言葉にフォローを入れた。
『今年は夏に国王陛下の即位式がありましたからね。あれからまだ半年しか経っていないのに、また王都まで集まるのも大変だろうと気を使ってくれたんでしょうか』
『そうそう。みんな大変なんですわ。なんなら四年に一回ぐらいにして欲しいものですわ』
四年に一度って、オリンピックじゃあるまいし。
大の社交場嫌いのティトゥはともかく、普通の貴族にとっては、パーティーというのは顔つなぎのための大事な場である。
突然の中止発表に、みんなさぞガッカリしているのではないだろうか?
王家主催の新年式が中止になったその理由。
勿論、カーチャが言った旅行の負担もその一つではあるのだろうが、最たる理由は新国王カミルバルトの不在にあった。
そう。実は現在、国王は王都にいないのだ。
少し前に旧隣国ゾルタで起きた争い――ヘルザーム伯爵軍がピスカロヴァー王国へと攻め込んだ一件で、ピスカロヴァー王国はミロスラフ王国に助けを求めた。
戦い自体は(成り行きで手を貸した僕達の活躍もあって)割と直ぐに終わり、敵軍は国境近くの砦を一つ落としただけで撤退したのだが、ミロスラフ王国はそこで軍を引かなかった。
どうやら国王カミルバルトは、この機会に因縁浅からぬヘルザーム伯爵と雌雄を決する事にしたようである。
といった訳で、ミロスラフ王国軍は冬になっても旧隣国ゾルタの旧カメニツキー伯爵領に滞在中。
当然、総大将のカミルバルト国王も、そのまま隣国で年を越す事になったのであった。
僕達にとっては、新年会が中止になったおかげで、こうしてのんびり領地で冬を過ごせる訳だけどね。
『王都の人達には、少し気の毒な事になりましたね』
『その分、夏に稼いだからいいんじゃないですの?』
カーチャの言葉をティトゥがバッサリ切り捨てた。
王城で新年式が行われる、となれば、国中から貴族とその使用人達が集まる事になる。
つまりは、その分だけ王都にお金が落ち、町の経済が潤うという訳である。
ナカジマ家のご意見番、元宰相のユリウス老人も、新年会は冬の間の雇用対策にも一役買っていたと言っていた。
『夏と冬では別だと思いますよ? 冬場の王都は、周辺の村々から農家の人達が出稼ぎに集まるって聞いてますから』
『そう言えば、今のホマレもそうでしたわね。急に人が増えて、このままだと宿が足りなくなりそうだとオットーがこぼしていましたわ』
実は王都と同じ現象が、このナカジマ領の港町ホマレでも起きている。
農閑期の出稼ぎ労働者の大量流入である。
しかし、王都とは違い、ホマレはまだ出来たばかりで、その辺りのデータが全く揃っていない。
そのため、彼らが寝泊まりするための安い宿が足りなくなりつつあるようである。
『ハヤテから言われて先に対策をしていなければ、今頃とっくに町に人が溢れていた所ですわ』
『ハヤテ様がヤラ達と一緒にホマレで生活していた経験が役に立った訳ですね』
そうかもね。
旧隣国ゾルタの港町から港町ホマレにやって来た姉妹、ヤラとカタリナ。
僕はつい先日まで約一ヶ月の間、彼女の頭の中に間借りする形で、ホマレの町で二人と一緒に生活していた。
その時、色々と気付いた事を、ティトゥや代官のオットー、ユリウスさん達に伝えたのだが、それが町の環境改善に役立ったようである。
「僕の話が少しでもみんなの役に立ったなら良かったよ」
『少しどころじゃありませんわ。ハヤテの助言がなければ、今頃ホマレはとんでもない事になっていましたわ』
相変わらずティトゥは大袈裟だな。と、思ったら割とそうでもなかったらしい。
『本当に急に人が増えましたからね』
『本当ですわ。町を作るだけでも大変ですのに』
前世の僕は、普通の町で生活していた。
日本全国、割とどこにでもあるようなありふれた普通の町だったが、人口密度の低いこの世界では町に住んでいる人の方が少ない。
ティトゥも実家の屋敷があったのは、人口四~五千人程度の村だった。
そういった村がいくつか集まったのがティトゥの実家の領地、マチェイという土地だったのである。
そんな土地で育った彼女達にとって、ナカジマ領の管理は――ましてや、大規模港町ホマレの管理は正に未知へのチャレンジだった。
いつも四苦八苦しているのも仕方がない、と言えるだろう。
もしも、ユリウスさんが来てくれなければどうなっていたか。考えるだけでもゾッとするというものである。
『オットーとユリウスも言ってましたわ。ハヤテの助言は、町で今、何が起きているかという事だけではなく、これからどう悪くなるかの推測とその原因、それに対する対策までも一緒になっていたから大助かりだったって』
僕は別に特別なアイデアを出した訳ではない。
日本の町で生活する中では当たり前だった事、それに加えて学校で習った事やニュースで知った知識、それらを参考にした上で「日本ではこうしていた」「日本ではこういう事があった」と思った事を口にしただけに過ぎない。
ホマレを立派な町にしよう。ホマレを今より発展させよう。そんな大それた思惑があった訳じゃない。
ただ、ヤラとカタリナの姉妹が、より過ごしやすくなってくれればいい。彼女達や、彼女達と同じような立場の子達が苦労しないようになってくれればいい。そう考えて発言しただけだったのである。
だから僕はティトゥだけではなく、オットーやユリウスさんからも評価されたと聞いて、照れ臭いような申し訳ないような、なんだかバツの悪い気持ちになったのだった。
メイド少女カーチャが感心した様子で頷いた。
『ハヤテ様って時々、スゴイって思います』
ちょっとカーチャ。時々、って付けるのは止めようか。
確かに、僕本人は凄くもなんともない普通の人間だけど、この四式戦闘機ボディーは違うから。
なにせ四式戦闘機は中島飛行機の集大成。名機零戦、一式戦に次いで約三千五百機も生産されたという傑作機だから。この世界だと、今の技術を遥かに凌駕した未来兵器だから。
「ふ~ん。確かに僕はカーチャ程は凄くないかもね。なにせ”カーチャ”は、今やチェルヌィフの砂漠の町ではなくてはならない存在な訳だし」
『――と言ってますわ』
『ちょっ! ハヤテ様! それは言わないで下さい!』
チェルヌィフの砂漠でカーチャの名を知らない人はまずいないだろう。
最も、カーチャ個人の名前ではなく、気化熱を利用したエコクーラー、ポットインポット・クーラーの愛称としてだけど。(第十章 砂漠の四式戦闘機編 その18・19 カーチャ 前・後編 より)
「やったね。歴史にその名を刻んだね」
『――と言ってますわ。有名になって良かったですわね』
『ティトゥ様まで! そもそもあれはハヤテ様のせいじゃないですか!』
いや、知らないから。ティトゥじゃあるまいし、何でもかんでも僕のせいにするのは止めてくれないかな。
「ギャウー! ギャウー!(パパ! ママ!)」
「ギャーウー!(カーチャ姉もいる!)」
騒がしい声と共に、ファル子とハヤブサ、二人のリトルドラゴンズが飛び込んで来た。
ファル子はいつものように庭の土を掘り返していたのか、体は土まみれであちこちに草の種や葉っぱをくっつけている。
ファル子は早速ティトゥに駆け寄って飛びつこうとした所を、二人を散歩させていたメイドさんによって抱きとめられた。
『ファルコ様、体を綺麗に拭いてからにして下さい!』
「ギャーウー!(イーヤー!)」
ファル子はジタバタと暴れるが、メイドさんも慣れたもので、テキパキと汚れを拭っていく。
ウチの娘がいつもご迷惑をお掛けします。
ハヤブサの方は大人しいもので、行儀よくカーチャに汚れを拭いてもらっている。
その時、テントの入り口から使用人が顔をのぞかせた。
『ご当主様。やっぱりハヤテ様のテントにいらっしゃいましたか。直ぐに屋敷にお戻り下さい。聖国の使者の方がいらっしゃっています』
『聖国の? バース副隊長からの使いではなくて?』
バース副隊長の名はサライ・バース。聖国海軍騎士団の副団長で、僕にとってはヤラの妹、カタリナをさらった海賊達を捕まえるのに協力して貰った関係となる。
『いえ、海軍騎士団からの使者ではありません。聖国王城からの使者です』
『『『聖国王城からの使者?!』』』
ティトゥとカーチャ、それにファル子を拭いていたメイドさんまでが驚きに目を見開いた。
ファル子はメイドさんの拘束が緩んだ隙に脱出。翼をはためかせて僕の主翼の上に飛び乗った。
『あっ! ファルコ様!』
『ファルコ。降りていらっしゃい。カーチャ、ハヤブサ。急いで屋敷に戻りますわよ』
『は、はい!』
「ギャウー(分かった)」
「ギャウ、ギャウ!(ママ、待って!)」
ファル子は慌てて飛び降りた所を、再びメイドさんに捕まった。
『ファルコ様。お屋敷の中に入るなら、泥だらけで汚れた体を綺麗にしませんと』
「ギャーウー!(イーヤー!)」
やれやれ。ファル子も少しは落ち着きが出てくれないものかな。
ティトゥは使者に会う前に身支度を整えるべく、急ぎ足でテントを出て行った。
誰もいなくなり、急に静かになったテントの中で、僕はポツンと独り言ちた。
「しかし、聖国王城からの使者か。一体、ナカジマ家に何の用事だろう?」
ひょっとして、正月くらいは実家に戻るようにモニカさんを説得して欲しい、とか、そんな話だったりして。
ありそうな気がするのがまたなんとも。
この時の僕はのんきにそんな事を考えていたのだった。
次回「新年式への招待」