その33 英雄の器
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旧・ゾルタを東西に区切るアレークシ川。
その川沿いに走る街道を、護衛の騎士達に守られた馬車の一団が進んでいた。
馬車に揺られているのは二人の若い貴族。
一人は二十代の青年貴族。もう一人はまだ声変わりすらしていない幼い少年貴族。
この大陸に生まれた最も新しい国家、ピスカロヴァー王国の王子ダンナ・ピスカロヴァーと、”オルサークの竜軍師”こと、トマス・オルサークである。
「ふふふ。しかし、これほどまでにヘルザーム伯爵陣営の切り崩しが上手くいくとはな。トマス、全てお前の思惑通りという訳だな」
ダンナは笑みを漏らした。
彼は父、ピスカロヴァー王国国王アスモレイの命令を受け、カメニツキー伯爵領内の当主達の説得に回っていた。
そんな中、トマスが「このまま足を延ばして、ヘルザーム伯爵領内の貴族達にも話をしに行くのはどうでしょうか?」と提案して来たのである。
ダンナは一瞬、トマスの正気を疑った。
「何を言う! みすみす敵に囚われに行くつもりか?! 冗談じゃない!」
「危険は重々承知の上です。ですがお考え下さい。ヘルザーム伯爵軍は、せっかく手に入れたここ、カメニツキー伯爵領を手放して自領へと撤退しました。それは何故か? 彼らはミロスラフ王国軍を恐れているのです」
ほんの一年程前まで、隣国ミロスラフ王国とここ、小ゾルタ王国とは、同程度の国力を持つライバル国として争っていた。
しかし、帝国の南征によってその関係は一変する。
小ゾルタは王家が滅び、混乱の坩堝へと叩き込まれた。
それに対して、ミロスラフ王国はほぼ無傷で帝国軍を撃退。更には新たな国王の下に強力な中央集権体制を築き上げた。
今回、ミロスラフ王国は同盟相手であるピスカロヴァー王国からの援軍要請を受け、驚くことに国王カミルバルト自らが軍を率いて小ゾルタへと乗り込んで来た。
力の衰えた小ゾルタ。しかもヘルザーム伯爵軍だけで、上り調子の、しかも国王自らが乗り込んで士気もうなぎ上りのミロスラフ王国軍に勝てるはずはない。
ヘルザーム伯爵家配下の貴族達の中には、そう考えて弱気になる者達がいてもなんら不思議はないだろう。
いや、真っ当な判断が出来る指導者なら、確実にそう考えるはずである。
「あっ、すみません! 私の考えが足りておりませんでした。この夏にヘルザーム伯爵軍はミロスラフ王国の国境砦を攻めた所を、我ら二か国の連合軍によって敗走しております。つまり、彼らが真に恐れるのはミロスラフ王国に非ず。ミロスラフ王国と我らピスカロヴァー王国の同盟にあると思われます」
「う・・・うむ、そういう事であれば確かに。まともな者であれば、一対二の戦をしようとは思わぬだろうしな」
トマスは慌てて付け加えた。
精強なヘルザーム伯爵軍が、ピスカロヴァー王国の弱兵をまともな戦力と見ているかは定かではない。
が、トマスはあえてピスカロヴァー王国とミロスラフ王国を同列に並べてみせる事で、ダンナの虚栄心をくすぐったのである。
その証拠にダンナは「ふむ」と考え込んだ。
(敵を寝返らせる策は確かに有効だ。仮に上手くいかなくても、敵中に不和の種を撒く事は出来る。それにこちらにはオルサークの三英雄の一人、”オルサークの竜軍師”がいる。ならば交渉に出向いても、相手は軽々に我々を害する事は出来ないだろう。救国の英雄を卑劣にもだまし討ちしたとあれば、配下の騎士や領内の豪商の心が離れるからな。・・・ふむ。これは案外いけるのではないか?)
落ち着いて考えれば考える程、中々の上策に思えて来た。
「良かろう。トマス、お前の策を許可する。交渉先の選定は任せた」
「はっ! ではヘルザーム伯爵領に詳しい者と相談の上で候補者を絞りたいと思います」
こうしてトマスはヘルザーム伯爵領の中でも、特に領主の支持が低い三か所を選定した。
その中には偶然にも、ヤラとカタリナ姉妹の故郷、港町カルパレスを治めるカルタパレ男爵も入っていた。
「三か所とは随分と少ないが、これだけで本当にいいのか?」
「はい。殿下の安全を考慮致しますと、あまりヘルザーム伯爵領内に深入りする訳にいきませんので」
それにこれは毒。ドミノ倒しの最初のピース。
「仲間から寝返った者が出た」というその事実そのものが必要なのである。
「心に不安を抱えている者ほど、この話を聞けば、ならば自分も、と勝手に向こうから使者を送って来るでしょう。それをどのように扱うかは陛下とミロスラフ国王がお決めになられる事。利用方法はいくらでもありますので」
「――なる程。連絡を取り合い、ここぞという場面で裏切らせるのも手か。どちらにしろ、こちらからわざわざ出向く必要はないという訳だな。うむ、流石は竜軍師。お前の考えのように計らえ」
「はっ」
こうして彼らはヘルザーム伯爵領に入ったのだが、交渉の結果は非常に良好。
敵対するどころか、王子と竜軍師自らが出向いたとあって、むしろ相手から恐縮されてしまう程であった。
「では、カルタパレ男爵は、今後はピスカロヴァー王国に従って頂けるのですね?」
「はい。短期間に何度も大きな戦に駆り出され、我々も疲弊していた所でした。しかもそうやって手に入れたカメニツキー伯爵領を手放してしまう有様。これでは一体何のために我々が苦労したのか分かりません。ヘルザーム伯爵にはほとほと愛想が尽きました」
ヘルザーム伯爵がカメニツキー伯爵領から撤退したのは、撤退するだけの理由があったのだが、組織の末端の者にとっては関係がないらしい。
むしろ「我々が血を流して勝ち取った土地を、どうして戦いもせずに手放すのか」と、不満を溜め込む結果にしかならなかったようだ。
こうしてダンナとトマスは予定通りに三か所を回り、その全てを味方に引き込むことに成功した。
ダンナはこの成果に非常に満足し、意気揚々と帰路に付いたのであった。
ここは小ゾルタの王都、バチークジンカ。
トマス達を乗せた馬車は王都の巨大な正門をくぐった。
門の左右で立哨していた兵士達が馬車に向かって敬礼する。
王都バチークジンカは、かつては難攻不落をうたわれていた城塞都市である。
帝国軍の”二虎”。名将ウルバン将軍をもってしても攻めあぐねた程の堅牢な城壁を誇り、内部の裏切りさえなければ未だに持ちこたえていたのではないか、とすら言われている。
陥落して以降は、幾度にも及ぶ帝国軍の略奪にあい、歴史ある美しい町並みは見る影もなく荒れ果てている。
現在では野盗や行き場を失くした棄民達が住みつく廃墟となっていた。
「これがあの美しかった王都か・・・。胸が痛むな」
「・・・はい」
ダンナは窓から外の景色を眺めて呟いた。
「噂では帝国軍の放った火によって、三日三晩燃え続けたと聞く。帝国の愚劣な野蛮人共め。ヤツらには歴史ある建築物を大切にする心が無いのか」
王城と貴族街は辛うじて残ったが、平民街は家が密集していたため、その多くが焼け落ちている。
わずかに残った区画も、野盗や棄民達に荒らされ、元の面影はどこにも残っていないという。
「そんな帝国人共と比べてミロスラフ国王はどうだ。王城を整えたばかりか、王都に巣食う野盗を捉え、棄民には炊き出しさえ行っていると聞く。本来であれば我らがやらねばならない事を他国の国王にやって貰うとは、何とも汗顔の至りではないか」
ダンナは沈鬱な面持ちから一転、明るい表情を見せた。
その顔からは、ミロスラフ王国カミルバルトに対する明確な好意が読み取れた。
そう。二人がなぜ廃墟となって何も無いはずのこの王都を訪れているのか。
それはミロスラフ王国軍がこの王都、バチークジンカに入って陣を敷いている、との連絡を受けたからであった。
能天気に喜ぶダンナに対し、トマスは自分の考えに沈み込んでいた。
(ミロスラフ王国軍は二万。大軍を冬の最中に野営させておくのは確かに危険だ。かと言って、今のゾルタにそれ程の大軍を受け入れられるだけの都市は無い。だからこのバチークジンカに目を付けたのは聡明だし賢明だと言える。しかもそれだけじゃない――)
カミルバルトはバチークジンカに入ると、真っ先に帝国軍によって処刑されたゾルタ王家の者達の亡骸を探させた。
彼らの首は城門に晒された後、心ある者達の手によって密かに町の外に埋められていた。
カミルバルトはそれらを集めさせると、彼らの霊を慰めた上で、先祖代々の遺体が収められた城の地下墓地へと安置した。
それからも彼は城の修理。野盗の討伐。棄民の救済と、骨惜しみなく動いた。
最初は自分達の元・王都に、ミロスラフ王国軍が駐留する事に難色を示していた者達も、カミルバルトの行いを見てその考えを改めた。
中でも特に、ゾルタ王家の死者を敬った行為が彼らの心を揺り動かしたようである。
(カミルバルト国王が本心からゾルタ王家を敬っているかは知る由もない。だが、彼の行いはゾルタの多くの者達に好意的に受け止められている。もし、これを狙ってやった事だとすれば、カミルバルト国王は兵の一兵も、財のひとかけらも損なわずに、占領地の人心を慰撫した事になる)
そしてもし、トマスの考えている通りなら。
カミルバルトの狙いがこの先にあるのであれば。
この一連の行いは、また違った意味を持って来る事になる。
(いや、まさか。だが、しかし――)
その時、馬車がガクンと停まった。
何だ? と、思う間もなく小窓が開くと、慌てた様子の御者が彼らに告げた。
「ミロスラフ軍の先ぶれの騎馬隊です。このまま進むとミロスラフ軍の本隊とすれ違うと思われます」
「なに?! それはいかん! 急いで道の脇に寄せるのだ!」
同盟相手とはいえ、ミロスラフ王国とピスカロヴァー王国では国力が違う。
ダンナは馬車を避けると騎士達には下馬するよう指示を出した。
先ぶれの騎馬隊が通過すると、少し後れて本隊が現れた。
ザッ。ザッ。ザッ。ザッ。
馬車の中から外の様子を窺っていたダンナはハッと目を見開いた。
「あれは国王カミルバルト。危ない所だった。国王直属の部隊だったのか」
「国王カミルバルトですか?!」
トマスは慌てて窓にかじり付いた。
騎馬隊の中に、ひときわ強烈な存在感を放つ若武者の姿があった。
トマスは何度か隣国の王城を訪ねていたが、カミルバルト本人と直接面会した事は一度もなかった。
あれがミロスラフ王国国王カミルバルト。
その時、カミルバルトの顔がこちらに向いた。
一瞬、二人の視線が交差する。
英雄は英雄を知ると言う。
カミルバルトは確かにトマスの存在を認めていた。
そしてトマスも、カミルバルトの瞳の奥に秘めた力を――マグマのような膨大なエネルギーを感じていた。
時間にしてわずか一秒足らずの邂逅。
しかし、トマスにとっては彼我の格の違いを思い知らされるのに十分な時間であった。
あれが真の英雄。
その瞬間、トマスは確信した。
カミルバルトは、冬の野営地としてこの王都バチークジンカに入った――だけではない。
同盟国からの救援要請を受け、ヘルザーム伯爵軍と戦うためにやって来た――だけではない。
彼の目はそのずっとずっと先を見ている。目指している場所はその先にある。
(間違いない。カミルバルト国王はミロスラフ王国一国で収まる器じゃない。そして本人もその事を知っている。本当の狙いは大陸! そのための遷都! バチークジンカとその周辺地域――カメニツキー伯爵領を直轄領として手に入れて、この地に王都を移すつもりなのだ!)
カミルバルトが大陸を目指すなら、今のミロスラフ王国の王都からではあまりにも遠すぎる。
その点、このバチークジンカであれば、距離といい、守りに適した堅牢な城壁といい、新たな王都と定めるのに申し分ない。
そう。カミルバルトの一連の行いは、全てそのための下準備だったのである。
何という大胆な発想であろうか。そしてカミルバルトには、それを実現するだけの実行力も備わっている。
正に英雄の中の英雄。
英雄王カミルバルト。
自分のような作られた英雄ではない。生まれながらの英雄。本物の英雄。
トマスは戦慄に体の震えが止まらなかった。
次回「去り行く者」