その27 奴隷船を空襲せよ
◇◇◇◇◇◇◇◇
ヤラは悪夢を見ていた。
痛み。苦しみ。悲しみ。
心が強く締め付けられるような、そんな悪夢だ。
(いや、違う。これは悪夢じゃない。”予感”だ)
ヤラは霊感体質だった。
と言っても、自分ではコントロール出来ないような、小さなあやふやな力。ある種の「虫の知らせ」のようなものだが、この力はかつて何度も彼女を危険から守って来た。
ある時は、これから通る場所でイヤな予感を感じるという形で、その場で起きた事件に巻き込まれずに済んだ。
またある時は、外出先で落ち着きない気持ちになるという形で、かまどの火の不始末による火事を避ける事が出来た。
今までの人生で何度も彼女を救って来た霊感。
その霊感がかつて一度も感じた事のない程の特大級の警鐘を鳴らしていた。
あまりにも大きな危険。絶対に避けられない破滅。
あまりの警鐘の大きさに、虫の知らせというレベルを超えてしまい、悪夢という形を取ってしまったのである。
(アタシに一体何が・・・って、そうだ。アタシはオヤジにナイフで刺されたんだった)
思い出すのはお腹を貫く灼熱の痛み。
一瞬の浮遊感。そして冷たい水の感触。息が出来ない。苦しい。
(アタシは・・・アタシは死ぬのか)
死ぬのは恐ろしい。耐え難い苦痛。未来が閉ざされ、全てを失うという喪失感。
だが、それだけではまだ最悪の予感とは言えなかった。
(そうだカタリナ! カタリナはどうなった?!)
妹のカタリナは父親の借金の肩で危うく娼館に売られる所だった。
それをヤラが連れ出して、二人で一緒に外国に――港町ホマレまで逃げて来たのだ。
ヤラは妹を守り、男達に混じって港で肉体労働に励んだ。
キツイ仕事だったが、その中にも確かな充足感があったのも事実だ。
働いてお金を得る。そのお金で生活を豊かにする。
当たり前の事のようだが、彼女の故郷、港町カルパレスではこうはいかなかった。
日々の激しい物価の上昇。そして治安の悪化。
彼女の稼ぎ程度では、働かない父親と妹を食べさせていくだけで精一杯だったのである。
しかし、こうしたささやかな満足感は、小さな幸せは、全て無になろうとしている。
ヤラの命は今にも尽きようとしている。
そして残された妹は奴隷船に乗せられ、どことも知れない外国に売り飛ばされそうになっている。
(カタリナ! カタリナ! なんでアタシらがこんな目に! くそう・・・アタシがあんなヤツの言葉を信じちまったために、あの子が・・・。なんであの子ばかりこんなひどい目に遭わなきゃいけねえんだよ!)
ヤラが信用した相手――叔父のオリパは奴隷を扱う海賊の一味だった。
彼女が叔父を信用してしまったために。彼の言葉に乗って、カタリナを連れて船に乗ってしまったがために。妹は奴隷船に捕らえられてしまったのである。
カタリナに待っているのは娼館に売られるよりも酷い未来。奴隷として家畜のように売り買いされる未来であった。
カタリナは奴隷として遠い外国へと売られていく。
助けようにも、自分は父親に腹を刺され、海に沈もうとしている。
どうしようもない破滅。
避けようのない最悪の未来。
ヤラの力では――いや、少女の力では――いや、一人の力では――いや、誰の力でも覆せない。
そんな決定された絶望の未来。
そう。絶望は。未来は決定されてしまった。
一度出てしまった賽の目は覆せない。
もしも覆そうと思うのなら、それこそ運命をも超えた力が必要だろう。
賽の目どころか、サイコロを乗せた盤面ごとひっくり返すようなデタラメな力。
世界の常識を剛腕でねじ伏せる魔神のごとき力。絶対的な力。
そんな力の持ち主が奇跡的にこの場に存在し、奇跡的にヤラとカタリナの苦境を知り、奇跡的に二人に救いの手を差し伸べる。
奇跡に奇跡を重ね掛けしたような奇跡。
甘い砂糖菓子にシロップを掛けたような甘い甘い夢想。
そんな奇跡が――
(・・・ある訳がない)
ヤラは深い絶望に沈み込んでいた。
絶望は暗く冷たく深く息苦しい。まるで水の底にも似ていた。
ヤラは絶望の底でふと無意識に顔を上げた。遠い遠い水面から届く小さな白い光。
その光に彼女はなぜか見覚えがあるような気がした。
いつもすぐそばにいるような、親しみのこもった柔らかな光。
その光は温かく、そして不思議な力に満ちているように感じられた。
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「見つけた! 間違いない! あれがカタリナの乗せられた奴隷船! 海賊達の船だ!」
眼下の船では僕を見つけた海賊達が大騒ぎしている。
間違いない。あれは奴隷船だ。
ぶっちゃけて言おう。
僕には船の見分けは付かなかった。
ていうか、そもそも、船乗りでもない僕に、帆船の細かい見分けを付けろと言う方がムリだったのだ。
一応、言い訳をさせてもらうと、ヤラの目線で見た時と、空の上から見た時では随分と印象も変わるのだ。
車のプラモデルを1/1サイズに拡大しても、実車そのものの外見にはならないという。
それは全体を眺められるプラモデルと、近くに寄って見る事の出来る実際の車とでは、見ている人の印象が変わるからである。
模型メーカーはその点を考慮して、その車の特徴的な部分が良く目立つようにあえて数値をいじり、デフォルメさせる事で、より「本物らしさ」を強調しているのだという。
つまり、僕が何を言いたいのかと言うと、「空から見下ろしても、僕には奴隷船かどうかはさっぱり分からなかった」という事だ。
だったらなぜ、この船を奴隷船だと言い切れるのか?
見分けるポイントになったのは船の形ではない。
船を操る人達が船乗りか海賊か。その一点だったのである。
実はこの船の前にも三隻程、似たような船を発見していた。
そのどれもが、僕が近付くと船員達が続々と甲板に現れて、こちらを見上げて嬉しそうに手を振ったのである。
『それでハヤテ。この船はカタリナの乗った奴隷船なんですの?』
「う~ん。ほ、保留で」
その度に僕は決断を先送りにしていた。
あ。一応、ティトゥには船の位置をメモしておいて貰ったよ。
そして見つけた四隻目。しかし、この船の船員達の反応は今までとは全く違っていた。
僕を見つけて甲板に集まって来た所までは一緒だったが、嬉しそうにするどころか、逆に恐怖に怯えた目でこちらを見つめたのである。
中にはパニックのあまりカッターボートで逃げ出そうとして、仲間に取り押さえられている者までいる始末だった。
ホマレの港に来る船で、ここまで僕を――ドラゴンを恐れる船乗り達は普通じゃない。
というか、一人二人ならともかく、一隻丸ごとというのはどう考えても不自然だ。
間違いない。彼らは海賊だ。
昨年の夏に、聖国の近海で僕とティトゥが退治して回った海賊達。ないしは、その海賊から僕達の噂を聞いた同業者に間違いない。
そう考えると、船員達の中にチラホラとさっき見た顔がある気がした。
『見覚えがあるって・・・本当に間違いないんですの?』
「間違いない――とまでは言えないけど、今まで見つけたどの船よりも怪しくない?」
ティトゥは船を見下ろしながら、『確かにそうですけど』と呟いた。
あっ! 待って! あそこ!
「今、船の中から出て来た男! あの人、オリパ叔父さんだ! 絶対そうだよ!」
『! ヤラの叔父がいるという事は、この船が海賊の船で間違いありませんわね』
オリパ叔父さんはこちらを見上げて何か叫んでいる。
カタリナの姿は見当たらない。船の中にでも閉じ込められているのだろうか?
僕のイメージの中で、カタリナは暗い船底で、狭い檻の中に閉じ込められて泣いていた。
その想像に僕は激しい怒りを掻き立てられた。
僕は居ても立っても居られなくなって叫んだ。
「今から奴隷船を空襲する! ティトゥ、安全バンドを締めて!」
『りょーかい、ですわ!』
僕ははやる気持ちを抑えながら、エンジンをブースト。速度を上げると、奴隷船を追い越した。
そして十分な距離を取ると、高度を下げながら大きくUターン。奴隷船と正面から向かい合った。
いわゆる反航戦の形だ。
「よし、行くよ!」
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「こりゃあ、一体、何の騒ぎだ?」
ヤラの叔父、オリパは、仲間の声に驚いて、甲板まで様子を見に来ていた。
甲板の上は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
ちなみにカタリナは船室に鍵をかけて閉じ込めてある。
とは言うものの、姉が刺されて海に転落した事が余程ショックだったのだろう。あれからカタリナはずっと放心状態で、抵抗する意志も失っていた。
「化け物だ! ”船喰らいの怪物”が来やがった!」
「船喰らい?! まさか――」
オリパはギョッと目を剥いた。
カルシーク海を我が物顔で荒らしまわる、恐れ知らずの海賊達。
そんな彼らを震え上がらせるものが二つある。
一つは昨年の夏、カルシーク海から海賊を一掃した断罪者。聖国の第八王女マリエッタ・ランピーニ。
もう一つは、マリエッタ王女の凶悪なるしもべ。
大空を舞い、突如として襲い掛かって来る死を運ぶ大いなる厄災(※海賊視点)、船喰らいの怪物。
「あれが船喰らいの怪物。・・・大型の外洋船すら一瞬で沈め、乗っている人間を貪り食うという化け物」
オリパの見つめる先。晴れた秋空を大きな翼が横切った。
四式戦闘機・疾風である。
昨年の夏、聖国の海で海賊退治に協力したハヤテだったが、どうやらこの一年の間、その一件が海賊達の間で伝わるうちに、話に尾ひれはひれが付きまくり、今では未知の怪物のように思われているようである。
ハヤテ本人が聞けば、さぞやショックを受けたに違いない。
そしてマリエッタ王女が聞けば、微妙な顔をしたに違いない。
彼女も例の一件以来、吊るし首の姫などという不本意なあだ名で呼ばれるようになっていたからである。
船喰らいの怪物とはいかにも大袈裟だが、海賊とは言え、彼らも船乗り。
洋の東西を問わず、船乗り達とは基本的に迷信深いものなのである。
オリパは思わず叫んだ。
「おい、何をやってる! 逃げろ! ヤツに襲われるぞ!」
「んなこたぁ分かってる! だが、どうすりゃいいんだ?! あっちは空の上! しかもこっちの足より断然速いんだぞ! そんな相手からどうやって逃げりゃいいんだよ!」
船員が怒鳴り返した。
ふと気が付くと、さっきまでの喧噪は消えている。
今では船のへさきが波を砕く音と、怪物の立てるヴーン、ヴーンという耳障りな音だけが辺りに響き渡っている。
最初は怪物の姿に大騒ぎしていた船員達だったが、自分達ではどうにも出来ない事を悟ると、息をひそめ、怪物が通り過ぎてくれる事をジッと祈っているのである。
オリパも慌てて黙り込むと、怪物が過ぎ去る事を願った。
長い長い――実際はほんの数分に過ぎない――緊張の時間が過ぎた。
怪物の噂が半分でも本当なら、こんな船程度はひとたまりもないだろう。
まるで薄氷を踏むような、胃がキリキリと痛くなるような時間。
海賊達は全員、生きた心地がしなかった。
やがて怪物は船の上を通り過ぎると、船の前方――進行方向で大きく旋回しながら高度を下げた。
「・・・おい、よせ。冗談だろ」
「ウソだろ。止めろ、止めろ。ウソだと言ってくれ」
海賊達に動揺が広がる中、怪物の姿はみるみるうちに大きくなっていった。
「ヤバイ! ぶつかるぞ!」
誰かが叫んだその瞬間。怪物の胴体と翼にパパッと光が瞬くと同時に、ドドドドドドと低い轟音が辺りに響き渡った。
次回「こぼれたミルク」