その28 こぼれたミルク
僕は海賊達の船に正面から突っ込んだ。
照準器に映る船影がみるみるうちに大きくなっていく。
ちなみに、四式戦闘機・疾風に搭載されている三式射撃照準器は、いわゆる光像式。
照準器底の光源から出た光が、スプリット・プレートを通る事で、反射ガラス板に照準環を投影する仕組みとなっている。
今だ!
ドドドドドド
四門の20mm機関砲が低い唸りをあげる。
閃光弾が真っ赤な光の線を引きながら、白い船の帆へと吸い込まれていく。
グオオオオオオ
僕は補助翼を操作。機体を左に90度傾けると、横向き飛行で船の右舷をすり抜けた。
どうだ?! やったか?!
「――って、しまった! これって失敗フラグだよね?」
『何を言ってるんですの?』
思わず漏れた一言にティトゥのツッコミが入る。
『それで攻撃は上手くいったんですの?』
ティトゥが首をひねって背後を振り返った。
どうだろう? 見た感じ、船の様子は変わらないようだ。
「・・・どうやら空振りだったっぽいね」
まさかさっきの失敗フラグが原因じゃないよね?
『一度で上手くはいかないものですわ』
ティトゥの言う通りだ。
一度でダメなら二度三度。弾丸が尽きるまで繰り返すだけだ。
「ティトゥ。もう一度やるよ」
『分かりましたわ』
僕は翼を翻すと大きく反転。再び海賊船の前に出るために速度を上げたのであった。
僕は船の前方でUターンすると、再度アタック。海賊船へと突っ込んだ。
船の上では慌てた海賊達が右往左往している。
彼らはさっきの攻撃を見ていなかったのだろうか?
僕の狙いは彼らの頭上にある。
そう。僕の標的は帆船の”帆”なのである。
少し前。僕はトレモ船長に協力して、バニャイア商会の少女アデラをさらったハヴリーン商会の船を攻撃したことがある。
その時は爆弾による反跳爆撃で船の舵を吹き飛ばしたのだが、今回は同じ手は使えない。
この船には奴隷達が乗せられているからだ。
もし、爆撃で船に浸水でもしたら、彼らは逃げ場のない船倉でおぼれ死んでしまうだろう。
だから今回、狙うのは”帆”。
帆船は帆で風を受けて進む風力推進。帆さえ奪ってしまえば、船は動力を失って漂流するしかないのだ。
そして僕がなぜ正面からのいわゆる反航戦を行っているか。
それは船の帆が船の中心に沿って縦に並んでいるからである。
20mm機関砲にとって、布製の帆など紙のようなもの。
つまり、前か後ろから攻撃した方が、数枚まとめて貫通出来てお得なのである。
その理屈だと、後ろから攻撃しても同じ事じゃないかって? まあそうなんだけど、気分かな。後ろからだと帆柱が邪魔しそうに見えるんで。
ドドドドドド
再度、20mm機関砲が唸りをあげた。
今度こそどうだ? いけるか?
グオオオオオオオ
僕は再び船の右舷をすり抜けた。後ろを振り返ると――よし! 上手くいった!
「やったよ、ティトゥ! 帆が燃え始めた!」
『成功ですわね!』
とはいえ、数ある帆の中で火が付いたのは一枚だけ。
これでは左程、足止めの効果は期待出来ないだろう。
それに船の周囲は海――いくらでも水がある。
このままだと、せっかく付けた火が海賊達によって消し止められてしまうかもしれない。
そんな事はさせない。まだまだ弾丸は残っているのだ。
「もう一度行くよ!」
『ええ! きっと次はもっと上手くいきますわ!』
今の攻撃で手ごたえを感じたのだろう。ティトゥの声は力強かった。
こうして僕は数度に渡って海賊船に空襲を仕掛けた。
海賊達は怯えて逃げ回るばかりで、誰も帆についた火を消そうとはしなかった。
考えてみれば当然だ。火が付いている場所は彼らの遥か頭上。そして、いくら周囲の海水が使い放題とはいえ、これは外洋船。
彼らのいる甲板から見て、船の喫水線(※水面と船体との境目)は何メートルも下にあるのだ。
電動ポンプもなしに、そんな場所から海水を大量にくみ上げ、消火する事は不可能だったのである。
やがて火は帆柱にも燃え移った。
海賊達は慌てて帆柱を切り倒し、火が船体へと延焼するのを防いだ。
こうして最初は三本あった帆柱も、残っているのは真ん中と後ろの二本だけとなり、しかも真ん中の柱はてっぺんが焼け焦げ、帆もほとんどが焼失してしまった。
結局、最後まで帆が残っていたのは一番後部の帆柱だけ。その帆も20mm機関砲の弾丸によって穴だらけで、ほとんど使い物にならなくなってしまったのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
甲板の上はあちこち焼け焦げていた。
「押すぞ。せーの」
「そいつはまだくすぶってるぞ。気を付けろ」
甲板の上では海賊達が火の後始末に追われていた。
全身真っ黒に汚れて、最早、仲間内ですら誰が誰だか見分けが付かない。
煤と汗で汚れた肌は、あちこちに火ぶくれが出来、ヒリヒリと痛みを発している。
火傷の痛みもさることながら、厄介なのは目に入った煤や煙だ。
彼らは充血した目を擦りがら働いていた。
とはいえ、これでもまだマシになった方だ。さっきまでは絶え間なく、焼け落ちた帆が頭上から降り注いでいたのである。
そして運の悪い事に、急いで港から出航したために、荷が甲板の上に積みっぱなしになっていた。
その荷物の上にまだ火が残っていた帆が覆いかぶさり、二次災害を引き起こした。
結局、彼らは積み荷のほとんどを海に捨てなければならなくなったのであった。
「くそっ。あの化け物め」
誰かが頭上を見上げて小声で呟いた。
突如として空から現れ、彼らに襲い掛かって来た怪物は、ヴーン、ヴーンという低い唸り声を上げながら、悠々と上空を旋回している。
「アイツ一体、俺達をどうするつもりなんだろうな?」
「さあな。化け物の考える事なんて知るかよ。大方、逃げられないようにしてから、ゆっくり食うつもりなんじゃねえか?」
「ちっ。俺達は化け物の昼飯かよ」
海賊達は怪物を刺激しないように、ヒソヒソと声を潜めて話し合った。
「なあ、考えたんだが、奴隷達を外に出して、俺達は船の中に隠れているってのはどうだ?」
「なる程。腹が膨れたらどこかに行くかもしれねえもんな」
誰かの言ったアイデアは中々のもののように思えた。
「よし。俺が船長に言ってくるぜ」
海賊が一人、船の中へと駆け込んで行った。
その頃。
ガチャリ! 大きな音を立ててドアの鍵が開けられた。
狭く薄暗い部屋に入って来たのは、ヤラ達の叔父、奴隷商人オリパだった。
さっきまで仲間と一緒に火の始末に追われていたのだろう。顔は煤に汚れて真っ黒で、自慢の服も黒く汚れ、あちこちに丸い焦げ穴が開いていた。
帆柱を切り倒すのに使ったのだろう。手には斧が握られている。
オリパはギラ付いた目で室内を――目の前の怯える中年男を睨み付けた。
男はヤラ達の父親。オリパの義理の兄だ。
ヤラ達の父親は、義弟のただならぬ形相に「ひっ」と息を呑んだ。
「・・・テメエと関わってから、ロクな目に合わねえ」
オリパは呪詛のような呟きを漏らした。
「テメエは俺の疫病神だ。テメエといると、俺の運気が吸いつくされちまう。悪い流れはここで断ち切らないといけねえ」
「い、一体何を言っているんだ?」
ヤラ達の父はガクガクと震えた。
彼はずっとこの部屋に閉じ込められていた。外で何か大きな騒ぎが起きているのは分かっていたが、この部屋の換気用の小さな窓からでは外の様子を知る事は出来なかった。
「そ、外では何があったんだ? この船は大丈夫なのか?」
「うるせえ!」
オリパは斧を薙ぎ払った。
斧の先が、壁に固定されたテーブルに深々と食い込む。
「ひっ! ひいいっ!」
「テメエのせいだ。俺は悪くねえ。全部テメエのせいだ。ここでテメエを始末すれば俺は助かるんだ。そうに違いねえ」
何があったのかは分からないが、義弟は頭がおかしくなっている。
ヤラの父はそう思った。
そしてその考えは概ね正しかった。
オリパは追い詰められていた。
(今は火の始末に追われているが、いずれ船は落ち着きを取り戻す。そうなりゃ俺に対しての責任追及が始まる。俺がミロスラフ王国に行こうと言い出さなければこんな事にはならなかった。誰かがそう言い出すに決まってる。――いや、違う。俺のせいじゃねえ。全部このクズのせいだ。このクズがいなければ、俺はミロスラフ王国に行こうなんて思いつきもしなかったし、こんな場所を航行する事だってなかったんだ。あの化け物と出会ったのだって、コイツにツキがないからに違いねえ。コイツの不運が俺達に不幸を呼び込んだんだ)
オリパはテーブルから斧を引き抜くと、頭上に振りかぶった。
「テメエさえ始末すれば、きっと俺は前に進める。あばよ義兄貴」
ヤラの父は恐怖で見開かれた目で、自分の命を奪おうとする凶器を見つめた。
一体、なぜ?
彼は思った。
一体、自分が何をした? 自分は一体、どこでボタンを掛け違えたんだ?
血は繋がっていなくとも、この義理の兄弟は似た者どうし。本質的な部分で良く似ている。
どちらも何かあった時、原因を自分ではなく他に求める傾向があった。
この期に及んでも、彼らは自分自身に原因があるとは思っていなかった。
こぼれたミルクを嘆いても仕方がない。
これは、一度起きたことは、いくら後悔しても元に戻す事は出来ない、という意味の言葉である。
これまでの人生、おそらく二人には何度も立ち直れる機会があったはずである。しかし、それを生かせなかったのは彼ら自身の問題だ。
そしてオリパには昨年、聖国近海から海賊が一掃された時。
ヤラの父には、娘が彼の下を去った時。
それが、二人にとってギリギリ最後に残されたチャンスだったのかもしれない。
こうしてヤラの父親は死んだ。
そして義理の兄を殺したオリパにも、最後の時が迫ろうとしていた。
次回「オリパの最後」