その31 ヤラの目覚め
僕は再び海賊船の上空を通過した。
甲板の上には倒れて動かなくなった海賊と、隅っこに固まって怯える奴隷らしき人達の姿だけがあった。
どうやら海賊達は僕を恐れて船の中に逃げ込んでしまったようだ。
「カタリナ・・・無事で良かった」
僕はホッと安堵のため息をついた。
誰一人動く者のない船の上で、ポツンと一人、こちらを見上げて手を振る金髪の少女。
ヤラの妹、カタリナだ。
僕は翼を振って彼女に応えると、おずおずとティトゥに謝罪した。
「ごめん、ティトゥ。さっきは突然、急降下しちゃって。カタリナが海賊に切られそうになっていたから、つい。・・・どこもケガしていない?」
『ええ。ちょっと驚いただけですわ』
ティトゥは『それより、あの子が無事で良かったですわ』と微笑んだ。
非常事態だったとはいえ、ティトゥを乗せた状態で乱暴な操縦をしてしまうなんて。
今回の件では僕は彼女に迷惑をかけっぱなしだ。
これじゃパートナー失格だな。
僕は深く反省した。
「今後はこのようなことがないように再発防止に取り組んでまいりますので、何卒、よろしくお願いいたします」
『? 分かりましたわ』
ティトゥは、僕が何を言っているのか分からない、といった顔をしていたが、空気を読んで素直に頷いた。
『あっ!』
「えっ?! 何?! また何かあったの?!」
『ホラ、あそこを見て頂戴! きっと聖国海軍の船ですわ!』
あっ、本当だ。
大海原にポツンと一隻。こちらを目指して真っ直ぐ進んで来る船の姿があった。
この距離だと、流石に所属を示す旗までは見えないが、状況を考えればティトゥが言った通り、バース副隊長達の船と思って間違いないだろう。
ホマレの港から逃げ出した奴隷船を追って、ようやくここまでたどり着いたようだ。
僕達が近付くと、やはり聖国海軍の船で合っていたらしい。
屈強な男達が笑顔でこちらに手を振ってくれた。
僕は彼らに翼を振り返すと、漂流中の海賊船の方に機首を向けて、20mm機関砲を発砲した。
おっと。この射撃で丁度打ち止めになったか。
どうやら四門の機関砲、それぞれ250発の携行弾数が全て空になってしまったようだ。
(危なかった。さっき、カタリナを切ろうとした海賊を止めに入った時、まだ弾丸が残っていて良かったよ)
僕は密かにホッとした。
僕達が見守る中、聖国海軍の船は動けなくなった海賊の奴隷船に横づけすると、武装した騎士団員達が次々と乗り込んだ。
彼らは怯える奴隷達の安全を即座に確保。
海賊達は慌てて外に出て応戦しようとしたが、全員船の中に逃げ込んでいたのがあだとなった。
騎士団員達は落ち着いて出入り口を取り囲み、危なげなく海賊達を各個撃破していった。
『――終わったようですわね』
「そうだね」
逃げ場のない事を悟った海賊達は、武器を捨てて降伏していった。
降伏しても海賊は全員縛り首と決まっているらしい。
つまり、彼らにとってはここで降伏しても何の意味もない訳だが、人間誰しも目の前の死は怖いのだろう。それは恐れ知らずの荒くれ者達であっても変わらないようだ。
いや、あるいは刹那的な生き方をしている彼らだからこそ、逆に死という物をすぐ身近に感じ、恐れるのかもしれない。
「これから船内の調査を始めるみたいだし、まだしばらく時間がかかりそうだね」
『そうですわね。後はバース副隊長達に任せて屋敷に戻りましょうか』
そうだね。カタリナも無事に彼らに保護されたし、これ以上ここにいても僕達に出来る事は何もない。
僕は翼を振ると大きく旋回。ティトゥを連れて屋敷へと帰還したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
事件の翌日。
ティトゥはいつものように代官のオットーの執務室で仕事をしていた。そこで彼女は、ヤラが目を覚ました、との連絡を受けた。
「すぐに会いに行きますわ」
ティトゥは読みかけの書類を置くと立ち上がった。
ヤラの手術は無事に終わっていたが、彼女は眠ったままで中々目を覚まさなかった。
「このままずっと目を覚まさない、なんて事はないでしょうね?」
ティトゥの言葉に、ヤラの手術を終えたばかりの聖国海軍の軍医はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ふん。信用するしないはそちらの勝手だけどね。今まで僕は包帯すらロクにない戦場で、彼女よりも酷いケガをした患者の命を何人も救って来たんだよ? 今回も出来るだけの事はしたつもりだけよ」
「なら、ヤラは助かったんですわね?」
「それこそ無益な質問。愚問というものだ。前にも言ったと思うが、僕は医者であって詐欺師じゃない。「必ず助かります」なんて安請け合いは出来ないよ」
軍医の相変わらずの偏屈な態度に、ティトゥは呆れ顔になった。
しかし、性格の方はともかく、腕前は確かだったようだ。
手術を終えたヤラは呼吸も安定し、死人のように白かった肌にもやや赤味が戻っていた。
後でバース副隊長に聞いた所、この軍医は本来であれば王宮典医にも推薦される程の腕前なんだそうだ。だが、この歯に衣着せぬ物言いと、主従をわきまえない性格が災いして、王城内に多くの敵を作っていたらしい。
しかし、腕の良さと家柄の良さから無下にも出来なかったらしく、海軍騎士団の預かりとなったのだという。
つまり彼は左遷された――出世コースから外された――のである。
「まあ、本人はあんな性格ですから。むしろ、しがらみを気にしなくて良くなって清々しているみたいです。私達としても、腕の良い医者は喉から手が出る程欲しいですからね。お互いにとって良い形になった、という所でしょうか」
「はあ、そうなんですわね」
ティトゥは、それもどうだろう、と思いつつも、「つまりはハヤテが良く言う、Win―Winの関係ですのね」などと納得もしたのだった。
ヤラが寝かされているのは、使われていない一室だった。
出来たばかりのナカジマ家の屋敷は、日頃は使用されていない部屋が沢山ある。
これはナカジマ家の人間がティトゥ以外、まだ他に誰もいないためで、将来、ナカジマ家の子孫が増えれば、自然に部屋も埋まっていく事になるだろう。
部屋のドアは開いていた。
人の声にティトゥが部屋の中を見ると、ベッドに半分体を起こしたヤラが、妹のカタリナと話をしていた。
海賊サエラス一家の奴隷船から助けられた人達は、ひとまずジトニーク商会のホマレ支店で保護してもらっている。
その中でカタリナだけはティトゥが屋敷に引き取っていた。
カタリナは姉が目を覚ましたと知らされて、急いで部屋に駆け付けたようだ。
今は興奮気味に、昨日の話を――ハヤテに助けて貰った話をしている。
ヤラはまだ体が辛いのか、自分からはあまり口は開かないが、終始穏やかな笑みを浮かべて嬉しそうに妹の話を聞いていた。
ティトゥは姉妹の再会に水を差すのもどうかと思い、部屋の外で躊躇っていた。
すると、ベッドの横で二人の様子を見守っていたメイドが、主人の姿に気が付いて二人に声を掛けた。
「ヤラ、カタリナ。ご当主のナカジマ様がいらっしゃいました」
ティトゥは妹のカタリナには昨日、一度会っている。
その時に自己紹介は済ませたが、姉のヤラとこうして会うのは初めてだった。
「ティトゥ・ナカジマですわ。良くなったようで安心しました。あなたとはずっと話がしてみたかったんですの」
「あ・・・あう。あ・・・その・・・」
ヤラは先程までの様子から一転、突如として挙動不審になった。
「お姉ちゃん?」
姉を心配するカタリナ。
ヤラは恐怖で青ざめながら、震える手で妹の小さな手をギュッと握りしめた。
(この反応。やっぱり、そうなんですわね・・・)
ティトゥはヤラの様子から、彼女の感情を――明確な恐怖の感情を――感じ取っていた。
彼女はなるべくヤラを刺激しないように、変な誤解を与えないように、言葉を選びながら慎重に話しかけた。
「落ち着いて。何も心配する事はありせんわ。私はあなたをどうこうする気はありませんの。その前に確認しておく事があります。今、あなたの頭の中にハヤテはいますの?」
ヤラは怯えながらもかぶりを振った。
「いや。ハヤテはいない・・・です。アタシ――わ、私は! 私はご当主様のドラゴンをどうこうしようなんて、思っていなかったんです! 違うんです! アタシは、アタシは――」
「お、お姉ちゃん?! 一体どうしたの?! お姉ちゃん?!」
「ヤラ、どうしたの?! まだ動いちゃダメよ! 傷口が開いてしまうわ!」
ヤラはシーツを跳ね除けるとベッドから降りようとした。
カタリナとメイドが慌てて止めに入る。
だが、恐怖がケガの痛みをマヒさせているのだろう。ヤラの思わぬ力に、二人は驚きの表情を浮かべた。
「アタシは――アタシはカタリナを残して死ぬ訳にはいかないんだ。頼みます。頼みます」
ヤラはカタリナとメイドに体を支えられながら、必死に頭を下げた。
その悲痛な姿に、ティトゥは「ああ、やっぱりそうなのね」と思った。
この一ヶ月、ティトゥは何度もハヤテに、ヤラを屋敷に連れて来るように頼んでいた。
しかし、ハヤテからは、「どうしても自分がドラゴンだと信じて貰えない」「平民だから貴族を怖がっているみたい」と、色よい返事を貰えなかった。
ティトゥはハヤテの説得の仕方が悪いのではないか、熱意が足りないのではないか、などと疑っていたが、代官のオットーの意見は違っていた。
「ヤラという少女は、ハヤテ様がドラゴンだという事を信じられないのではなく、信じたくないのではないでしょうか」
「どういう事ですの?」
オットーは少し考えながら説明した。
「平民だから貴族を怖がっている、というのは事実でしょう。実際にそういう横暴な貴族はいますし、そういった悪い噂は広まるのが早いですから。勿論、ご当主様はそんな貴族ではありませんが、外国から来たヤラが、良く知らないこの国の貴族を警戒するのは当然だと思います」
「それは・・・仕方がありませんわね。けど、そこはハヤテがちゃんと伝えてくれれば――」
「そのハヤテ様です」
「?」
「いいですか? ハヤテ様はご当主様が――この領地を治める貴族が非常に大切にしているドラゴンです。そしてヤラは故意にではないとはいえ、そのドラゴンの意識を奪ってしまいました。しかし、問題はそこではありません。彼女が眠ったりして意識がない状態になればハヤテ様の意識は元の体に戻って来る。という点です」
「それが一体何の・・・あっ」
ティトゥはハッと目を見開いた。
ヤラが頑なにハヤテがドラゴンである事を信じなかった理由。――いや、正確には、信じたくなかった理由。
ようやく彼女にもその理由が理解出来たのである。
オットーは「そうです」と頷いた。
「ヤラの意識が戻りさえしなければ、ハヤテ様は元の体のままでいられる。つまり、彼女を殺してしまえば、実質的にハヤテ様は元のままでいられるのです」
次回「ティトゥとヤラ」