その7 聖国の裏事情
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宿屋の一室でマチェイ家一行とマリエッタ第八王女達による、王都騎士団のアダム班長への尋問?は続いていた。
「王女殿下が反ミロスラフ王国派になることで、益を得る勢力に心当たりがあるのですね?」
マチェイ家当主シモンの言葉にメイド服の幼女、マリエッタ王女が頷いた。
「メザメ伯爵です。ランピーニ聖国友好使節団の副代表として現在王都ミロスラフに来ています」
この言葉に一番反応したのは王女の侍女ビビアナであった。
突然いきり立った赤髪のメイドにアダム班長が驚いて振り向いた。
(あのアオダイショウ! やっぱりそんなことを考えていたんだわ!)
ビビアナはヒョロリと背の高い青白い顔のメザメ伯爵を、内心でアオダイショウと呼んで嫌悪していた。
王女の言葉を疑わない彼女にとって、今回の件はすでにメザメ伯爵の陰謀ということになってしまったようだ。
現時点ではあくまでも可能性の一つに過ぎないのだが、実際にこれらはメザメ伯爵の画策したことなので彼を擁護することは誰にも出来ないだろう。
「私どもは聞かない方がよろしいですか?」
シモンが慎重に言葉を掛けた。
ここまで聞いておいて最後まで聞けないなんて! そんな生殺し宣言にティトゥ達が思わず身を乗り出した。
そんな少女達と異なり、アダム班長はジワリと背中にイヤな汗が浮かぶのを感じていた。
世の中には知っただけで巻き込まれてしまう危険、そういうものがあることを彼は知っている。
王都で騎士団などやっていれば、嫌でも迂闊な話を耳に入れてしまう機会があるのだ。
実際に姿を消した同僚も知っている。
もちろん証拠はない。
というか調査すること自体を禁じられる。
その事実で周囲は彼に降りかかった不幸を察するのだ。
君子危うきに近づかず。好奇心は猫を殺す。少女達が無邪気なだけなのだ。
「・・・あまり外国の方に聞かせる話題ではありませんが、目端の利く者であれば知っている情報です。むしろこの先知らずに足を踏み入れる方が危険でしょうね」
マリエッタ王女は少し考えると説明を続けることにしたようだ。
周囲にホッとした空気が流れた。もちろん好奇心旺盛な少女達によるものだ。
「我がランピーニ聖国では、ミロスラフ王国でいうところの上士位にあたる伯爵家が常に互いを牽制し合っています」
マリエッタ王女の話す内容は、素朴な村娘であるカーチャ辺りが頭を抱えそうな内容だった。
ランピーニ聖国の伯爵家は常に他の伯爵家と牽制し合い、同盟、敵対を繰り返し、今では複雑な権力模様を描いている。
それはミロスラフ王国の上士位の権力闘争の比ではない。
本来であれば国をまとめるべき王家も積極的に加担し、どこか一伯爵家が勝利を収めないよう、常にかき回しバランスを取っている。
なぜこのような複雑な事情を抱えることになったのかと問われれば、それはランピーニ聖国の地理的な状況によるところが大きい。
豊かな資源を持つクリオーネ島は常に列強諸国から狙われる立場にある。
実際に過去には何度か他国の侵略を受けたこともあるのだ。
その際に国を守ることが出来たのはランピーニ王家の力だけではなく、他国の協力もあってのことであった。
つまり、伯爵家はそれぞれ他国の利権を代表しており、その伯爵家が常に争い合うその上に王家が存在することでランピーニ聖国は成立しているのだ。
一見華やかなランピーニ聖国だが、実は常に際どいバランスで成り立っているのである。
ミロスラフ王国に強い影響力を持つ伯爵家はノールデルメール伯爵家と件のメザメ伯爵家である。
ひとつの伯爵家ではないのはもちろん長年の政争の結果である。
有力な国の場合、十もの伯爵家の利権が絡むこともある。伯爵家の半数以上が関わっていると言えばその影響力の凄さが知れよう。
メザメ伯爵はこの度の友好使節団を利用してノールデルメール伯爵家を出し抜こうと画策したのだ。
そのこと自体は実はランピーニ聖国ではさほど珍しいことではない。
だが、ここでメザメ伯爵の人となりが問題視された。
彼が本国の目の届き辛い外国で過激な行動を起こし、その結果ミロスラフ王国との間に軋轢を生むのではないか、そう危ぶまれたのだ。
こうしてギリギリのところで、中立派とも言える王家からマリエッタ王女が代表として差し込まれたのだ。
しかし、目的はともかく取った方法が良くなかった。
ミロスラフ王国におけるメザメ伯爵家の政敵、ノールデルメール伯爵家の推薦となってしまったのである。
メザメ伯爵を差し置いて王女を代表にするにはそれ以外の方法が無かったのだ。
当然メザメ伯爵はこのことを、ノールデルメール伯爵家が王家に近づいた、ないしは、政治的後ろ盾を持たない第八王女がノールデルメール伯爵家にすり寄った、と判断したに違いない。
後手を取った(と勘違いをした)メザメ伯爵はより過激な方法で巻き返しを図る危険性が出てきたのである。
マリエッタ王女が現在、本来の代表としての仕事をほぼメザメ伯爵に任せて静観しているのも、権限を奪われた伯爵が暴発することを警戒してのことだったのだ。
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マリエッタ王女の長い説明が終わった。
場の空気は何かがべったりとへばりついているような重苦しさを感じさせていた。
心に悪意を流し込まれたような不快感だ。
「つまり王女殿下は、先日の件は伯爵の手引きの可能性も考えられる、とおっしゃるのですね」
シモンの言葉は明確な発言を避けた結果、奥歯にモノの挟まったような表現になっている。
事ここに至って、アダム班長もこの幼女メイドがランピーニ聖国の第八王女であり、先日の路地裏での一件はネライ卿の従者の手引きで浮浪者が第八王女を襲ったものである、ということを理解したのだ。
理解したくはなかったのだが・・・
なんてことだ・・・ コイツは私なんかが知っていい内容じゃないぞ。
身の程を超えた情報にアダム班長の胃がキリキリと痛んだ。
いや、シモンも胃に手を当てている。彼も耳に入れたくない内容だったようだ。
マリエッタ王女は、あら? 話し過ぎちゃったかしら? といった感じで手で口を可愛く押さえた。
とにかく言ってしまったものは仕方がない。
マリエッタ王女は開き直るとシモンに向き合った。
「私はその可能性が高いと考えています。そう考えれば辻褄が合うことも多いのです」
マリエッタ王女はあの日、護衛の者が自分を残して帰ってしまったことを思い出した。
それに大教会への訪問はメザメ伯爵が取り付けてきた約束だ。
しかし、流石に外部の者にそこまで説明することははばかられた。
「ならばなぜ、ケガやすぐに助かる誘拐で済ませようとしたのでしょうか?」
ティトゥが思わず王女に尋ねた。
命を奪う方が簡単に済む。そう考えるのも分かる。
しかし、王女も含め、男二人はそうは考えなかったようだ。
「代表でもあり王女でもある王女殿下が亡くなれば、使節団は国に帰らなければならなくなるからね」
「ケガなら私の自己責任になりますが、死んだとなれば同行した伯爵の責任問題になることは間違いありませんから」
「確かに。誰かに責任を取らせなければ収まらないでしょうな。そうなれば当然貧乏くじを引くのは代表に次ぐ立場の者に決まっているでしょう」
なるほど。ティトゥ含め女性陣が納得した。
もちろんその中にカトカ女史は含まれない。とっくに話について行くことを放棄しているからである。
「恐らくメザメ伯爵の狙いとしては、私がケガ、ないしは監禁されることにより、私がミロスラフ王国に悪感情を持つ事でしょう。そのことで私とノールデルメール伯爵家の間に溝が出来る。あるいはノールデルメール伯爵家とランピーニ王家との間に溝が出来る。そう考えたのではないでしょうか」
実際はマリエッタ王女はノールデルメール伯爵派でもなければ、親ミロスラフ王国派でも無かった。
いや、事件をきっかけにして今はランピーニ聖国随一の親ミロスラフ王国派、いや、マチェイ派になっているのだ。
メザメ伯爵の独り相撲が生んだ皮肉な結果と言えよう。
部屋にいる者の間にメザメ伯爵に対する怒りが充満した。
その中にあってアダム班長だけは頭の芯が冷えていくのを感じていた。
この温度差は当然だ。他の者にとって王女を狙った事件は既に失敗に終わったことなのだ。
だが、アダム班長にとって、この件は男の足取りをたどっていたらたまたまたどり着いただけの問題にすぎず、本来彼が憂慮すべきことは数日後にネライ卿によって起こされる王女襲撃計画なのだ。
男はその関係者に過ぎない。
いや、こうなってくると単なる関係者とも思えない。
男は糸の先に付けられた釣り針。その釣り竿を持つのはランピーニ聖国のメザメ伯爵である可能性が大きくなってきた。
アダム班長は自分が次第に深みにはまって行くのを感じた。
王都騎士団の彼の主な仕事は王都の治安の維持である。
基本的に日頃はチンピラや泥棒の捕縛、住民同士の争い事の調停を仕事にしている。
ネライ卿の時点で彼の手には大いに余るのである。
それが大物上士家のマコフスキー卿につながり、さらにはランピーニ聖国のメザメ伯爵である。
アダム班長は、いっそこの場で全てを話して全員に協力者になってもらいたい、という衝動を強く感じた。
だが、他国の人間に自国の貴族の不祥事を告げるのはためらわれるし、もし告げた結果として何か事が起こった場合、彼の命程度ではその責任を負うことは出来ないであろう。
それにマチェイ家の者をこれ以上ネライ卿絡みの件に巻き込みたくはない。
彼は旅の最中に見たティトゥのうろたえた姿を、彼は二度と見たくは無かったのだ。
そもそも王都の治安を守るのは私達騎士団の仕事だ。この人達の人の良さに甘えてはいけない。
アダム班長は弱気になった自分を戒めるのだった。
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